第22話「神の調教」
先手を取ったのはアスレーヴェだった。
小手調べと言わんばかりに、前足を俺の胴へ薙ぎ払う。
一瞬、脳裏に体がバラバラになるイメージが焼き付いた。
「っ――!」
逃げ場は地面にしかなく、俺は転がりながら地に伏せる。
頭上で轟音が飛来して前足が過ぎ去る。
顔には出さないが、冷や汗が止まらない。
少し狙いがズレてなかったら、俺は為す術なく絶命していた。
「……!」
一撃で殺せなかったことに腹立てたのか、アスレーヴェの真っ黒な歯茎が更に露出した。
その反応で、少しだけ分かった。
小手調べではなく、本気で殺そうとしていたのだ。
ならば地面ごと抉れば済んだ話。
俺に避けられる隙を与えてやったというより、繊細な攻撃が苦手なのだろう。
――しかし、
あれほど大口を叩いたのに、この獅子を屈服させる手段がまるで浮かばない。
当たり前だが、普通に対峙すれば瞬殺される。
こんな神の獅子と対等にやりあえるなら、帝国軍はとっくに俺が滅ぼしているだろう。
とにかく斬るしかないが、傷を与えられそうなのは顔付近。
そして戦うなら、地形を利用するしかない。
一瞬の長考は、獣の喉でかき消された。
「グガアァァァッァッアアアアアアアアアアアア!」
人語を失ったアスレーヴェは獣の本能だけで動いた。
巨躯を躍動させて、俺の眼前に迫ろうとする。
俺は背を向けて走った。
ここは空間が広く、場所が悪い。
アスレーヴェがいるだけあって、ある程度木が抜かれている。
背中に強大な狂気を感じながら、俺は大樹の裏手に回った。
が――、
ブンッと風切り音がすると同時、鈍い激突音と乾いた音が融合。
しゃかしゃかと葉っぱが舞っている。
アスレーヴェの前足が大樹を幹から破壊して、吹き飛ばしたのだ。
「これは、竜の膂力とは比べ物にならないな……!」
俺は走った。
アスレーヴェはどれだけ大きな樹だろうが突進しながら破壊する。
唯一傷をつけれそうな顔は遥か頭上で、どう足掻いても届かない。
木登りして飛び移るしかないと冗談じゃなく考えていたのだが、この様子じゃそれも難しい。
――いや。
運にも左右されるが、飛べるかもしれない。
俺は小さめの樹の裏手に回ると、助走もなく幹を駆け走った。
鎧を捨てて身軽だったのが幸いし、何とか枝元を掴むことに成功する。
その瞬間、もちろんアスレーヴェは俺ごと樹を抉り取った。
グシャっと樹が何回転もする。
手は離さない。
浮いている――それも結構高い。
何よりも、この黒獅子の顔が間近にある!
俺は樹の幹を蹴り飛ばし跳躍した。
両手で上段に構えたクインレーヴを、アスレーヴェの黄金の左目に斬りつける。
「ガアアアアァァアアアアッアアアアアアアッ!」
アスレーヴェが痛みに吠えた。
奴に振り下ろした剣閃は、眼球に垂直の傷をつけていた。
「神の目を斬ったと風潮すれば、罪に問われるかもな」
軽くぼやける余裕ができたが、声音はそれでも苦しかった。
再び足が振りかざされる。
俺は今度こそ背を向けず、豪胆に動く。
奴の視界不良を利用して懐に潜りこんだ。
アスレーヴェからすれば、俺が消えたように錯覚しただろう。
俺はその合間をぬって、奴の内側から今度は獅子登りを始めた。
樹を頭でどつき飛ばす奴だ。感覚が鈍いのだろう。アスレーヴェが俺に気が付いた時には、俺はすでに肩付近にいた。
とうとうアスレーヴェは最後の手段で付近の樹に体をぶつけ始める。
が、膂力がありすぎるせいで、樹は根っこから大地と切断される。
俺に襲いかかる衝撃は大したものではなかった。
タイミングを窺いながら顔面に飛びかかる。
最近やりすぎて、既視感を覚える行為。
残った右目に剣先を突きつけてやると、ようやくアスレーヴェは我に返ったように止まった。
対話ができる状態になったと思いたくて、俺は口を開いていた。
「さすがに両目を潰してしまえば、お前を屈服させてもただの大食らいになるだけだ。潔く負けを認めないのが獅子の神だというのなら、今ここで俺が殺してやる」
「…………」
「一人の優しい女が、神に見限られたと糾弾されてる。でも、お前が共に戦えばつまらない濡れ衣も晴れるだろう。俺が信じてきた雄々しい獅子は、負け戦だろうが怖気づいたりしなかったぞ」
アスレーヴェは頭を地面に近づけた。
獅子から殺気は消え失せていて、残った瞳が丸くなった気がした。
己の感覚を信じて、背を向けながら大地に飛び降りた。
「お主、名をなんと申す」
「スピライトだ」
「よかろう、スピライト。その度胸、剣技、人の子でありながら見事であった。お主の生ある限り、付き合ってやろう」
「助かる」
片目を失ったというのに彼は穏やかだった。
余計なプライドが邪魔していただけで、やはり戦いたくなかったわけじゃなかったか。
アスレーヴェは、雄たけびをあげた。
森に巣くう千に近い獅子が集結し、大きな一歩を踏み出した黒獅子に追従した。




