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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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女神の泪

 ……泣いているのは誰ですか?私には分かりますよ。あなたは表面では泣いていませんが心の中で泣いています。そうです、隠さなくても私には分かります。そうですか、両親を失いどこにも行く場所が無いのですか。まだ幼いのに泣かないと言いますか。いえ、私には分かりますよ、あなたは心では泣いているのです。我慢しなくてもいいのですよ、幼子よ。泣きたいときには泣けばいいのです。


 ……嫘祖れいそ様、どうですか?私はこの子から強い神性を感じます。……嫘祖様もそう思われますか、この幼子は将来優れた巫術師に育つと思われますか。……あなたは行く当てもないでしょう、どうですか、私と一緒に来ますか?あなたを最高の巫術師に育てて見せます。……そうですか、一緒に来ますか。……では参りましょう、そうだ、あなたの名前は何と申すのです?……かんと言うのですか。そうですか、それではこれから巫咸ふかんと呼びましょう。


 軒轅は握奇陣の中央で戦況を見守っていた。


 握奇陣は小高い丘の斜面に敷かれていたため、軒轅は戦況を見渡すことができたのだ。この時握奇陣の正面には霊亀が無支祁と力比べをするように押し合い、その無支祁の後ろからは鏨歯などの怪物が迫っており霊獣達が人間の弓部隊と共に進軍を防いでいた。


 右翼側は陸吾と白澤により率いられた霊獣及び人間の混成部隊が雷華率いる魑魅魍魎軍団と戦いを始めていた。


 左翼には龍が展開しており、この前線には蚩尤の兄弟達が望天吼と共に迫っていた。兄弟達は蒼天弓で龍たちを狙い撃ちしており、龍たちはこの攻撃を躱しつつ兄弟に迫っていた。龍たちは矢を受けつつも素早い動きで兄弟達に迫り、弓が使えない距離まで近づくと白兵戦が展開されたのだ。蚩尤の兄弟50余名と望天吼ニ体、そして龍38条が入り乱れた激闘が始まった。戦力的には龍の方が不利かと思われたがそれでも龍たちは果敢に攻め込んでいた。

 軒轅はこの状況を見て援軍を送りたかったが、どの戦線も拮抗しており、唇を噛みしめながらただ龍たちの勝利と無事を祈るのみであったのだ。


 軒轅は再び前面の戦線に目を向けると、力牧と刑天が霊亀の援護のために果敢にも無支祁に向かって行っているところを目にした。

 巨大な斧を操る天下無双の勇士と名高い刑天は、これまでは石の斧を力任せに振り回していたのであるが、今回は自分のために特別にえつと呼ばれる鉄製の斧を作らせており、この斧の一撃を喰らえば龍ですら真っ二つにされかねないほどの威力を持っていた。

 無支祁を足止めしている霊亀は無支祁の強烈な打撃を受け、甲羅にヒビが入りつつあった。このままでは霊亀がやられて無支祁に前線を突破されてしまい、他の怪物まで軒轅のいる本陣になだれ込んでしまう恐れがあった。

 この窮地に力牧は落星弓で無支祁の足を狙い撃ち集中的に攻撃を繰り返していた。その効果は徐々に表れて、無支祁は足に力が入らなくなり打撃が弱くなりつつあった。

 それを見て刑天が好機ととらえ敵兵をかき分け無支祁に向かっていき、斧を振りかぶり力牧の攻撃によりダメージを受けている無支祁の足めがけて思い切り振り下ろしたのだ。

 蚩尤の兄弟による剣の打撃でも薄皮一枚が斬れた程度であったが、刑天の斧の攻撃は無支祁の皮を斬り肉まで達していた。


 斬られた無支祁の足からは鮮血がほとばしり、力牧の放った矢に加えてさらに足に力が入らなくなっていった。しかし、無支祁はこの攻撃を行ったのが刑天と知るや否や刑天めがけて激しい打撃を行った。人間がこれを喰らうとひとたまりもない。刑天はすんでのところでこれをかわしたが、無支祁の拳は地面を叩き、飛び散った泥や小石により周囲の人間たちは傷ついた。

 無支祁の攻撃は一度で終わらずにさらに続いた。物凄い勢いの二度目の打撃を何とかよけると刑天は体勢を崩して転がり地面に倒れてしまった。そして三度目の攻撃が来ようとしたとき、刑天は死を覚悟していた。地面に倒れてしまったためにこれ以上はよけられないからであった。


 「……俺の悪運もここまでか。はは、そうそう悪い人生でもなかったぜ。」


 刑天は目を閉じて訪れつつある死を受け入れた。しかし、その三度目の攻撃はむなしく空を切っていたのであった。それは、力牧が刑天の作った無支祁の足の傷をさらに鉄の剣で切り裂いていたからだ。この力牧の渾身の一撃は肉を断ったため、無支祁は自分の身体を支えきれずに地面に倒れ込んでしまったのだ。

 無支祁は歩けなくなり、片足をついて手の届く範囲を殴るだけとなったしまった。

 これを見た軒轅軍は歓喜の声をあげた。あの狂暴な無支祁を自分達の手で歩行不能にまで追いやってしまったからである。


 「よくやった、力牧に刑天よ!」


 と、この状況を見ていた軒轅も思わず大声で叫んでいた。


 力牧は無支祁が倒れ込んだのを見て刑天の元に駆け寄ると、倒れている刑天に手を差し伸べた。

 

 「お前、死ぬには早すぎやしないか?」


 と力牧は言いながら手を差し伸べ、


 「ふん、せっかくの死に場所を邪魔してくれてありがとよ。」


 と減らず口を叩きながら刑天は力牧の腕を掴んだ。


 刑天はその手を借りて起き上がると、二人は満足げな表情を見せて力強く手を握り合った。お互い言葉はいらずにただ戦場を楽しいと思っていたのであった。

 その後力牧は再び落星弓を持ち動けなくなった無支祁を無視して前方から押し寄せつつある怪物相手に矢を放ち、刑天も斧を持って周囲の敵に斬りかかっていた。


 西側の戦線では天神陸吾が九尾狐と相対していた。九尾狐は少女の姿をしており、全身を薄らと黄色に輝かせていた。その少女は陸吾にも見覚えがあったため陸吾は九尾狐の元へと歩み寄って九尾狐に言った。


 「お主はもしかして風華ふうかと仲の良かった狐か?何故風華の姿かたちをしている。」


 と聞くと、九尾狐の雷華は


 「お主はあの時の虎か、お主には関係のないこと。邪魔すると殺すぞ。」


 と美しい顔には似つかわしくない鋭い牙を出して威嚇した。


 「あの娘は随分昔に亡くなっているではないか。まだ思い出に憑りつかれているのか?」


 と、陸吾は雷華の過去を知っているようであった。


 「だまれ、人間どもが風華を生贄にしてしまったのではないか。」


 「やはりあの時の事か…。あの娘は仕方がなかったのじゃ。お主にはわからんのか?」


 「だまれだまれ、あの愚かな人間どもめ、風華の次は儂の仲間を殺そうとしておるではないか。」


 「…そうか。あれは仕方のないことであったのだ……。これ以上の話は無用じゃ。」


 そう言うと陸吾は言い争うのをやめ、


 「儂は今、華夏に味方をしておる。雷華よ、お主の相手はこの陸吾じゃ。」


 と、陸吾は言うと、鋭い爪を立てて雷華に激しく飛び掛かった。


 雷華はこの攻撃を後ろに飛びのいてひらりと躱すと、一呼吸おいてにやっと笑い神性を解放した。すると、全身から激しい放電を行いつつ見る見るうちに九本の尾を持つ巨大な狐に変化していった。雷華が九尾狐の正体を現したのである。

 すると一方の陸吾も咆哮を上げながら同様に本来の巨大な虎の姿を現した。九尾狐と九尾虎の戦いであった。術に秀でる雷華と力で優る陸吾の戦いの行く末は誰にも予想が出来なかった。


 この時、白澤は本来の姿を現した陸吾を横目に見ながら崑崙山の古い戦友の武勇を祈りつつ雷華の周りに付き従っていた魑魅魍魎軍団めがけて激しく襲い掛かっていた。白澤の戦いぶりに奮起されるように魑魅魍魎の天敵である重明鳥を始めとして霊獣や人間たちがその援護に駆け付けていた。


 その白澤たちに立ちふさがったのが八尾弧と七尾弧であった。八尾弧は炎を操る強大な術を、そして七尾弧は爆発系の術を同時に華夏軍に向けて発すると、華夏軍の行く手の先で激しい火焔と爆発が巻き起こり、華夏軍の足は止まってしまった。


 「お主たち、ここまでだ。」


 と、全身を薄らと紅色に輝かせながら宙に漂っている八尾弧が怪しげなほほえみをたたえて言うと、七尾弧も、


 「愚かな人間、そして霊獣どもめ。ここで殺してくれよう。」


 と怒りの表情で敵意をむき出しにして言った。


 この両者に怯んで足が止まってしまっていた華夏軍であったが、不安を切り裂くように鋭い鳴が響き渡り重明鳥が上空から高速で八尾弧めがけて突進していた。

 八尾弧はこの重明鳥の攻撃を察知してひらりと躱すと一言、


 「現れたか、憎き我らが天敵よ。今日この八尾弧が貴様を倒してくれる!」


 と、憎しみに満ちた表情で重明鳥を見たのだ。


 そして、華夏軍からは大きな角を持つ獬豸かいちが進み出て七尾弧と相対した。これを見た七尾弧は、


 「フフフ、お前が我が相手か。役不足にも程があるぞ。」


 と全身を薄らと緑色に輝かせながら獬豸との戦いに自信を見せると、八尾弧共々神性を開放し、雷華同様に本来の狐の姿を現したのだ。八尾弧は八本の尾を持ち炎を身に纏っており、この炎に周囲の木々は燃えだしていた。この八尾弧に相対する重明鳥も神性を開放し、本来の大きな鳥の姿を表した。

 八尾弧と重明鳥、そして七尾弧と獬豸の壮絶な戦いが始まったのであった。


 左翼を率いている白澤はこの状況を見て、八尾弧と七尾弧を重明鳥と獬豸に任せて残りの魑魅魍魎に襲い掛かかり、これを見た他の霊獣と華夏の人間の兵士たちは白澤に続き魑魅魍魎たちに襲い掛かっていた。

 高レベルの魑魅魍魎には人間には勝ち目はなかったが、低レベルの魑魅魍魎となら人間たちが力を合わせれば何とか戦えた。人間たちは自分の役割を理解し、霊獣達の戦闘の援護をしつつ自分達でも戦える魑魅魍魎と戦いつつ、霊獣達の援護をしていたのだ。


 東側の戦線では龍たちが望天吼と激闘を繰り広げていた。ここが最大の激戦区となっており、龍の天敵望天吼により龍たちが襲われていたのである。さらに蚩尤の兄弟達も蒼天弓そうてんきゅうを手に持ち、龍めがけて矢を放っていた。龍たちは全部で38条いたが、3体の望天吼に加えて蚩尤の兄弟達を前に押されていた。

 龍の中にも青龍のような応龍になりかけの高度な術を使えるものも混じっていた。中には赤龍のように火焔を吐ける龍もいた。このような龍の戦闘力は蚩尤の兄弟よりも高く、さらに望天吼とも互角に戦うことが出来ていたのだ。


 風后は龍の劣勢を見ると、温存していた貔貅達霊獣軍団を援軍に出し、地上の蚩尤の兄弟達を攻撃させた。蚩尤の兄弟達は各戦線へと投入されていたが、ここには最大の53人が割り当てられていた。

 蚩尤達は龍を倒すことがこの戦の勝敗を分けると考えていたので、龍対策のために望天吼を引き連れ、さらに攻撃力を増加させるために兄弟達を投入していたのだ。

 しかし、肝心の応龍が目に入らない、応龍はこの戦線には参加していないのである。蚩尤には応龍を温存しておく理由がよくわからなかったが、龍たちを倒せば握奇陣の右翼が崩れ蚩尤の勝利は確実であると思われたため、当初の予定通り龍を攻め立てた。


 戦況は一進一退の膠着状態となっていた。軒轅は大声で軍を鼓舞していたが、戦場では俄には信じられない恐ろしい出来事を目にした。

 それは死んだ敵兵が起き上がり、華夏兵に襲い掛かっていたのである。これには華夏の歩兵たちは恐れおののき、各地で悲鳴を上げていた。


 「三苗さんびょうよ!愚かな。人の魂魄を操りおって!」


 死者がよみがえる、この非現実的な光景に女丑始め十巫達は激しい怒りをあらわにしていた。敵である三苗族は禁呪を行ったのだ。それは死んだ兵士の体からはくだけを残すことで悪鬼に変えてしまう赶屍術がんしじゅつであった。


 「女丑様、恐れていたように三苗が赶屍術を使ったようです。」


 と巫咸が言うと、


 「人の命を何だと思っている、三苗よ。」


 と、普段温厚な女丑は怒りを露わにし、三苗を非難していた・


 「十巫達よ、今こそ我ら巫術師の出番だ。華夏の兵を守ると共に三苗の術者を何としても探し出せ!」


 と、女丑は十巫達に檄を飛ばした。


 戦場で死者が続々と甦り再び華夏の兵士たちに襲い掛かってくる、この殭屍きょうしは動きは遅いが、斬っても斬っても死なず死を恐れずにひたすら向かってくる恐ろしくも厄介な相手であった女丑は影の剣である承影しょういんを手に持ち、弟子たちを引き連れて危険な戦場へと走り出した。承影は人を斬るための武器ではなく神性を攻撃に変える武器であり、この承影を振りかざすっと魄が切れてしまうという剣で、まさに巫術師のための剣と言えた。


 「西王母様はこの状況を察知してこの剣を下さったのか。」


 女丑は西王母の意図を理解し、承影で殭屍を攻撃した。

 

 女丑の十人の弟子たちも冀州城で力牧により徹底的に鍛えられた剣技で殭屍部隊に立ち向かっていった。弟子たちの持つ桃木剣は邪を払う効果が高く、殭屍たちに高い攻撃力を発揮した。

 女丑そして十巫たちは兵士たちの魄を地に返しながら戦うと共に、術を用いている三苗の術者をも探していた。


 一方で軍師である風后は三苗の術者は一つの所で守られていると思った。そして守っているのは戦場に姿を見せない蚩尤であるとも思った。蚩尤の考えはおそらく三苗の怪物たちが倒されてしまい、敵も疲弊したところに自分が出向き、とどめを刺そうとしているのだ。敵を疲弊させるまで三苗の術者を守り通す必要があるが、それを自ら買って出ているのである。

 風后は女丑達巫術師に蚩尤を探すように夔牛の太鼓で伝えていた。


 正面での戦いは霊亀による堅い守りと弓部隊の集中砲火、そして力牧と刑天の人間離れした攻撃力により、勝敗が決しつつあった。三苗の化け物たちは大方倒してしまい、他の戦線へ援軍として行こうとしたその時、華夏軍は前方から巨人が近づいてきたのを見た。

 巨人誇父きょじんこほであった。


 誇父は霊亀に近づくと、力を込めて霊亀の甲羅を上から殴った。すると拳は霊亀の甲羅を貫いてしまい、霊亀は死んでしまった。誇父はさらに手に持っていた桃の木の巨大な枝を振り回し、近くにいた華夏兵を薙ぎ払った。

 誇父の登場に力牧は戦いを挑もうとしていたが、刑天は相手が悪すぎるとして力牧を引きずるように無理やり後退させた。


 誰もが巨人誇父の進撃を止められないと思った時に、その誇父の前には行く手を遮るように青い衣を羽織った一人の美しい女性が佇んでいた。戦場とは対極にあるようなその美しい女性を見ながら力牧は後退させる刑天の手を払いのけて落星弓に矢をつがえていた。力牧の後ろには主である軒轅がいたため、力牧は命に代えても通さない覚悟であったのだ。刑天はその覚悟を感じ取ると、力牧と共にその場に留まった。この時力牧の口元には笑みがこぼれているのを刑天は見て、


 「お前にゃ勝てねぇな…力牧よ。フッ、いいぜ、ここを俺たちの死に場所にしようや相棒よ。」


 と笑いながら言い、刑天は力牧と共に死ぬ覚悟を決めていた。


 美しい女性は女神旱魃で、先ほどの風伯と雨師との戦いで術を消費してしまっていたが、誇父に立ち向かえるのは自分以外にいないと考え誇父の前に立ちはだかったのだ。旱魃は静かに術を発動していた。誇父は旱魃が目に入るや否や攻撃を仕掛けた。旱魃はその攻撃を身軽にかわしたが、攻撃されるたびに術の発動が遅れてしまっていた。


 この誇父と旱魃の戦いを見ながら力牧はチャンスを待っていた。攻撃の合間にわずかに停止する誇父のタイミングを計り力牧は誇父の目をめがけて矢を放ったのだ。

 矢は誇父の目に命中し誇父はしばらくの間、目を押さえてもがいた。旱魃にとってこの誇父がもがいていた時間は術を発動させるには十分すぎるほど長く、誇父が気付いたときには天には灼熱の太陽が現れていた。


 「何だ、あの巨大な太陽は…!?」


 と、誇父は以前太陽を捕まえようとして太陽を間近で見たときの恐怖を思い出しながら絶句した。


 太陽は誇父の身体を容赦なく焼き、誇父は熱さと喉の渇きで苦しみだした。やがて誇父は喉の渇きに耐えられなくなり戦線を離脱し、近くの黄河まで走って行き黄河の水を飲み干した。しかし、それでも渇きはおさまらずに今度は渭水の水を飲み干したがそれでもなお足りずに、今度は西にある大澤だいたくと言う湖の水を飲もうと西へ向かって走り出したのだ。

 そして誇父は大澤に行く途中に喉の渇きにより渇死かっししてしまった。


 誇父が死んだ翌日、太陽が昇ると三本足の金烏きんうが誇父の死体を見つけ、優しく照らした。すると誇父の死んだ場所にはあたかも誇父の霊を慰めるように、誇父の手に持っていた桃の枝から桃の木が育ち、桃の花が咲き乱れたと言う。その日は心なしかいつもより昼間を長く感じる人々が多かったという。


 もう一方の旱魃は術を使い果たしてしまい、その行為は身体に大きな代償をもたらしていた。何と体の半分が腐りだしたのであった。美しい顔は見る影もなく、皮膚は爛れてしまい所々頭蓋骨がむき出しになっていた。


 「うわああああぁぁぁぁ!わ、私の身体がぁー…!?」


 と、旱魃はこの様子に叫び絶望しながら戦場を彷徨い、やがて戦場で蠢いていた殭屍たちを連れていずこかへと消え去ってしまった。この出来事により後世には旱魃が殭屍の祖となると共に、人々の遺体を干ばつを起こす怪物に変えてしまう恐ろしい妖怪になってしまったという言い伝えが残されている。

 

 軒轅は誇父を倒し、正面ががら空きになったことを見て、この機に乗じて応龍に放水を命じた。応龍はそれまで溜めていた雨水を劣勢となっていた西側の戦線に向けて一気に放出し、魑魅魍魎と九黎兵を押し流してしまった。これにより西面の戦線の勢いが低下していた。

 この放水がなされた時、天神陸吾と九尾狐は空中戦を展開していたが、九尾狐は応龍の放水を見て魑魅魍魎の前線が崩壊するのを目の当たりにした。


 それまで雷華は陸吾との戦いを有利に繰り広げていたが、応龍の放水により魑魅魍魎たちが勢いづいた華夏の兵たちに押されて徐々に劣勢になっていることを見て焦りを覚えていた。空から見ているとここで魑魅魍魎たちが引き下がってしまうと、蚩尤軍は完全に包囲されてしまい、包囲されるということは軍の壊滅を意味していたためそれだけは防がなければならなかった。

 陸吾との戦いで隙が出来ると、すかさず地上の魑魅魍魎を援護するために雷撃を起こし華夏兵へと攻撃を加えていたが、この雷華の援護により西側の戦線は完全に膠着してしまっていた。


 西側のこの戦況を見た風后は正面の兵を西側の戦線か東側の戦線のどちらに移動させるか判断に迫られていた。そして風后は迷わず蚩尤の兄弟達のいる東方向へ移動させ、龍たちの援軍に駆け付けさせた。主力を叩くことが戦闘において重要であるためである。

 正面の軍勢は東面の蚩尤軍の側面を突き、これにより徐々に蚩尤軍を圧倒しつつあり軒轅軍が優勢になっていたが、その時蚩尤が動いた。


 蚩尤は三苗の化け物が倒されたことを見て、これ以上三苗族の術者の警護に構ってはいられないと思い、東側の戦線へと現れたのだ。蚩尤は内心で軒轅軍の前線を突破できないことに苛立っていた。風后の握奇陣が高い防御力をもたらしていたのだ。

 手には龍を斬るための幅広の剣、屠龍とりゅうを持っており現れるや否や近くの龍を1条斬り殺してしまった。

 蚩尤の出現で東側の戦線は蚩尤軍が一気に勢力を盛り返した。この時、龍たちは望天吼を1体倒していたが、全員傷ついていた。38条いた龍の内、生き残っている龍は僅かに19条であった。残り1体の望天吼もすでに戦闘不能に近く、地上に浮かぶことはできなくなっており、地上に降りて龍に向かって吠えたてていた。

 53人いた蚩尤の兄弟達も同様に龍と霊獣との戦いで半数近くが倒れ、動けるものも全員傷ついてはいた。しかし、兄弟達は蚩尤の登場で勢いづき蒼天弓そうてんきゅうを手に持って龍たちめがけて斉射した。

 正面からの援軍が蚩尤軍の側面を突き攻撃を仕掛けてはいたが、このままでは龍たちは全滅してしまう。東側の戦線は完全に蚩尤軍が優勢となっていき、龍たちは退却を余儀なくされていた。


 この蚩尤の登場を見て即座に応龍が動いた。放水を終えた応龍は蚩尤を探していたのだ。そして蚩尤を見つけると退却する龍たちと蚩尤との間に割って入り、龍たちの退却を助け蚩尤達を牽制した。

 応龍は左手には通常の盾を二重に重ねた盾を持っており、これにより強力な蒼天弓から身を守ると共に、尾には円錐形の鉄製の防具をつけており、尾を守っていた。さらにこれは攻撃にも使用でき、尾の攻撃を剣で受けられた際に尾の損傷を防ぐという効果もあった。


 この時蚩尤も応龍も考えは一緒であった。お互いに相手を殺すと決めていたのだ。

 

 涿鹿の戦いは勝敗を決めると言っても過言ではない戦神と神龍との激闘が始まった。

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