師傅
人間の営みは変わらずとも人々の心は移り変わっていくのである。悪い方へと移り変わるのか良い方へと移り変わるのか、一体何が決めているのであろうか?後の世の老子と言う人物が大道と言う概念を説いたが、果たして人々は大道へと到ることが出来るのであろうか。
冬が終わり木々が芽吹き新緑を見せながら、花が咲き乱れては枯れてしまい、竹の子がすくすくと育つようになっていた。
生まれた赤ちゃんは軒轅と名付けられた。姫姓であるので姫軒轅と言った。
赤ちゃんは少典と母親の附宝の思い過ごしではなくすぐにしゃべるようになった。驚く人々を横目に初めは媽媽など簡単な単語だけであったが、舌の成長につれて複雑な発音もできるようになり1歳の誕生日を迎えるころには穀物や空や雲など目に映るものについて父親と話をするようになっていた。
少典も附宝もそして有熊の臣たちもそんな聡明な子供の成長を楽しみに見守った。成長するごとに道理を覚え人々に優しく一方で善悪をわきまえて悪には厳しく接し同時に様々な物事について興味を持つようになった。
少典は暇を見ては軒轅に自分の知っていることを教えた。軒轅は同年代の子供に比べて飲み込みが速く理解力も高かったので少典の言ったことをまるで乾いたスポンジが水を吸い取るように吸収していき、それは言葉にも表れて次第に理路整然とした話をするようになっていった。
その内、少典にも教えられることが少なくなり、軒轅の相手をするのが頭痛の種となった。少典は政治よりも有熊周辺に出没する賊の討伐や有熊が属する部族連盟の首領である炎帝に従い反乱の鎮圧などで武功を上げており、武力を用いる方が得意であった。周辺諸国には泣く子も黙る武骨者として少典の武勇は轟いていたが、そんな少典も可愛い息子の鋭い質問に次第にたじたじになっていったのだ。
父親としての面子が頭をよぎったのではあるが、軒轅の利発さを感じると少典は自分では軒轅を導いてやることができないと感じ、導いてくれる師が必要だと思うようになった。
少典は早速方々を探し回り師となるに相応しい人物を探すと、多くの人々は大鴻と言う人物の名を上げた。大鴻は陰陽五行を基にした医術を施す医師であり、さらに徳を以て世を治めることを説く思想家でもあり、武骨者の少典でさえその高名を耳にしたことがあった程であった。多くの弟子を持ち、周辺の若者たちは学問を納めようと大鴻の元へと集まって活気にあふれていた。
大鴻は有熊から二十里(8キロメートルほど)ほど離れた小さな川のほとりに住んでいたので、少典は早速自ら大鴻の家に赴き自分の子供の師となって欲しいと頼んだ。
大鴻は壮年期に差し掛かり頭髪にも白髪が混じり始めており、面長の顔に細い目に眉毛が異様に長く痩せていて、背は当時としては高く少典は一目見て全体的に細長いという印象を持った。
少典が訪れたときには弟子達に医学の講義をしている最中であったので、少典は礼儀を示すために講義が終わるのを黙って待っていたが、小屋の外で大柄で威圧感のある豪傑然とした少典が仁王立ちしているので弟子たちも気が気ではなく、講義に全く身が入っていない様子であった。
講義が終わると、少典は大鴻の元へ赴き、
「大鴻殿、私は有熊の領主である少典と申す。この度は大鴻殿にお願いがあって参った。お話しをお聞きいただけないか。」
と武骨者の慣れない挨拶をした。大鴻は突然の領主の訪問に驚きつつ、
「これはなんと、少典様ですか。お初にお目にかかります、大鴻と申します。お願いとはこの私に一体どのようなご用件でしょうか。」
と胸の前で拳を握って頭を下げた。少典は続けて、
「いや、今日来たのは私の息子のことなのだが、どうやら私に似ずに利発なようで私では手に負えなくなってしまったのだ。そこで息子を教え導いてくれる師を探していたところに大鴻殿の名を耳にしたのでな。どうか私の願いを聞き入れて息子の師になってはくれまいか。」
と、できる限り丁寧に頼んだ。
この突然の申し出に大鴻は驚き少し考えこんでしまた。大鴻には宮廷に仕えて権力を手にすると言った野心などは無く、加えて自分はただの医師で領主の息子を教育できるような人物ではないと思い、
「少典様、私はただの医師です。ご子息を教え導くなど滅相もございません!」
と断った。それでも少典は引かずに、
「大鴻殿、そこを曲げて何とか頼めぬか?」
と、平身低頭に大鴻に願い出たのだが、大鴻の気持ちは変わらず相変わらず首を横に振るだけであった。
息子の師を方々探し回ったが大鴻以外に軒轅を育て導ける人物が見つからずに困っていた少典は、
「ええん、頼む、この通りじゃ大鴻殿!この通り頭を下げて頼む。いや、一度だけでいいので会ってはくれまいか?それでも駄目ならばこの少典も潔く諦める。」
と、首を垂れて必死に頼み込んだ。
「おお、少典様!どうか頭をあげてください。そのようなことをされてはこの大鴻、立場がないではありませぬか。」
「ふう分かりました。少典様の熱意に負けました。そこまで言うのならばご子息に一度だけ会ってみましょう。ただし、師になる話は別ですぞ。」
この少典の熱意に負けたことに加えて大鴻もその利発であるという子供への興味もあり軒轅に一度会うだけ会ってみることにした。
「そ、そうか、大鴻殿、息子に会ってくれるか!これはありがたいぞ。どうか一度見てやってくだされ。親馬鹿かもしれんがどうにも不思議な子でな、きっと大鴻殿も気にいるだろう。がははは。」
これに少典は大喜びでがははと笑いながら大鴻の手を取り時間があるときに宮殿に来てくれと言い残して上機嫌で去って行った。
大鴻の家は少典の屋敷のさらに北の姫水の近くにあったため、少典の屋敷の裏手側から行くのが最短ルートであった。
少典の屋敷は小高い丘の頂上付近にあり、屋敷の裏手の斜面は林となっており緩やかな斜面となっていた。林の中を木々からまばらに指し込む日差しの眩しさ感じ、深く静かな森の静寂を感じると大鴻の心は落ち着き、ゆっくりと歩を進めるとやがて一人の少年が空を見ながら佇んでいるのを目にした。
その姿を見るや否や大鴻は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「何と一体!?あれは鳳鳥ではないか!それにあの蛇には翼が生えている!?もしかして噂で聞く騰蛇か!?」
と、博識の大鴻は腰を抜かさんばかりに驚いた。
大鴻の目の先にいる少年はまっすぐに立ち空を見ておりその先には太平の世に現れるという鳳鳥が飛翔していたのであった。そして梧の木でしかその翼を休めないという鳳鳥は何と軒轅の前の地面に降りて軒轅と嬉しそうにじゃれ合っているのであった。
このあり得ない光景に目を丸くしたのも柄に間で、さらには騰蛇と思われる翼のある蛇の子供もその少年の傍らにおり、これまで深い山中に住むという噂で聞くだけで見たことのない霊獣を二体も見た上に、その霊獣達が少年になついていることに驚きを隠せなかった。
鳳鳥は鳳凰とも言うが、元々は鳳は雄の鳳鳥を、凰は雌の鳳鳥を指していた。しかし、時代の流れと共に鳳と凰はやがて鳳凰と呼ばれるようになっていった。
その不思議な少年はまだまだ成長途上の線の細い体つきをしていたが屈託のない笑顔を見せていた。
そういえば数年前にどこかの屋敷で子供が生まれたときに屋敷の上空で多くの鳳鳥や鸞鳥が舞を舞い曲を奏でていたという噂があった、と昔の記憶がよみがえってきた。俗世の出来事にはあまり興味がなかった大鴻はその時は気にも留めなかったが、この時薄れていた記憶がよみがえりそれがこの子供に違いないと直感した。
大鴻がその子供に近づくと突然の人陰に驚いた騰蛇の子供は翼を羽ばたかせて蒼天へ飛んでいき、鳳鳥は近くの梧へと飛んでいき枝にとまって羽の手入れをしながらこちらの様子をうかがっていた。
大鴻は少年に近づくと、両手を身体の前で握り頭を下げて恭しく尋ねた。
「あなたが軒轅殿ですね。」
「…!?そうです、軒轅ですがなぜ私がわかったのですか?」
と軒轅は大鴻の突然の訪問にもかかわらず笑顔で答えた。軒轅は大鴻を見てその心の中にある仁と義を感じ取っていたのであった。
「申し遅れましたが私は大鴻と申す医師です。お父上よりあなたの師となるように申し付かりました。」
と、一目見たら帰ろうと思っていた心情に反してこの子供の師となることを口にしたのであった。これは大鴻にも意外であった。
「ああ、あなたが大鴻先生ですか。父から話は聞いています。お初にお目にかかります。」
と軒轅も両手を前で握り深々と頭を下げて言ったので、この様子を見て大鴻も慌てて深々と頭を下げ返した。
「これはこれは軒轅殿、丁寧なあいさつ恐縮です。この大鴻、命が尽きるまで軒轅殿にお仕えする所存です。」
人は運命を感じることがあるというが、大鴻が運命を感じたのはこの時であり、この少年を思想家に育てる決心をした。それが蒼天から与えられた使命であると思えたのだ。
いつしか鳳鳥は飛び去っており、大鴻は二人の間に会話はいらず向かい合うだけで理解しあえた気がした。
それ以降、大鴻は少数の高弟たちと共に少典の屋敷へと移り住み、軒轅の側で様々なことを教えた。軒轅は大鴻の教えることを凄い勢いで吸収し、そして大鴻の教えることは思想のみではなく医学や本草学の話にまで及ぶようになり、軒轅は大鴻から初代炎帝である神農氏から受け継がれている様々な薬草の知識や薬の調合方法や霊獣、神獣、怪物などについても教わった。軒轅の医学的な知識は大鴻を師としてこの頃に培われたのであった。
10歳ごろになると軒轅は外に出て様々な物や情報に触れることを好むようになった。大鴻の講義が終わると軒轅は走って屋敷を出て、市場へ向かって一目散に駆け出して行った。
「呉伏ー!早く行こうよ!常先ー、今日は久しぶりに九黎から帰ってきた黄起さんの所に行って風を操る神様の話の続きを聞こう!」
この時に護衛として付き従っていたのが胆力と腕っぷしに自信があり、少典の信任も厚い呉伏であり、有熊の兵士の息子で軒轅の幼馴染であった常先や他の子供たちも面白がってついて行くことがあった。
「軒轅様、今行きますので少しお待ちください!」
と、呉伏や常先たちは慌てて軒轅の後を追いかけるのであった。
軒轅達が街に出ると商人たちは競って声をかけ、
「これはこれは軒轅様、お久しぶりですね!昨日北方から戻ってきたところなんですがね、北方の山中でこれはまた奇妙な出来事があったんですよ。暇なときにうちへ寄ってくれたらその時の話を聞かせますよ!」
「軒轅様、この前西方で有名な巫術師の儀式を見ましたが、いやーその儀式は何とも言えず荘厳でしたね。」
「おーい、軒轅様ー!海ってのを見たことありやすかい?広いのなんのって海の向こうは何も見えねんですよ。なんでもその海の向こうには仙人が住んでいる蓬莱山があって、その海の中には巨大な龍が住んでいるって話ですぜ。」
「け、軒轅様。東の都で殭屍が出たって話、聞きましたか?それが、な、なんと見たんですよ、私もちらっとですがその殭屍を見ちゃいました。あの時は死ぬかと思いましたよ~。」
など軒轅に気さくに話しかけた。警戒心の強い商人たちが軒轅には心を開き様々な話をしたのだ。特に遠方からやってきた商人たちの猛獣の話や龍の話は軒轅の心を強く揺さぶり、軒轅は商人たちと好んで話すようになった。軒轅は仲間の子供たちと共に商人たちの話を目をキラキラと輝かせて聞き入り、喜びや悲しみなどの感情を小さな身体いっぱいで表現していた。
商人たちも軒轅の持つこの不思議な魅力についつい心を開き商売を忘れて軒轅に話を聞かせるのであり、軒轅はいつしか市場で知らぬ者はいない人気者になっていった。そして、仲間たちと共に市場中を元気よく走り回り、軒轅が宮殿へ帰る時にはさすがの呉伏もいつもへとへとになっていた。
日常的となったこの習慣により東方の商人から東方の言葉を学び軒轅の聡明さも相まって軒轅は徐々に東方の言葉を話せるようになっていった。この学習能力の高さと人を惹きつける魅力に側にいた呉伏はいつも舌を巻いていたと共に、軒轅の護衛として出かける時間は呉伏にとってもいつしか楽しみとなっており、常先を始めとした子供たちはいつも尊敬と憧れの眼差しで軒轅を見つめていたのだ。
軒轅は東方からもたらされる鉄と言う不思議な素材に興味を持っていた。市場の一角には様々な鉄製品が並んでいて、石では無いが硬く光沢をもつその素材をよく不思議そうに眺めていた。高級品を扱う商人の中には護身用として極稀に鉄製の剣を持っている者がいたが、この剣を手に入れようとすると莫大な穀物や玉璧などが必要となった。
有熊の領主である少典も鉄製の剣を欲しがっていたが、高額であったので数本買うにとどまっていたのであった。
また、軒轅は商人たちから社会情勢についても様々な情報を得ていた。北方の炎帝が他国を侵略している話や東方の九黎族が急速に勢力を拡大しているという話などであった。この様にして軒轅は商人を通して有熊周辺のみならず遠方の大荒と呼ばれる未知の地方の知識までも得ていたのだ。
正確には商人という言葉はこの時代にはまだなく、商族という部族がいるだけであった。商族は畜産を行っている遊牧民で様々な部族相手に牛などの家畜を売って生計を立てていたのであった。商族は交渉ごとに長けており、相手の弱みに付け込み上手く立ち回ることもあれば、義に厚く大胆に相手を信用することもあり周辺の部族からは一目置かれる存在であった。やがてこの商族は商人と呼ばれるようなり、商人の行う仕事は商売と呼ばれるようになったのだ。
軒轅はその日に市場で見た物や聞いたことを大鴻に話すと大鴻は知っている限りの知識で軒轅が見聞きしたことに応え、様々な知識を軒轅に教えたが、軒轅が13歳になるころには大鴻ですら教えることは少なくなり、軒轅は大鴻の下で学問を治めつつあった。
有熊周辺には大鴻を超える思想家はおらず軒轅のその聡明さは有熊を越えて周辺部族へ伝わり、さらには東西へと延びる街道を行き交う商人たちにより遠方まで轟いていた。
軒轅は剣技の鍛錬も欠かさず行っていた。剣技と言ってもこの頃の剣技は竹の棒を持ち打ち合う程度であったのだが、鉄製の剣が流通しだすにつれてその効率の良い使用方法が求められていき、次第に鉄製の剣の使用を想定したものへと変化していった。
剣術は少典が軒轅に自ら教えた。軒轅との竹の棒を使った打ち合いが親子水入らずの時間となり、この時間を少典は心から楽しんだ。
幼い頃の軒轅は人を殺す戦争を心底憎んでいた。少典は時々有熊周辺に出没する賊を討伐するために部下を引き連れて出陣していたが、少典は軒轅に都の治安を守ることも領主の大切な仕事だと言い聞かせようとしたが軒轅は人を守るために人を殺すと言う矛盾が受け入れないでいた。
軒轅はよく時間を忘れて誰もが幸せに暮らせる世の中を真剣に考えこんでた。まだ子供であったために物事の経験がなく、理屈のみで考えがちであった。しかし、それは若い軒轅にとって仕方のないことではあるが、これまで幾度となく戦へと行き死線を潜り抜けて先祖代々受け継がれてきた有熊の土地を守ってきた少典にとっては何とも甘すぎる理想に聞こえた。
考え込むあまりに剣術の稽古にも次第に身が入らないようになり、少典はそのような軒轅に次第に苛立ちを覚えた。
そんな軒轅の様子を妻の附宝に話すと妻は微笑みながら言った。
「あはは、そのような世の中があれば是非とも住んでみたいですね。」
「ん?う、うむ。そ、それはそうなんだが……。」
この言葉に拍子抜けした少典は冷静になり確かにその通りだ、と思った。もちろん父親の少典も軒轅の理屈は理解できたが戦うことで国をまとめてきた少典は理想だけで国は治まらないことを身に染みてわかっていたためその純粋さに危うさを感じてしまったのだ。
師の大鴻はこの親子の様子を見て軒轅自身が結論を出す問題であり、下手に口出しをするのではなくやがて時間が解決するだろうと遠巻きに見守ることにした。
ある日唐突に少典の屋敷へ奇妙な鳥がやってきた。人を見ても恐れず昼間にもかかわらず有熊の都周辺にいた梟たちが我先にと逃げ出してしまっていた。見た目は鴉より一回り大きく、体や首筋は真紅であり羽根や尾の先の部分は鮮やかな黄色で先端は緑色の美しく堂々とした鳥であった。
軒轅はその鳥に興味を持ち近づいてみてみると、一つの目に光彩が二つあるという奇妙な目に気が付くと共に、不思議な感覚がし、強大な力のようなを感じ取っていた。軒轅はその不思議な鳥の事を大鴻に話すと、大鴻は腰を抜かさんばかりに驚いた。
「軒轅殿!そ、その鳥は……。」
「ん、どうしました師匠?」
「その鳥は……。」
「この鳥は?」
「ち、重明鳥ですぞー!」
と大鴻が腰を抜かさんばかりに言うと、
「え?重明鳥…ですか、それはどういう鳥なのですか?」
と驚いた大鴻に興味を持った軒轅は目を輝かせながら尋ねた。
「はあはあ、重明鳥は…ぜいぜい…邪を屠る強大な力を持った鳥ですぞ。私もこれまでうわさで聞いたことがありましたが……まさか現実にいるとは……。どこにいるのです?軒轅殿、その鳥はどこに?」
「師匠、お、落ち着いてください!」
大鴻が興奮して思わず声を張り上げて言うと、軒轅は師傅のあまりの興奮に驚きながらも大鴻と共に重明鳥の所へと行った。
大鴻は近づいて重明鳥の特徴である目を見ようとすると、重明鳥は大鴻には大きな鳴き声で威嚇し近寄らせなかったが、なぜか軒轅だけには近くによることを許し軒轅がその身体を撫でてもされるがままにしていた。
大鴻は霊獣を呼びその霊獣が軒轅になついてしまうと言うこの不思議な能力にいつも舌を巻いて首をひねっていた。
重明鳥に興味を持った軒轅は大鴻に重明鳥の食べ物を聞くと、大鴻は記憶の片隅を掘り返し昔聞いた話を思い出して言った。
「ある煉丹術師が穀物を与えてみたところ全く食べなかったので、持っていた琼玉の膏液を試しにあげてみると美味しそうに飲んだそうです。また、琼玉の膏液をあげた後に丁重にもてなせば近くの凶獣達を追い払いその地を守ってくれたとも言います。しかし、重明鳥は故郷へ帰ることが非常に好きですので籠などに入れて動けなくしてしまうと、放たれた後にその地にはもう二度と訪れなくなってしまうと言います。」
と微かな記憶を思い出しながらゆっくりと話した。
「なるほど、琼玉の膏液を与えて丁重にもてなせばいいのですね!」
と軒轅は言うと、早速大鴻から教わった製薬技術の一つである煉丹術を使い琼玉を細かく砕いて熔かし水ガラスに似た膏液を作って重明鳥に与えた。重明鳥はこの膏液が気に入ったようで、一気に飲み干した。飲み終えると羽を広げて屋敷上空を数回旋回したのちに鳴きながら飛び去ってしまった。この様子を見て軒轅は、
「ああ、行ってしまいましたね。」
と軒轅は幾ばくかの寂しさを感じながら大鴻に言うと、大鴻も膏液を与えるとしばらく居つくと思っていたのであるが意外と早く行ってしまったことにさては自分の記憶違いかと首をひねった。
しかし、しばらくすると虎や狼の叫び声が遠ざかっていくのを聞いた。
大鴻と顔を見合わせて訝しく思ったが、やがて重明鳥は戻ってきて軒轅の傍で羽の手入れをしだしたのだった。
「あはは、師匠、重明鳥が戻ってきましたよ!」
と、重明鳥の身体を撫でてその滑らかな手触りを感じながらニコニコして軒轅が言うと、大鴻は何が起こっているかと気になってやってきた少典と共に軒轅の傍にいる重明鳥を見ながら奇妙な鳥だと首をかしげていた。
重明鳥はその後数週間程屋敷に滞在したのちにどこへともなく飛んで行ってしまった。
重明鳥が来てから後、有熊周辺からは梟や狼などの悪獣と共に、魑魅魍魎もいなくなったという。この様子に大鴻は驚き、事情を知らない有熊の人々は不思議なこともあるもんだと口々に話したのであった。
軒轅13歳の冬であった。




