第29話「レイナードとの一騎討ち」
白刃が交差する。
ラルズの剣を襲った落雷のような衝撃は、心にも届いていた。
「ッ――!」
腕が痺れる。
喘ぎそうになるラルズとは対照的に、レイナードは鼻息すら漏らさず淡々と連撃を放つ。
(これが実戦……殺し合い……!)
訓練とはまるで違うことを痛感させられる。
修練場では、サーライン剣術を模した稽古を何度もした。
力任せの技が多い王国とは違い、帝国の剣術は目まぐるしい。
帝国軍の剣はただでさえ小ぶりで、レイナードの巨体と比較するとより顕著に表れる。
女子供も扱いやすい剣なので、もしかしたらラルズもサーライン剣術に適正があるかもしれない。
しかし……。
レイナードの場合は、常識の枠から外れていた。
男はまるで小枝を振り回すかのように、片手で剣を振り下ろす。
恐らく、両手で握ればその膂力に薄刃の剣が耐えられないのだろう。
訓練と違うというだけで、タイミングが狂う。
この男の場合、もう片方の手どころか足技も警戒しなくてはならない。
更にレイナードの背丈は高く、ラルズはまるで階段の下に位置しているかのように錯覚する。
多くの斬撃が振り下ろされるもので、ただでさえ化け物のような腕力に圧倒されっぱなしだった。
しかし、理不尽な剛剣を振るう剣士は、身内にも居た――。
ラルズが今生きているのは、その経験が活きているからに過ぎない。
――ギュンッ!!!
「ギギャアアアアアアアアアガアアアァァァッァアアア!!」
矢に貫かれた竜の鮮血が雨となり、ラルズに降りかかった。
海竜が真横で絶命してから、ようやく状況を認識する。
深く集中しているからこの猛攻を迎撃できているのだが、無意識のうちに食われていたかもしれない。ぞっとする。
しかしそれはレイナードも同様だ。
男が一瞬肩を上下させたのを、ラルズは見逃さなかった。
……違和感。
ラルズは圧倒されている。
実戦においては明らかに敵のほうが手練れ。
レイナードには視野を広げる余裕があるはずだ。
ラルズはこの男と撃ち交わす剣技が自分にはあるのだと思い込んでいたが、都合よく解釈しすぎではないだろうか。
両者の実力差を埋めていたものは……。
――怪我だ。
男は城壁を転がった衝撃で頭を割っている。
ラルズは男の剣を追いかける余裕しかなかったが、顔を注視する。
左目がドス黒く染まっていた。
これでは見えるわけがない。
逆に視界不良を悟らせず、よくここまで撃ち合ってきたものだ。
相手に弱点がある。どれだけ頭で理解していても、防御の姿勢を崩すのは勇気が必要だった。
このまま続けていれば、レイナードが疲弊して優勢になるかもしれない……。
(バカ……!)
ラルズは弱腰な己を叱咤する。
これから多くのアルドロ兵が目撃するのは敵将の猛攻を退けたラルズではなく、敵将を討ち砕く王の姿でなくてはならない。
レイナードがぴくりと眉を動かした。
こちらが攻勢に出る空気を察したというのか。
恐ろしいことに、レイナードは軽く距離を取った。
自ら退いたのだ。
本来のサーライン剣術である、受けの動きに切り替えている。
隙がない――ように見える。
どう足掻いても、見えてしまう。
「貴様がアスレーヴェに見限られたこと、同情してやろう」
冷淡だったレイナードが急に声を発した。
「……?」
「女を殺すのにここまで時間を要するのは、初めてのことだ」
「そんな言い方されても、嬉しくないわよ!」
ラルズは腹立てて斬り込んだ。
レイナードが何か企てていることは承知している。
しかし余裕がなくなったから、下がったし、謀ろうとしているのだ。
ラルズはもちろん、男の弱点を狙うべく右方から斬撃を仕掛ける。
――感触に変化があった。
レイナードはこれまで弾いていた剣を、自らの顔面ギリギリまで引き付けた。
ギィィッと男の剣が軋んでいる。
相手を叩き斬るつもりだったラルズの体は一瞬硬直した。
レイナードが左手で拳を握った。
慌てて防御姿勢を取るが、敵の狙いは予想外だった。
鎧に覆われている、腹。
ラルズは横腹を殴打されていた。
「ガハッ――!」
「ッ――」
損傷具合で言えば、レイナードのほうが大きかった。
男の拳はボロボロに砕けている。しかしラルズは呼吸困難に陥る衝撃を食らい、剣を落としながら横に吹っ飛んだ。
その隙を見逃さない敵ではない。
一歩の跳躍でラルズとの距離を埋め、容赦なく剣を振りかざそうとする。
ラルズの暗転しそうな視界でも、男が勝利を確信しているのが分かった。
しかし。
喧嘩はラルズも得意とするものだ。
殴打の衝撃からの立ち直りが異常に早かった。
それに物は投げるし、殴るし――蹴る。
転倒したまま、ラルズは右足をバネのようにして鋭い蹴りを放った。
「グッ――!」
レイナードの顎先に命中し、顔が空を見上げるほど跳ね上がった。
ラルズは落とした愛剣に飛び込んだ。
握り締めると同時、地面を蹴りながら立ち上がる。
頭部を負傷していたレイナードは脳を揺さぶられたことで朦朧としていた。
ラルズは低くなった首に狙いをつけて、踏み込んだ。
レイナードは防御の構えを見せていたが、剣の受ける位置が悪いのは、ラルズの目から見ても明らかだった。
「ハアアアアァァァアアアアアッ!」
怒号は敵の刃を圧した。
数多くの命を吸い取ってきた業物が砕ける音は、男の低い声に重なった。
「――――――――――見事」
白髪と鮮血が宙に乱舞する。
ぼとり――。
歓声。
「ハハハ……」
一部始終を見守っていたミラルドが空笑いを浮かべた。
気が付けば、階段を停滞させていた兵たちも足を止めている。
ミラルドは彼らに向かって声を発する。
「お前たちが陰で批判していた姫さまが敵将を討ったのだ! この上にまだ敵に背を見せるというなら、もはや邪魔だ! 野に消え、獅子に食われてしまえ!」
容赦のない罵倒に、兵たちは顔色を変えて持ち場へ戻った。
その行動に、ラルズは途方もない胸の高鳴りを覚えた。
ラルズはそもそも、逃げる兵士を見ても何一つ怒っていなかった。
むしろ、逃げて当然だとも思っていた。
この城壁に戻るということはつまり、死と同義だ。
今にしてようやく、ラルズは自分が彼らの死に値する理由になったのだと思った。
兎を守って死ぬ獅子がいるはずもない。
彼らの中でラルズはようやく王になり、ラルズの為なら死んでもいいと思ってくれたのではないだろうか。
しかし、甘美な余韻に浸る暇はなかった。
突如として遠くの空で雲が割れて、ラルズの目に陽が差し込んだ。
目を眩ます光量に顔をしかめるも、すぐにラルズの表情は驚きで固まった。
陽を道しるべとするように、雲を突き抜けてきた海竜がいた。
その海竜の大きさといえば、ラルズが今まで見た中でも格別だった。
あの竜に乗っているのは誰かなど――。
視認や思考の必要がないほどに、明瞭としていた。




