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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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常先

今日がやってきても明日になると去っていく。日月の運行と空の色の変化を見ているのが好きであった。早朝と夕暮れの空は赤く染まるが、どちらがより赤いのであろうか。海を見た者は海は青いと言い、空を見た者は空は青いというが、一体どちらがより青らしいのか。その少年の目や耳を通すことで頭の中に素朴な問いが良く浮かんできていたのだ。


少典しょうてんの部下の兵士の息子に常先じょうせんという子供がいた。


父親は有熊を防衛する軍の兵士であり、賊が現れた時など少典に付き従ってよく討伐へと向かった。取り立てて武功が高いという訳でもなくごくごく平凡な男であったが、常先の生まれた時に妻を亡くしてしまい、他に身内もなかったので以降は男で一つで何とか常先を育てていた。このため、少典の屋敷のそばにある兵士の屯所へ常先を連れてくることが良くあり、幼い常先は周囲の兵士たちに可愛がられていた。そのような環境にあり、常先は自然と年齢の近い軒轅の良い遊び友達となっていった。


常先は軒轅けんえんよりも少しばかり年下であったが好奇心の塊で自分が考えるよりも先に行動してしまう気質であった。大きな目は耳の方へ離れておりたれ目であった。お世辞にも良い見た目であるとは言えなかったが、その大きな目でニコニコしながら見つめられると大人たちは常先をついつい可愛がった。


常先は人懐っこく誰とでも仲良くなろうとし人の悪口などは一切言わなかった。そんな常先に周りの大人たちは愛情を感じつつも一方で予測不能な行動に手を焼いていた。常先は優しい軒轅によく懐いており軒轅もそのような常先を弟のようにかわいがっていた。


常先は物事に興味を持つとじっと観察しだすと言う癖があった。ある鳥の巣で卵から雛が孵りそうになると遠巻きにじっと観察し、卵から孵化して親鳥が餌を与える様子を四日間も飽きもせず観察していた。そして大鴻との授業が終わった後の軒轅を捕まえてその様子を詳細に語るのであった。


これには軒轅も少々うんざりしていたが、自分の見たことを無心で語る常先の悪意のない眼差しを見るとどうしても憎めずについつい日が暮れるまで聞いてしまうのであった。

 

しかし軒轅は一つ腑に落ちず、常先に尋ねた。


「鳥の巣を見つけて卵まで見つけたのになぜ卵を食べなかったのだ?皆卵を見つけると食べてしまっているし、見ていて腹も減ったであろう。」


すると常先はこのように答えた。


「そりゃ、食ってしまったらその後がどうなるか見ることができないし、何よりも母鳥が可愛そうでしょう。」


と笑いながら答えた。鳥の卵は御馳走であり、鳥の巣から卵を見つけると誰もが取って食べてしまい、野イチゴを見つけて摘み取り食べるのと何ら変わりがなくまだまだ少なからずの人間が狩猟採集生活営んでいた時代ではそれが当たり前であり狩の一つでもあった。


しかし、どうやら常先にはこれが当たり前ではないらしい。美味しい獲物よりも雛が孵る姿が見たいとはなるほどこの時代においては変わり種である。周囲の兵士たちはこの常先の言葉を笑ったが、母鳥の気持ちを考えると卵を食べるわけにもいかず、軒轅は常先に感心したものであった。


「それに、父ちゃんから聞いたんですが、うちの亡くなった母ちゃんは何でも鳥の卵を飲んで俺を身籠ったって言うらしいんです。だから、鳥の卵を食べるって自分を食べてるみたいで苦手なんですよね、へへ。」


と、常先は頭を掻きながら恥ずかしそうにあまり残されていない母親の情報の一つを言った。常先が言っていた、何かに感応して身籠ることは珍しいことではあるが時々見られることであった。例えば火徳を持って生まれたという神農氏は、母親の安登が伊川の常羊にいた神龍に感応して産んだ子供であり、このためか神農氏の見た目は龍顔であったと伝わっている。


また、後世の話となるが、五帝の一人である帝嚳ていこくの妃の簡狄かんてきは玄鳥の卵を飲んで身籠り、けつを生んだという。契は閼伯あっぱくとも言い王亥の祖にあたるいわゆる商族の始祖であり、天は玄鳥に命じ、降りて而して商を生む、の故事として残されている。


この様に、母親が何かに感応して産んだ子供は後に偉大なことを成し遂げる場合が多いのである。以前大鴻からも感応に関してこのような説明を受けたことがあるが、目の前にいるこの常先が将来に何かを成し遂げるとは、と軒轅は夢にも思っていなかった。


さらに、常先の狩りを否定するその姿勢は一歩間違えると集団から孤立しかねない。軒轅はこのような危うい常先を守っていこうと思ったものであった。


しかし、常先には天が与えた才があり幾度となく助けられていくのは逆に軒轅の方であったことはこの時まだ知る由もない。その才覚を発揮させたのが屋敷の片隅で少典が実験を繰り返していた米の畑での出来事であった。


少典は他の穀物同様に米を育てようとしていたが、種籾は発芽はしたが育たずいつも枯れてしまっていた。この実験に好奇心の塊であった常先が興味を示さないわけがなく、軒轅の元へ遊びに来ていた常先はいつもニコニコしながらこっそりと横目で少典の様子を見ていたのだ。


露骨な横目に少典が気がつかないわけはなくいつもばつの悪い気持ちを感じていたが、まだ幼い子供で軒轅の遊び相手ということもあり、大目に見ていた。少典自身も不思議と常先には何かしら憎めない親近感を持っていたのだ。


この少典の傍らで不自然にいる常先を見て軒轅は母の附宝と共によく笑っていた。心根の優しい附宝もこのような好奇心が旺盛でいつもニコニコしている常先が好きであった。


そんな常先の様子に気を揉んでいたのが常先の父親であった。父親は少典配下の兵士であったので自分の子供が主に無礼を働かないように少典には近づかないようにきつく言い聞かせていたのであった。


蝶々が飛び夜になるとカエルの鳴き声が聞こえてくる旧暦の晩春のある日、少典は懲りずに食べずに残しておいた種籾を畑に撒いた。前年に撒いたときとは時期をずらしてもう少し暖かくなった時分に撒いてみたのである。


しかし、撒いた次の日から天候が悪化して三日三晩大雨が降った。畑の種籾は溢れた雨水により流されて畑の外の硬い地面に散らばっており、この様子を見て今年も駄目だと少典は肩を落としこれ以降は畑に姿を現さなくなってしまった。


少典が興味を失った畑は逆に常先の興味を引き、常先はいつもの如く観察を始めたのだ。すると、硬い土の上でも発芽している種籾があるのを見つけた。そこは水はけが悪く二日ほど水が溜まっている場所であったのだが、時間が経ち少しずつ水が引くとわずかに芽吹いた小さな子葉も硬い地面で根が張れない上に太陽に晒されて元気を失いやがて枯れて行った。


この様子を見た常先は、水から出ると枯れるのであれば種籾を水の中に入れ続けたらどうかと考えさっそく実行に移すと、種籾を水たまりの中心部へと移動させてみた。


翌日常先が水たまりを見てみると、水たまりはさらに小さくなっていたが水たまりの中央にあった種籾は子葉がさらに伸びており、昨日よりもさらに大きくなっていたのである。


常先は米と言う植物の栽培には大量の水が必要であることをこの時悟った。そこで常先は発芽した種籾を近くの沼地へと持っていき適当な水の深さと軟らかい泥のある場所を選んで種籾を泥の上にそっと置いたのだ。


数日が過ぎると子葉は沼の水面を突き出しておりなおもどんどん成長していた。根を見てみると少しくらい強い風でも倒れることはないほどしっかりと泥の中に張っていた。


常先はこの発見に嬉しくなりまずは父親に言った。すると父親は自分の言いつけを守らなかった常先をひどく打ちのめしてしまい、常先は泣きながら家を追い出されてしまった。父親としては常先が主である少典の周りをうろつくことを快く思っておらず二度と常先と少典に近づかないようにしたためであった。兵士の職を失ってしまうと、まだ幼い常先を抱えて飢え死にする可能性もあったのだ。


自分のしたことに悪気など全くなかった常先は自身の行いが父親の言うほど悪いのか理解が出来ずに殴られた顔の痛みと自分のやったことを父親から否定された心の痛みを同時に感じただ歩いていた。


行く当てのない常先は少典の屋敷の裏の林へとたどり着いた。そこは軒轅がよく鳳鳥たちと戯れてる場所で綺麗な鳥たちに懐かれている軒轅を見ては羨ましく思ったものであった。


自分には軒轅のような生まれ持った地位も才覚もなく、父親からされたように邪魔者扱いされるだけであり無力感を感じて一人咽び泣いた。


どれほど泣いたのであろうか、高かった陽はすでに傾いており木々の幹の間から日差しが差し込んでいた。涙は止まったがオレンジ色に染まる夕日が常先に一層切なさを際立たせていた。


辺りには鳥のさえずりが聞こえ、遠くからは鹿の鳴き声が聞こえて来るくらいで静かだった。そんな静けさを切り裂くように急に肩に手が乗った。振り返ってみるとそこにはにっこりとほほ笑んでいる軒轅がいた。


「軒轅様…。」


まだ幼い上に母を亡くしている常先は甘える相手もおらず堰を切ったように軒轅に抱き着き再び泣き出した。先ほど流した涙に加えてどれほどの涙を流したのであろうか。 


軒轅は常先に突然泣きつかれて事情が分からなかったが、普段笑顔しか見せない常先が哀しみを見せることはただ事ではないと察し、気のすむまで泣かせた。

 

やがて泣き止んだ常先を見て軒轅は優しく問いかけた。


「常先、何があったのだ?」


常先は酷く腫れあがった顔を上げて軒轅を見ると、ゆっくりと話し出した。泣き過ぎてどもってしまいうまくしゃべれずにいたが、軒轅はいつものように根気強く常先の言葉に耳を傾けた。


父親から暴力を受けたこと、母親がいなくて寂しかったこと、そして米の苗が育ったこと。


軒轅は米の苗が育ったことを聞いた瞬間に驚き言葉を失った。父親がいつも栽培しては失敗していた米が何と常先がいとも簡単に育てて見せたのであった。


泣きじゃくり顔を腫らして目を真っ赤にしている常先の顔をまっすぐに見て、


「苗の場所はどこだ?」


と、常先の両腕を掴みながら問うた。


軒轅の真剣なまなざしを感じながら常先は


「ぬ、沼…家の近くの…」


とどもりながら言った。


軒轅はあの沼かと凡その見当がついた。その沼では小さな頃に常先と一緒に小魚を捕まえていた。軒轅は走り出した。走りながら常先についてこいと言い、沼へ向かって走り出した。常先は突然の軒轅の変化に戸惑いながらも必死で走ってついて行った。


やがて常先の家の近くの沼についた。陽は大分低くなっていたがまだ辺りの景色を見ることができた。軒轅は息を切らせながら苗はどこだと尋ねると、常先は苦しそうに倒れ込みながらその場所を指でさした。

 

軒轅がその場所に行くと葦に似た細長い葉を持つ見たことのない植物が五寸ほど育っているのを見つけた。


 「あははは…。」


暫くその植物を見て突然笑いがこみあげてきて軒轅は沼地の縁に寝ころび大笑いした。


「く、うぇえええん…。」


常先は自分が笑われていると勘違いして再び泣き出してしまった。


「すまぬすまぬ、常先よ。何もお前を馬鹿にして笑ったのではない。」


軒轅は人とはわからないものだと心底思いそれが可笑しくてそして米が育ったという喜びで笑ってしまったのである。

 

このような子供が大人の少典も出来なかった米の栽培をやってのけるなど想像もしなかった出来事であった。この出来事に軒轅は自分とは異なる種の才能を持つ人間がいることを悟り、これ以降軒轅は人を見た目や言動だけで判断しないようになった。

 

その日は常先と共に家に行き父親に事情を話し、明日二人で屋敷に来るように言い軒轅も家に帰った。父親は決まりが悪そうに軒轅に深々と頭を下げて家の中へと引っ込んでしまった。


「父上、今日何があったと思います?あの常先が米の苗を育てることに成功していました。」


家に帰ると軒轅はにこにこしながら父親の少典に事情を話した。


「え?な、なんだと?それは真か?常先とは……、あの子供の事か!?軒轅よ、それはどこだ?それにどうやって育てたのだ??」


と、少典はこれを聞いて大層驚き興奮し、軒轅に米に関して様々な質問をした。


「常先の家の近くの沼で育っていますよ。詳しくは明日常先に聞いてください。」


もちろん軒轅にはわかるはずもなく明日常先を屋敷に呼んだのでその時質問するように言った。しかし興奮冷めやらない少典は軒轅にしつこく質問を繰り返した。


「さて、私はそろそろ勉強しに部屋に戻ります。」


これにうんざりした軒轅は勉強があると言い自身の部屋へと行ってしまった。


翌日常先と父親が屋敷へとやってきた。


「常先よ、待っておったぞ。がははは。米の栽培に成功したと軒轅から聞いた。それは真か?」


前日は興奮して眠れなかった少典だが寝不足の赤い目を見開いて常先に駆けより質問した。


「は…はい…。」


少典の余りの勢いに常先はたじろきながらも常先は質問にできる限り答えた。しかし、米の苗はまだまだ育っている途中であったので細かい内容については答えることが出来なかった。

 

そこで今度は常先に米の苗のある場所に案内させたが案内と言うより少典自ら先頭に立って進んで行き、後ろから付き従う常先に相変わらず質問を繰り返していた。そんな少典と常先の様子を軒轅は嬉しそうに見ていた。


 「ふむ、これが米の苗か。」


と少典は常先に問うた。


件の沼につき少典が米の苗を見るとなるほど確かに妙な植物が育っている。このあたりには生えていない見たことのない細長い葉を持つ植物であった。


「はい、少典様。それが米の苗でございます。恐らく米を育てるには軟らかい土だけではなく水に浸しておく必要があるようです。」


と言い、なるほどその育成には大量の水が必要なのだと言うことを少典たちはこの時理解した。


早速常先の忠告に従い種籾を常に水で満たすようにして米の栽培を行った。すると常先の言ったように今まで育つことはなかった大きさ以上に苗が育ちだしたのである。

 

蝉が鳴く夏になると苗は膝ほどの高さになりなおもすくすく育った。そして赤とんぼが飛び出すころには緑色であった茎や葉は黄色くなりその頂は沢山の籾に包まれた米が実っており、やがてその重さで垂れ下がってしまっていた。


「常先よ、米の味はどうだ?旨いか?」


と少典はニコニコと上機嫌で常先に尋ねた。秋が深まると少量であったが米が収穫でき、その米を鼎に入れて早速調理したのであった。


「さあ、遠慮せずに食うが良い。お主の作った米ではないか。がははは。」


本来なら領主である少典が兵士とその息子と食事をすることなどは無かったのであるが、常先の功労に対するもてなしとして少典は常先とその父親を食事に招き、今年収穫された米を少典の家族と共に味わったのだ。


 「ひっく……。美味しいです……。」


憧れであった軒轅一家と共に食事が出来る喜びと共に、領主自ら感謝されるというこの上の無い名誉を感じて目にいっぱいに涙を溜めながら常先は答えた。どうにも口に入れた米が喉を通らない様子であったのだが、この姿に心根の優しい附宝はもらい泣きをしており、その附宝の涙を見ると笑顔であった軒轅達の頬にも知らず知らずのうちに涙が伝っていた。


収穫したコメは少量の種籾を残して少典一家と共に常先とその父親と一緒に食べた。常先は少典の家族をまるで自分の家族のように近く感じ、常先のみならず軒轅もこの時食べた米の味を生涯忘れることはなかった。


この日、小典はまだ幼かった常先に頭を下げて臣に迎え、米の栽培が常先の仕事となった。少典は一人の臣として常先に丁重に接するようになり、同時に責任を与えた。そしてこれ以降、常先を笑うものはいなくなった。


常先が天才の片鱗を見せた出来事であった。

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