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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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水田開墾

春が来る。待ちに待った暖かい春が。心地よい南風に吹かれながら明日を待とう。今ある花の蕾がやがて開くだろう。美しい花とその香りを心待ちにしているが、これからは春の喜びをもう一つ作らねばならない。いや、作って見せよう、春は米を作り始めることが出来る季節という喜びを。


「どうすればいい…?」


冬の訪れを告げる北風を感じながら常先は小高い丘に立ち遠くの姫水きすいを見ながら一人悩んでいた。


この頃になると米は時々病気にかかり枯れてしまうこともあったが、水をしっかりと与えることでうまく育てられるようになっていた。そして、つい一月ほど前に今年の米を収穫したばかりであった。

 

しかし、相変わらず米を作るのは重労働で米を作る際に大量の水が必要であるが、いちいち井戸から水を汲み上げていると身が持たない。一方で沼は水深が深すぎて浅い水際くらいでしか育てることが出来ず、つまり米を安定して大量に育てるためには平らな畑に水を引き、さらに水量を調整しながら育てる必要があったのだ。


姫水の水を畑に引くことが出来たらと思い親指の爪を噛みしめていた。水は高いところから低いところへ流れるがその逆はない。従って姫水の水を引く場合には姫水の水面より低い場所に米の畑を作らなければならない。しかしそんな場所に米の畑を作ると洪水が起こった時に忽ち水没してしまうだろう。ではどうすればいい?


常先は有熊の方々を歩き回った。畑に引くためにより高い位置にある水を求めたのである。

 

有熊の西南域には山脈が連なっており、小さな川がいくつか山々の間を縫って流れ出していた。その川の一つ一つを丹念に調べていた。

 

やがて常先は苦労の甲斐あって適度な高さにあり十分な水の量を持つ一つの川を見つけた。その川は山中の渓流を流れた後、一旦高台をゆるやかに流れ再び斜面を下って流れた。常先は高台の緩やかになっている部分に分岐を作り、別方向へ流そうと思った。流す先は灌木が所々生い茂る湿地帯となっており野菜など他の作物を作るのには適してはいないが大量の水が必要な米を作るのに適していると思われた。

 

常先は早速調査結果を少典に報告し、少典は軒轅を伴い自ら現場の視察に赴いた。現場を見るとなるほどここなら上手く水を引けそうだと軒轅と顔を見合わせて頷いた。

 

少典達は屋敷に戻ると臣たちを集めて早速会議を開き湿地帯に水を引く計画と湿地帯を開墾する計画を建てた。丘から引いた水は常に高所を流さなければならないのでそのための水路を作る必要があった。尾根伝いに水路を引き引いた水を各畑へと分配していくという計画だ。

 

一方で湿地の開墾はまず大量に生い茂った葦とまばらにある灌木を取り除かなければならない。そして厄介なのが地中に張った根である。これらを取り除き、さらに大小さまざまな石を取り除き最後に土地の高低差をなくすために平らにしていく。かなりの重労働で有熊の民衆に労役を課せなければならなかった。

 

計画がまとまると、少典は常先と大鴻を水路の担当に、そして軒轅を開墾の担当に任命した。軒轅を大鴻から離し敢えて一人でやらせてみようとしたのであった。

 

少典は労役に参加する民を募集した。報酬は開墾した畑を分け与えるというものである。開墾に必要な労働力を確保するとともにその後の畑を耕す労働力をも同時に確保しようとしたのであった。もちろん畑からの収穫物のいくらかは少典にも納められるので領主と領民の双方にとって都合のいい条件であった。

 

有熊の北方の農村地帯には父親の土地を受け継げない若者が大勢いた。中には荒れた土地を自ら開墾して畑を作る者もいたが多くは狩猟を行ったり商人になったり兵士になったり、盗賊に身を落とす者もいた。

 

少典はそのような若者たちに声を掛けて新たな土地を与えるので開墾を手伝うように言った。しかし、幾ら募集しても一向に人は集まらなかった。それはあのじめじめした湿地帯が畑になるとはどうしても思えなかったため、誰しも無駄な労働はしたくなかったからであった。

 

この事態を少典は民衆が自分を軽んじているためだととらえてしまい怒り心頭になり強制的に徴集し開墾を行おうとしたが、軒轅は大鴻と共に民衆に自ら説明を行い理解してもらうことこそが徳のある行為なのではないかと考え必死にこれを諫めた。

 

しかし、今回の少典の怒りは思いの外激しいものであったのでこのことが火に油を注ぎ少典の怒りの矛先は軒轅に向いてしまったのであった。


少典を納得させるために軒轅は自ら民衆へ説明を行い、理解してもらおうと思った。しかし、領主の少典が言っても無駄であったのだから、自分達が行っても同じように理解されない可能性が高い。このため、どうすれば民衆に理解してもらえるのか途方に暮れ軒轅は大鴻と常先に相談した。

 

幾つかの方法が提案されたが大勢の心を掴むとは思えないものばかりであった。しかし、常先の一言が軒轅の心を動かした。


「前に軒轅様達と一緒に食べた米は旨かったです。米は本当にうめぇんで、何とか皆にその味をわかってもらえると少しは耳を貸すようになると思うんですが。」


これを聞いて軒轅は思いついた。一度米を食べると民衆にもその旨さが分かるのではないか、そもそも民たちの大多数は米と言う食べ物を食べたことがない。一度食べさせてみるときっと聞く耳を持ってくれるはずだ、と考えた。更にその時、この米を育てるためには水が必要であり湿地が最適な場所であることを説明すればより説得力があるということで皆納得した。そして屋敷の倉庫にある米に加えて有熊の街にある米という米をかき集めると、その量は5きん、現代で言うと75キログラムほどになった。


この米とかなえを持って軒轅自ら集落を回り米を炊いて見せ東方の魚の干物と共に若者たちに食べさせた。


「これが米という穀物だ。どうだ、美味しいであろう。」


軒轅は米を配りながらこれからこの米を育てるための畑を作ろうそしていることを説明した。米を食べた若者は、


「おお、こりゃあうめぇ食いもんだ。これを毎日食えるようになるんですかい?」


と目を丸くして言った。若者たちは口々にこんなに旨い食いもんは食ったことがねえと言い、評判は上々でありこの米が作れる上に米の畑が自分のものになるという話に次第に耳を傾けるようになった。

 

常先や大鴻たちにも同じように米を鼎を持たせて方々を回らせた。常先は米の評判に非常に興奮し、何が何でも米の栽培を成功させると言う気になっていた。

 

噂が噂を呼び、米を作りたいと思う若者の数は次第に増えていった。皆、米をたらふく食べるという夢を膨らませて開墾に参加しようという気持ちが高まっていったのだ。

 

医師である大鴻は米が人々の腹を満たすのみではなく食料事情の改善により人々に健康をもたらすのではないかと期待していた。


「米っつーもんを作ってみてぇんですが、わしらにもできますかいのう。」


この様なことを口々に言いながら、有熊の宮殿には開墾を希望する多くの若者で熱気で溢れかえっていた。少典はこの光景に目を丸くし笑顔で佇む軒轅たちを見て、激昂した自分を恥じ妻の附宝ふほうの顔をばつの悪そうに見た。一方の附宝は少典のばつの悪さを感じつつも我が子軒轅の成長を嬉しそうに見ていた。

 

こうして有熊で若者たちによる米の畑作りが始まったのであった。


若者たちは水路と開墾の二手に分けられてそれぞれの仕事を開始した。

 

若い常先は人を統率する能力はまだ低く率先して土を掘り返し、老練の大鴻が集団の指揮にあたった。

 

集団は大鴻の明確な指示の下で的確に作業をこなしていた。常先のやる気と優しさが人を惹きつけそして大鴻の熟練した人使いで民は一丸となって働いていた。


一方の軒轅は一向に作業が進まなかった。軒轅にとってはこれまで本を目の前に学問ばかりをしていたので大勢の人を扱い仕事をすることは初めてであったからだ。


「なぜ指示通りに動いてくれない?」


自身は指示を出したつもりになっていても人は指示通りに動いていないことが多々あった。軒轅が指揮する集団はどうしていいかわからずにただ佇むだけであった。

 

軒轅は生まれて初めてどうしていいかわからずおどおどした。まだ若かった軒轅は人の心をうまく理解することが出来なかったのである。この様子を見ながら少典も大鴻も軒轅を助けなかった。


こんな調子で遅々として仕事が進まないまま一週間が経とうとしたとき、この様子を見かねた母の附宝ふほうが肩の力を抜くようにと言った。そして軒轅が民と同じ目線で物事を見れてないからだと助言をした。


同じ目線で話をすることにはっとした軒轅は、翌日からまずは人々の話をよく聞くようにした。


「どうした、分からないことでもあったのか?」


と軒轅は手が止まっている民衆たちに問いかけると、


「へえ、この根っこをどこに持って行っていいか分からないんです。もうあそこの根っこ置き場は一杯になっていて。」


と答えた。この答えに軒轅は少々イラつき、


「新しい根っこや石置き場はあっちの隅に新しく作ったと今朝言ったではないか。」


と答えた。こんな調子で人々は仕事を始める前に軒轅が言ったことを少しも理解していなかったことに気が付いたのだ。この時の軒轅の脳裏には母親の助言が甦っており人々が理解できないのは相手の目線に立って説明できていないからであると思ったのだ。

 

軒轅は判りやすい言葉を使い丁寧に何度も繰り返して指示を出すようにしてみた。すると民衆は軒轅の言葉をきちんと理解して働くようになった。民衆たちは働きたくないわけではなくどう動いていいかわからなかっただけであったのだ。

 

軒轅は丁寧に説明しようとして言葉を使いすぎ逆に民衆を混乱させていたことに気が付き、自分を恥じ、以降は開墾の仕事もはかどるようになった。


風に少しずつ温かさを感じるようになり、春が近づいたころに水路と開墾の仕事は終了した。水路の流路は5里(2キロメートルほど)ほどあり、平地を横切るようにまっすぐ流れ所々に畑に水を流すための小さな分岐の水路があった。畑は2里四方ほどの広さでさらに拡大できる余地を残していた。

 

少典は今回の土木作業に参加した者たちに均等に畑を分け与えるとともに、少典は水路と開墾でよく働きそしてよく仕事を理解できた者たちを臣に登用した。次の畑づくりに必要な人材であったからである。


一方で大鴻はこの畑と言う名はふさわしくないのではないかとも考えていた。それは元々畑とは冬の間に枯れて乾燥した雑草などを焼き払って作っていたからであった。そこで、この米の畑を田と呼ぶように少典に進言した。少典もこれを受け入れ米の畑は田と呼ばれるようになった。


春になると常先の指示で田に水が張られた後によく土とかき混ぜられ、ころ合いを見計らって米の苗が植えられた。種から撒くのではなく一度発芽させてよく育った苗だけを植えた方が効率よく育つことに常先は気が付いていたからであった。


この夏、常先は開墾を行った若者たちと田につきっきりであった。稲はぐんぐんと育ち秋になると実を結んだ。若者たちは喜び収穫し、その恵みを大いに味わった。少典のこの収穫には大満足で、有熊で祭りを開いた。人々は音楽を奏で踊りを踊り収穫を天神と山神にささげた。

 

しかし、程なくして常先も大鴻も想定していない出来事が起こった。水路が決壊したのである。

 

水の流れは侵食をもたらす。土を積んだだけの水路では水の流れにより徐々に土が削られてく。その水の侵食が決壊をもたらした。特に水路の上流で丘から水が流れ落ちる最も流速が速く侵食されやすい箇所であった。

 

この出来事は少典を始め有熊の臣たちに大きな教訓をもたらした。そしてより強固な水路や水を溜めておく溜池などが考案されていった。このように有熊の稲作は発展を続け、周囲の都や邑からあぶれた若者たちが有熊に集まってくるようになった。


こうして有熊は米の一大産地となっていき、有熊に国力の増強をもたらしたのであった。

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