第13話「初日の英雄」
目を覚ますと夜になっていた。
かなり熟睡していたようだ。
上半身を起こすと、既に起床してドランを労わっていた男と目が合った。
「おはようございます。アルドロ王国の希望、スピライト様」
からかうように言ったリックのおかげで、寝起きから気分を損ねてしまう。
とはいえ俺が寝かされていたのだから、敵に動きはないようだ。
アルドロ軍はひたすら待ち構えればいいので、精神的にも肉体的にも楽かもしれない。
幕舎の石机の上には果物がいくつも転がっていた。
なんだか、俺の身分には不釣合いで訝しむ。
「なんだこりゃ。こんなに食えないだろ」
ぼやくと、リックは「第一声がそれか」とどこか呆れていた。
「竜を単騎で二頭殺した褒美がいくらかの果物かと思えば、罪悪感の味もしないだろう。飢えて死んでる兵がいるわけでもないし」
リックは林檎に手を伸ばし「また僕の戦果が薄れた」と愚痴をこぼしながら齧った。
スピールズを見ると、彼は仕方ないと言わんばかりにのっそりとドランの傍を離れ、猫のようにすり寄ってくる。
血の臭いが薄れている。
付近の川で水浴びでもしたのだろうか。
機嫌もいいし、戦場の馬をたらふく食ってご満悦なのだろう。
「まあ、君の食事はもう少しあとになるよ」
そう言って、リックはフード付きの外套を投げつけてきた。
「我らが上官がお呼びだ。兵たちに英雄扱いされるのも話が済んでからだとさ」
と聞かされれば、こんな時間まで眠っていたことに戦慄する。
焦りフードを被ると、リックと共に幕舎を出た。
先日の幕舎に歩み入る。
こちらに気づいたフォルドが真っ先に声を上げて、俺の肩を叩いた。
「おお、目覚めたか! 竜を単独撃破する者は稀にいるが、たった一年で四頭も狩ったとなれば、歴史に名が残るぞ」
笑うフォルドと同調するように他の指揮官たちも満足気に頷いた。
長く眠っていたことを咎められる雰囲気ではなさそうで安心する。
「師の教えの賜物です」
俺の人生初めての謙遜に、背後のリックは笑いをこらえているに違いない。
その違和感にフォルドたちが気づくこともなく、話は勝手に進んでいた。
「現在、そなたの扱いで意見が割れている」
「はあ」
適当に相槌を打つと、背後のリックから背をつねられてしまった。
「自分は戦略が頭に入るほど利口ではないので、わかりやすい指示だと助かりますが」
「心配せずとも単純明快だ。まず、海竜が多い戦地に送り込むのは決定事項だ」
「はい。問題ありません」
即答したのに、フォルドは悩ましい表情を作った。
顎をさすりながら目を細める。
「頼もしい限りだが……時にスピライト、そなたはこの戦をどう見る?」
頭を使わない指示を求めたのだが……?
逆に考えが及ばない領域に放り込まれ、俺はしばし放心してしまった。
「……先日の善戦で、兵の士気が上がっています。この調子なら、敵軍との戦力差を平坦にできるかもしれません」
フォルドは「ふむ」と一言で片付けた。
「リックはどうだ?」
どうせ他人事だと思っていたのだろう。
完全に虚を衝かれたリックも俺と似た反応を示した。
「……こんなことを言うのはどうかと思いますが、先日より不安が高まっています」
「ほう、その根拠は?」
知恵者に感心されるのは名誉だが、意見を求められるのは嫌な重圧があるのだろう。
リックは苦々しい面持ちで答えた。
「初戦は罠を巡らし、万全の態勢で敵軍を待ち受けることができました。しかし敵を撤退させたといっても、こちらの前線は下がっています。あれほど罠を張って痛み分けなら、今後はより厳しくなるのではと……。素人意見で、恐縮ですが」
「いや、いい線いっている」
フォルドは少し褒めて、ずしりと重い言葉を放った。
「このヴェルト平原の戦は、必ず敗北する」
俺は目をパチクリさせた。
常に勝機を探っていた男の発言とは思えない。
「そんなことは、戦を始める前からわかっていたことだ。しかし次戦に繋げる負け方というものがある。なぜ戦力差が歴然としているアルドロ軍が策を弄しにくい平地に布陣したか、考えたか?」
俺とリックは、同時に「いえ……」と正直に吐露した。
あえて言うならば、少しでも王都から離れた場所が望ましいと思っていた。
しかし前線を下げたこの付近の地形は、王都にまで続く東アルドロ山脈が連なっている。
これ以上押し込まれたらそれはそれで問題なのだが、アルドロ兵は王都に近い山道ほどよく把握しているので、どんどん戦いやすくなる。
切り崖に弓兵を配置することもできる。
森の木々は竜の巨体を阻むし、行動を制限できるのだ。
しかし俺が気になるのは別のところだ。
フォルドは何やら、最初からここに布陣した方が戦況的には良かったと言いたげなのだ。
彼はもったいぶることはせず、答えを吐き出した。
「敵の前列にいた騎兵は、元アルドロ兵だ。こちらの張った罠に特攻することを強要され、勇敢に散っていった」
鬱々とするフォルドの解説を聞いて、俺の疑念は氷解していった。
「……東アルドロ山脈を熟知する敵兵が、ほとんど死んだわけですか」
フォルドは頷いた。
帝国軍が寝返ったアルドロ兵を前面に押し出すなんてわかりきっている。
要するに、彼らが帝国に重宝される前に殺したかったのだ。
戦術を飲み込んだリックは質問する。
「では、次戦は東アルドロ山脈に展開するんですか?」
「先程も言ったが、この戦は間違いなく敗北する。兵差が倍もあれば、山から挟撃したところで小細工に等しい。私が繋げると言った次戦は、王都での籠城戦のことだ」
俺の百歩くらい先を見ている男だ。
思考レベルを合わせるのは至難である。
「私は三千の部下を率いて参戦したが、東アルドロ山脈を越える前はもう千人いた。残りは山に罠を張り、自軍専用の退路を作っている」
半開きになった口が塞がらない。
驚きではなく、どういう意味かまったくわからなかったからだ。
「後二回も帝国と衝突すれば、アルドロ軍は退却を余儀なくされ、帝国の追撃戦が始まるだろう。その際、すみやかに王都へ帰還し、軍を再組織する。この戦の目的は、敵を困窮させることと竜を減らすことだ。竜の頭数さえ減ってしまえば、いかに膨大な兵差があっても王都は落ちない。敵が飢え死ぬほうが早いだろう」
俺は話についていくの諦めつつあったが、リックは言及した。
「しかし、私やスピライトは退路の存在すら知りませんでした。フォルド卿の部下が張った罠は、味方を殺すことになるのでは?」
「寝返る兵が後を絶たない以上、極秘で進める必要があった。隊長格は退路を認知している。唯一の懸念は、兵が死戦と思い込み士気が低いことだったが、解消されつつある」
俺も王都を出発した頃は、心中で敗残兵の扱いに激怒していた。
しかし理解してしまえば溜飲は下がった。
解説が終着したところで、俺はあることに気がついてかなり話を遡った。
「俺の扱いで意見が割れているというのは、どう繋がるんですか?」
まだ、海竜を殺すことしか命じられていない。
フォルドは顎に手を置いた。
「皇帝クラークが再び単騎特攻してきた時、そこにスピライトが居たらぶつけるか、遠ざけるかというものだ」
先生の仇の名を聞けば、俺の瞳にグッと力が入った。
「背は向けれません。戦わせてください」
フォルドは「まあ、待て」と鋭く制した。
「恐らく現在帝国が抱える竜の総数は三十頭近く。うち、山を越えているのは十五頭程度だろう。帝国領は内紛が尽きず、これ以上を戦場に引っ張りだすことができないのだ。先日のペースで竜を削ることができれば、博打をせずとも戦況は好転する」
俺はしかめっ面になった。
まだ浅い付き合いだが、フォルドは戦術学に基づいて決定を下すと知っている。
運否天賦に身を委ねることはないだろう。
しかしフォルドは、「ただ……」と続けた。
「竜に人間をぶつけるのも充分に博打だと言われてしまい、反論できなかった。ならば見返りの大きいほうに賭ける選択も浮上してくる」
ひょんなことから、話は俺の願望通りに転がりそうになった。
それなのに、リックが邪魔をするように口を挟んだ。
「皇帝を倒したとして、そのあとはどうなさいますか。我々とは違い、帝国には代わりがいるのでは?」
「そうなれば、帝国は必ず一度撤退する。我々は次の皇帝が魂影の儀式を済ます前に、トライド山脈の山道をすべて崩すのだ。元はといえばルーウェン王が、国境付近の領土を一部とはいえ帝国に渡したせいで侵入を容易にした」
一度撤退させれば、トライド山脈で膠着状態に持ち込める可能性があるということか。
フォルドが悩んでいるのは、これは勝機が見えたことから生じる甘えだと理解しているからだ。
王都を死守できるかの瀬戸際から、北部のアルドロ国民が帝国に搾取されないようにと選択できるようになった。
俺は後押しするように、腹から強い声を絞りだした。
「俺は、師から一本とったことがあります」
「はぁ……」
リックが俺にしか聞こえないようなため息をついた。
止めたくても止められない友の気持ちが痛いほど乗っていて、ちくりと胸が痛む。
「よし。クラークは歴代の担い手の中でも、群を抜いて突出した資質を持ち、勇猛果敢だ。だがいつの日だったか、リウスはまことの獅子の子を拾ったと言っていた。ならば、そなたのほうが強いはずだ。獅子は蜥蜴など踏み潰すものだからな」
「必ず、敵将を討ち取ってみせます」
「期待しているぞ。次は中央に配置することになるだろう。まずは――」
フォルドが作戦を詰めようとした時、俺の腹が鳴った。
熟年の指揮官は「むう」と子供のように唸った。
「そういえば、食事がまだだったか。戦の前に倒れられても困るし、先に済ませてくるといい。それに、リックの頭に入れるほうが効率的かもしれん」
「俺もそう思います」
上官たちに一礼して背を向ける。
巻き込まれたリックは不本意そうに唇を尖らせた。
「悪い」
通り際に小さく謝って肩を叩くと、俺は幕舎を後にした。




