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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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相柳と浮遊

山、そうだ、山を降りよう。この山は岩ばかりで噛み砕くにも一苦労しちまう。硬い岩をかみ砕くよりももっと軟らかい食いもんを口一杯に喰らいてぇぞ。もっとやわい、やわらかい石、そう、そうだ、土だ。軟らかくてとろけそうな土。この山ではめったにねぇ。この前、山のてっぺんに登った時に下の方に見えたあの平たい場所はどうだ。岩は見えんし、あそこなら旨い食いもんにありつけそうだ。これまで考えたことは無かったが、いっそのこと山を降りるか。それにしても腹が減ったぞ。おい、浮遊よ。お前も共に来るか。どうだ?


「どうした軒轅!もっと本気で打ち込んでこい!」


と、宮殿の中庭に少典の怒号が響き渡っていた。


軒轅けんえんは相変わらず父親とはすれ違っていた。


普段は父親の少典しょうてんと普通に会話をするが、剣術の稽古となると身が入っていないこと少典は感じ取っていた。

 

幼少のころから鍛錬を続けていたので軒轅の剣術はすでに達人の域に達しつつあり、本気で打ち込んできたら少典も本気を出さなければ危ういくらいには実力はついていた。しかし軒轅の剣には殺気は感じられなかった。相手を殺す気がないのである。


そんな少典の愚痴を聞くのが妻であり軒轅の母親である附宝ふほうの仕事であった。附宝は優しい軒轅が好きであった。しかし世は戦乱であり、自分たちが生き残るためには軒轅が強くなる必要があることも理解していた。

 

母親として息子を戦いには出したくないのは当然であるが、かといって弱い子を育ててもいずれ他の部族との勢力争いに敗れてしまうだろう。附宝も軒轅に強くなってもらいたかったが母親のわがままであろうが、優しいままでもいて欲しかった。


しかし、心を決めた附宝は軒轅を次第に冷たく突き放すようになっていった。母親として選んだのは強い息子として育って欲しいという思いであった。


利発な軒轅は両親の気持ちは頭では理解してはいたが、気持ちがついて行かずどうしても戦う気になれなかった。一方で、少典の後を継いで有熊の領主となれば民を守っていくために自分が強くなり率先して戦わなければならないのである。そうしないと部下の兵士たちもついてこないし人心も離れて行ってしまい、やがて有熊国が滅亡してしまうであろう。

 

理想だけでは国は治められないのはこれまで滅ぼされた部族を見ていると明白であった。


このような軒轅もやがてあることをきっかけに戦う決意をするようになる。そのきっかけはある商人から聞いた相柳そうりゅう浮遊ふゆうの話であった。

 

相柳は顔は人の顔をしているがその数は九つあり、蛇の体をしており巨大で常に生臭い悪臭を漂わせていた。相柳はよく口から水を吐いておりその水は腐食性の毒で、相柳が通った後には毒の湖沼ができ動物たちは近寄らなかった。相柳は土を食べたが作物がよく育つ肥沃な土地の土をとりわけ好んで食べたので、土を食べられた土地には毒の湖沼が出来、土も無くなり作物が育たなくなってしまった。

 

この相柳につき従っているのが浮遊であるが、なんとこの浮遊には人の心が透けて見えると言う噂がまことしやかにささやかれていた。


これらの怪物に襲われた村はひとたまりもなく土を食べられてしまうとともに、相柳のおこぼれを頂こうと普段は人間の村には近づかないような魑魅魍魎ちみもうりょうたちがついて回っていたので、この魑魅魍魎たちが畑に実っているあわきび、野菜などを食べてしまっていた。

 

魑魅魍魎とは、深い山中などで長い年月が経過することで岩や木が変化した妖怪である。魑魅魍魎ちみもうりょうには様々な種類がおり、狐や蛇、蛙、蜥蜴などもいる。

 

一般的に虫と呼ばれる小動物は長い年月を生きると魑魅魍魎になるが、虫が変化した場合は螭鬽蛧蜽ちみもうりょうと書いた方が正しいであろう。現代では意味が変わってしまったが、虫の名残が漢字に残されており虫偏のついた漢字を持つ生き物がこの時代の虫であった。


相柳と浮遊は比較的知能が高い怪物で残忍であり貪欲でもあった。山を降りた相柳が一旦人々が耕した畑の土の味を覚えてしまうと、これは良い食べ物だと思い軟らかく耕された表層の部分だけを食べてしまい、食べ終わると毒の湖沼を残して別の肥沃な土地を求めて移動していったのだ。


食べられた農民たちはその冬を越せなくなり餓死する者も出ており、その上に新たに耕そうにも相柳たちが通った地は毒の湖沼となりもはや作物は育たなかったのである。

 

初めは商人たちの噂話であったがやがて有熊にも難民がたどり着くようになり、有熊に命からがらたどり着いた人々は口々に相柳と浮遊への恐怖を語るのであった。

 

難民たちの話を聞くと相柳たちは有熊から西北へ80里ほどの場所にいるこ言い、有熊へたどり着くのは時間の問題だと思われた。

 

これを聞き少典は、自身も属している炎帝諸侯連盟の長である炎帝榆罔えんていゆもうに使者を送り援軍を要請した。しかし、帰ってきた答えは素っ気なく援軍は出せない、との一言であった。この時榆罔は北方の雄、共工氏族を侵略している真っ最中であり、そのような怪物討伐に出せる軍勢の余裕などなかったのだ。

 

この返答に少典は激怒し自らの手で相柳たちを撃退する決心を固めた。周囲の部族へも自ら赴き事情を説明して助勢を願い、賛同する領主を着実に増やしていったのだ。少典が訪れた領主たちの下にも難民は押し寄せていたので次は自分たちの部落が狙われるに違いないと戦々恐々とていた。その折に勇名をはせていた少典から相柳討伐の提案があったので周辺部族の長達は皆藁にもすがる思いでこの願ってもない提案に飛びついた。

 

軒轅は忙しく動き回る父親に領主としての責任を感じながら、この事態に自ら進む道を見出さなければならないと考えていた。昔なじみの商人たちの多くは相柳と浮遊に襲われた邑をその目で見ており、口々に相柳と浮遊の恐ろしさを語っていたのだ。自分は戦いなどしたくはないが、このままでは自分たちがその餌食となり国を追われてしまう。自分は領主の息子として有熊の民のために相柳と浮遊に立ち向かわなければならないのではないか?

 

一方で、もちろん戦わないと言う選択肢もある。何もかも捨てて逃げだせばいい。しかし、それは問題と向かい合わずにただ現実からの逃避である。第一有熊の民たちはどうなってしまう。自分は領主の跡取りとして生まれてきたのでありその責任とは何なのであろうか、民を守ることではないのか。師傅の大鴻がよく言うように、その民たちが平和に暮らせるように出来なければ領主となる意味はないではないか?


「やるしかない……。」


軒轅は一人小さく呟き、そして父親である少典が命を懸けて戦っていた理由が民のためであることを理解すると同時に父親に対する尊敬と青臭い理想をぶつけて対立していた父親への贖罪の気持ちが沸き起こってきた。

 

理屈ばかりで浅はかだったのは自分であったのだ。この世は割り切れないことが多々あるがそれでも上手く割り切って守っていかなければならない。自分たちが生きるために敵を殺すこともそうではないか。


「父上、相柳討伐に私も同行させてください。民を、そしてこの有熊を守るために私も戦います。」


と、軒轅はすぐに父親の下へ行き、自分も参戦させてほしいと願い出た。


「なんだ突然?出陣したいだと?お、おう、もちろんだ。」


少典は驚き一瞬ためらったが、初陣には早すぎない年齢であり軒轅の初陣を承認した。


軒轅は礼をして何も言わずに少典の部屋を出た。


「そうか、軒轅よ。戦う気になったか。」


少典は軒轅に背を向けており、呟くとその眼尻から涙が頬を伝い床に一粒落ちた。涙が落ちたかすかな音が聞こえ、静寂の中で軒轅が、自分の息子が自分の心中をわかってくれたのが嬉しくまた、若い息子を死なせるわけにはいかないという思いが闘争心をより掻き立てていた。


少典は激情家であるがその熱量に等しい愛情を示す人物でもあったので、気性が激しく勇猛であると共に愛情も深く、この主のために命をなげうつ覚悟が出来ている兵士は有熊には大勢いた。兵士たちは皆、少典から一度は怒鳴られたことはあるのではあるが、同時に埃立つ地面に座って共に笑い合ったことも、戦死した兵のために人目をはばからず共に涙したことも何度もあった。


軒轅は剣術を鍛えるために毎朝と夕には欠かさず剣を振るうようになり、大鴻と共に周辺の情報を集め出した。この頃には開墾を通して様々な人材が周囲に集まっていることに加えて幼少より市場で遊びまわることが日課であったため多くの商人たちと顔見知りとなっており、軒轅たちの下には多くの情報が集まってきていた。その情報の多くは相柳の恐ろしさについてであった。


しかし、相柳の恐ろしさの陰に隠れがちだが、浮遊についてもわずかに具体的な情報がもたらされつつあった。その内容はにわかには信じられない内容であった。


ある時、一人の男が決死の覚悟で相柳に戦いを挑んだ。しかし、まともに戦っても勝ち目はないので、相柳が通る場所の木の上に黒曜石の槍を持って登り、相柳が真下に来た時に飛び降り、全体重を掛けて首の後ろの鱗の薄い部分に槍を突き立てようとしたのだ。

 

男は相柳に土を食べられてしまったため、妻と幼い子供が餓死してしまっていた。全てを失った男の生きる目的はただ相柳を殺すことであった。

 

男は木の上でひたすら待ち続けた。そしてその時がやってきた。何も知らない相柳が男の待ち構える木下を通りがかったのだ。男は狙いを定めて飛び降りた。すると、「上」という声に反応した相柳が体をねじったため、男は相柳に触れることはできずにそのまま頭から地面に衝突して息絶えてしまった。


遠巻きに様子をうかがっていた男の仲間がそれを見ており、慌てて逃げだした。仲間の話では声を発したのは相柳と一緒にいる浮遊であったと言う。

 

軒轅も大鴻もこれが事実かどうかわからないが、噂でも浮遊は人の心を読むと聞く。どうやら男は飛びかかる際に浮遊に心を読まれたため襲撃に失敗してしまったという可能性が考えられた。


これが事実であれば、軒轅たちが作戦を考えても浮遊にその作戦が読まれて失敗する可能性が考えられたので、まずは相柳と浮遊を引き離さなす必要があると思った。


さらに情報は集まってきた。相柳の体は硬いうろこで覆われており石斧や黒曜石の槍で刺した程度では殆ど傷をつけられないと言うことであった。これは自分達の持つ武器では相柳は倒せないことになる。しかし、鋭利にとがらせた鉄の槍で突き刺せば硬い鱗を貫けるという情報も得られた。

 

軒轅たちは相柳と戦うには殺傷力の強い武器の準備が必要だと分かった。


有熊では相柳に対抗する作戦も話し合われており、一本や二本矢が当たった程度では相柳は到底倒せないと思われていたので、壁際などにおびき寄せて逃げられないようにして一斉に矢を放つ作戦を考えていた。


その矢に強力な毒である鴆毒を塗ってしまえばいくら怪物でも倒せないわけはない。

 

少典もこの作戦に賛成し、有熊の兵士に弓の訓練をさせて来るべき決戦に備えた。他の部族にもこの作戦は伝えられており、それぞれの部族でも弓の訓練がなされていた。


冬も終わりを告げたころ、遂に1万本を超える鉄の矢じりがつけられた矢が完成した。この鉄の矢じりが付いた矢を一斉に喰らったらいくら相柳と言えども生きているはずがないと誰もが思った。

 

さらに、冬場は作物がないので食料が目当ての魑魅魍魎たちは相柳には余り興味がなく、付き従う魑魅魍魎の数は減っていたために攻めるには好機であった。


作戦が決まると軒轅はすぐさま昔なじみの商人たちを集めて東方の鉄と鴆毒を買い漁った。この頃になると、米は売ることができるほどの余剰が生じていたので交易には米も使用されていたが、鉄は高価で鉄製の剣ともなると手に入れるためには大量の米が必要でとても有熊の生産量では足りなかった。


しかし、鴆毒はともかく有熊の市にある鉄製品をかき集めてもせいぜい作れる矢じりは2000個程度であった。少典から鉄を加工する役目を仰せつかった常先が不安そうに言った。


「軒轅様、鉄が足りません……。」


「朝から駆け回ってみたけど、これが精いっぱいだ。有熊の市にはもう鉄は残っていないのだ。」


「しかし、2000本の矢じゃあの相柳という怪物は倒せるんですかね?」


「……わからん。クッ、このままでは相柳と戦うどころではないぞ…。」


「軒轅様……。」


2人して途方に暮れている所にひょっこりと大鴻が現れた。


「軒轅殿、鉄の調達はいかがか?」


「これは師匠。それが有熊の市を駆け回ってもこれ位しか集まりませんでした。これでは到底足りません。」


「何と、相柳の討伐隊出発まで時間がないではないですか?」


「そうなのです。しかし、こればかりはどうしようもありません。」


「ふ~~ん、如何したものか?鉄製品はこの辺ではこの有熊の都に最も集まっています。この有熊にも無いということはどこを探しても大して見つかりませぬぞ。」


「……仕方ありません。取り急ぎ、父上に報告してまいります。常先、矢じりの作成、任せたぞ。では、師匠、失礼いたします。」


と、軒轅は師匠に一礼して少典の元へと向かった。


「……というわけです。父上。」


軒轅が報告を終えると、少典も頭を抱え込んでしまった。


「鉄が足りぬと申すか!?しかし、黒曜石の槍程度では噂に聞く相柳の硬い鱗は貫けそうにないぞ。わかった。周辺の国々にも鉄の支援を願い出よう。それでも集まるかどうか……ん?何事か、外が騒がしいぞ。」


「あ、あの鳴き声は重明鳥です。この時期に帰ってきたのですね。ちょっと膏液を上げてきます。失礼します。」


と、軒轅は父の元を去り、膏液を携えて重明鳥の元へと向かった。


「こ、これは!?」


重明鳥の元へ行った軒轅のものと思われる大きな声がし、その声に少し離れた部屋にいた少典が驚いた。


「何事じゃ!」


少典が慌てて駆け寄ると、驚いて座り込んでいる軒轅を見た。


「いかがなされた、軒轅様!」


軒轅の大声を聞き、呉伏や大鴻、母親の附宝など宮殿にいる者達が何が起こったのかと駆け寄ってきたのだ。少典が続けざまに言った。


「どうした、軒轅よ。何が起こったのじゃ!」


「ち、父上!それ、そこ……」


「そこ?どこじゃ……ん?それはまさか鉄、鉄なのか?」


「そうです、重明鳥が銜えていたのです。」


「まさか、鳥が鉄を運ぶなどあるものか。」


「いえ、少典様!相手は伝説の重明鳥ですぞ。そのまさかがあるやもしれません。」


大鴻が言い終わると、重明鳥が翼を広げて羽ばたいた。


「あ、行ってしまいます。父上、ちょっと追いかけてきます!」


軒轅はそういうと、重明鳥の後を急いで追いかけて行った。


重明鳥は軒轅の走る速度に合わせて飛んでいた。重明鳥を追う軒轅の後ろからは呉伏が追いかけていた。


かなりの時間を走り続け、軒轅と呉伏はへとへとになり倒れこむと、重明鳥も軒轅の側へと降り立ち一緒に休んでいた。


「重明鳥よ。私を一体どこへ連れて行くのだ?」


重明鳥撫でながら呟き、息を整えると呉伏と共に再び移動を開始した。日が暮れるころになると、牛の群れが目に入り、その群れに向かって重明鳥は飛んで行き、牛の群れに近づくと群れの中に紛れていた人々から怒号が聞こえてきた。


「ん?どうした。何やら騒がしいな?」


「軒轅様、あれは恐らく商族でしょう。この辺であれだけの牛を放牧しているのは商族位なものです。気を付けてください。強かな奴らです。」


そうこうしているうちに、重明鳥が軒轅の元へと戻ってきた。それを見たその商族の民の一群がいきり立ち手に武器を持って軒轅たちの方へと向かって行った。


「軒轅様、お下がりください。」


警戒した呉伏が主の前に出て商族の一団に立ちふさがり、やり取りが始まった。


「おい、その鳥はお前のものか?」


「何だ、お前らは?」


「聞いているのだ。もう一度言うぞ、その鳥はお前のものか?」


「だったらどうだって言うのだ?」


「お前のものだったら責任を取ってもらおう。」


「ん?何の責任だ?」


「先日その鳥が我々の鉄を盗んで飛び去ってしまったのだ。その責任だ!」


「鳥が盗んだものを俺たちがなぜ責任を取らねばならぬ?失せろ。」


「フン、そうならばその鳥を殺すまでだ。さあ、どけ!それとも俺たちの邪魔をするってわけか?」


1人が軒轅の肩に止まっている重明鳥を捕まえようとすると、呉伏がその腕をつかんで投げ飛ばしてしまった。


「おい、貴様!お前たち、やっちまうぞ!」


いきり立った商族の一団は呉伏に飛びかかろうとすると、慌てて軒轅が間に入った。


「お待ちください!ちょっと話を聞いてください!これならお返ししますので!」


軒轅が叫ぶと一団の動きが止まった。そして、懐の中から重明鳥が有熊に持ってきた鉄を取り出し差し出した。それを見た一団は、


「あ、こいつやっぱり盗みやがったんだ!鳥を使って盗んだんだぜ。」


「ああ、そうにちげえねぇ。」


「お前、俺たち商族にとって盗みはご法度だぜ。いくら返すっつったて一度盗んだことには変わりはねぇ。」


「へへ、盗みの罰は腕一本と相場が決まってら。お前ら、行くぞ!」


一団が軒轅たちに襲い掛かろうとしたその瞬間、


「待て!」


と、一団を制する声が後ろから聞こえると、一団は水を打ったように静まった。そして、一番後ろにいた声の主が一団をかき分けて軒轅の前に出てきた。


その人物は若くすらりとした長身の男で髪の毛を長く伸ばした髪の毛を革ひもで束ねていた。


「フフフ、お前さんなかなかいい身なりをしているじゃねえか。どこぞの領主の息子か?」


「私は有熊の領主の息子で軒轅と申します。」


「ふむ、有熊か。こいつは金になりそうだ。お前ら、こいつらを捉えて有熊の敵に高値で売ってしまおうじゃねえか。腕を切り落としたら金にならねぇぞ!捕まえろ!」


というと、一団は一斉に襲い掛かってきた。多勢に無勢であっという間に二人は捕まり縄で縛られてしまった。


二人は縛られた後、一団が寝泊まりをしている遊牧民の簡易な建物が立ち並ぶ開けた場所へと連れていかれた。


そのころには陽は落ちてしまっており、空には星が瞬いていた。先ほどの長身の男を中心に焚火を囲んでおり、軒轅をどの領主に売りつけてやろうか算段をしていた。焚火を囲んでいる男たちは長身の男をお頭と呼んでいた。


体中を殴られたために傷がずきずきと痛んでいたが、それどころではなかった。隣には縄で縛られた呉伏が倒れていた。買い手のない呉伏はとりわけひどく殴られていたのだ。


そのうち、談笑が途切れると長身の男が軒轅を焚火の前に連れてくるように部下に言うと、軒轅は乱暴に焚火の前まで連れてこられ、男の前に座らされた。


「軒轅とか言ったな、小僧。ところで、なぜ戻ってきたのだ?戻ってこなければ捕まることもなかろうに。」


「鉄を探して重明鳥に着いて来ただけです。」


「ん、重明鳥?あの鳥のことか?それでもしかして有熊からここまでやって来たのか?はっはっは、なんとも馬鹿な話ではないか。鳥の後をついてきた上に鳥が盗んだ鉄まで持ってやがるとは。まあよい。そのおかげで儲け話になりそうだ。はっはっは。ところで鉄を探しているのか?ああ、俺たちは鉄をしこたまため込んでいるぜ?遊牧民は危険がいっぱいだから武装するのさ。」


商族の頭目は上機嫌であった。よほど軒轅が高値で売れると踏んでいるのであろう。実際、交易のみならず米の生産も盛んな有熊の都一帯は富を生む土地であったために、軒轅を人質にすることで莫大な身代金を得られる可能性がある。


しかも、商族は大量の鉄を持っているのだ。


(重明鳥がここへやって来たのはもしかして鉄の在り処へと我々を導くためだったのか?)


ずきずきと傷がうずくのを感じながら、軒轅は漠然と感じていた。そして頭を冷静に保とうと努力し、師の大鴻の言った商族についての知識を一つ一つ思い前していた。


(……良いですか、軒轅殿。商族は交渉事が上手く利に敏い部族です。儲からないとなると途端に興味を失い、儲かると思うとすり寄ってきます。彼らを相手にするときは彼らが望む以上のものを与えれば信頼できる部族ですぞ。しかし、それ以下なら容易に裏切られるでしょう。)


大鴻の声が頭の中にこだまする。軒轅の口から咄嗟に言葉が出ていた。


「有熊に鉄を提供すれば土地を差し上げましょう。有熊の都の近くの草の生い茂った肥沃な土地です。」


「……!?」


この軒轅の提案にお頭だけではなく焚火を囲んでいた商族たちは一斉に軒轅の方を向いたと思えば、互いの顔を見合わせて話し始めた。


「ふっ、はっはっは。こいつは驚いたぞ。この状況で交渉とは恐れ入ったぜ、小僧。だが生憎そんな話が信じられるか。俺たちはお前を捕らえて売ろうとしているんだぜ?解放した次の瞬間に有熊の軍勢が襲ってくるだけだ。」


「有熊は交易の要衝です。そこに本拠地を構えればもっと楽に牛が売れるでしょう。現にあなた方は有熊の近くで遊牧しているではありませんか。それはこの地が便利だからでしょう。」


「……ふん、確かにそうだ。俺たち商族は土地を持たねえ部族だ。土地は欲しいしお前の申し出は魅力的だ。だが確証はどこにある?そもそもお前は領主ではないではないか。そのお前が俺たちに約束した土地を与えられるのか?もしそうなら確証が欲しい。それがなければお前は明日売り飛ばされ、その横の男は……残念ながら生かしてはおけねえな。」


「約束を証明する手立てはありませんが、私という人間を見て判断してください。」


軒轅は頭目の目を見据え言った。焚火の周りはざわついていた。


長年土地を持たずに流れ歩き、どの領主からも厄介者とみられていた部族である。一つの場所に落ち着ける土地を持つことは部族の利益のみではなく安全にもつながる。思ってもみない提案商族の一団はざわついていた。


焚火をじっと見つめて考え込んでいた商族のお頭が目を上げて軒轅を見るとにやりと笑いこういった。


「いいだろう。昔から男を見極めるにはこれに限るってな。」


そう言うと握りしめた拳を掲げた。


「おし、お前ら小僧の縄を解け。軒轅と言ったな。お前という男を見極めさせてもらうぜ。いくぜ。」


そういうと、縄を解かれてふらふらと立ち上がった軒轅めがけて殴りかかっていった。


「おっと。」


長い間縛られていたので立ち上がった瞬間によろめき、軒轅は最初の一撃を運よく躱すとハッとしてお頭を見た。お頭は次の攻撃に移っており、これを後ろに飛びのいて何とか交わした。


軒轅は子供のころから剣術や格闘技を父から学んでおり、身のこなしは十分に洗練されていた。しかし、如何せん体格差が大きく腕の長さも違うために打撃では分が悪い。それに朝から走り続けて体力も限界にきている上に全身を殴られたので、どうにも身体が言うことを聞かないのだ。


息を切らしながらも頭目の攻撃を必死で避けた。すでに体力の限界の達そうかとしている軒轅だがおかしなことに身体中に少しずつ力が湧いてくる感じがしていた。


(ん?何だ、どうなっている?身体がだんだんと軽くなっていく気がするぞ。)


そう思った瞬間に頭目の顔を見てみると、頭目の額から汗が流れ必死の形相で軒轅に殴りかかっているのである。


「はあはあ、くそ、どうなっていやがる?俺の攻撃がまるで当たりやしねえ。ぜえぜえ。」


「おい、お頭の攻撃が当たらねえって見たことねえぜ?一体あのガキどうなってやがる?」


「ハハハ、すげえぜ軒轅様。」


縛られて倒れこんでいる呉伏も薄っすらと目を開いて軒轅を見ていてその様子に驚いていた。


「これでどうだ!」


お頭が軒轅の胴体に蹴りを入れ、軒轅がその蹴りを受けた瞬間を見計らって軒轅の顔面目掛けて殴りかかったのだ。さすがに軒轅はよけきれないと思った瞬間、その拳を躱すとともにお頭の顔面へ一撃をねじ込んだのだ。


この攻撃にお頭は脳震盪を起こし、足がガクガクと震えて後ずさり倒れそうになると、咄嗟に出てきた部下たちに支えられた。


「やったぜ、軒轅様!はっはっは、ざまあみやがれ!」


呉伏はできる限りの声を振り絞って叫んだ。


ざわつく商族たちをよそに軒轅はその場に倒れこんだ。しばらく時間が流れると、気絶して横になっていたお頭が目を開けて上半身を起こした。


「ふん、軒轅と言ったな。」


頭目の側で座り込んでいた軒轅に声をかけた。


「まったくなんて奴だ。この俺を倒すとは恐れ入ったぜ。……ああ、約束だ。商族の将来のためにお前の言葉に賭けようか。……それと、ありったけの鉄を持っていきやがれ!」


お頭はそういうとまた横になった。


「おい、軒轅よ。俺の名は王霊だ。そして、お前たち、今後はこの軒轅が俺たちの王ってことだ。わかったな。」


と、横になったままいうと、周囲にいた商族たちはしばらくざわついていたがやがて静かになると、一人また一人と軒轅の前にひれ伏し、王としてあがめたのであった。


これを見ると、軒轅はどっと疲れが押し寄せてきて、気を失ってしまった。縄を解かれた呉伏が叫びながら慌てて軒轅の元に駆け寄ってきたが、その声はすでに軒轅の元には届いていなかった。


翌日、南風を司る禺疆が眠りから目覚めたのか、春を告げる南からの強風が吹いた。その微かに暖気を帯びた南風が次第に暖かくなっていく季節の移り変わりを予感させた。その南風をジンジンと痛む頬に感じながら軒轅が流浪の民の頭目である王霊と、王霊が持っていた大量の鉄を伴って有熊に帰還したのであった。

 

軒轅16歳の春であった。

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