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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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相柳討伐

聞こえる…。大きな憎しみの声が頭の中にこだまする。何だ、憎しみの声が大きくなっていく。いや、恐怖の声も混ざっているぞ、今にも爆発しそうな…。相柳そうりゅうか、相柳が憎いのか。ん?近い、近どんどん近づいている。どこだ?上か?


「相柳、上だ。」


軒轅けんえんは全軍を見渡し全身に震えが走った。


2,000人近い兵士が揃うと壮観であり、鉄の矢じりをつけた矢を装備している弓隊は非常に高い殺傷力を得ていた。相柳そうりゅうと戦う準備は万端であった。

 

各領主とも相柳を殺さないと次は自分の領地が相柳に荒らされてしまうと思いこの機会に何とかしなければならなかったため軍全体の士気は非常に高かった。

 

軒轅は出陣前に桂花と会った。桂花は軒轅に抱き着きどうか死なずに無事で戻ってきてくれと涙を流していた。軒轅には桂花を優しく抱きしめるしかなく、そして必ず生きて帰ることを桂花に誓った。

 

軒轅は桂花の涙を優しく拭くと、後ろを振り向かずに軍に加わった。


相柳討伐軍中で最も兵の多い部族は有熊の300人で、他の20の部族を合わせると総勢1,800人であった。また、軒轅には邪を滅すると言う神鳥、重明鳥ちょうめいちょうが一緒におり、頭上を飛び回っていた。重明鳥と共にあるので、行く先々で狼や梟と言った悪獣や悪鬼などは逃げ出してしまい今回も安全な行軍が続いた。

 

総大将の少典しょうてんは時折斥候を放ち、相柳の様子を確認させていた。先ほど返ってきた斥候の報告では相柳は翠清の北100里の位置にいて夢中で畑の土を食べているとのことであった。

 

相柳の傍にはもう一体の怪物がおり、それが恐らく浮遊ふゆうであろうと予想された。その他にも魑魅魍魎ちみもうりょうが50体ほど相柳の周りで蠢いているとのことであった。

 

魑魅魍魎は物や動物が深い森の中で長い年月をかけて変化して誕生した妖怪であり、戦闘力はバラバラであった。魑魅魍魎は変化の過程で僅かながら神性を獲得しているが、中には高い神性を持ち様々な術を使用できる者もいる。また長期間かけて学問に打ち込み高い教養を身に着けている者もおり、高い知能を持っている魑魅魍魎は狐が変化したものが多かった。このような高等な動物の妖怪は尻尾の数が増えていた。特に九つの尻尾を持つ狐は九尾狐きゅうびこと呼ばれて神に近く非常に高い神性を持っており2000年に1度くらいの割合でごく稀に誕生した。


このような状況であったので魑魅魍魎たちの戦闘力は未知数であり50体と言う数は部族連合軍で壊滅させることが出来るのかどうかの判断がつかず、相柳と浮遊に加えて九尾狐などの凶悪な魑魅魍魎が混じっていると少典達の軍勢ではまず太刀打ちできない。

 

しかし、巫術師ふじゅつしの老婆の神託ではこの戦は勝てる可能性が高いということであったので、恐らく九尾狐などの凶悪な魑魅魍魎はいないであろうと誰もが思っていたし、一方で九尾狐のような知能の高い魑魅魍魎が相柳に従って畑を荒らすとも思えず、大方はいないであろうという認識であった。否、そう思いたかったのだ。


二日の行軍で相柳から5里ほど離れた場所まで到着し、川の傍の平野部に陣を敷いた。少典は斥候達に相柳たちを常に監視するように言い、翌日には領主たちと軒轅を連れ自ら視察へと赴いた。また少典は周囲の山々を隈なく捜索して両側が壁になっているような隘路を探させた。

 

軒轅は木陰に隠れながら初めて見る相柳の異様な姿に恐怖を覚えた。周囲の領主たちを見ても皆恐怖で顔が引きつっていた。相柳は一里四方ほどもある広大な畑の中にいて一心不乱に土を食べており、時折液体を吐き出していた。相柳は体長は優に10丈(約18メートル)を越え、その容貌は蛇の体に人間に似た顔が九つついていると言うものであった。胴体は大木の幹ほどあり人間の両腕では抱えきれないほどであった。遠く離れているにもかかわらず、風下に立つと生臭い悪臭が鼻を突いた。

 

浮遊は大きさも見た目もひぐまに似ており全身茶色の毛で覆われており、大きな口を開けると大きな牙が見えた。手は長く、振り回すと鞭のようにしなっていた。

 

一方の相柳について回っている魑魅魍魎も石や虫などが変化したものばかりで狐や揚子江鰐などが変化した高等で強力な魑魅魍魎は一見して見えない。これには一同は胸をなでおろした。


一通りの視察を終えると一同は重い足取りで陣へと引き上げて言った。あれが相柳か、と軒轅は恐怖を押し殺しながら心の中で呟いた。

 

領主たちもあの相柳に面と向かって戦うことには腰が引けていた。なぜなら兵士の大多数は石器の槍や斧を装備しており、相柳の硬い鱗はこれらの武器では貫けなく無駄に兵を消耗してしまうからである。領主の中には鉄製の剣を装備している者もいるが、鉄の剣を持った数人程度が相柳に立ち向かったとしても、鞭のような巨大な尾で薙ぎ払われて殺されてしまうだけであろうと容易に想像できた。

 

陣に戻った一同は早速軍議を開いた。そのころには四方に放った斥候が戻ってきており、周囲の詳細な地形が報告されていた。相柳のいる畑の西側は小さな山となっており、山中には至る所に大きな岩が転がっていた。また、畑から4里ほど山へ入った所に周囲を壁で囲まれている滝があることも報告された。

 

滝の下流は澤で両側が崖の隘路になっている。この両脇に弓隊を伏兵させておけば相柳をおびき寄せたときに一斉に鉄の矢じりを取り付けた矢で攻撃ができる。

 

ただし、どのようにしてこの場所へとおびき寄せるかが問題であった。

 

その時、翠清の領主が火を用いることを提案した。妖怪達の多くは火を恐れるからである。さらに、数日晴れが続き枯れ木や枯草が乾燥して燃えやすくなっていた。この提案に即座に数名が同意した。

 

翠清の領主は明け方山の反対方向から火を放ち、相柳を山へ追い立てると言う作戦を話した。怪物の多くは火を嫌うために有効な作戦に思えた。しかし、相柳と共に魑魅魍魎たちも逃げ出すので相柳を倒す際には魑魅魍魎とも同時に戦わなければならず、大きな損害が出ることを覚悟しなければならなかった。


浮遊に関しての情報も集まっていた。浮遊は人の心を読むので相柳を伏兵させている滝までおびき寄せることは不可能であるため何としても相柳から引き離さなければならなかった。

 

斥候の報告では浮遊は鱃魚しゅうぎょがとりわけ好物で、川に住む鱃魚をよく捕まえて食べていたことが分かった。

 

鱃魚は鯉に似た魚であるが頭部が非常に大きな魚であった。鱃魚は焼くと香ばしく美味であり民衆によく食べられる川魚で、その肉を食べると皮膚にできるイボの予防になると信じられていた。

 

浮遊が鱃魚を捕まえに行く時は決まって朝の明るくなった時間であったので、早朝の暗い時間には浮遊も相柳と共にいたのであった。

 

軍議の中でしばらく沈黙が続いたときに大鴻が言った。


「浮遊が人の心を読むのであれば、鱃魚を持った人間がそばにいると鱃魚の存在に気が付くでしょう。そして鱃魚を奪い取ろうと浮遊が兵を追いかけたなら相柳から引き離すことができます。つまり、浮遊の行く先に鱃魚を持たせた兵士を配置して浮遊の気を引く作戦はいかがでしょうか。」


大鴻のこの作戦は本当に浮遊が気づくかどうか不明であり領主たちはあまり乗り気ではなかった。しかし、一人の領主が言った。


「どうせなら数日間何も食わない腹をすかせた兵たちに焼いた鱃魚を見せるのはいかがかな?浮遊が人の心を読むのなら、食欲に満ちた人間の心はきっと浮遊に強く伝わることだろう。」


空腹のときの人の食欲は強いため腹が減れば兵は鱃魚を強く食べたいと思うであろう。一同はなるほどと頷き、他にいい作戦も浮かばなかったため浮遊を引き離す作戦として腹をすかせた兵士達に鱃魚を焼かせることにした。

 

こうして作戦は決まった。以降数日は火を焚くための枯草集めに費やされると共に大量の鱃魚が近くの川から捕まえられ、腐らないように天日に干されていた。さらに草をよく燃やすために春先の川沿いに大量に咲いている菜の花から大量の菜種油を絞った。

 

この作業と同時に弓隊が編成され、各部隊に隊長が任命されると同時に鉄の矢じりがついた矢と矢じりに塗るための鴆毒が各部族に配布された。有熊の弓隊の隊長には軒轅が任命された。有熊の弓隊が最も多かったので滝の周囲を取り囲むように配置されることとなった。つまり、おびき出した相柳にとどめを刺す最も大切な役割である。

 

相柳襲撃の前日、夜が更けると弓隊は翌日に備えて早々に就寝し、火計部隊は枯草を大量に束ねて菜種から搾り取った油を含ませ、夜通し巨大な火を焚く準備をした。

 

夜更けが過ぎたころに弓隊は起き出し、鱃魚を持った兵たちと共に部隊長に率いられて山中へと入っていった。


一緒に行った鱃魚部隊には今回の作戦の詳細は伝えておらず、ただ鱃魚を焼けという命令だけが伝えられていたのであった。そして焼けた鱃魚をじっと見つめ、もし浮遊が来たら鱃魚を持って一目散に逃げるという作戦であった。


なぜなら作戦を知っていると万が一浮遊に心を読まれて作戦を知られることを防ぐためであったので、鱃魚部隊の兵士たちは陣より離れた場所で他の兵士と接触しないようにして食事を取らずに過ごさせた。兵士たちは理由もわからないまま空腹を抱えて訝しんだが、戦後に特別に報酬を与えることで納得していた。


準備が整うと夜明けを待たずに火計部隊は翠清の領主に率いられて皆で相柳たちが寝ている畑の端に枯草を壁のように積み上げてから火を熾しだした。火は瞬く間に燃え広がると、火の壁を作り出した。兵たちはさらに枯草の塊を運んでは相柳達を取り囲むように火を作ると、火は巨大な炎となり天まで届く勢いで燃えだしたのであった。

 

突然起こった火に怪物たちは驚き起き出した。兵士たちは火のついた枯草の塊を魑魅魍魎に投げつけると魑魅魍魎たちは目を覚ましざわつきやがて騒ぎ出した。


火は勢い良く燃え上がり、周囲を盛んに照らし出していた。火の壁を徐々に前進させることで相柳たちの逃げ場を無くしていき、やがて魑魅魍魎たちは火を避けるように少しづつ後退を始めた。知能の低い魑魅魍魎たちはそれが人間の襲撃であるとは夢にも思わず、ただ眼前の禍から逃れるのみであったのだ。


その時、火の壁の向こうに微かにそして黄色に妖しい輝く人影が見えた。その人影は諸侯連合軍の兵士の者ではなく、妖しい光りを放ちながら宙に浮いていた。細い長身の若い男の姿で長い銀色の髪をなびかせていた。

 

いち、に、さん、し…。火に照らされたその背には七本の尻尾が見て取れた。

 

魑魅魍魎の中になんと七尾弧しちびこが混じっていたのだ。


「ふふふ。汝らはこの三毒狐さんどくこと戦うつもりか?ひ弱な人間どもよ。」


その人影は三毒狐と名乗り、頭の中に直接響く声で語り掛けた。その異様な姿と声に兵士たちは恐れを抱き、火を大きくすることを忘れ火の手は次第に小さくなって行った。兵士たちは七尾弧に恐れをなし頭を抱えてその場にうずくまるものや腰が抜けてしりもちをつく者、震えだすものなど恐怖により戦意が喪失しかかっていた。

 

火計部隊を率いている翠清の領主は、


「七尾弧がいるなんて話が違うではないか…。」


と、額から頬へと汗を流しなら青ざめた顔で呟いた。


炎により兵士たちの恐怖に引きつった表情が浮かび上がっており、勝てる相手ではないと悟った翠清の領主が全軍撤退の指令を出そうとした矢先、上空から鋭い金切り声のような鳥の鳴き声が聞こえた。


それは何と軒轅といつも一緒にいた重明鳥が飛んできたのであった。すると冷静さを取り戻しつつあった魑魅魍魎たちはこの重明鳥の鳴き声で大混乱に陥り重明鳥から逃げるように走り出しお互いがぶつかりながら相柳を置いて散り散りに山中へと逃げて行った。

 

七尾弧もこの重明鳥の突然の出現に慌てて攻撃を仕掛けたが、その攻撃は重明鳥にやすやすとよけられ空を切り、重明鳥の背後ですさまじい爆発が幾つか起こっていた。爆発は神性を変化させて起こしており、土属性特有の攻撃である。

 

重明鳥は逃げ遅れた魑魅魍魎に空から攻撃を仕掛けており、その圧倒的な強さに魑魅魍魎はただ逃げ回るだけであった。七尾狐の攻撃がそれに輪をかけたために、魑魅魍魎は驚き山中へと逃げ出してしまった。


「ええい、なぜここに重明鳥がおるのだ?」

 

当惑を隠さず声を荒げた七尾弧はそれでも怯まずに術を繰り出したが、重明鳥はその術をことごとくよけてしまい、術はそのまま地に激突して重明鳥の後方で大きな爆音が鳴り響いた。この爆音により驚いた相柳と浮遊も魑魅魍魎が向かっている谷の方へと移動していった。


重明鳥は次第に大きくなり、やがて全身に炎を纏いだしたのだ。


「炎を纏った?ヤツは火属性か……。」


七尾狐が呟くと、重明鳥の鋭い爪は火を帯び、斬りつけられたり掴まれた魑魅魍魎は全身が燃えてしまった。さらに、重明鳥が飛び回ることで、枯れ草の炎はさらに燃え上がり、煙は雲のように厚く立ち込め、凄まじい上昇気流を作り上げていた。


七尾狐はさらに攻撃を続けるも、重明鳥の攻撃を肩に受ると、傷口から炎が噴き出し思わず悲鳴を上げた。そして、燃える方を抑えて苦痛の表情を見せていた。


「こ、これが我らの天敵、重明鳥の力か……。悔しいが九尾狐の雷華らいか様でもないと勝てそうにない……。」

 

慄きながら七尾弧はそう呟くと、


「人間どもよ、この恨みは次の機会に必ず晴らす。よく覚えておくがよい!」


と恐ろしい表情で捨て台詞を吐き、重明鳥が他の魑魅魍魎を攻撃している隙をついて飛び去って行った。


あっけにとられていた火計部隊の面々であったが、ハッと我に返り、


「お、おい、お前たち、急いで火を燃やせ!」


という翠清の領主の怒号の下で火を焚きつけ、残っている魑魅魍魎たちを谷へと追いやった。


この重明鳥のおかげで七尾弧を撤退させた上に魑魅魍魎もこの場から一目散に逃げだしてしまい、相柳と魑魅魍魎軍団を分断させることができたのであった。火計部隊の面々はその目に重明鳥が七尾弧に立ち向かいさらに魑魅魍魎を蹴散らす姿を焼き付けていた。


谷の入口付近へとゆっくりと移動していた相柳であったが、火計部隊が範囲を狭めたために火の勢いを恐れて山中へと逃げて行った。怪物の習性であるか、相柳と言えども火は苦手と見えた。

 

火計部隊は相柳と浮遊が戻ってこないように谷の入り口に大きな火の壁を作った。相柳と浮遊は山中に逃げ込むと次第に冷静さを取り戻したが、すぐ近くまで火の壁が迫っているので畑へは戻れずに何かを探すそぶりをしながら山中へとゆっくりと移動して行った。眠りを邪魔した上に火で炙ろうとしている腹立たしい人間たちを見つけて殺そうと思い、人間を探していたのであった。


その山中にはすでに香ばしい匂いが辺り一面に漂っていた。山中へ入ったところには数人ずつに分かれた空腹の兵たちが鱃魚を焼いており匂いが辺りに充満していたのだ。


「腹減ったぞおい、もう丸三日なんもくってねぇし……。目の前の魚……ごくり。く、喰いてぇよな。」


兵は鱃魚を食べることは許されておらず、命令通り空腹に耐えながら焼けた鱃魚をただ見つめていたのであったので、思わず一人の兵士が言った。


「駄目じゃ。食っちゃだめだという命令じゃろう。」


「く、そ、そうだけんどよ……。ちょっとくらい、な?」


このようなやり取りがそこかしこで行われていたために、浮遊は山に入るや否や多くの強い食欲を感じ取っていた。浮遊には論理的な心を読み取ることは苦手であるが強い殺意や欲求など人間の衝動的な感情などはよく感じ取り、近くにいるほどより強く感じ取れた。

 

浮遊は山中へ入っていくとその食欲は鱃魚を食べたいと言う欲であることが分かった。その強い鱃魚への食欲は辺りに漂う鱃魚の匂いと共に次第に浮遊の食欲と同化してき、やがて浮遊の頭は鱃魚を食べたいと言う思いでいっぱいになり、遂には人間を探し出して殺すという目的が集魚を食べるという目的に置き換わり、鱃魚と鱃魚を持っている人間を探し始めたのだ。

 

浮遊はそれほど知能が高くなかったため、単純な欲求で動く場合が多かったのである。そのためこの作戦は浮遊には効果を発揮したのであった。

 

欲望を感じ取った浮遊は次第に最も近くにある欲望へ向かって進んでいき、遂に鱃魚を焼いている4人の兵士達を見つけたのだ。その兵士達は浮遊の襲撃を警戒して高台で鱃魚を焼いていた。


「少し喰っちまうべか……。」


一人の兵士が言うと、


「おめぇ、喰ったら報酬もらえんぞ。」


と別の兵士が止めた。しかし、


「少しくれぇならばれやしねぇよ。」


というと、


「……う、うむ、それもそうだな。少しだけ……なんちゅうか、ちゃんと焼けたかどうか味見はしねぇとな。」


などとその背後に恐ろしい影が迫っていることを知らずに呑気に話していた。


「お、おう、味見は大事な仕事だ。ではその大役は俺様……が。……ん?」

 

やがてガサガサという小枝を払う音が聞こえてきて、一人の兵士が背後に大きな影が次第に迫ってきていることに気づきと大声で叫んだ。


「うわーーー、ば、化け物だー!」


他の兵士たちも浮遊がこちらへやってきていることに気が付くと、明け方の太陽に照らされた浮遊の全貌を見ると恐怖で顔が青ざめ、鱃魚めがけて走ってくる浮遊に恐れをなした兵士たちは浮遊が鱃魚が目的であることなどつゆ知らず、命令通り焼けた鱃魚を持って我先にと逃げ出したのであった。

 

浮遊はどうしても鱃魚を奪い取りたくて兵士たちを追いかけていき、ただ化け物が来たら鱃魚を持って逃げるようにと指示されていた兵士たちは必死で逃げ、やがて逃げるのに邪魔な焼けた鱃魚を放り投げると、浮遊は足を止めてその鱃魚にかぶり付いて一心不乱に食べだしたのであった。兵士たちは後ろを振り返らず一目散に逃げて行ったので、浮遊が追いかけて来ないことに気が付かずに隣の山まで逃げて行ってしまった。

 

この様にして少典達は浮遊と相柳を引き離すことに成功したのであった。

  

相柳を谷の入り口から滝まで誘導する役目は少典が買って出ていた。少典は身を犠牲にしても相柳を滝まで追い詰めると心に決めていた。当初は魑魅魍魎と戦いながら作戦を遂行するはずであった。しかし、作戦通りに魑魅魍魎たちが谷にやってきたときには遂に来たかと剣を構えたのだが、拍子抜けしたことに魑魅魍魎たちは少典達の脇を素通りして、そのまま逃げ去ってしまったのだ。

 

少典達には目もくれずに山中の奥深くへ一目散に逃げていく魑魅魍魎を横目に一体何があったのかと訝しく思った。魑魅魍魎の後を追って駆けてきた兵士を捕まえて事情を聴いてみると、なんでも軒轅の連れていた鳥に恐れをなして逃げ出したとのことであった。

 

そんなことがあるのかと思ったが、そういえば重明鳥が屋敷に来て以来有熊には悪獣がいなくなっていたし、大鴻たいこうも重明鳥には邪を退ける不思議な能力があると言う。こうなると斥候の報告の通り重明鳥が魑魅魍魎たちを蹴散らしたと信じざるを得なかった。

 

いずれにせよ魑魅魍魎がいなくなったことは自分たちにとっては天の助けであった。


「細かいことは戦いが終わってから考えるとしようか。」


少典は側にいた護衛の呉伏に向かってそう呟くと、近くまで来ているであろう相柳の姿を探した。


相柳は滝まで1里程の所まで来ていたが、周囲に人間の気配を感じつつ手っ取り早く殺せる獲物を探していたのであった。

 

少典達は相柳の通りそうな場所に目星をつけ高台を探し出し、大きな石を持ってその場所へと登って相柳を待った。そして相柳が予想通りにその場所を通りかかると相柳の頭めがけて石を投げつけた。

 

一投目は僅かに外れたが少典の投げた二投目が九つある頭部の内の一つに見事に命中した。


「ぐわああああぁぁぁー。」


石の当たった顔にはわずかに血が滲んでおり激怒の表情を見せ、石を投げた少典を睨みつけ大声を出して叫んでいた。その他の顔も一斉に少典の方を向き、口々に叫び罵りだすと、次の瞬間にはすごい勢いで少典のいる高台へと登って行った。

 

少典はすかさずその場を逃げ出し、昇ってくる相柳を背にして沢へと降りると、滝へ向かって猛然と走り出した。滝まで1里もなく水しぶきが感じられるほどであった。


「化け物よ、ついてこい!」


そう叫び、この距離なら軒轅達の待つ滝まで走り切れると思い少典は必死に走った。高台を上っている途中の相柳も少典が沢へと降りて行ったのを見たので少典を追いかけて沢へと降りて行った。


相柳の動きは思った以上素早かった。相柳と少典との差は見る見るうちに縮まっていき、少典の直ぐ真後ろまで相柳は迫っていた。

 

相柳を待ち構えている弓部隊にも叫びながら凄い勢いで少典を追いかける相柳が目に入ってくると、弓部隊の中から悲鳴が聞こえてきた。相柳の異様な姿を目にした兵士の誰もが恐れおののきこれまでにない恐怖で士気が低下していきざわつき出したのだ。この様子に危機感を抱いた弓隊の小隊長たちが怯んだ兵士たちを慌てて鼓舞していた。

 

滝までもうすぐそこの所で相柳は少典に追いついてしまい、相柳の影を背中に感じて少典は慌てて岩の隙間へと飛び込んだ。相柳は狂ったように少典が身を隠したその岩を尾で薙ぎ払い、そのたびに岩が砕けて破片が勢いよく周囲へと飛び散った。


「父上ー!」


このままでは少典の命も後僅かと思われ、父親の絶体絶命の姿を見ながら軒轅は飛び出しそうになった。この様子に、


「待たれい、軒轅殿!弓隊の指揮は如何するおつもりか!」 


と、側にいた大鴻が大声でそれを諫めた。一軍の将が私情で動くことを良しとしなかったためであった。


「しかし大鴻殿、父上が殺されそうなのですよ!この場はどうか行かせてください!」


と目に涙を浮かべながら大鴻の両腕を掴んで必死に訴えた。


「行かせませぬ、軒轅殿!」


と、大鴻はこれまでに発したことのない大声で軒轅を静止し、この大鴻の大声に軒轅は踏みとどまり唇を噛みしめて蒼天を仰いだ。


この少典の窮地を救ったのが相柳を追いかけてきた火計部隊であった。火計部隊は相柳が山中へ入っていったのを見届けると、残りの枯草を集めて相柳の後を追っており、もしも相柳が後退するようなことがあればその時火をつけて退路を断つつもりであったのだ。


火計部隊を率いている翠清の領主は古い戦友の少典の危機を見て干し草に火をつけて相柳めがけて投げつけると共に、相柳の後方で大きな火を作り出していた。この程度の火では巨大で動き回る相柳を焼き殺すことは不可能であったが、この火に相柳は怯み少典への攻撃をやめて軒轅たち弓部隊が待ち構える滝へと逃げるようにゆっくりと後ずさりして行った。

 

火計部隊も相柳の動きに合わせて干し草に火を放ちながら相柳へと近づいていくと両脇を壁に囲まれて後方しか逃げ場のない相柳は後ずさりするように滝の前の隘路を後ろへと進み、やがて滝へと出たのだ。


「軒轅殿、相柳が出てきましたぞ!」


大鴻が興奮して言うと、


「弓隊構えろ!」


「……今だ、放て!」


軒轅はすぐさま指示を出すと、弓を引き絞り狙いが定まったタイミングを見て矢を放たせた。


軒轅の合図に部隊長たちも我に返り一斉に弓隊に射撃を指示した。弓部隊は一斉に矢を放つと、総勢500名の放った大量の矢が相柳めがけて飛んでいくと、次々に相柳に命中していった。

 

矢が相柳に刺さると、硬いうろこを貫通し肉に刺さり、矢が刺さった場所からは体液が流れ出して体に傷がついていることが分かった。そして、その傷口からは鴆毒がじわりじわりと体内へと浸み込んでいったのだ。


「次、放てーーー!」


鉄製の矢じりが相柳に効果があると確信した軒轅は声を振り絞り射撃を続けさせた。相柳は一つ一つの矢の傷は蚊に刺された程度にしか感じてはいなかったが、その矢が何百本と自分の身体に突き刺さると動くたびに矢じりが肉の奥に食い込んでしまいさすがにたまらず退却しようとした。

 

この時相柳の動きは少し鈍くなっていたがまだ動くことができており、矢でできた傷は致命傷とは程遠かった。領主たちは相柳にここで逃げられるとすぐに傷を癒して再び人里へと現れるであろうと思った。しかも今度は自分を傷つけた人間を敵とみなして襲ってくるに違いない。決して逃がすわけにはいかなかった。


「行かさぬぞ!」


相柳が逃げようとしたまさにその時、隘路に岩の隙間から這い出してきた少典が鉄製の剣を持ち、大の字となって立ちふさがっていたのだ。

 

さらに少典の後方には火の壁が出来ており相柳の行く手を阻んでいた。少典は炎を背景にして退却しようとしている相柳を前にして大声で威嚇した。


火の壁を背景にして立ち塞がっている少典を、当時の弓隊にいた兵たちは皆鬼神に見えたと口々に話し合った。その気迫と火の壁に怯み相柳が一瞬動きを止めたのであった。


「死ねぇ、化け物!」


少典は相柳に降り注ぐ矢を気にも留めずに動きを止めた相柳に大声を出しながら斬りかかった。

 

鉄製の剣は切れ味が鋭く、相柳の硬い鱗を切り裂いた。隙を見せた相柳は筋肉を硬直させて斬撃を軽減させることが出来ずに胸の部分をざっくりと斬られて辺りに腐食性の体液が飛び散った。その体液が少典の目に入り少典は右目を失い、体液の付着した鉄製の剣も腐食してしまった。


この少典の斬撃に相柳は反射的に尾で反撃をしたが狙いが定まっておらず少典は間一髪でこの攻撃をかわした。尾は岩にあたり、岩は砕けて破片が飛び散りこの破片が少典にもあたってしまい、この岩でも少典は負傷していたが、この攻撃で相柳はよろめき少し後退した。


「少典様!い、今助けます!しっかりしてください。」


相柳の動きが止まった好機に近くにいた呉伏たち少典の護衛が恐怖を押し殺し歯をガチガチ打ち鳴らしながらも飛び出し、相柳の前からすぐに手負いの少典を連れ出し何とか救出したのであった。

 

この少典の捨て身の攻撃が功を奏し、少典が命がけで作った時間に上から投げ込まれた麻縄で作った網の一つが見事に相柳の頭上に落ち、相柳の動きを止めることに成功したのだ。網が身体に絡みついて上手く動けない相柳であったが、藻掻くほどに徐々に網がちぎれだして次第に動けるようになって言った。


「兵たちよ、よーく狙って放て。矢を無駄にする出ないぞ!」


部隊長がそう叫びながら必死に兵士の士気を鼓舞し、網から出ようともがきながら網を引きちぎっている間に矢による攻撃が絶え間なく続いたのであった。この間にも千本近くの矢が相柳に刺さっていた。また、相柳が暴れるたびに矢じりが深く刺さり内臓を傷つけると共に傷口を広げ、刺さった傷からは体液があふれ出したためにやがて隘路には相柳の体液が溢れていった。

 

この弓部隊の一斉射撃を受けた相柳は体中から体液が出てしまい、さらに鴆毒が効いたと思われ動けなくなりやがてその場に倒れ込んでしまった。


「静かになりやがったぞ。」


「……やったか!?」


「……ああ、どうやらやったみたいだぞ!?」


「仕留めた!?」


「ああ、仕留めたぞ、俺たち!」


「ざまあみやがれ!化け物よ!」


軍勢は一斉に歓喜の声を上げた。誰しも相柳の恐怖から解放されて安堵しこの喜びを皆で分かち合った。

 

相柳が動けないことを見て取った領主たちは鉄の剣でとどめを刺そうとしたが、相柳の近くは生臭く腐食性の体液で溢れており近づけなかった。その場にいた誰もが相柳の惨状を見て生きてはいまいと思い、このためとどめは刺さずに帰路へ着いたのであった。


しかし相柳は数日後に消えていた。その後、相柳は何と息を吹き返したのであった。大量の体液が出てしまったのであるが、矢が比較的浅く刺さっていたので内臓の表面が傷ついたのみで中央付近は無事であったのだ。しかし、体液が出てしまった上に鴆毒も効いており生死をさまよっていた。


「……許さん。あいつら。決して許さんぞ……。殺してやる、お前らじゃないかもしれんが……、その子孫を、必ず、必ず根絶やしにしてやる……。」


瀕死の重傷を負った相柳は自分をこのような目に合わせた。人間を深く恨んだ。特に自分の前に立ちはだかり自分を斬りつけたあの人間だけは許せずに今にも復讐したかったが、この傷ではどうにもならない。殺したい気持ちを抑えて傷を癒すことに専念し深い森の中で長い眠りについたのであった。


傷が癒えたころにはあいつは死んでいるであろうがその子孫を見つけ出して必ず殺すと相柳は誓っていた。


一方の浮遊であるが、鱃魚を食べ終えて満足し、そのまま昼寝をしてしまっていたのであった。昼下がりに浮遊は目を覚ますと、相柳や魑魅魍魎たちがおらず、辺りの様子がすっかり変わっているのに気が付いた。


「……あれ?みんなどこ行った?」


「……相柳、どこだ?」


と、呟くと相柳を探すために歩き出した。


七尾弧をはじめとして重明鳥に襲撃された魑魅魍魎たちは、九尾狐が住んでいると言う伝説がある青丘せいきゅうの山に集まっていった。重明鳥の出現を見て世の中が変わっているという危機感を持ち、神農氏が出現した時のように皆世界が変わりつつあると肌で感じていた。


変わった先にある世界は魑魅魍魎たちにとっては生きにくい世界であろう。このため自分達が生きていくために世界の変化を食い止める必要があったのだ。彼らにとっても生存のための戦いが必要であると感じ取っていたのだ。


少典率いる部族連合軍は相柳と魑魅魍魎軍団を相手に戦ったのであったが、その損害は微々たるものであった。総大将の少典が負傷して片目を失ってしまった他、数名が矢を射る際に崖から落ちて死亡したことと、火計部隊の多くが大小の火傷をしていたが死者は出なかった。


一方で、戦いの全貌が分かるにつれて実は全滅も有り得る恐ろしい戦いに身を投じていたことに諸侯たちは気が付いた。

 

火計部隊を率いた翠清の領主の口からは伝説とも言える七尾弧を見たと言う言葉が飛び出し、一同にわかには信じられなかった。そして、その後の言葉がさらに信じられず、その七尾弧と魑魅魍魎を蹴散らしたのが軒轅についてきたあの綺麗な鳥であったということであった。

 

その場にいた誰もが耳を疑ったが、火計部隊の兵士たちが皆口々に重明鳥に命を救われたと言い、火計部隊の皆が軒轅の傍で羽の手入れをしていた不思議な鳥に敬意を持ち拝んでいた。

 

当の軒轅は横にいる光彩が二つずつある奇妙な目をした鳥をまじまじと見つめ、何とも不思議なことよ、と思った。

 

軒轅自身は悪獣を追い払いう程度で重明鳥に魑魅魍魎を駆逐する力まであるとは思っていなかった。今回は気まぐれで着いてきたと言う程度の認識であった。いずれにせよ、我々に力を貸し我々を救ってくれたことには違いない。軒轅はそれからも重明鳥を丁重にもてなした。すると、重明鳥はいつものように気まぐれでどこかへ飛んで行ってしまった。


この戦いで少典は片目を失ったが、有熊の英雄としての名声を不動のものとした。また、片目を失ったことと相柳に単身立ちふさがり深手を負わせたその鬼神の如き戦いぶりから単眼鬼王たんがんきおうと呼ばれ諸侯たちから敬われ畏れられ、その名声は四海を超えて遠く大荒の果てにまで響き渡っていった。

 

そして、少典の息子の軒轅の名声も、不思議な鳥である重明鳥を操り七尾弧を始めとして魑魅魍魎を蹴散らしたことから、霊獣を操る若き英雄として高まっていった。


周囲の部族たちは有熊と友好関係を築きたいと考え、周辺諸国を交えた米の生産や交易が発展して有熊の勢力は次第に拡大されていった。この有熊と諸侯連合の活躍は炎帝榆罔えんていゆもうの耳に届いており、粗暴で貪欲な榆罔の興味を引くこととなった。

 

こうして軒轅の初陣は大勝利でその幕を閉じた。軒轅17歳の春であった。

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