第3話「王女暴行」
家というより、そこはやはり部屋だった。
天幕付きのベッドに、赤い絨毯。装飾過多な銀のテーブル。棚に飾られている調度品はいかにも貴族らしい。
中からはなぜか、甘ったるい匂いが漂っている。
しかし俺は知っていた。
ここの部屋主に限ってはそのような飾りに興味もなく、また大した教養もない。
とすれば、別の誰かが飾りつけたのだろう。
全ての窓にカーテンがかかっており、昼間だというのにかなり遮光されている。
薄暗い部屋だ。
が、それでも寝台に腰掛けている女の美貌は光るようだった。
女の長い金髪は扉の崩壊による驚きで大きく揺れていたが、その感情に反して髪は直毛で、背中のしなやかな曲線に張り付くように戻る。
以前は凛々しい輝きを見せていた翡翠の瞳は、己の心を映し出したかのように曇っている。
絹の衣装は胸元がやたら開いているし、耳や首には宝石が散りばめられている。
誰だこいつ。
そう思ってしまうほど、俺の目から見て彼女は変わっていた。
一般的には、今の貴族風なこいつを好む男のほうが多いだろう。
しかし俺からすれば、こんな美貌なんて過去の栄光のようにすら思えるのだ。
「……」
「……」
俺達は互いに絶句していた。
言葉が出てこない理由は、まるっきり別だろうが。
しばし呆然としていたが、俺は女が持っている金の杯に気づいた。
やたらと鼻腔を刺激する、甘い匂いの正体にも……。
「てめえ、酒なんか飲んでんじゃねえよ!」
俺は思わず、近くにあった銀のテーブルを片手で持ち上げ、女に向かって投擲した。
「っ――!?」
机は女の鼻先を通過して、棚の上にある調度品を破壊しながら壁に激突した。
女は微動だにしなかった。
反応できなかったのだろう。
恐らく、運動不足。
正直女を狙ったから、当たり所が悪かったら殺していたかもしれない。
俺が安堵するよりも前に、徐々に女が本性を見せる。
「何よっ――!」
女はさすがに腹立てたのか、持っていた杯を俺に向かって投擲し返してきた。
中に入っていた葡萄酒をまき散らしながら、俺の顔面に向かってくる。
そういえばこいつ、物を投げる天才だった。
そして俺も、迎撃には慣れていた。
払いのけるように拳で杯を叩き落す。
上等な鎧を揃えられそうな金の杯は無残に転がっていく。
火がついた俺は杯が止まる前に、女に肉薄した。
「このっ――!」
しかし女もじゃじゃ馬だった。
酒瓶を置いていた細長いラウンジテーブルの柱を掴んで、俺に殴りかかってくる。
俺は一度躱すと横からその腕を掴んで、女をベッドに放り投げた。
「……あ?」
俺が違和感を抱くのも束の間。
ドシャッと天幕を破壊しながら、女は頭から壁にぶつかった。
昔と比べて軽くなっていたせいで投げ損ねた。
信じられないほど鈍い音がしたので俺は一瞬焦ったが、杞憂だった。
「女に向かって……!」
悶えながらも後頭部を押さえて立ち上がる女に、遠慮なんていらなそうだった。
胸元を掴んで立たせてやろうかと思ったが、そもそも胸周辺は布地が少なかった。
ワンピースなので襟もない。
仕方なく肩先のフリルを掴んで女を立たせる。
ぶちぶちと繊維の千切れる音がするが、気にせず少し高い位置から女を見下ろした。
……まるで暴漢のようだ。
意識を逸らすためにも、俺は凄みながら言った。
「見た目も酷くなったが、体力はもっと衰えたな。なあ、ラルズ。戦時下に一年も王宮に篭りっぱなしなんて、さすが王女様はいいご身分だな」
清潔にしている辺り、風呂は宮女が用意しているのだろう。
先ほど投げた時はずいぶん軽くなったと思ったが、単純に筋肉がなくなっているだけで、別に痩せているわけでもない。
服も、昔は女を見せるような恰好は嫌っていたのに、今では着せ替え人形だ。
俺としても、中身が以前のラルズと同じだったならば、随分女らしくなったなと茶化して笑いあえたのだろうが。
十年以上も同じ森の中で暮らしていたのに、今となっては果てしない距離を感じる。
やはり一年間も顔を合わせていないせいだろう。
それはラルズもどことなく感じたのか、とうとうしゅんとなって押し黙ってしまった。
そして、核に迫る。
「今はもう、俺が【獅子剣の主】だ。それがどういうことか、分かるよな」
【獅子剣の主】は二十年前にできた称号だ。
一年前までは、二代目の座はラルズのものになるはずだった。
ラルズはそれでも黙ったままだったが、少し唇を噛んでいた。
悔しいのだ。
俺達にとってこれは、ただの名誉ある称号とは片付けられない。
「先生が死んだ時はお前も悲しんでるだろうって、まあ、何も言わなかったさ。でも何で追悼式に出ない? お前が顔を出しやすいように門下生しか集めなかったのに」
ラルズは身分の差など気にしない人間だった。
己が王族だということを本当にわかっているのかと、周囲に窘められることが多かったくらいだ。
だから、恩師に別れを告げにこないとは露ほども思わなかった。
それに先生は、ラルズのために戦って死んだというのに。
うんともすんとも言わない女にまた腹が立ってきて、俺が再び口を開こうとした時――、
「わたしは……どうすればいいの」
ラルズがようやく喋った。
少し伸びた前髪で目はあまり見えないし、声は弱々しく、覇気の欠片もない。
それでも彼女なりに何とか振り絞ったのだろうと、少し留飲を下げる。
「さあな。どうせこの国はもう駄目だ」
「わたしのせいでしょ」
ラルズは自嘲した後、少し顔を上げて俺を見据えた。
「俺が一つでも、その事に関して文句を言ったかよ」
「……ううん」
うつむいたラルズは再びしおらしくなる。
でも先ほどまでとは違い、安堵したように眉を垂らしていた。
少し、昔の感覚が戻った。
お互い、言葉を交わす前につい手がでてしまう性格だが、話し合って分かり合えなかったことは一度もない。
次に放った言葉は辛辣だったが、声音は優しかったと自分では思った。
「俺はお前が逃げようが、ここに閉じこもっていようが、何も言うつもりはない。でも酒が抜けたら、先生のところに顔を出せ。墓は立ってるからな」
言いたいことを散々言い尽くすと、俺はラルズに背を向けた。
「スピライト。あなたはこれから、どうするの……」
すると久しぶりに、ラルズは俺の名前を呼んだ。
振り向くことはしなかったが、俺は強い声音で言った。
「俺は先生との約束通り、この身が尽きるまで戦うだけだ」
俺は壊れた扉を再び踏みつけながら、ラルズの部屋から去った。