表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/50

第3話「王女暴行」


 家というより、そこはやはり部屋だった。


 天幕付きのベッドに、赤い絨毯。装飾過多な銀のテーブル。棚に飾られている調度品はいかにも貴族らしい。

 中からはなぜか、甘ったるい匂いが漂っている。


 しかし俺は知っていた。


 ここの部屋主に限ってはそのような飾りに興味もなく、また大した教養もない。

 とすれば、別の誰かが飾りつけたのだろう。

 全ての窓にカーテンがかかっており、昼間だというのにかなり遮光されている。


 薄暗い部屋だ。


 が、それでも寝台に腰掛けている女の美貌は光るようだった。

 女の長い金髪は扉の崩壊による驚きで大きく揺れていたが、その感情に反して髪は直毛で、背中のしなやかな曲線に張り付くように戻る。

 以前は凛々しい輝きを見せていた翡翠エメラルドの瞳は、己の心を映し出したかのように曇っている。

 絹の衣装は胸元がやたら開いているし、耳や首には宝石が散りばめられている。


 誰だこいつ。

 

 そう思ってしまうほど、俺の目から見て彼女は変わっていた。

 一般的には、今の貴族風なこいつを好む男のほうが多いだろう。

 しかし俺からすれば、こんな美貌なんて過去の栄光のようにすら思えるのだ。


「……」

「……」

 

 俺達は互いに絶句していた。

 言葉が出てこない理由は、まるっきり別だろうが。


 しばし呆然としていたが、俺は女が持っている金の杯に気づいた。

 やたらと鼻腔を刺激する、甘い匂いの正体にも……。


「てめえ、酒なんか飲んでんじゃねえよ!」


 俺は思わず、近くにあった銀のテーブルを片手で持ち上げ、女に向かって投擲した。


「っ――!?」


 机は女の鼻先を通過して、棚の上にある調度品を破壊しながら壁に激突した。

 女は微動だにしなかった。

 反応できなかったのだろう。

 恐らく、運動不足。

 正直女を狙ったから、当たり所が悪かったら殺していたかもしれない。

 俺が安堵するよりも前に、徐々に女が本性を見せる。


「何よっ――!」


 女はさすがに腹立てたのか、持っていた杯を俺に向かって投擲し返してきた。

 中に入っていた葡萄酒をまき散らしながら、俺の顔面に向かってくる。

 そういえばこいつ、物を投げる天才だった。

 そして俺も、迎撃には慣れていた。

 

 払いのけるように拳で杯を叩き落す。

 上等な鎧を揃えられそうな金の杯は無残に転がっていく。

 火がついた俺は杯が止まる前に、女に肉薄した。


「このっ――!」


 しかし女もじゃじゃ馬だった。

 酒瓶を置いていた細長いラウンジテーブルの柱を掴んで、俺に殴りかかってくる。

 俺は一度躱すと横からその腕を掴んで、女をベッドに放り投げた。


「……あ?」


 俺が違和感を抱くのも束の間。

 ドシャッと天幕を破壊しながら、女は頭から壁にぶつかった。

 昔と比べて軽くなっていたせいで投げ損ねた。

 信じられないほど鈍い音がしたので俺は一瞬焦ったが、杞憂だった。


「女に向かって……!」


 悶えながらも後頭部を押さえて立ち上がる女に、遠慮なんていらなそうだった。

 胸元を掴んで立たせてやろうかと思ったが、そもそも胸周辺は布地が少なかった。

 ワンピースなので襟もない。

 仕方なく肩先のフリルを掴んで女を立たせる。

 ぶちぶちと繊維の千切れる音がするが、気にせず少し高い位置から女を見下ろした。

 ……まるで暴漢のようだ。

 意識を逸らすためにも、俺は凄みながら言った。


「見た目も酷くなったが、体力はもっと衰えたな。なあ、ラルズ。戦時下に一年も王宮に篭りっぱなしなんて、さすが王女様はいいご身分だな」


 清潔にしている辺り、風呂は宮女が用意しているのだろう。

 先ほど投げた時はずいぶん軽くなったと思ったが、単純に筋肉がなくなっているだけで、別に痩せているわけでもない。

 服も、昔は女を見せるような恰好は嫌っていたのに、今では着せ替え人形だ。


 俺としても、中身が以前のラルズと同じだったならば、随分女らしくなったなと茶化して笑いあえたのだろうが。


 十年以上も同じ森の中で暮らしていたのに、今となっては果てしない距離を感じる。

 やはり一年間も顔を合わせていないせいだろう。

 それはラルズもどことなく感じたのか、とうとうしゅんとなって押し黙ってしまった。


 そして、核に迫る。


「今はもう、俺が【獅子剣の主グインレーヴロード】だ。それがどういうことか、分かるよな」


 【獅子剣の主グインレーヴロード】は二十年前にできた称号だ。

 一年前までは、二代目の座はラルズのものになるはずだった。

 ラルズはそれでも黙ったままだったが、少し唇を噛んでいた。


 悔しいのだ。


 俺達にとってこれは、ただの名誉ある称号とは片付けられない。


「先生が死んだ時はお前も悲しんでるだろうって、まあ、何も言わなかったさ。でも何で追悼式に出ない? お前が顔を出しやすいように門下生しか集めなかったのに」


 ラルズは身分の差など気にしない人間だった。

 己が王族だということを本当にわかっているのかと、周囲に窘められることが多かったくらいだ。

 だから、恩師に別れを告げにこないとは露ほども思わなかった。


 それに先生は、ラルズのために戦って死んだというのに。

 

 うんともすんとも言わない女にまた腹が立ってきて、俺が再び口を開こうとした時――、


「わたしは……どうすればいいの」


 ラルズがようやく喋った。

 少し伸びた前髪で目はあまり見えないし、声は弱々しく、覇気の欠片もない。

 それでも彼女なりに何とか振り絞ったのだろうと、少し留飲を下げる。


「さあな。どうせこの国はもう駄目だ」

「わたしのせいでしょ」


 ラルズは自嘲した後、少し顔を上げて俺を見据えた。


「俺が一つでも、その事に関して文句を言ったかよ」

「……ううん」


 うつむいたラルズは再びしおらしくなる。

 でも先ほどまでとは違い、安堵したように眉を垂らしていた。

 少し、昔の感覚が戻った。

 お互い、言葉を交わす前につい手がでてしまう性格だが、話し合って分かり合えなかったことは一度もない。


 次に放った言葉は辛辣だったが、声音は優しかったと自分では思った。


「俺はお前が逃げようが、ここに閉じこもっていようが、何も言うつもりはない。でも酒が抜けたら、先生のところに顔を出せ。墓は立ってるからな」


 言いたいことを散々言い尽くすと、俺はラルズに背を向けた。


「スピライト。あなたはこれから、どうするの……」


 すると久しぶりに、ラルズは俺の名前を呼んだ。

 振り向くことはしなかったが、俺は強い声音で言った。


「俺は先生との約束通り、この身が尽きるまで戦うだけだ」


 俺は壊れた扉を再び踏みつけながら、ラルズの部屋から去った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ