第44話「戦に備えて」
王宮に戻ると、真っ先にアスレーヴェの姿が視界に入った。
城壁奪還の後、医者が十人掛かりで矢を抜き、傷を縫合した。
手当てされることを獣らしく嫌がったが、神が急死でもすれば、しぶとさを見せるこの国もついにおしまいだ。
長机を囲むのはいつもの直臣達。
敷かれた王都の地図は獅子と竜の置物で埋め尽くされている。
スピライトの死から逃避するように、ラルズは毅然とした態度で配置についた。
すると、以前よりも距離を感じさせるミラルドが淡々と述べる。
「南の監視塔に就いていた者が、獅子の四頭が無事、森に入った姿を確認しました。それと先日屠った竜、二頭の甲斐あって、獅子の食糧事情は大きく改善しました」
「そう」
ラルズは先程見た光景を思い出し、うつむいた。
海竜の死体を漁る獅子たちには特に思うことはなかった。
が、帝国兵の死体と、同胞の亡骸を食べる姿には畏怖を覚えた。
王都へ助太刀に来た時は千頭もの群れだったが、獅子は四百ほどに数を減らしていた。
その内の百は負傷して動けず、戦える個体は三百ほどだろうか。
獅子の腹は一週間はもつだろうが、次の問題はラルズたちの食事だ。
共食いの対象にならなかった獅子の亡骸を国民の食料にするか否かで、王宮内は大きく揉めている。
背に腹は代えられない、というミラルド一派。
友を食うようなものだ、と批判した信心深い者たち。
この中には、アスレーヴェの手前というのと、教会騎士が見たら怒り狂うに違いないと今後の懸念をした者も含まれる。
ラルズはその中間で、わたしは嫌だけど、獅子が共食いしてるんだからダメではないと思う。
というどっちつかずの意見であり、掲げたところで議論に決着はつかない。
どうせミラルドあたりがうまくやるのだろうと、彼に話の続きを促した。
「北と東の城壁は奪い返したというより、敵が撤退したというのが正確です。敵兵の数は大して減っておりません。王国の戦える兵は五千もいればいいほうですが、敵は依然として一万五千はいるでしょう。教会に伝令をやった意図も看破されたようで、索敵範囲を広げています」
二層の坂と西から反転したアルドロ兵に挟まれた敵は冷静に退却した。
ミラルドは西の城壁制圧後、北と東を熾烈に奪い合う予想をしていたらしいが、敵はあっけなく城壁を放棄した。
城壁戦に遅れて参戦した海竜が、アスレーヴェに殺害されたのが応えたのか。
間違いないのは、敵軍にラルズ達が知りえない綻びが生じている。ということだ。
しかしラルズ達にとって今一番重要なのは、シュワルドに向かった獅子だ。
「敵は獅子を大神殿に着く前に仕留めないのね?」
「ええ、森に入った獅子を追うことはできず、諦めたのでしょう。兵で索敵しているのがいい証拠。竜の数が多ければシュワルド周辺を見回ったかもしれませんが、単騎で飛びまわれるほど、シュワルドの警備は甘くありません」
恐らく帝国が南の城主に待機を通達した際も、シュワルドには赴かなかったか、手痛い歓迎を受けただろう。
教会が忠誠を誓うのは王国ではないので、帝国からすれば後から崩せばいい都市だ。
「さて、急場を凌ぐには彼らの援軍を期待するほかありません。それまで早くとも四日は掛かるでしょう。帝国の出方としては、恐らく二通りかと」
「何? わたしでも、今敵が攻めてきてないのは分かるけど」
若干皮肉を混ぜてしまった。
しかしミラルドは華麗に躱すというか、無視して続けた。
「現在は竜に休息を取らせているのでしょう。奴ら、数日は飛びっぱなしでした。それとクラークです。何かがあったに違いない」
何かと聞けば、ラルズはわかりやすく機嫌を損ねた。
ぐっと拳を握ったが、さすがに振り回すことはない。
ミラルドは、帝国がスピライトの死体を送り届けたことには裏があると睨んでいた。
ご丁寧に、宝剣グインレーヴも一緒に。
迅速に死体を届ける余裕を見せることで、こちらに気取られたくない何かを隠しているのだと。
ミラルドはラルズが感情を抑えたのを確認して、また続けた。
「……帝国軍の出方の一つは、休息を取り次第、兵を総動員して攻めることです。一先ず王都は落とせますが、彼らとしても竜の全滅や、クラークが消耗、死亡する可能性を視野に入れなければなりません。そんな状況で教会騎士とぶつかりたくもないでしょう。南に救いを求めれば、牙を剥かれると危惧するはずです」
つまり敵が自暴自棄にならない限り、この手は打ってこないというわけか。
「私としましては、こちらが自壊するまで、波状攻撃を仕掛けてくると思っております。敵は何も今すぐシュテルンヴァイスを落とす必要はなく、四日以内に片を付ければいいのですから。失礼ですがラルズ殿下、最後に睡眠を取ったのはいつですか?」
「……えっと……あれ、いつだったかしら」
「皆、そのような状態です。ヴェルト平原の戦に参戦した者に関しては、ラルズ殿下の数日前から戦続きです。彼は初代【獅子剣の主】の弟子なだけあり、人一倍丈夫なようですが」
背後にいるリックに視線を移すが、確かに顔色がよくない。
友が死亡したショックに加え、疲労困憊だ。
「敵は兵力の差を活かし、休息兵と別れて動き出すでしょう。正門はアスレーヴェ様の力を借りて瓦礫を積み上げたので、再び破るには魂影の力が必須です。しかしクラークも連戦続きで、万全を期するなら数日は休むはず。もし奴が疲労のまま姿を現せば僥倖ですが、そう甘くはないでしょう」
クラークが現れるなら、正門を壊した上でアスレーヴェを屠る力が戻ってから。
しかし今は、クラークが戦線復帰した時の心配をする余裕もない。
「波状攻撃を凌がないといけないのね」
「はい。帝国はアルドロ領北部の領主達にあることないことを吹き込み、あるいは脅し、糧食を要求するでしょう。輸送には竜を使うでしょうし、我々はある種、楽にはなりますが、少なくとも四日は戦いっぱなしです。それに、教会騎士の援軍が壁外でぶつかればこちらから挟撃に出る必要もあります」
アスレーヴェを見られれば信仰を復活させるかもしれないと帝国は危惧しているし、北にいるアルドロ兵を軍の増強には使えないだろう。
今も抱えているアルドロ兵が謀反を企てないかとひやひやしているはずだ。
この戦いでなりふり構わず糧食を要求し始めたら、帝国に亀裂が走っていると勘付く諸侯もいるだろう。
ここが正念場だ。その後は、必ず好機がやってくる。
次にミラルドはラルズの顔色を窺った。
多分、そのままの意味で、顔の色を。
「ラルズ殿下、戦闘が始まるまでお休みください。蚊帳の外にしないと約束しますので」
「……分かったわ」
一切の反論をすることなく、ラルズは従った。
今度ばかりは嘘じゃないと分かったし、実際、疲労の果てにいた。
夢の中で、スピライトと話せるだろうか。
どうせ、喚いちゃうだけだろうけど。
ラルズは自室に戻り、瞳を閉ざした。




