第5話「兄妹 前編」
ラルズの部屋で好き放題暴れた俺は、愛馬に乗って坂を下っていた。
標高には慣れたが、いまだに空を泳いでいる気持ちになり落ち着かない。
なにせ俺は一年前までは森暮らしだったし、徴兵されてからはずっと戦場だった。
実際、住処にしている五層より上に出向いたのは、【獅子剣の主】になってからである。
そもそもこんな城をどうおっ建てたのかという話だが――、
この巨大な城の土台となったのは、直径が四フェルード(約四キロメートル)もある白い丸石だ。
伝承によると、星が落ちたとされている。
それを初代アルドロ国王がアスレーヴェの力を借りて真っ二つに両断した。
そして半分を資材にして、もう半分の切断面に城を建設したという。
……眉唾だ。
しかし事実として、緑の大地が連なるヴェルト平原の中心にこの城が存在するのだから、ほら話とは片付けられない。
大地と面する城下町では二万を超える民が暮らしており、端から端まで半円を描くような城壁で囲まれている。
王都に背はなく、まさに要塞と呼ぶのが相応しい。
城と城下町の境目には大きな坂があり、果てが王宮なのである。
「ふぅ……」
五層まで駆け下りると、とある住居の前で馬を止めた。
資材が同じだからか、城内ではあまり住居に格差がない。強いて違いを言うならば、上層の方が天井が高い。
俺は馬を引きながら中に入った。
城の中とはいえ、世帯数はかなり多い。
城下町の屋敷にも引けを取らないほどいい家だし、中には馬小屋すらある。
中心部は日中でも灯りが必須だが、ここに至っては外側の坂に面しているので、家の中でも太陽光を感じるくらいだ。
中を少し進むと――
「グルルルッ……!」
前方から猛獣の唸り声が響いた。
それでもアルドロ王国の馬は驚きもしない。
さらに数歩進むと、ずしりと足音を鳴らして歩み寄ってくる白獅子がいた。
鎖に繋がれていない白獅子は三ネール(約三メートル)を越す巨体で、雄の証である鬣が揺れる。牙を見せたその獰猛な顔付きは常人が拝めば竦みあがるだろう。
「戻ったぞ、スピールズ」
しかし俺は口元を和らげて、獅子の頭に腕を回して抱いた。
「グオォ」
獅子は頬をこすりつけて目を細めた。
こいつとはもう六年の付き合いになるし、初陣も共にした。
アルドロ王国では獅子を恐れずして半人前。
友となり一人前。
主人となる者は選ばれた戦士だと敬慕される。
十歳の頃に、ラルズと一緒に獅子を手懐けようと修練場から出て、こいつを見つけた。
白の毛並みをした獅子は珍しく、二人して惹かれた挙句に取り合ったのだ。
今思えば手懐ける前提だった浅はかな思考に戦慄するが、運よく獅子は懐いた。
子供ながらに熾烈に殴り合った末に二人で飼うことになり、お互いの名前から二文字とってスピールズと名付けた。
そのスピールズの背後には、ドランという小金色の毛並みをした雌獅子がいる。
彼らはいい仲で、普段から身を寄せ合っていることが多い。
しかしドランの主人は俺ではなく、別の人間だ。
ちょうど主人の顔を思い浮かべると、
「スピライトさま。おかえりなさいませ」
美少女と呼ぶに相応しい女が長丈のスカートをふわりとさせて現れた。
銀糸の髪を長く伸ばし、前髪は眉で切り揃えている。
色素の薄い髪のおかげで際立つ瞳は紺碧色で、見つめあうと海の底に吸い込まれるようだ。
見かけ倒しのラルズとは違い、彼女は内面も女性特有の慈愛を秘めている。
一つ年下の十五歳だというのに、胸の実りかたはラルズの比にならない。
……王女の名誉のために言っておくが、決してラルズが貧相なわけではない。
そして彼女はドランの主人ではなく、主人の妹だった。
名をリリイ・ドライバーズといって伯爵家の娘だ。
両親は内紛の鎮圧に赴き戦死してしまったので兄妹二人暮らしだが。
「リリイ。貴族の娘が、どこの馬の骨ともわからない男にかしこまる必要はないんだぞ」
俺の申し出に、リリイはにこりと微笑みを浮かべた。
「【獅子剣の主】の称号を授かった方が何をおっしゃいますか。それに、私の父も大戦時に立てた武勲で成り上がった騎士階級の出です。そう考えれば、スピライトさまと一代の違いしかありませんし――」
「分かった、分かった。リックは中に居るか?」
静止するように片手を挙げて降参の意を示すと、リリイは満足気に頷いた。
「はい。我が兄ながら情けないことに、お兄さまは朝から葡萄酒漬けになっております。なんでも天国へ赴くために、神に献上する酒を体に蓄える必要があるとか」
「あいつ、そこまでバカだったか?」
「いえそれが……他大陸から渡来してきたマホウツカイ? という者に今後を占ってもらったそうですが……」
「マホウツカイ?」
こちらでは聞きなれない名前だ。
ネージュフェルト大陸は、他大陸とはナニカの概念が違うらしく、外交すらままならない。
相手国が来訪を嫌がるのだ。
それに他大陸の商船が港に来てるなんて話、俺は聞いたことない。
つまりそもそも、渡来云々が怪しいのだが。
「というか、何で占いで酒を呑むんだ」
「占いの結果ではお兄様は近々戦死するとのことで。死後の世界の在り方について、その者から手ほどきを受けたようなのです」
「それを信じる奴が、よくこの一年間の激戦を生き残ったな」
「葡萄酒を売りつけたのも、占った本人だそうです。それもかなり高値だったらしく、父の形見である鎧と物々交換で……」
恐ろしいのはどちらか分からなくなってきた。
まあ、実はこんなこと今に始まったことではない。
リリイは違うが、俺と彼女の兄、ラルズは森育ちだ。
常識は教わるが、やはり都会では戸惑うこともある。
そんなわけで、王都の人間に指導されたことが正しいと思い込んでしまうわけだ。
俺も例外ではない。
今でも相手に悪意がなければころっと変な知識を叩き込まれたりする。
「要するに、リックも誰かに騙されたのか。修練場育ちは何でも鵜呑みにするってバカにされてるから、狙われてたのかもな」
同情するよりも呆れていると、リリイは伏し目になって訊いてきた。
「も、と言いますと、ラルズ殿下はまだ?」
俺は「ああ」と小さく頷いた。
ラルズは別に、酒なんて好きでもないだろう。
彼女もまた、国家の重鎮達にいいように言いくるめられているに違いない。
でもリリイが問いかけたのは、酒のことではないだろう。
ラルズが塞ぎ込んでいるのは周知のことだ。
そもそも、彼女を追いこんでいるのは民なのだから。
「先生には挨拶しそうだったし、別にもういいさ」
俺は会話を切り上げるように、リックの家を歩きながら言う。
「……あなたが嘘をつくのは、ラルズ殿下のことだけですね」
背後でリリイがぼそっと呟いた。
「リリイ? どうしたんだよ」
いえ、と首を振って、彼女は優美な姿勢を保って歩きだす。
リリイから負の感情が発せられたような気がしたのは、それを全身に浴びて悪寒を走らせたからだ。
【獅子剣の主】を授かった男が、女の後をただ追随することしかできなかった。




