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第7話「魂影の儀式」


 醒めろ――醒めろ――醒めろ――。


 ろくでもない悪夢に、ラルズはただ念じるばかりだった。



 王都シュテルンヴァイスの九層にそびえたつアスレーヴェの神殿。

 そこへ至るまでの道は王宮の庭師が管理している。

 小さな樹林が配置され、敷き詰められた花壇に彩られていた。


 白銀の鎧を身に纏ったラルズは、お祭り騒ぎの城下町から白馬に乗って出発した。

 大通りを抜け、坂を駆け登るラルズに民衆は歓声を上げ、笛を吹く。

 上に登るほどに上流階級の貴族たちが恭しく頭を下げる。


 神殿まで辿り着くと、重臣達が控えていた。

 ラルズは愛馬から降りて、背に打ちかかる金髪を揺らしながら神殿内に足を踏み入れる。

 ここから先、鎧を着ているのはラルズに限られた。

 獅子の神アスレーヴェを模した黒像の周囲にいる司祭たちは、王都より二日の距離にある大神殿から参集した。

 彼らは両手を組んで、祈りを捧げている。

 その中心にいるのは初老の教皇だった。

 床をこすりそうな丈のローブで身を包む彼の前で、ラルズは膝をついて頭を下げた。


「ラルズ・アルドロ。いまより、魂影(シャドウ)の誓いを立てよ。――一」


 教皇はしゃがれた声で、ひれ伏せたラルズに投げかけた。

 ラルズは幼少の頃から繰り返し教えこまれた誓いを、強い声色で放った。


魂影(シャドウ)は相反するものであり、担い手同士は決して結ばれてはならない。なお、血縁者も同様とする」


「――二」


「竜の魂影(シャドウ)に屈することは許されない」


「――三」


「いかなるときも雄々しい獅子の心を持て」


「――四」


「誓いから逸した場合、アスレーヴェは守り神としての使命を終える」


 教皇は「頭をあげ、立ち上がれ」と命じる。

 ラルズは翡翠色の瞳を爛々とさせて、言葉の通りにして背筋を伸ばした。


「獅子の神を顕現さすと同時に、そなたを第七十六代アルドロ王国女王とする。さあ、神の名を」


 この時に、ラルズは途方もない違和感を感じた。

 心身に変化があったわけじゃないが、だからこそ、儀式を終えても何も変わっていないことに困惑したのだ。

 しかしそのような戸惑いはおくびにも出さず、ラルズは呼んだ。


「アスレーヴェ」


 この日から魂に同居するはずの神は、ラルズのもとに降り立つことはなかった。

 父であるルーウェン王が儀を終えた際は、美しさすら備える白銀の獅子の影が神殿を呑みこむように出現した。

 アスレーヴェは鬣を震わせ咆哮し、それは王都にとどまらず平原にまで響き渡った。

 当時のラルズは幼すぎて儀式に立ち会うことは許されなかったが、城を揺るがす獅子の咆哮は心にしみて残っている。


 次第にラルズは背筋を伸ばすことも、凛々しい顔を保つことも難しくなる。

 白い肌は青ざめて、絶望に染まりつつあった。


 ここにきて、粛々と儀式を執り行なっていた教皇が狼狽を全身で表現した。

 威厳高い初老の伝染力は強力で、神聖な空間に潜めるような声が交わった。

 ラルズは逃げることも許されなければ、周囲の人間にすがることもできない。

 彼らは父と違って武に優れ、血気盛んだったラルズに期待で胸を膨らませていた。

 その落胆のしようといえば、言葉では言い表せない。

 頭が切れる者は即座に今後の身の上を心配しただろう。


 ラルズの視界は暗色にちらついて、立ち方さえわからなくなる。


 剣を握る感触などすぐに――忘れてしまった。



 


 ▽▽▽


「――ッ!」


 息を呑んで、薄絹の掛け布団を跳ね飛ばし、上半身を起こしていた。

 ぶわっと宙を舞った金髪が定位置に戻ると、ラルズは悪夢と酔いから醒めたのを実感する。

 扉のなくなった入り口から侵入する夜風が部屋で渦巻いて、汗ばんだ肌を乾かした。

 空に浮かぶのは三日月だが、天に近い王宮に注がれる月明かりは満月に匹敵する。


 その光量は、賊に侵入されたかのような惨状の部屋を一望するには好都合だった。


 宮女は片付けようとしたのだろうが、表にいる近衛兵に「入らないほうがいい」と警告される光景が、いとも簡単に脳内で浮かびあがってしまう。


「はあ……」


 酒で甘ったるくなった吐息に不快感を覚えた。

 ここで暴れた男の甲斐あって、麻痺していた神経が多少なりとマシになったのかもしれない。


「ふふっ」


 スピライトの顔を思い浮かべると、自然に頬はゆるみきった。

 胸元に垂れる金の髪を指先でくるくる巻いて弄くりまわす。


 彼は何も、変わっていなかった。


 少し頬を赤くした後、気づいてしまう。

 彼とは正反対に、負の方向に変化している自分に。

 考えてしまうと踊っていた指から活力が失せて、だらりと腕をおろした。


 いっそ死にたいと、常に考えている。


 剣を片手に馬で駆け、敵軍に突っ込めたらどんなに楽か。

 しかし、それは許されない。

 担い手になり損ねたとはいえ、七十五代に渡って玉座についてきた王家の血は受け継いでいる……はずだ。

 担い手でもない十六歳の小娘が女王になるなど甚だしいが、資格を有しているのがラルズしかいないのも事実なのだ。


 武人としての能力には文句のつけようがないようで、アスレーヴェを具現させれば問題は解決する。

 現状では、王族に対する民の糾弾は止まない。

 獅子の魂を竜に食わせ、帝国側に寝返る諸侯も後を絶たない。

 が、そんな状況でもラルズがふいに覚醒し、アスレーヴェを纏うのではと、心の片隅で希望を残している者はなんだかんだ多いのだろう。

 ならば真っ先にラルズが命を狙われる戦場に駆りだされるわけもない。


 もはや寝起きの恒例行事になり果てているが、一応口にする。


「アスレーヴェ」


 もちろんか細い声などに神が応えるはずもなく、呟きは部屋の闇に呑み込まれた。


 次の瞬間――ラルズは豹変した。


 床に転がっている、葡萄酒が注がれていた瓶を横から蹴り払った。

 酒の飛沫が舞う。

 部屋はさらに酒の匂いが充満し、絹のドレスは至るところで染みをつくる。


「どうすればいいのよ……!」


 重臣たちは言う。


「担い手になれないのは身体が未成熟だからです」

「歴代の名をはせた王は酒を好んでいました。姫さまも嗜まれては」


 ――と、無理やり酒を運んでくる。

 流されるままたまに口にしてしまうが、別に好きでもなければ、何なら毒物のイメージすらあった。

 しまいには男をはべらせろと言い出し、己の息子をあてがおうとし、ずうずうしい者などは自分の名を挙げる。

 無論、こればかりは肘鉄を食わせた。

 ラルズはどうすればよかったのか、検討もつかない。

 でも一つだけ、わかっていたことだが確信に変わり、涙をぐっと堪えたことがある。


「先生のお墓に、行かないと……」


 日中、スピライトが激情して参上した際にはラルズも悲壮感たっぷりにうざったく暴れてしまったが、彼は怒りをぶつけにきただけじゃない。

 ラルズに負けず劣らず乱暴で口下手な彼だが、根は優しいのだ。


 きっと、皆にどんな顔をして会えばいいかわからずにいたラルズの面倒な感情を、蹴り飛ばしにきてくれた。

 ラルズは壁に掛かっていた愛剣を握りしめて、扉のない自室から歩みだした。



 湯を沸かそうとする宮女を制止して、ラルズは身を清めるような心持ちで冷水を浴びた。


 女性らしい輝きを取り戻すと、用意されていた新しいドレスに身を包む。

 ひらひらした格好にも慣れたとはいえ、本来のラルズは騎士の衣装を好む。

 さすがに用意させれば何事かと臣下が騒ぎだしそうなので我慢する。

 しかしラルズは剣を携えているので、宮女は怪訝そうにしていた。

 ……が、こればかりは譲れない。

 剣の師には、剣を捨てた情けない姿を見せたくない。


「姫さま、何卒、お戻りください。お引き止めしなかったとなれば、私たちは罰を受けます。せめて、お傍に衛兵を……」


 ラルズが自室に帰る気がないのは見え透けているらしい。

 彼女達はラルズとかれこれ一年間は一緒にいるのだ。

 どう進言すればラルズが思い直すかよくわかっていて、罰という言葉を前面に押し出してくる。

 衛兵を見繕う間に上へ報告するのは明白なので、ラルズは強く首を振って拒絶する。


「あなたたちを罰しようとする愚か者がいれば、わたしが拳を与えるわ。それに、霊園より下にはおりないと約束するから」


 墓参りと知ると、宮女たちは途端に胸を撫で下ろした。

 剣を手放さないことから、とうとうラルズの気が触れた、と危惧していたのかも。

 まさか部屋を荒らしたスピライトに報復するとでも思っていたか。


 ……タイミングからして、そうとしか思えないか。


 かくにも、嘘は吐かないラルズを引き止める者はいなかった。

 王宮のそばにいた白馬の美しい毛並みを撫でると、鞍に跨った。

 久しく主人を乗せた馬はいななき、下り坂を猛然と駆け抜けていった。

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