或る日の記憶 下‐中
部下思いなのだな」
フリゲートが発した言葉に、ジョンは首をかしげる。
「元老院というと、自己保身の連中が多いイメージだったからな。わざわざ部下の非礼を詫びるようなものがいるとはな」
先ほど理解できなかった言葉の意味に、ジョンは謙遜するように答えた。
「元老院の長として、当然のことだ。それに、私の口からも非礼を働いた者たちにきつく言わねばならないからの」
「部下を持つのも互いに大変だな」
ジョンの言葉を、フリゲートは軽く笑って答えた。そして、話題を変えるため言葉を続ける。
「ところで、陛下はいつ頃お戻りになられるか知っておるか?」
皇帝の右腕として活躍するジョンの元に、何か情報が来ているのか気になり尋ねる。
「こちらへのお戻りは予定通りなら、五日後だったはずだ」
「五日後か……。ハル皇子の成長した姿をお見せしたいものだ」
二人は、お互い部下を持つ者として話が合うのか、ハルが座学を終えるまでしばらく話は続いた。
* * *
木の扉を開け、古びた館へ足を踏み入れたソルとオットー。玄関に置かれているはずの飾りは何もなく持ち去られた痕がある。耳を澄ますが、外の音だけが聞こえる。人の気配はなく、静まり返っていた。
辺りを見回す二人の前には、螺旋階段がある。何もない玄関にいつまでも立っているわけにもいかず、ソルが提案をする。
「ここは二手に分かれよう。オットーは上を、オレはこの階を調べる。何かあればすぐに降りてきてほしい」
傍付きとしては、承諾しがたい提案だったが、ソルの実力をよく理解している彼は、しぶしぶ承諾する。
「……わかりました。ソル様もお気をつけて」
傍付きからの心配の声に「ああ」と短く応えた。そして、二人はそれぞれ探索する階へと足を運んだ。
玄関を中心に、左右に延びる廊下。廊下の床は張り替えられた後がある。まずは、右の方向に進んでいく。右側の廊下には、三つの部屋があった。室内に置かれているはずの調度品はなく、三部屋ともがらんとしていた。特に手掛かりもなく、左側の廊下へ進んでいく。こちらには二部屋あるが、玄関に近い部屋は、荒らされた痕跡が多くドアもつぶされており、開いたままになっていた。
部屋に入る直前、ドアがあったであろう場所に人の足跡があることに気が付く。土を踏んでついた足跡が部屋の中へと、点々と続いている。足跡の続く部屋は、おそらくリビングか何かだったのだろう。革が破れて中身が見えているソファや中身が空になった棚が置かれている。床にひかれているはずだろう布は、持ち去られているようで、木がむき出しになっている。足跡をたどるため、床に目を落とそうとすると、廊下から人が駆けてくる音が聞こえた。
二階を捜索しているオットーの可能性もあるが、この館に入っていった白コートの可能性もある。用心のため腰に差している長剣の柄に手を当てた。
腰の剣は抜くことなく、手を長剣から離す。廊下から現れたのは、オットーだった。切羽詰まった様子で言った。
「ソル皇子、人を見つけました」
軋む音がする階段を一段一段登り、二階へ上がる。二階は一階と似たような造りになっている。螺旋階段を上がった先には、左右に延びる廊下。すべてで四つある部屋を全て調べたオットーは、人を見つけた一部屋へと足を進める。
右の最奥に位置する部屋。開かれた扉からは、かすかに鉄が擦りあう音が聞こえる。静かな廊下に聞こえるその音に、二人は足を速めた。
「これは一体……」
部屋に入って目に飛び込んできたのは、壁についた金具に鎖でつながれた男の姿。その姿はまだ若い。ハルと同じ年ぐらいの男だった。着ている服はところどころ破れており、服の隙間から見える肌には無数の傷がある。
壁に拘束されていたのはこの男一人だけ。壁には男がつながれているものと同じ鎖や金具がある。部屋の床には点々とした血痕があった。
意識が薄れている男は、言葉にならない声を漏らす。そして、閉じかけていた瞼を開き、男の姿に目を見張る。目の前に立っている亜麻色のローブで身を隠す二人の姿に、怯えていた。体を震わせ、力を振り絞って、首を横に振っていた。
「や……て、くださ……」
恐怖にとらわれ、言葉にならない声を発した男。その様子を落ち着かせようとせず、ソルは腰の剣を抜いた。そして、隣に立つオットーへ話しかける。
「まずはこの男を開放する。万が一に備えドアの方を見ておいてくれ」
「わかりました。くれぐれもお気をつけください」
返事をすると、オットーは腰に差した細剣を抜き、ドアの方に立つ。ソルは怯えている男の方に歩み寄っていく。手に握られた長剣の刃は歩く度に赤くなっていく。ソルの能力によって熱が付与された刃からは薄い煙が出ている。
拒否を増す男の背後に回り、壁と繋がった鎖へと剣を近づける。ゆっくりと鎖に赤くなった剣を当てた。鎖が触れた箇所は、赤く熱を帯び段々と、溶けていく。壁の金具と鎖が焼けきれ男は解放された。突然、自由になった男ソル達を襲う様子も見せず、床に座ったままになっていた。
ソルが剣を振ると、赤くなった刀身は、銀色の刀身に戻る。長剣を腰の柄に納め、血の付いた床に座る男へと尋ねた。
「ここで何があった?」
短い質問に、座り込んだ男はとぎれとぎれに答えた。
「……わから、ない。気付いた時には、ここに」
男に対して、ソルは質問を続ける。
「繋がれていたのはお前だけだったのか?」
男は、ゆっくりと首を振り答えた。
「いや。他の人は、地下にいる、かもしれない」
「地下? そこに他の奴もいるのか?」
衰弱している男の言葉に、ソルは間髪入れずに言った。
男は何も知らないようで、首を横に振る。地下に行く場所を尋ねたが、それもわからないようだ。男が言う地下に行かないことには、何もつかめない。館へ入っていった白ローブもそこにいるだろう。
ドアを警戒していたオットーの方に近寄り、男が言っていたことを共有する。二人は、そのまま地下に行くことを決めた。まずは、繋がれていた男を逃がすため、一階の玄関へと連れていく。名を尋ねてきた男だったが、それには答えず男を送り出す。男は一礼して去っていった。
解放された喜びからなのか、衰弱していた男の姿はすぐに消えていった。男を見送った後、ソルは先ほど見つけた足跡が残った部屋へと向かった。
荒らされた部屋に残された土の足跡。部屋の最奥では、棚が倒れていた。崩れた棚の隙間から見える床。いっけん木が日焼けしたかのような色の変化。その床を発見したソルは、同じ部屋で手掛かりを探していたオットーを呼んだ。
「この棚の下があの男が言っていた地下だろうな」
棚の下を指さして言うソル。オットーは、倒れた棚をのけるためしゃがみこむ。力を込めて持ち上げた。
予想以上に軽かったようで、一人で壁にもたれかけさせる。顕わになった長方形の床。その床には、取手のように浅く掘られた穴があった。ソルは、床の取手に手をかける。オットーは警戒のため腰の細剣へと手を伸ばす。
勢いよく開けた床の先には、薄暗いが下へと続く階段があった。
「当たりだな。降りてみようオットー」
オットーは首を縦に振り、二人は地下へと続く階段に足を延ばした。
地下へと続く階段を下りる亜麻色のフード姿のソルとオットー。壁に設置された松明の明かりを頼りに、ゆっくりと階段を下りていく。入った旧館の一階分はあるだろう階段を下っていくと、地下で見られるはずがないほどの光が漏れていた。
二人は警戒しながら、光の漏れるところへ進んでいった。
飛び込んできた光景に、二人は目を見張っている。天井の高い地下室。しっかりと整えられた石で積み上げられている壁。上に建つ館の一階部分が納まるほどの広さが拡がる面積。地下室とは思えない明るさの室内。
「……これは、どうなっているんだ」
縦長に延びる地下室の光景に、呆気にとられているソル。だが、先に周囲を見渡していたオットーは、何かを見つけたみたいで呼ぶ声が聞こえる。白い布が駆けられた箱のようなもの。その布をめくって、オットーは中を見せた。
「あまりにもひどい……」
箱だと思っていたのは、黒い鉄格子の檻だった。中には、先ほど逃がした男のような若い男女。中には子供の姿もある。
十人ほど入れられており、服装は統一されていた。灰色のした半袖半ズボン。赤茶色の汚れもあり、どれも破れていて、衛生上良いものとは言えない。なにより目立つのは、首には番号の書かれたタグのついた首輪が嵌められていた。
「た、たすけて」
一人の少年が、布をめくって中を覗いていた二人に対して、助けを乞う。弱弱しく今にも消えてしまいそうな声。その声に、ソルは手を震わせる。そして、先ほど鎖に繋がれた男の時と同じように剣を抜き、牢屋のドアを焼き切った。無残に破壊されたドアは、重い音共に扉が倒れた。
檻に入っていた者たちは、歓喜の声を上げる。
「さあ、逃げろ! オットー、彼らを誘導してやってくれ」
ソルの指示に、警戒のため剣を抜いていたオットーは、承諾の返事をする。檻から出てきた者たちの前に行き、声をかけた。
「皆さんこちらです。出口まで案内します」
子供がいることを考慮し、慎重な足取りで階段の方に向かっていくオットー。それに遅れまいとついて行く子供たち。全員が、階段を上がっていくのを確認すると、ソルの頭の中に、ふと不安がよぎった。
この館に入っていった白ローブはどこにいるのだろうか。上の階を探索したときは、どこにもいなかった。それならば、ここにいる可能性は高い。周囲を警戒し、慎重に物陰に隠れる。先ほどの檻を壊した音に気付いて、戻ってくるかもしれない。だが、一向に姿を見せない。なにより、人の気配を全く感じない。
ソルは警戒したまま、周囲の捜索を開始した。
布で被せられた檻の周りには、長机が一つと木箱が積まれている。数個、木箱の蓋を開けるが、中身は空。木箱の山を越え、部屋の奥へと進む。
木箱の奥には、長机が四つ。部屋の奥へと並ぶ机の間には、書類やガラス器具が入った棚がある。密集した机と棚から離れた先には、鉄でできた椅子が三つ等間隔で並べられていた。鋼一色の不格好な椅子からは、重苦しい雰囲気が漂っている。
重々しい椅子よりも、手掛かりになりそうな棚へと近づいていく。木で造られた戸棚。閉じられたガラス戸に手をかける。鍵穴があったが、かかっていないようだ。
整頓された書類や実験器具のようなガラス器具。ガラス器具の中には、血のように赤い液体が付着しているものもある。その中から、書類の束を取り出し、近くにある長机へと持っていく。
紙の束を机に置き、その書類へと目を通す。流すように読んでいた書類には、文字が紙いっぱいに書かれていた。その中には、先ほど解放した檻の者達がつけていた首輪の数字も記されている。紙に書かれていることが何を記しているのか、詳しいことはわからなかった。ただ、檻の者たちで何かしていたことしかわからない。
こういった分析は、オットーに任せようかと、ソルは思案を巡らしていた。ソルの傍付きとして、情報収集に務めている彼には得意分野だ。
書類に目を通していると他のものとは質が異なる紙に、目が留まる。紙に書かれた文字を囲むように、金字の意匠が施されている。
文量の少ないその紙を、上から目を通す。書かれているのは、この地下室についてだ。何をする施設なのか概要をまとめていた。それを理解する前に、最後に記載されているサインに目を奪われた。
その名前に驚き、書類は手から滑り落ちていった。同時に、額から冷や汗がつたった。
「……どうして、この名前がここに」
* * *
深紅のカーペットがのびる廊下。その上を、一人で歩く小柄な白フードの男性。両手で大事そうに抱えている籠を持って歩いていた。ジョンの付き添いで来ていた彼は、とある部屋へと足を進めている。
男が向かった先は、使用人の休憩室。働き者が多い宮殿には不要の部屋。この部屋はハルが、町で騒ぎを起こした元老院たちに処分を下した場所だ。
小柄の男性は、ドアの前に立つと、籠を片手で持ち静かにドアへ手をかけた。
室内には、二人の男の姿があった。白ローブを羽織った二人組。ドアに背を向け、椅子に座って話をしていた二人。部屋に入って来た男に、会話を止めた。
二人組のうち、禿頭の男は椅子から立ち上がり、大事そうに籠を抱える男へ近づいた。歩きながら声をかける。
「元老院の者か? 見たことのない顔だが」
禿頭の男が発した質問に、籠を持った男は答えない。聞こえていないのか、身じろぎ一つしない。その態度に不思議に思ったのか再度、同じような質問を口にする。
「貴様は我々と同じ、元老の者だよな?」
答えは同じ、言葉を発さず、身じろぎ一つしない。籠を持った男の前に立った、禿頭の男。彼の額には、血管が浮き出していた。
先ほどから無反応な籠を持った男は、目の前に立つ禿頭へと持っていた籠を差し出す。突然の行動に、男は困り反応できずにいた。禿頭の男は助けを求めるため、椅子に座っていたもう一人の男へと視線を向ける。
視線を向けられた男の表情は引きつっていた。
なぜそんな顔をする。疑問を抱いた禿頭だったが、椅子に座る男が向ける視線の先が背後であることに気付く。視線に気付いたと同時に、背中から熱を感じた。熱を感じ取ってすぐに、痛みが背中を中心に駆け巡る。
「いっ――」
腕を振り、振り向く。目の前に立つ小柄な男の手には、手のひらほどの長さの刃のナイフ。刃からは、赤い血がしたたり落ちている。片手に持った籠を覆っていた布は消え、中に入っていた果物があらわになる。そんな果物は霞むように消え、銀色のナイフがびっしりと詰まっていた。
「貴様……これは、どういう――」
背中から血が流れ、立っているのがやっとな禿頭の男。彼がナイフを持った男へ、震えながら指をさし言葉を放つ。だが、話している途中で禿頭の口の動きが止まる。禿頭の額には、先ほど背中に突き刺されていたナイフが刺さっていた。禿頭の男は、表情を固めたまま背中から倒れた。
籠から新しくナイフを取り出し、椅子の方で震えている男の方へと一歩踏み出す。血にまみれ、倒れこんだ禿頭のことを無視して。
一歩一歩歩いてくる籠の男。椅子の傍で立っていた男は、必死に質問を投げかける。
「待て! 君は、何者なのだ? どうして殺すのだ」
禿頭の時と同じく、何も答えない。ナイフを構え近づいてくる男に対し、怯えた男は一歩ずつ後ろへ下がっていく。だが、あっという間に、背中が壁につき、男は悲痛な声で命乞いをする。
「頼む! 命だけは、どうか」
男の必死の声もむなしく、籠の男は一気に距離を詰め、腹部を刺す。刺された男の口からは血が噴き出る。最後まで足掻こうと、刺した手を握り体から離そうとする。だが、持っていたはずの籠は床に置かれ、ナイフに持ち替えられていた。そのナイフは、抵抗する男の首へと吸い込まれていった。
壁を背に男は力尽きた。腹部や首から垂れた血で出来上がった血だまり。力尽きていることを確認した男は、静かに立ち上がる。男に刺さったナイフを引き抜く。血が付いたそれらを籠に入れると、部屋の中央に落ちていた布を取り、籠に被せた。
用が済んだのか、男は籠を両手で抱え持ち部屋を出るため、ドアの方へと向かう。二歩進めたところで足を止めた。廊下から何者かの足音が聞こえたからだ。
足音の正体が、ドアの方に姿を現す。腰に長剣を差し、黒シャツを着たハルがそこに立っていた。
血に汚れる室内。驚きの表情を浮かべたまま倒れている二人の姿。目の前には、返り血の付いた小柄な白フードの男。目深くかぶっており、表情は見えない。
視界に飛び込んできた光景に声を荒げ、部屋の真ん中に立っている小柄な男へと言い放つ。
「これはいったい、何事だ!」
腰に下げていた長剣を抜き、籠を持った男へと向ける。
ハルの怒りのこもった言葉に、剣を向けられた男は、身じろぎ一つしない。人形のように感情が一切感じられない姿の男に、ハルは再度言葉を投げる。
「なぜ、彼らを殺した?」
ハルの質問に、男の態度は先ほどと同じ。フードの下にあるだろう双眸で、目の前に立つ皇子の姿を見ているだけ。頭を下げたり、膝をついたりしない。普段のハルは、いちいちその態度を機に掛けたりしない。央都内で白フードの姿をしているのは、元老院のみ。媚び諂うことで知られる彼ららしくない態度に、ハルは訝しんでいた。
血濡れた部屋でにらみ合う二人。沈黙不動を保っていた白フードの男だったが、持っていた籠へと手を入れる。籠から戻した手には、ナイフが握られていた。籠の中から取り出したナイフの先を前の前に立つハルへと向けた。男の行動に、ハルは向けていた長剣を握り直す。
先に動いたのは、フードの男。ナイフを持ち直し、大きく腕を振りかぶり、投擲。まっすぐハルの顔へと飛翔するナイフを、構えた長剣で叩き落す。そして、距離を詰めるため、床を蹴った。
白フードの男は、すぐに新しいナイフを籠から取り出し、再度投擲。
ハルは足を止め、同じように叩き落す。再び地面を蹴り、一気に間合いへと飛び込んだ。白フードは再びナイフを取り出して、ハルを迎え撃つ。
左下から右上へと斬り上げる、ハルの長剣。迫る長剣を防ぐため、一歩下がる。下がったのが間に合ったようで、ハルの剣は空を斬った。
白フードの男は、手にしたナイフをハルの腹部へと突き出す。その動きに対応するため、ハルは剣の柄を、ナイフを持った手へと打ち付けた。その衝撃で、白フードは持っていたナイフを床に落とす。ハルは、長剣を傾け、白フードの首へとあてた。
新しいナイフを取り出すようなことはせず、籠を地面に置き両手を挙げる。無言のまま膝をつき降参を示した。
ハルは、首に剣を当てたまま問う。
「なぜ、彼らを殺した?」
剣を引けば白フードの男は、絶命するだろう。そんな命の危機が迫った状況であっても白フードの男は口を割らない。おそらく何をしても、何を聞いても答えないだろう。
問いただすことをやめて、男を拘束するために人を呼ぶことにした。顔を廊下の方に向けた直後、廊下から足音が聞こえる。
呼ばなくても部屋の様子に気付くはずだ。二人が来るまで、待つことにしたハルは、白フードの男へと視線を戻す。だが、一瞬の隙をついた白フードの男は、体を動かした。
膝をついていた男は、首に当てていた長剣の刃を持つ。慌てて引き離そうとするが、拒む力は強い。男の自らの首へと刃を当てる。フードの奥にあるだろう双眸をまっすぐハルの顔へと向ける。そして、自ら首に当てた長剣の刃を勢いよくハルの方へと押した。羽織っている白フードの布は裂け、皮膚も裂ける。血が噴水のように吹き出し、男は床へと崩れ落ちた。
「……どうして」
人が目の前で死ぬことなんて経験したことがなかった。それも自らの剣で。自ら命を絶った男に呆然としていた。
そんな中、歩いてきていた二人の人物が姿を現す。
三人の死体が転がる血にまみれた部屋。倒れている者たちの白い服は、赤く染まっている。そんな部屋の中央には、血がしたたり落ちる長剣を床に向け呆然としているハルの姿。
血塗られた部屋の光景に衝撃を受けたフリゲートは、言葉を失っていた。彼と共に、来たジョンは、部下が倒れていることにハルへ尋ねる。
「ハル皇子! これは、どういうことですか?」
血が滴り落ちる長剣を下に向け、顔だけを二人の方へ向ける。血の気の引いた表情をしていた。そんな彼は、弱弱しく首を振り答える。
「違う。俺じゃない」
否定の言葉を口にするハル。その言葉に対して、ジョンはハルが持つ血に濡れた長剣を指さして言う。
「では、その剣は何だというのですか」
部下を傷つけられたジョンは、ハルを責めるがフリゲートが制止にかかる。
「やめられよ、ジョン殿。ハル皇子も何やら放心しているご様子」
フリゲートの言葉に、ジョンは我に返ったようでハルに頭を下げた。
「これは失礼いたしました、ハル皇子。お許しを」
ジョンの謝罪に、ハルは「ああ」と短く応える。そして、ジョン隣にいるフリゲートへ言った。
「フリゲート殿、倒れている彼らを別室へ移動するように人を呼んできてはくれないだろうか? 私は彼らの状況を見てこよう」
「わかった。ジョン殿、くれぐれもハル皇子のことは頼む」
ハルのことを心配するフリゲートの言葉に短く応える。
「ええ、もちろん」
そう言葉を残し、ジョンは部屋の中へと入っていく。フリゲートはすぐに騎士団員を呼ぶためすぐに階下を目指した。
フリゲートが離れ、血濡れの部屋には地に伏した三人の死体とハル、フリゲートの二人。ジョンは、ゆっくりと歩きハルの横に立つ。ハルはジョンの方を見ず、自害した男の方を見て尋ねる。
「ジョン、彼は元老院の者だったのか?」
「はい、彼は本日私と共に、宮殿へ参りました」
毛嫌いしている元老院の中でも、皇帝の右腕であるジョンについては信用のおける人物と認識している。そんな彼に対して、言葉をかける。
「怒らないのか。こうして部下が死んでいるのに」
「……滅相もない。彼のことは知っていましたので」
意外だったジョンの答えに、ハルは横に振り向く。彼の行動をすでに知っていたということなのなのだろうか。では、なぜ止めなかったのか。
「殺すのがわかっていたのか? どうして、止めなかった」
ハルの発言に、ジョンは不思議そうな表情をする。そして段々と、口の端を吊り上げ笑みを浮かべた。
「違いますぞ、ハル皇子。私が、命令したのです。二人を殺すようにと」
その言葉に、ハルは目を見開き尋ねる。
「どうして。どうしてなんだ。同じ元老院だろう」
「同じだからですよ。元老院の名を往来の前で汚したのです。仕方ありません」
ハルの質問に即答する。一切悪びれないジョンに、ハルは床に伏している者へ視線を送り、再度問う。
「では、なぜこいつは俺をも殺そうとした」
「見た者はすべて殺せと命じておりましたゆえ」
その言葉が来るのを予想していたのか、間髪入れずに答えた。ジョンの言葉に挑発的に問う。
「その対象が皇子であってもか? 皇族を害するのは、反逆ではないのか」
ジョンは声を出して笑う。追い詰められてから出る笑い声とは、また別のもの。
「そのようなこと重々承知でございます」
体ごとジョンの方に向き、食って掛かる。
「ではなぜ!」
「そこの者を殺せばよいのです。死人は何も発しませんゆえに」
ハルは、持っていた剣をジョンへと向ける。剣を持つ手には、力がこもっている。切っ先を向けられたジョンは、自ら命を絶った白フードと同じく、微塵も動じない。そんな彼は、気持ちのこもっていない声で、わざとらしく言葉を並べた。
「おやおや、私を殺す気ですか?」
「殺しはしない。お前の性根叩きなおしてやる」
張り詰めた空気の部屋。今にも剣を振りかぶりそうなハル。懐へ手を入れ何か企むジョン。一触即発状態で向き合う二人。
「双方! 落ち着かれよ!」
張り詰めた空気の部屋に響く大声。騎士団を呼びに行っていたフリゲートが戻って来たのだ。慌てて、対峙する二人の間へと手を差し伸ばす。
わずかな衝撃音と共に、二人の間に半透明の壁が出現した。フリゲートの能力である障壁。フリゲートの声と障壁によって、張り詰めた空気は散る。
ジョンの方に向けていた剣を下げ、血を払い、腰の鞘にしまう。ジョンも懐に入れていた手を出し、宙で開く。そんな二人の間に立ったフリゲートは、右手を払い障壁を消した。
彼が連れてきた騎士団は、二人の後方に立っている。いつでも止められるように臨戦態勢になっていた。フリゲートは、ため息をつき二人に話しかける。
「ひとまず、この部屋の惨状を処理するまで、別々の部屋で待機していてください。お話は後程致しますので、いったんお互い頭を冷やしてください」
フリゲートの言葉をジョンはすんなりと受け入れる。フリゲートの背後に控えていた騎士団員を避けて、部屋の外へ出ていった。
ジョンが部屋を出ていくと、フリゲートはハルへ忠告する。
「ハル皇子、聞きたいことは山ほどあります。ですが、一度頭を冷やしてください。宮殿で刃傷沙汰を起こされては、皇帝陛下は悲しまれます。何卒、お部屋にお戻りください」
「……わかった」
フリゲートからこんなにも真剣に叱られたことが応えたのか、ハルは消沈した様子で出口に向かって歩いて行った。フリゲートは、慌ててハルの背後に控えていた騎士について行くように指示を出したのだった。
部屋を追い出されるような形で、宮殿内の廊下を歩くジョン。階段を降り、正面玄関へと向かう。玄関には門番をしている騎士が二人に、使用人が二人の計四人がいた。玄関の外には、騎士団が数名と白ローブの者が一人立っていた。ジョンは外に出て、白ローブの元へと向かった。
白ローブの者は、ジョンの姿に頭を下げ、小さい声で話す。
「火ネズミが家に帰りました」
今にも消えそうな声で、報告を行った白ローブにジョンは「わかった」と言葉を返す。その言葉を聞いた白ローブは、一礼して宮殿の敷地から出ていった。
報告を受けたジョンは、片手を顎に当て、先ほどの報告について考えていた。そのまま、ゆっくりとした足取りで宮殿の中に入る。そして、階段に足を掛けた直後、何かを思いついたように目を見開く。そして、一人で冷ややかな笑みを浮かべたのだった。
こんにちは、ゆうやです。
予約投稿の時間間違えて、投稿遅くなりました。
後編もいよいよ次で終わるかなってところです。次回もお楽しみに!
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回で会いましょう!




