黄帝即位
蒼天よ、ああ蒼天よ。私を軒轅王へと導いてくださっとことを感謝いたします。そして少典王、単眼鬼王よ。私はあなたの期待に応えられてでしょうか。私はもう死んでも構いません。思い残すことは無いのです。もう、私は十分に生きました。しかし、私はまだ死んではいません。蒼天よ、私にこれ以上の幸福を与えてくださるのですか?私は徳を以って世を治めるように説きました。しかし、軒轅王は徳の先にある大道を目指すようになりました。軒轅王は今では私の想像を越えて私にはもうわかりません。これでいいのでしょうか?私にはわかりません。しかし、弟子、おお、蒼天よ、軒轅王を弟子と呼べる私は幸福です。その弟子の目指す世を私は信じたいのです。大道ですか、悲しいですが私にはよくわかりません。私如きには分からないのです。しかし、軒轅王が仰っていることです、決して間違いではないでしょう。……軒轅王。良い響きですが今となっては適切ではありませんね。軒轅様に相応しい呼称を考えねばなりません。どうしましょうか。土徳。これは黄色をあらわしますが、黄色の帝。そうだ、黄色の帝。良い響きです、黄色の帝、黄帝はどうでしょう。軒轅王は黄帝となり、大道を目指す、これこそが軒轅王の目指すところではないでしょうか。帝位に即位されて黄帝となるのはどうでしょうか。
春の訪れとともに軒轅は大荒の東の遠征を終え有熊へ凱旋した。
有熊には自分の国の領主でもある中原の英雄を一目見ようと人が殺到していた。人々は口々に軒轅を讃え、自分がその軒轅の治める国の住人であることを誇らしく思っていた。
有熊の都の入り口には軒轅を待ち構えるように大鴻と有熊の守備隊長の呉伏が出迎えた。大鴻は涿鹿の戦いを支えるために兵站の確保と物資供給と言う重要な後方支援をしていた。呉伏は軒轅の留守の有熊を守るという大切な役目を言い渡されていた。
貔貅に跨っていた軒轅は大鴻と呉伏の前で貔貅から降り二人に労いの言葉をかけた。大鴻も呉伏もこの時ばかりは目に涙を湛えて軒轅の生還を喜んでいた。特に大鴻にとっては軒轅は幼少の頃より手塩にかけて育てた弟子であったためその感慨は並々ならぬものがあった。
大鴻は立派に成長し、もはや自分の手の届かない存在となってしまった軒轅を見て今は無き前領主の少典を思い出しながら、少典に今目の前にいるこの軒轅の姿を一目見せることが出来たらと言う思いで一杯であった。
軒轅の屋敷までの道のりは耳が潰れんばかりの民衆の歓喜の声で隣にいる者に話しかけられてもその声は耳には入らなかった。
この熱気は醒めることなく歓声は夜中まで続いていた。
宮殿に着くともう気力は残っていなく、軒轅は部下を休ませ自分も久しぶりの部屋でゆっくりと休んだ。その夜軒轅は久々に妻の嫘祖と会い、再び生きて会えたことを喜んだ。
翌日、太陽が真上まで昇ろうとしている時、有熊の臣は軒轅の下へと集った。今回の戦いでの功績を讃えるためであった。
軒轅は今回の戦いで功績のあった風后、力牧、常先の三人を大臣に任命し、これ以降は大鴻と合わせて有熊の四大臣と呼ばれた。
風后は握奇陣を考案し、さらにその類稀なる用兵で華夏連合軍を勝利に導いたのであった。涿鹿の戦いで勝利できたのは風后の力が大きかった。
力牧は涿鹿の戦いで無支祁を倒すと共に華夏軍の正面を守り切ったという並ぶもの無き武勇を見せていた。
常先は太鼓の発明を始め、車輪など様々な発明で華夏軍を支え、さらに涿鹿の戦いに間に合うように鉄の武器を量産し盾も発明している。華夏軍が短期間で九黎兵に匹敵するほどの強兵になれたのも常先の技術開発があってこそであった。
大鴻は老齢と言うこともあり、戦争には参加せず徹底して後方支援を担当していた。大鴻の指示により、戦場に物資が届かなかったことはなかった。大鴻の仕事は行軍と戦闘を支える大切な支援であり、この適切な支援により軒轅は物資の心配なく戦うことが出来た。
また、有熊の巫術師である女丑は三苗の呪術の脅威を取り除くと言う多大なる貢献を行ったため、巫術師の首領となり軒轅の支援で巫術を発展させることになった。
女丑の主な弟子たちは巫咸、巫即、巫朌、巫彭、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫謝、巫羅と言い、この頃には十巫と呼ばれており、高い神性に加えて今回の戦いで力牧から軍事訓練を受けることで闇の化け物に対しての戦闘も行え、さらに三苗の呪術にも触れることで呪術を巫術へと取り込んでいた。彼らは以降、巫術をさらに発展させていき、それはやがて道教となっていった。
このために現在自分たちが仕えている軒轅や剣の師である力牧は道教では道家の祖として現代に到るまで崇め奉られているのである。
また涿鹿の戦いに参加した兵士たちにはその働きに応じて田が与えられた者や有熊の近衛兵へと取り立てられた者もおり、さらには戦死したものの家族には手厚い支援がなされたのであった。
軒轅の胸には戦いに勝利した実感が日を追うごとに強くなっていったが、同時に虚しさも覚えていた。幼少期の頃に持っていた平和を望みつつも戦いにより平和を勝ち取ると言う大きな矛盾は軒轅の心に今なお強く残っていたのだ。
蚩尤が死ぬ間際に言い残した人間の欲望に従い生きるという言葉が頭をよぎり、この人間の欲望がいつの時代も変わらず争いが起こる原因であると実感していた。
しかし、全ての人間の欲望を抑えることは不可能であり、争いはいずれ再び起きてしまうであろうと漠然と思いながら今自分が出来ることは何であろうか、と軒轅は思案していた。
軒轅が有熊に凱旋して間もなく中原中の領主が軒轅の下へ集まってきた。今回の勝利を称えると共に、あわよくば九黎の土地を支配しようと言う色気も持っていたのである。軒轅にはこの下心は透けて見えたが、人間の欲を認めない限り世は上手く治まらないことをわかっていたため、それぞれの欲を満たすように土地の配分も行った。
天下の諸侯たちは軒轅を盟主と仰ぎ、多くの領主は有熊の領土の一部となることを望んだのだ。軒轅は諸侯たちの申し出を受け、諸国を自分の領土に加えると有熊の勢力は中原で並ぶものない強大な勢力となった。
もともと経済活動や技術開発、農業の生産性向上に力を入れていた有熊である。これまで培った技術を新たな領土へと移植することで有熊は稀に見る発展を遂げたのだ。
人々はこの発展に大いに喜んだ。そして諸侯たちは新た中原の盟主として帝位に就くことを望んだ。軒轅は悩んだが、帝位に就くことを了承した。それは長期間にわたり平和な世の中を作るためにしっかりとした政治体制を築き上げることが重要であると考えたからであった。
大鴻は軒轅が帝位に就くことを自分のことのように喜び、軒轅の土徳を讃えて黄帝と名乗るように進言した。古来の中原では土は黄色と中央に属していると考えられていたからである。中央を守護する土徳を持った帝、則ち黄帝である。
天下の諸侯たちもこの黄帝と言う新しい帝に大満足し、中原挙げて即位の祝いが催された。即位の儀式は女丑たち有熊の巫術師により執り行われたが、女丑はこの儀式を執り行えることが光栄であり、もはやこの世に思い残すことはないと思っていた。それは女丑の弟子である十巫たちも同様であり、今までで最高の儀式にしようと意気込んでいた。
この頃には女丑の下には中原中から弟子が集まっており、巫術は中原中に広まっていった。
初夏のある日に黄帝の即位の儀が有熊のある屋敷で行われた。屋敷の周りには鳳鳥や鸞鳥が飛び回り、嫘祖の飼っている麒麟もやってきた。入り口は貔貅が守っており、儀式が始まるころには龍たちもやってきた。
鳳凰と龍が共に居合わせることは滅多にないが、この即位の儀では鳳凰と龍が共に軒轅の周りを守るように静かに儀式の行く末を見守っていた。人々はこの様子を龍鳳呈祥と言いめでたいことの代名詞として用いるようになった。
即位の日は晴れており、昼間には人間たちによる儀礼が行われた。軒轅は並みいる諸侯たちと一人相対して座っていた。儀礼が行われた場所はおよそ宮殿とは言い難く、軒轅の座は粗末であり、前に置かれた食べ物も質素なものであった。
軒轅はこの宮殿を今の自分と重ね合わせていたのだ。自分が中原を統一できたことはただの偶然であると思っていた。偶然にもこの世に生まれ、偶然にも土徳を持ち、偶然にも多くの有能な士に巡り合い、偶然にも戦いに勝てたのだ。本来の自分などちっぽけな存在である、その思いがこのみすぼらしい宮殿であった。
軒轅と向かい合っている諸侯たちは頭を地面に近づけ稽首の礼を行うと、軒轅も諸侯たちに稽首の礼を返した。
礼を行うと軒轅は自分の不徳を言い、これまでの過ちをあげ連ねてこう言った。
「私はまだまだ未熟で不徳の人間ですので皆様が服従するに足りない人間であります。私が驕っていたらどうぞご指摘ください。私が偉ぶらなければ天下に私と争うものはなく、私が征伐しなければ天下に私と功を争うものはおりません。もし、私に不仁がございましたらよく耳を洗い謹んで皆様の申すことをお伺いいたします。」
諸侯たちはこの口上が上辺だけではなく軒轅の本心であると感じていた。このようなみすぼらしい場所にいても惨めであるとは思わなかった。
それよりもこの場にいられることが光栄であると思っていた。それは、外見的なみすぼらしさなど取るに足らず、地位や装飾品などをはぎ取った一人の人間同士として向かい合っていたからであった。そして、一人の人間として軒轅と自分自身を見比べると、自分自身の小ささが透けて見えていたのだ。
軒轅が言い終わると諸侯たちは皆軒轅が帝位に就くことは蒼天の命を受けていることだと悟り、頭を地面にこすりつけいつまでも誰も顔をあげようとしなかった。
人間たちによる儀礼が終わる頃には日が暮れかかっていた。人間の儀礼の次は神々を交えた儀式が女丑たちにより行われた。
西の山に陽が落ちると、辺りには蛍が飛び回っていた。
儀式を行う広場の中央には焚火を囲むように座が敷いてあった。女丑は静かに祈り出した。その声は澄んでおり、声には抑揚があり、これまでに聞いたことのない旋律であった。すると弟子たちが楽器を奏で出しその音に合わせて女丑は祈り続けた。それは歌であった。それまでは楽器を奏でるだけであったが、女丑たちは楽器に合わせて祈りを捧げたのだ。
その魂魄を揺さぶる歌声に諸侯たちは聞き入った。やがて神々が一人また一人と現れたが不思議なことに女丑が歌っている間は神性のない者でも神々の姿を見ることが出来たのであった。
諸侯たちは目を丸くして神々とその神々を呼び寄せている女丑を見つめていた。様々な山神の霊体に混じって崑崙山の陸吾と白澤が、そして下界には興味のないという西王母までもが現れた。
西王母の霊体を神性を持ち合わせない人間たちが見ることはこれ以降の歴史ではない。この快挙の一方で、神々の中に華夏に惜しみのない協力をしてくれた旱魃の姿が見えないことに軒轅は強い悲しみと贖罪を覚えていた。
神々は焚火を囲むように三面に座し、残りの一面には軒轅が座り神々に対して稽首の礼を行った後に、神々へ帝位に就くことの報告を行った。
西王母は軒轅を見ると、周囲の神々にこの者を加護するようにと言い、席を立ち陸吾と白澤を従えて消えていった。神々は西王母の申し出に頷き、やがて暗闇の中に消えていった。
神々の退席を期に即位の儀が終了した。
ここに中原史上、最も尊い聖帝である黄帝が誕生したのであった。
稲穂が伸びつつある軒轅34歳の初夏であった。




