第49話「決戦」
ラルズは白馬から吹き飛んでいた。
一瞬で間合いを詰めた男は――剣を振ったらしい。
ラルズは受け止めたのではない。
男は馬の首越しに、ラルズが構えていた剣にあえてぶつけたのだ。
愛馬が殺害された心的衝撃を、身体の異常が上回る。
内臓を始め、何から何まで痙攣している。
「ラルズ殿下、一度撤退を――!」
リックがラルズの身を案じて馬を駆けさせて来るが、クラークは剣を一振りした。
強風に襲われたリックは人馬共に平原に転がった。
「リック――」
焦燥に駆られて名を呼ぶ。
クラークは更に踏み込んできた。
また、ラルズが構えていた剣に激突した。
体が弾けたかと思った。
ラルズと地面の間に、スピールズが割り込んだ。
しかしスピールズでさえ衝撃を吸収しきることはできず、共に何度も地面を転がり、身体で大地を削った。
「う……」
「ググググ……」
痛みを肩代わりしてくれたスピールズが喘ぐ。
ラルズの胸中に絶望感が渦巻いた。
転がっても気合で剣を握っていたのに、手の力が緩みそうになる。
何故、一撃でラルズを殺さないのか。
その理由はすぐに分かった。
先に、死の宣告をしようというのだ。
「決着はここでつける。逃げることは許さないぞ」
煽られると、ぎりっと歯を噛み締めた。
逃げる気なんてさらさらない。
そう見えるほど弱った姿を晒していたと思えば、自分を許せなかった。
己に激怒して立ち上がり、獣の瞳で男を睨みつける。
「ああ……そうか。お前も真の獅子だったな」
クラークは勝手に撤回して歩を進める。
夕陽を介さない青の死炎がラルズに迫った。
ラルズを救おうとするアルドロ兵を、クラークは剣の一振りで制する。
あの剣がラルズに振り下ろされれば、今度こそ首がなくなるだろう。
それでも、いや、だからこそか。
ラルズの頭は澄み切っていて、冷静に思考できた。
皇帝が生存していた可能性を考えた時に、覚悟は決めていた。
元より一対一で対峙すれば、敗色濃厚だったから。
大事なのは国家の勝ち負けであって、個人の優劣ではない。
今日、アルドロ王国は滅びない。
兵の数や練度はこちらが勝っている。
帝国軍はクラークの魂影だけが生命線だ。
攻めきるどころか、撤退するのも難しい。
恐らく勝敗を決めるのは、日和見に徹している北部の諸侯たちだ。
ならばラルズのするべきことは、彼らに勇気を示し、与えること。
この国は、命を懸けるに値するのだと。
最後の王は魂影に臆さず、最期まで剣を振って散ったのだと。
己の役割を理解すると、ラルズは全身を覇気で満たした。
死など怖くない。
怖いのは、国のために死んだ兵士たちに、あの世で臆病者と罵られることだけだ!
クラークが肉薄する直前。
ラルズは一瞬だけ、瞳を閉ざした。
最期は、彼と同じでありたい。
力を貸して、スピライト――――――
時が止まっていた。
比喩ではなく、本当に、止まった。
現実から切り離された、灰色の世界にやってきたような気分。
ふいに、懐かしい情景が頭の中を駆け抜けていく。
一瞬自分の記憶かと思ったが、決定的に違っていた。
……ラルズは、一緒に居ただけだ。
これは、スピールズを捕まえた時。
「この子の名前はルズライトにする!」
「なんでお前の名前が先なんだよ!」
「その代わり、あなたは三文字あるでしょ!」
これは、魂影の儀式の為に王都へ向かった時。
「私はこれでも一応、王女なのよ! 何でスピールズを渡してくれないの!」
「知るかよ。ドランと離すのは可哀想だろ」
「う……」
「まあ、その内会いに行ってやるよ」
年月が過ぎるにつれて、見たことがないものもあった。
「誓うよ。俺の命と剣は、ラルズ・アルドロと共に」
最後は、記憶に新しい。
「俺は口が下手なんだ」
「わたしが呼んだら、来て」
「――約束だ」
これらが過去の記憶なら、
次に聞こえた声は、いつのものだろうか。
(ラルズ、俺は――――――)
優しく呼びかける声色は、幻聴ではない。
……彼と交わした約束は、ラルズが呼んだら来るというものだったのに、彼は自分から歩み寄ってきてくれた。思えば、いつもそうだった。
(ここにいるぞ!)
(スピライト――!)
白色の暴風が吹き荒れた。
ラルズの全身は雷光が散ったような光を帯びる。
伸びた影は人の形を象り、それに生じた大音響は戦場を駆け抜けた。
影はラルズの敵を阻むように、腕を組み、口角を上げる。
獰猛な竜に怯まず、眼力だけで競りあっていた。
魂影となって生まれ変わった男は、シーベルクの背丈と変わらない。
「なっ――、人型だと……いや、こいつは――ッ!」
誓いは果たされた。
約束は、二人の魂を溶け合わせた。
魂影の圧力は、クラークを一歩後退させる。
両軍の戦闘が終わってしまうほど、兵は呆気にとられていた。
声もあがらない。
刃音も発生しない。
そんな世界の中で、クラークだけが嬉々として唇を結び、剣を構え直した。
「俺に、再戦の機会をくれるというのか!」
そして、クラークは斬り込んできた。
刹那に、ラルズは途方もなく不思議な感覚に囚われる。
知覚すらできない最速の剣閃を、気づけば受け流していた。
ラルズの力量や経験では敵わないはずの相手なのに。
(そっか……)
剣技まで混じりあったと理解して、これ以上ないほどに倒錯し、全身を震わせた。
これが、スピライトの見ていた世界。
常識の垣根を越えて、ラルズは心のままに身体を動かした。
「ハアアァァァァァァッアアッ!」
「オオオオオオオオォォォオッ!」
ラルズの剣閃は、落雷の如く敵を強襲した。
負けじと対抗するクラークとの激突はまさに雷光がすれ違うようで、三合を撃ち交わしたのは一瞬の内だった。
一瞬が凝縮された世界で、クラークが必殺の構えを取ったのをラルズははっきり見た。
その技をしっかりと理解できる。
あれはサーライン剣術の技ではない。
魂影の力を限界まで行使すべく、クラークが編み出したのだ。
知覚できない連撃は恐らく、剣を振るうクラークにも見えていない。
いくら肉体が強靭になろうと、思考の限界を超えない限りは魂影を持て余す。
クラークは、事前に狙う部位を決めて剣を振っているのだ。
大丈夫。
――わたしたちは、初見じゃない!
人知を超えた剣閃が交差する。
腕、肩、足、胸――ラルズは本能のままに迎撃する。
魂影は、担い手の幻想によって力を発揮する。
ならば、ラルズに敗北の要素はなかった。
例え相手が神であろうと、ラルズは信じ切っている。
――スピライトが、負けるはずない!
最後の一閃は神を超越した。
刃が激突する余韻すら残らず、クラークの握っていた剣は折れ砕けていた。
海竜の装飾が無残に散り、宙に舞う。
さながら連撃のように、クラークの首に剣を振りかざすのは当然だった。
全ての人間が、ラルズ自身も勝利を確信する。
しかし――、
グインレーヴは、クラークの首元で止まっていた。
殺意の塊を押さえつけたのはラルズではなく、スピライトだった。
繋がった魂から、彼の気持ちが伝わり溢れていく。
「今は獅子と竜ではない。剣士として、わたしたちはあなたを信頼している」
この男が誇りではなく欲に塗れていたら、この未来はなかった。
「アルドロ王国は終戦を望んでいる」
言ったところで、以前のクラークなら応じなかったはずだ。
だが彼は、身構えていた体から力を抜いた。
「俺の負けだ」
超攻勢型の皇帝が敗北を認めたことにより、帝国兵はこぞって剣を地に落とした。
ある者は神を失ったことを嘆き、ある者は友を失い泣き、ある者は新たな魂影を敬う。その従者は主との再会を喜んだ。その友はいつものように呆れたし、恋慕を抱く者の感情は、ラルズと似たようなものだったはずだ。
長年に及んだ獅子と竜の戦争は、終わった。




