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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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造字聖人倉頡

有熊の宮殿の周りの桃の花が満開に咲き誇り、宮廷からは音楽が聞こえてきた。 


 桃の花を目にしながら幼いころから有熊に仕えていた譜代の臣たちに加え、涿鹿の戦い以降に加わった大勢の臣たちを前にして黄帝は満足していた。


 黄帝の持つ土徳により黄帝が生きた時間には黄帝に引き寄せられるように多くの有能な士が有熊の都に集まり、黄帝の大道に到った徳のある治世の中でその才能を大いに開花させていた。

 黄帝の中原統一に功績のあった四大臣はとりわけ有名であるが、その陰に隠れがちとなってしまっている臣たちも多大なる功績を残している者が多くいた。

 農業の発展により人々は狩猟採集生活から抜け出し、生産性の拡大に伴い都も大いに発展していた。経済活動の活性化により裕福な者が現れると余った財産はよりよい生活を送ることに費やされるようになり、これにより文化が発展し華夏文化として有熊の民たちはこの世の春を謳歌していた。


 この時代の最大の発明とは何であろうか?

 生産性を大いに向上させて人口を爆発的に増やす原動力となる稲作の発明や稲作に必要な各種農機具の発明、武器や農機具の性能を向上させた鉄の製錬方法の発明、人々の衣類を変えてしまった絹の発明、物資を効率よく運搬するための車輪の発明、音階の発明、戦争を効率的に行うための陣形の発明などが挙げられる。

 しかし、その中でも最大の発明は文字の発明であろう。文字は情報を伝え、記録を残す役割を持っている。それまで積み重ねていた知識を文字として保存することが出来るのである。知識の積み重ねにより様々な技術が発展し伝承され、文明が開化した。この文字を発明した人物こそ倉頡そうけつであった。


 倉頡が文字を作る以前にも象形文字は存在したが、物の形状をそのまま似せて書かれていただけであったので人により形状が異なる場合があり、情報を正確に伝えることは難しかった。また、抽象的な事柄に関しては表現出来ずにごく単純な事柄を伝えられるのみであった。

 この象形文字の他にも縄の結び目の位置や形状により情報を保存する方法も使用されていたが、こちらも情報を正確に伝えることが出来なかった。

 倉頡はこの象形文字を発展させ、現在の漢字の原型と漢字を作る際の規則を定めたのであった。この漢字の原型は殷の時代には金文と呼ばれ、漢の時代に漢字として現在の形となったのである。

 漢字には偏や旁に加えて冠、脚、構、垂、繞と言った要素により意味を構成していくのである。この複雑な形態を持った文字を倉頡はいかにして作り出していったのであろうか。また、倉頡とは一体どのような人物であったのであろうか?


 倉頡は普通の人とは異なる見た目をしており、何と目が縦二列の合計四つあった。

 子供の頃からその異様な見た目により辛い目に遭ってきたが、芯の強さを持っており打ちつけられても縮こまらず逆境をバネにすることが出来る性格と気性の荒さ、そして何よりもその利発さにより周囲の子供たちを逆に従えてしまったのだ。

 倉頡はその器量を少々過信していたが、生来持つ神性に加えてこの欠点を補って有り余る才気を見せていた。その四つの目で見つめると物事の本質まで見抜く鋭い洞察力を見せた。この才能は狩りなどに発揮され、倉頡と共に狩りをすると大抵獲物を捕まえることが出来たのだ。特に得意であったのは森の中の蔓や木の枝、石などを用いて仲間たちとコミュニケーションをとることであった。これにより、倉頡が通った後を仲間たちが追いかけるのは容易であり、倉頡たちが仲間とはぐれてしまうことはなかった。さらに、熟練してくると進んでいる方向だけではなく獲物の種類や数などの情報を組み込み仲間たちの間で知らせ合うことが出来るようになり本職の猟師たちよりも倉頡たち少年の集団の方が狩の成功率が高くなっていたのだ。村人たちも貴重な蛋白源を村にもたらしてくれる異形の倉頡をやがて受け入れまた若さで勢い余る倉頡たちが起こす少々の悪事は大目に見るようになっていった。

 そんな状況であったが倉頡は満足しておらず、ある時倉頡は仲間たちと将来について話していた。


 「おい、倉頡。村はずれの白来のやつ、親父の跡を継いで米を作るらしいぜ。同年代の他の奴らも米を作ったり田を開墾したり、仕事を決め始めているぞ。お前はどうするつもりだ?」


 と、仲間の一人が倉頡に聞くと、倉頡は、


 「俺は三男だから継げる田畑も無いし、どうするかな?いっそお前らと盗賊にでもなるか?」


 と冗談交じりで言った。


 「それもいいな。どうしようもなければそうするか。俺の兄貴の友達が西の双頭山の山中を拠点としている山賊の仲間になったってさ。俺たちも頼んで入れてもらうか?」


 これを聞いて一同は大笑いした。まだまだ若さ溢れるあどけなさの残る少年たちで、若さを持て余していた。

 そんな中、仲間の一人が神妙な顔をして言った。


 「俺は東の姫水のほとりにある有熊に行こうと思っている。この前東へ穀物を売りに行った親父が戻ってきて、有熊に言った話をしてたんだ。そしたら、そこの領主は龍をも従えているというぞ。そんな領主に兵士として仕えたら喰いぶちに困らんだろう。」


 この言葉を一同は疑い、口々に嘘だや聞き間違いだなどと言い、言った少年も嘘だと言われて引っ込みがつかなくなり暫く言い合いが続いた。

 その様子を見ながら考え込んでいた倉頡が口を開くと、その意外な言葉に一同は口論を辞めてしまった。


 「その有熊とやらに行って見るか?実際に龍がいるかどうか見てやろうぜ。」


 その言葉を聞いて、これまで村を出たことのない少年たちは怖さ半分と冒険心が半分でどう答えていいかおどおどしていた。

 

 「おい、その有熊はここからどのくらいの所にあるのだ?」


 と、倉頡は有熊の話をした少年に聞くと、少年は


 「親父の話だと、この村から三日ばかり行ったところらしいぞ。」


 と答えた。


 「俺は行くがお前らはどうする?」


 と言うと、少年たちは顔を見合わせて思案していたが、徐々に好奇心が勝ってきて一人、また一人と倉頡と共に有熊へと行こうと言う者が出てきた。

 彼らは農家の次男や三男たちであり、広い畑を持っていない家の息子は余計な食い扶持となってしまうため、成長すれば家を出て喰いぶちを探すのが普通であった。

 倉頡とその仲間は皆14、5歳で家を出るには幼すぎるということはなかった。特に倉頡はその異様な見た目も相まって村を出て行くというと内心喜ぶ者も多かったのだ。


 数日後、家族に別れを告げて仲間たちと共に有熊へ向かい旅に出た。三日と言えばそれほど遠いとは言えないが、初めての旅をする少年たちにとっては大冒険であった。

 少年たちは期待と好奇心で興奮しながら将来について話し合っていた。しかし、少年たちの漠然とした将来の展望である、有熊の領主を倒して俺が領主になるなど現実からかけ離れた夢を冗談交じりに言い合って大笑いしていた。


 そんな仲間の中にあって一人冷静に考えていたのが倉頡であった。村を出るのは初めてであったが、たまに聞く村の外の話をきくたびにこの小さな村で一生を終える事だけはしたくはないという思いが沸々と湧いて来たのであった。

 利発と言っても外の世界を知らない倉頡である、このどうすればいいかこの時はまだ分からず、若さ特有の勢いだけで村を飛び出したのであった。

 倉頡の四ツ目は道行く人たちにとって奇妙に映るために、下の二つの目に麻布を巻いて隠していた。


 昼に歩き、夜になると山賊を恐れて闇に紛れて寝た。特に火を熾すのは昼間だけで夜に火を熾すと山賊に居場所を知らせるようなものであった。

 行く先々の村で有熊の場所を聞きながら歩き、同時に有熊の情報も得ていた。すると、有熊に近づくにつれて有熊の様子がわかってきた。それは俄には信じられない内容であった。

 有熊には西方のみではなく東方や南方の商人たちが集まり、人が蟻の群れのように動き回り、有熊で手に入らない商品はない、という内容であった。これに加えて、龍が時々現れるのみではなく、鳳凰や麒麟なども現れ、実際に有熊で見たという人物もいたのだ。噂で聞く実在するかどうかわからない霊獣が何体も現れ、実際に見た者もいるという、倉頡たちにとっては有熊は摩訶不思議な都であり、一刻も早く有熊をこの目で見て見たかった。


 逸る気持ちが歩く速度を速め足早に歩を進めると、やがて人通りが多くなり、道には商人をよく目にするようになった。皆有熊を目指しているのだ。ここまでくれば道に迷うことはまずないと言っていい。なぜなら商人たちのいく方向に進めばやがて有熊へとたどり着くからである。

 商人は皆多くの商品を持って有熊を目指していた。倉頡たちは道行く商人たちに声をかけては様々な情報を仕入れつつ、希望に胸を膨らませて有熊を目指した。

 

 小高い丘を登り切り頂上に立つと、そこからは有熊の都が一望できた。遠くに姫水が見え、都の外れには大きな宮殿が見えた。宮殿と姫水の間は広大な田畑が広がっており、宮殿から倉頡たちの立っている丘へ向かって大きな道が整備されていた。その道の脇には家々が密集しており、都の大きさ、行き交う人の数、見たことがないほど巨大な宮殿などに一同は圧倒され、思わず一同は叫びだし、歓喜の声を上げて一同有熊の都へと駆け出して行った。


 黄帝の治世の下でその才能を開花させ文字を発明し、やがて造字聖人と呼ばれるようになった倉頡の物語が始まったのであった。

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