第1話「リウス・プレヴィア」
俺は戦場から遠ざかろうと森を駆けていた。
愛馬の手綱を握り締める俺の懐には、満身創痍の先生がいた。
先生の血は絢爛な鎧から溢れ滴り、黒馬の毛にまで怪しい艶を与えていた。
「先生! あと半日もあれば城に着くからな!」
今にも事切れそうな先生を前に、俺は生を繋ぎ止める一心で怒鳴った。
俺が吠えた声に、先生はゆらりと頭を動かした。
「スピライト……お前、剣の腕だけはめっぽう強くなったが、脳みそだけはいかんせん、成長しなかったな……」
先程まで喘いでいただけの先生が、唐突に言葉を発した。
「もっとでかい声で話してくれ!」
我ながら無茶な物言いだと思ったが、先生――【獅子剣の主】リウス・プレヴィアはそれに応えた。
「降ろせ!」
「は?」
「今すぐ、私を馬から降ろせ!」
それが意味するのは、先生の死である。
そして俺が、恩師を救うことを諦める、ということ。
それでも俺は馬を止めていた。
先生が怒り狂う寸前の仕草や声音をよく知っていたからだ。
理不尽な説教をされたことがなかっただけに、俺は自身の行動が反しているのだと理解した。
先生は俺を突き飛ばすようにして馬から転げ落ちた。
慌てて支えようとする俺を鋭い眼光で静止して、傍にあった高木の根に背を預けた。
「これは敵前逃亡だ。手塩にかけて育てあげた英雄に値する剣士が、私のせいで敵に背を向けたのだ。この悲傷、お前に理解できるか」
「……悪い」
心の中では、まったく悪いとは思ってなかった。
それでも反論を慎んだのは、話の本質を掴みとっていたからだ。
これは、先生の最期の言葉なのだ。
「いつかお前に言ったな。飯を食わし、剣を教えてやる対価に、アルドロ王国に忠誠を誓えと。覚えているか?」
「ああ、もちろんだ」
「あの誓いは取り消す。さすればお前がこの国に尽くす必要はない。好きに生きろ」
俺は目を見開いてその真意を探るも、何も見えてこなかった。
国の為に戦い、今まさに散ろうとしている先生の口から出た言葉とは思えない。
しかし、先生は笑った。
「バカはバカなりに、好きな女のことでも考えていればいい。……姫さまを頼むぞ」
「先生も充分バカだ。結局、それじゃあ何も変わってないだろ?」
「いや、意味合いが全然違う。さすがのお前でも分かるだろう」
俺は頷いた。
ぐっと、先生の手を握り締める。
「誓うよ。俺の命と剣は、ラルズ・アルドロと共にある」
意思の籠もった瞳で見交わすと、師の目から色が失われていった。
死後なお屈強な面持ちだけ残して、逝ってしまった。
俺は先生の亡骸をそのままに愛馬に跨ると、馬首をめぐらせて戦場へ戻った。




