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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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比翼鳥

ふぉっふぉっふぉ、この年になっても見たことがないことがあるとは、世の中は不思議じゃわい。そういえばもう何年生きているかのう……当の昔に忘れてしもうた。人の喜びも……そう、悲しみもじゃが……もうどれほど見て来たか、人の生死もそうじゃわい。仲の良かった者たちはみんな死んでしもうた……。儂もあとは死を待つばかりなんじゃが。死んでいった者たちが待っておる、河の向こうで儂を呼んでおるぞ。……ふふ、そう急かすでない、もう直に会えるわい。しかしのう、お主らにゃ悪いがまだ、どうにもまだ死ねんようじゃ。あの小僧、そうあの有熊の倅じゃ。キラキラと輝いて、年寄にゃ、ちと眩しく映てしまうようじゃ。もうだいぶ見えんようになったこの両眼が眩むわい。そうじゃ、その者のその行く末を見届けてからでも死ぬのは遅くない。この歳で悟るとはのう、これが儂の天命とな。天帝様も人が悪いのう、この老いぼれにそのような大義をお与えになるとは。そういうことじゃ、お主たちよ。この儂にもこの世でまだやることがあるということじゃ。待たせた分、土産話をたんと持っていくのでの、もう少し待ってくれ。ふぉっふぉっふぉ。

 

軒轅けんえんの心は晴れやかで誇らしかった。


少典しょうてん率いる部族連合軍は翠清すいせいの都へと凱旋した。相柳を倒したと言う大勝利に翠清の国中が沸いた。否、周辺諸国にもその情報は伝わっており、翠清周辺一帯でお祭り騒ぎとなっていた。兵士たちはみな生きて帰れたことを喜ぶと共に、怪物、相柳そうりゅうを倒した興奮がいつまでも冷めやらなかった。その興奮の中、少典は有熊から持ってきた兵糧を民衆に分け与え、喜びを分かち合い、民衆たちは食べたことのない米の味と風味に心を奪われ、興奮はいつ終わることなく続いていった。


翠清の巫術師ふじゅつしの老婆が宮殿で待っており、翠清の領主及び全軍へ祝いの言葉を述べ早速この勝利を冥界の神々へと報告した。

 

七尾弧という凶悪な魑魅魍魎がいたという不測の事態があったにせよ、冥界の神々の神託通りに勝利したことには違いなかったのだ。


この行軍を通して各領主たちの絆は非常に強いものとなっていた。特に少典の鬼気迫る戦いは領主のみではなく兵たちの目にも焼き付いており尊敬を集めると共に、中原一の英雄として称えていた。

 

その少典は領主たちに米の栽培について教え、その見返りとしてその部族の特産物を得る約束をするとともに、今後の事や周辺の情勢などについて一通り話し合うと意気揚々とそれぞれの領地へと引き上げて行った。

 

しかし当の少典は相柳戦で負傷していたために静養が必要であり、数日間翠清に厄介になることとなった。

 

軒轅は凱旋後、すぐに桂花けいかに会いに行った。


「軒轅様、よくご無事で。」


と桂花は軒轅を一目見るや否や軒轅に走り寄って抱き着き無事を喜び抱きしめた。


「心配をかけたが、この通り無事だ。」


と、軒轅は笑顔で応じた。


少典の治療は大鴻たいこうと軒轅の仕事であった。相柳の体液がかかった部分は焼けており、右の眼球は手の施しようがなかった。腐る前に眼球を取り除き、神農氏しんのうし以来の本草学に基づく薬草を用いて感染症を防いだ。七情和合の原則に則り上薬、中薬、下薬を使い分け、甘草かんぞう桔梗ききょう芍薬しゃくやく当帰とうきなどを調合して少典の症状に合わせた薬を作っていった。


上薬とは甘草かんぞうなど長期間飲んでも体に害をもたらさない種の滋養成分を含んだ薬草を言い、中薬は薬の成分に加えて毒の成分もあり投薬の際には加減が必要な当帰とうき竜眼りゅうがんなどを指し、下薬とは鳥兜とりかぶと巴豆はずなど毒性の強い薬を指している。

 

これらの薬草をお互いの薬効を妨げないように調合するのが七情和合であり、医者の腕の見せ所であった。


幸い目以外の傷は軽傷で済んでおり、動くことには問題はなかった。しかし、目に関しては眼球を取り除いたため静養と症状が悪化しないように投薬が必要であった。

 

大鴻は多くの弟子を育ててきてもおり、医術の腕は一流であった。軒轅はそんな大鴻からとりわけ熱心に指導されていたので大鴻も信頼する腕前に達しており、大鴻自身も時折投薬についての相談を軒轅にするほどであった。

 

薬の効き目もあり少典は目以外の傷は回復を見せていた。感染症により熱が出たり下がったりしながらも有熊へ戻ることにした。有熊を長期間離れるわけにはいかなかったからであった。

 

軒轅は別れを言うために桂花に会った。そして必ず迎えに来る、と言って翠清の都を後にした。この言葉に桂花は頷き、有熊の軍勢が見えなくなるまで遠くから見守っていた。


軒轅たちが有熊に到着すると、都中が沸いていた。みな口々に単眼鬼王たんがんきおうの名を叫び英雄となった領主を称えてその英雄を一目見ようと大勢が押しかけていた。軒轅は英雄として称えられている父が誇らしかった。


少典が政務を行えるほど回復するまでは一ヵ月ほどかかった。片目を失ったため歩く際には距離感がつかめずよくよろめいていたが、政務に復帰した少典はそれまで溜まっていた仕事を手際よくこなしていった。

 

これまで怪我を理由に断っていた各領主の使いとも面会するようになっていった。その中には翠清の領主からの使いもいた。


軒轅は傷が癒えた頃合いを見計らって少典に翠清の領主の娘である桂花との婚姻を願い出た。これに少典は驚き、確かに仲がよさそうにしていたがまさか結婚を考えているとは夢にも思わなかった。しかし、これを聞いて衝撃が走った。なぜなら昨日面会した翠清の領主の使いが桂花の婚姻も報告していたからであった。

 

翠清の領主はこの前の相柳討伐戦で共に戦った部族の領主の息子と桂花との婚姻の約束をしており、これにはさすがの少典も喉がつかえてしまい言葉が出なかった。その領主は綺麗に着飾っていた桂花を見て、ぜひ我が息子の嫁にと申し出ていたのだ。

 

しばらくあっけにとられた後に、少典は軒轅に翠清の領主の使からの報告を伝えた。それを聞き軒轅は茫然自失となったが、我に返ると少典に何とかならないかと必死に食い下がった。

 

少典は息子が望むなら翠清の領主の娘との結婚を認めても良かった。翠清の領主の娘となら釣り合いがとれており、有熊に取っても翠清にとっても決して悪い話ではなかったからだ。

 

しかし、これは翠清の領主と相手部族の親同士が決めたことであり、少典には口を挟める問題ではなかった。その縁談に無理やり割って入り軒轅との結婚を強引に行うと争いになることは必至であり、自分のわがままよりも有熊の民の安寧を願うのは領主として当然の務めであると思っい軒轅にこの話は忘れろ、と言った。


軒轅は生まれて初めて取り乱し大泣きした。どうしても桂花をあきらめることが出来ず、これまでにないほどの感情を吐き出して大声で叫んだ。少典も母親の附宝ふほう普段は大人しい軒轅がこれほどまでの激しさを秘めていたとは夢にも思わなかった。


ひとしきり騒ぐと軒轅は大人しくなったが、その姿は諦めたというよりも冷静に何かを考えているようであった。

 

少典達は軒轅が大人しくなったので一安心していたが、軒轅はある覚悟を決めていた。その覚悟とは有熊を捨てて桂花と共にどこか遠くの地で暮らすことであった。


この軒轅の決意にいち早く気が付いたのは軒轅の師の大鴻たいこうであった。大鴻は軒轅が夜のうちに宮殿を抜け出すであろうと読んでいた。そして鋭利に割った黒曜石で作った小刀


「どこへ行かれる軒轅殿。」


この声に軒轅は驚き足を止めた。大鴻は黒曜石を軒轅に突き付け構わずに続けた。


「今あなたは有熊を危機に陥れようとしています。お分かりか?あなたが翠清に行かれるのならばそれはこの大鴻の教育が至らなかったこと。あなたの過ちをこの大鴻の命を以て償いましょう!」


そういうと黒曜石を自分の首筋の頸動脈に当てた。


軒轅が行おうとしていることは有熊に禍をもたらすことに他ならず、多くの人間を巻き込んでしまう。戦争になれば大勢戦死するであろうし、度重なる戦いで穀物を過剰に消費してしまう。そうなれば今年の収穫を待たずに飢え死にする人間が出てきてもおかしくはないであろう。何よりも父少典と有熊の名声を貶める行為であり、それを一人の人間が自分自身の欲を満足させるためだけに行うことに大鴻は同意が出来なかったのだ。そして自分の育てた軒轅がこれを行うのであれば、育てた自分が間違っていたと言うことであり死んで償おうとしたのである。

 

大鴻の剣幕に少典達は起きてきて遠巻きに成り行きを見守っていた。軒轅は涙を流しながら考えたが今にも前に、そして宮殿の外へと歩き出そうとしていた。月の明かりが大鴻の首筋にある黒曜石を照らし、大鴻も今にも首を斬りそうであった。


突然軒轅は膝から崩れ落ちた。全身の力が抜け這うようにして大鴻の下へ行き首元の黒曜石を下ろさせた。


「……すみません、師匠。」


それしか軒轅は言葉が出なかった。大鴻に抱き着き力なく崩れ落ちた。大鴻は何も言わずに夜が開けるまで軒轅の傍にいた。今はそうする他なかったのだ。


この時泣き崩れる軒轅のみぞおち辺りから一羽の美しい鳥が出てきた。大鴻には見えなかったが軒轅にはその鳥を感じることができた。その鳥は脚が一本しかなく翼も一本だけで飛べずに飛び跳ねながら軒轅の周りをぐるぐると回ると、やがて宮殿を出て去っていった。その行く方角は翠清の都。


この件から数日後、嫁入りが決まり泣いていた桂花の下に一本脚で一本の翼しかない鳥がやってきたのだ。偶然居合わせた翠清の巫術師の老婆にはその鳥が見えていた。すると泣いていた桂花のみぞおちからも同じような一本足で翼が一本だけの美しい鳥が現れた。

 

それらの二羽の鳥は互いに円を描くように飛び跳ねてまるで出会いを喜んでいるかのようであった。その刹那、二羽の鳥は互いに横に並び一本しかない翼をばたつかせ始めた。すると互いの呼吸が合い二羽は一羽となって空へと飛び立つことが出来たのであった。


翠清の老婆はこう呟いたという。


「ほー、あれが噂に聞く比翼鳥ひよくちょうか、この目で見るのは初めてじゃが珍しいもんを見たもんじゃ。長生きはしてみるもんじゃな。ふぉっふぉっふぉ。」


比翼鳥は大空高く飛び立ち、かくして軒轅と桂花の思いは比翼鳥となり結ばれ、その後二人は別々の道をゆっくりと歩みだした。


翌朝、少典は軒轅を呼び出し昨夜の出来事を厳しく非難した。最も許せなかったことが大鴻に死を考えさせたことであった。大鴻は有熊にとって欠かせない臣となっていた。その大切な大鴻を失ってしまうところであったのである。自分のしようとしたことの重大さを考えるように言い、少典は軒轅を冷たく突き放した。


軒轅は屋敷にいることが出来ずにいたたまれず外に飛び出して行った。これには見かねた常先がついて行った。軒轅は当てもなく常先と共に山へ入り、一緒に魚を捕まえては食べて過ごした。常先が蔓草で網を作ると共に細長い葉で罠を作り器用に仕掛けていた。軒轅は常先といると気がまぎれ子供の頃に戻ったように常先と一緒に遊んだ。

 

常先も桂花の事には触れず、ただ気の赴くままに魚を捕っていた。常先は小さなころから軒轅を兄として慕っており、有熊の臣となった今でもそれは変わっていない。そしてその軒轅と子供の頃のように一緒にいられることが嬉しかった。しかし、数日が過ぎるとさすがに心配になってきた。


「そろそろ帰りませんか、軒轅様?」


このままここにいても仕方のないことである。屋敷には帰りにくいがいずれ帰らなければならない。


「うん……そうだな、常先。明日帰ろうか。」


と軒轅は帰る決心をした。


陽が落ちてたき火を熾し昼にとった魚を焼いていると、遠くから小さな草や枝をするような音が聞こえてきた。

 

やがてその音は大きくなり轅たちの傍までやってきた。山賊を警戒して軒轅は腰に挿していた鉄の剣を握りしめて臨戦態勢をとっていた。

 

物音の主はたき火に照らし出されてその姿を現した。全身は真っ白で獅子の胴体をしており頭には二本の角があり、顎にはヤギの髯がある巨大な神獣であった。

 

その神獣は軒轅に襲い掛かる様子も敵意もなくじっと軒轅を見つめていた。そして唐突に人間の言葉で低い声を出し呟くようにこう言った。


「気になって来てみたがなるほど、お主か。ん?後ろのお主もそうか。」


軒轅は突然のことで何のことかさっぱりわからず、その巨大な生き物に軒轅の後ろで怯える常先を庇いながら


「あなたは何者ですか?」


と警戒しながら聞いた。


「儂の名は白澤はくたく。普段は崑崙山こんんろんさんに住んでいるが、そろそろ戦乱の世になりそうだと西王母せいおうぼが仰っていたのでちと下界の様子を見に来たのだ。お主たちに危害を加えるつもりはない、安心せい。」


と白澤が答えると軒轅は


「私に何か御用でしょうか?」


と再び尋ねた。白澤は軒轅たちに敵意は無いようで二人は安堵していた。


「特に用は無い。ただお主の面構えを見に来ただけじゃ。なるほどのう、お主らが生まれて共に集まるのは決して偶然ではない。因果律で決まっている必然じゃ。まあ、何のことかそのうち分かるじゃろうて。フッフッフ。」


自分の顔を見に来たと言われた上、よくわからない話をされて軒轅はばつの悪い思いがした。


しかし、その後白澤と話すとその知識の豊富さに驚いた。特に妖怪に関しては詳しく11,522種もの妖怪を知っており、その名前から特徴までも詳細に語りだしたのだ。その話には軒轅も常先も興味津々で、夜が明けるまで聞き続けていた。


「さて、そろそろ行くかのう。軒轅よ、この先、この世はお主を中心の回っていくじゃろう。そしてお主、常先とやらがここにいるのも偶然ではないぞ。心して生きるがよい。」


そういうと、夜が明けるころに白澤は去って行った。軒轅には白澤の言った事と言い、この前の翠清の巫術師の老婆の言った土徳とか神性とかまだはっきりとは分からなかった。しかし、神性に関しては少しずつ分かり始めていた。常先もそうであるが、翠清の巫術師と会った時に不思議な感覚を感じるのである。それは力と言ってもよかった。

 

その感覚が神性か、と漠然と感じ常先にも自分に何か特別な力を感じるかどうか聞いてみた。


「常先よ、私から何か力のようなものを感じるか?」


すると常先は、


「はい、子供のころから軒轅様には何か違う感じを持っていました。だから不思議に思っていつも軒轅様に話しかけていたんです。たまに同じような感覚を持つ人に出会いますが、軒轅様ほど強い感覚を持っている人はいません。」


と、答えた。これが神性というものなのかと自分の掌を呆然と見つめながら思った。特にこの感覚を持っていても自分が凄く感じることはないが、そういえば子供のころから頭の回転が早く物覚えがよく、そして剣術なども人並み以上に早く習得していたとふと思った。常先もそうであり、最も常先の方は腕っぷしの方ではなく、その頭脳の方に神性が集中しているようであった。なるほど、人並み以上の能力が得られる、これも神性という力なのか、と理解していた。

 

ただし、この軒轅の理解は間違いではないが正確ではなかった。神性とはこの世界を作り出している力そのものである。


天地開闢の時、創世神である女神女媧めがみじょかは黄河の泥を捏ねて自身の姿に似せた泥人形を作り、その人形に神性を吹き込んだのが人間の始まりであった。

 

人間が作られたころには人間は神々と同様の高い神性を持っており、山中に住まい死ぬこともなく神に近い存在で仙人と呼ばれていたのだ。しかし、今では人間から神性は失われており、時々神性を持つ者が生まれてくるにすぎなくなっていた。

 

そのため、人間の大半には実体を持たない姿の神々は見えないし感じることもないが、翠清の巫術師や軒轅など神性を持つ者には玄冥など実体を持たない神々や神獣が見えるのであった。

 

ただし、神々や神獣の中にも実体を持っている者もいる。今回の白澤がそうであった。


この常先との山中で過ごした数日で軒轅は神性について考えると共に白澤と言う不思議な神獣に会い多くの知識を得て常先と共に帰路へ着いた。


軒轅が屋敷へ帰ると少典は安心し特に怒るようなことはしなかった。軒轅は真っ先に大鴻の下に行き深々と頭を下げた。これを見て大鴻は静かに頷き、傷つくことで一回り大きく成長した軒轅を見て涙をこぼした。この弟子にはもう教えることはなく、今後は軒轅の臣として残りの人生を捧げお仕えしようとこの時心に決めていた。

 

これ以降、少典はもう軒轅に甘い顔をすることはなく、軒轅も父親を一領主として見るようになった、以降、軒轅が有熊の政に参加するようになった。


軒轅17歳の夏であった。

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