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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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大戦前夜

 ……いよいよか。いよいよ始まるのだな、蚩尤との戦いが。……ああ、白龍よ、お主の見抜いた通り儂は恐れている、あの蚩尤という人間を。そうだ、正直に言おう、あの襲撃以降儂はあやつを恐れている。儂を見ても少しも怯まず立ち向かってきたではないか。この儂が恐れをなすとは。果たして儂があいつに勝てるのか?いや、勝たねばなるまい。儂が敗北するということは華夏連合軍が敗北することではないか。負けられん。我らは軒轅王を主と仰いだではないか。その軒轅王が我らの背後におられるのだ。決して通すわけにはいかん。命に代えても守って見せる。青龍よ、お主は儂に次ぐ実力の持ち主だ。儂が敗北したら龍族の行く末を頼んだぞ。……何?お主には儂の頼みが聞けんと申すか、何?儂が敗北した時にはお主も共に死ぬというか。そうか、お主も儂に重い荷物を背負わせるというのか。……よかろう。儂はもう怖くないぞ、儂の後ろにはお主たちがいるのだから。龍族の誇りと共に死のうではないか。……黒龍よ、お主は死なぬと申すか。……そうじゃな、共に勝って軒轅王と共に未来を生きよう。赤龍よ、お主も勝って生きるつもりか。……そうじゃな、龍王の儂がこの体たらくじゃ申し訳が立たぬわ。皆の者、龍族が滅びるにはまだ早い、我らが小さき主、軒轅王を信じ、そして戦いに勝利して皆で生き延びよう。


 軒轅は幼少のころからの顔なじみの東方の商人と話し込んでいた。


 商人の口からは蚩尤の中原侵攻がいよいよ始まるという話が出ていた。軒轅は話を聞きながらいよいよ来るべき時が来たという思いであった。

 冀州城の戦い以降、すでに1年以上経過していたがこの間蚩尤は動かなかった。軒轅達には蚩尤の情報はあまり伝わっていなかったため何故だか分からなかったが、軒轅達にとっては好都合で軍備増強のための願ってもない時間が得られた。

 一方の蚩尤は動かなかったのではなく、三苗の蠱毒により動けなかったのだ。そして蚩尤の体調回復を待ち、この時が満を持しての進軍であったのだ。蚩尤達九黎軍は冀州城の戦いで兄弟達を殺されたために、その雪辱を晴らそうと殺気立っていた。


 軒轅は商人からの報告を受けて、さっそく諸侯へと蚩尤打倒の檄文を発し出陣を呼びかけた。有熊では風后による練兵と、常先による鉄製の武器防具により冀州城の戦いの頃とは見違える強い軍隊に成長していた。

 華夏の諸侯たちも鉄製の武器を製造しており、また蚩尤との戦いに備えて穀物の備蓄も行っており準備万端であった。


 諸侯たちは軒轅からの檄文を受け取ると続々と有熊へとやってきたのだ。諸侯たちは皆、中原を守る決意を内に秘めており、その思いは表情に現れていた。皆精悍な顔つきであった。

 

 諸侯たちにとっても蚩尤に敗れることは自分達華夏の民が九黎族により蹂躙され奴隷として一生を送らなければならないことをわかっていたからであり、軍勢の士気は高かった。

 加えて冀州城の戦いで見た勇猛な蚩尤の兄弟達と三苗が操る修蛇や封豨と言った化け物が出てくるため、多くはこの戦いで死ぬ覚悟を決めての参戦であった。自分たちの部族を大地をそして家族を守るために決して引くわけにはいかなかったのだ。

 有熊には中原中から諸侯たちが集まったので有熊では受け入れられないほど多く、やがて郊外で野営する者たちも出始めた。


 諸侯たちは有熊に到着すると軒轅に面会を求め、軒轅は訪れる諸侯たち一人一人と会い、参陣に対する礼を述べ、蚩尤打倒の思いを一つにした。

 顔なじみもいたが、初めて会う人物も多く危機感の高さを伺わせていた。そんな中に炎帝榆罔の姿があった。榆罔は今回は腹心である刑天けいてんを連れて参陣しており、その領地は冀州の野の戦いの敗北から徐々に復興しつつあった。

 冀州城は榆罔の領地内にあったために、黄河を渡って有熊へ来た後に再び黄河を渡って冀州城へと戻らなければならず手間であったが、榆罔は軒轅に敬意を表するためにその手間を惜しまずに参陣していた。そんな榆罔に歴戦の勇士である刑天は表情にこそ表さなかったが心中は寂しかった。

 阪泉の野の戦いで榆罔の命を救った軒轅には感謝の念を持っており同時に主を破った軒轅王の武と軒轅の徳に深い尊敬の念をもっていたが、刑天は榆罔と共に戦場で戦い相手を屈服させることが好きであり、欲望を隠さず表情に出してぎらぎらとしていた榆罔が好きであった。

 しかし、今では榆罔は並み居る諸侯の一人に過ぎず、本来ならば榆罔こそが蚩尤打倒の指揮を執る者だという思いもわずかながら心の片隅にはわだかまりとして残っていた。


 刑天は音楽に造詣が深くこれまで多数の楽曲を作っており、その楽曲に興味を持ったのが風后で風后はこのとき刑天から様々な曲を教えてもらい、刑天の曲を葦の茎で作られた笙簧しょうこうで吹くようになっていた。刑天は曲を愛する風后や自分と同じ戦いの匂いが染みついている力牧は気に入っていた。

 風后も力牧も勇猛果敢であるが音楽をこよなく愛する粋な刑天と言う男に惹かれていた。共に仲間として戦場で戦えることが嬉しかった。

 

 大方の軍勢が集まると、夏の暑い中行軍が開始された。軒轅達はまずは蚩尤の進軍経路となるであろう、冀州城へと軍を進め冀州城の付近で敵を迎え撃とうと言う計画を建てた。

 冀州城は奪取して以降、榆罔と力牧、そして女丑の弟子の巫術師たちが守備にあたっていたが、九黎が攻めてきたと言う報告はこれまでなかった。


 軒轅達はしきりに斥候を放ち蚩尤達の様子を探らせていた。斥候の報告では蚩尤軍も進軍を開始しており、数日中には冀州付近へと到着予定であった。この間に軒轅達は陣形の訓練を行うことにし、冀州城の前面の平地部に全軍を集めて練兵を行った。


 多くの兵が霊獣や神を見るのは初めてであったため、最初は戸惑っていたが霊獣たちの威圧感、存在感を感じると霊獣達をすぐに受け入れ畏敬の対象となっていった。

 軍は総勢1万5千人にまで膨れ上がっていた。これまでの中原の歴史上で最も多い兵の動員数であることは明かであった。この兵が風后の指示に従い握奇陣を作り出した。さらに敵が前方から攻めてきた場合、横から攻めてきた場合などの兵の動き方について何度も繰り返し様々な攻撃にも即座に対応できるように訓練を行った。

 練兵の合間に軒轅達はこの軍勢が展開でき有利に戦いを進められる場所を探していた。冀州城の東に30里ほど行った場所に涿鹿たくろくの野と言う平野があり、その南部には小高い丘があった。陣は高所に敷くとより効果的であるという風后の考えに従うと、この丘は最適な布陣場所であった。

 風后が軒轅にこの丘に陣を敷くことを進言し、軒轅は風后の進言を受け入れた。そして、大声で、


 「握奇陣を敷け!」


 と全軍に指示を出し、この丘で陣が敷けるかどうか試してみた。

 軒轅の指示で常先の叩く夔牛の皮の太鼓の指示の下、兵たちは素早く握奇陣を敷き終えた。軒轅は練兵を通して軍勢が自分を中心として一体となっていることを感じていた。

 

 「いよいよか。」


 握奇陣を敷き終えて軒轅は蒼天を仰ぎ見てポツリと呟いた。夏の暑さと日差しで顔から流れた汗は胸を通り足の下まで流れていた。ふと空を見上げると空が青いことに気が付いた。これまで必死で走り続けてきてゆっくりと空を見上げる余裕もなかったのだ。妙に心が穏やかでもうすぐ生きて帰れるかわからない激しい戦いがおこるなど嘘のように感じていた。


 有熊の兵を見てみるとその目つきは鋭く、かつて相柳と戦った時の兵とは思えない精悍な軍勢となっていた。そして軍師風后の指示に従い手足のように動き、将軍力牧に率いられて勇猛に戦った。

 それは他の諸侯たちの兵たちもそうであり、強靭な九黎兵にも引けを取らないと思われた。また、鉄製の剣や槍を装備している者の数も8割を超えており、激しい訓練を行っていたことも相まって強兵へと成長していた。

 東方の商人たちや斥候からも蚩尤の軍勢の情報がもたらされており、風后が敵の戦力分析をしていた。


 伝わっている軍勢は凡そ歩兵が6000人であり、九黎兵と三苗兵を中心とし各部族からなる混成部隊であり、ここに戦神蚩尤とその兄弟、東方の神々とさらに三苗が操る化け物が加わるのであった。

 そして異形の者たちである魑魅魍魎が800体ほど付き従っていた。その上空には数頭の霊獣が浮かんでおり行軍に付き従っていた。それは龍の天敵である望天吼であった。


 この軍勢に加えて三苗がどのような化け物を連れてくるかまだはっきりしておらずまた東方の神々の能力や魑魅魍魎の強さなどまだまだ不明点が多かったが、聞いた者すべての背筋が凍る情報がもたらされた。魑魅魍魎は九尾狐によって率いられている、と言うことであった。


 九尾狐の名を聞くと天神陸吾や白澤、女丑が反応した。虎の外見をしている陸吾も尾が9本あり、9本の尾は神かそれに近い能力を獲得していると言うことなのだ。

 大昔から生きている陸吾には九尾狐に心当たりがあった。ある人間の少女によく懐いていた強力な霊力を持った狐を思い浮かべながらもしかしてあの時の狐か、と想像していた。

 いずれにせよ、この九尾狐の相手は自分が引き受けようと陸吾は心に決めていた。


 その時、空一面を影が覆い、大きな生き物が現れた。それは応龍であった。応龍は傷を治し軒轅軍に合流するために駆けつけたのであった。この応龍の登場で仲間の龍たちが沸き立った。応龍は強大な戦闘力を持つ龍たちの中でも絶対的な戦闘力を持つ者であると看做されていたのだ。

 応龍は陣中の軒轅を見つけると軒轅の下に行き、軍に加わると告げた。蚩尤とその兄弟から受けた傷は完治しており、万全の体勢であった。


 この時応龍は軒轅の傍に旱魃かんばつがいることを見て驚いた。

 応龍は崑崙山で何度か旱魃を見たことがあったが、その強大な神術は他の追随を許さなかった。その他にも崑崙山を司る天神陸吾や崑崙山でも応龍と仲の良い白澤などの姿もあり、崑崙山の神々が軒轅に味方したと聞いてはいたがそれまでは信じられず、今この瞬間に初めて実感した。


 応龍は神々は味方しないだろうと思っていた。自分が西王母に会って蚩尤と戦うための援軍を頼んでも西王母は首を立てには振らなかったであろう。神々の性格を知っていたからであった。そのため応龍は龍たちを引き連れて自分達だけで蚩尤と戦おうとしていたのだ。そして人間に近づいたのは心許ないが人間と言う存在も味方につけておこうと言ういう程度の考えでしかなかった。

 しかし、この軒轅と言う自分が山で偶然に会った人間の男は驚くことに人間と霊獣、龍、そして神々を見事にまとめ上げているではないか。この軒轅の持つ高い徳に応龍は深い尊敬の念を抱いたのであった。

 このめぐり合わせは土徳によるものであろう。歴史を見ると明らかであるが、歴史は誰かを勝利者にする。しかし、その勝利者になるためには数多の偶然により支配されているのである。この偶然を呼び寄せ自分の糧にする、これまで軒轅はとんとん拍子に成功していったが、この因果律の支配が土徳の一側面であった。

 このため、応龍と出会ったのは実は偶然と言うよりも必然と言った方が近かったのだ。それは応龍だけではない。同様に人間で高い神性を持つ女丑、風后、力牧、常先そして妻の螺祖もそうであった。この時代に生まれるべくして生まれ巡り合うべくして巡り合ったのだ。


 応龍は軒轅の前で服従の姿勢を取った。これを見ていた他の龍たちは驚いたが、皆応龍に倣い軒轅に服従をした。それまでは曖昧な態度であった龍たちもまた応龍と共に軒轅を主と認めたのであった。

 龍たちからすると自分達よりもはるかに弱い人間に臣従するとは考えてもみなかったことであったが、この軒轅と言う男を間近で見ていると弱い人間でも従うべき者がいることを悟っていたのだ。力だけが全てではない。人をまとめるのは徳を持って行う。それは国を治めることにも通じていた。


 軒轅の師である大鴻が幼いころから軒轅に以徳治国を説いた。その師を選んだ父、少典の眼は正しかった。軒轅は師に恵まれ父親に恵まれ、そして臣たちにも恵まれてその中で成長していき、今では大人物となっていた。

 それは決して一人では成すことはできないことであると軒轅は身に染みてわかっていた。今こうして応龍たちが自分に臣従してくれるのも自分を支えてくれる周囲の人間がいてからこそであったのだ。

 軒轅は龍たちに礼を述べると、その様子はこれまでよりも威厳に満ちていた。


 斥候の報告では蚩尤達は冀州城の東の100里ほどに迫っているということであった。蚩尤たちは翌日ここ涿鹿たくろくの野に到着するだろうと思われた。


 その夜、主だったものが集まり焚火を囲んで話あった。神、霊獣、龍、人間が集まると言う異様な光景であった。女丑が神々に祈りを捧げ、武運を祈った。

 軒轅は腰に帯びている紅銅でできた軒轅剣を取り出すと剣を天に掲げ祈りを捧げた。すると、剣が光り辺りを照らし、その光を浴びた者たちは身体の底から力が湧いてくる気がした。否、気がしただけではなく実際に諸侯たちは剣の加護により守られ、身体能力が一時的に向上していたのであった。

 神性を持つ者たちは、この時軒轅の神性が大きく向上していることを感じていた。


 この場には女丑の弟子たちもいた。女丑の弟子たちは力牧と共に冀州城に駐屯しており、力牧から直々に剣の稽古を受けていたのだ。特に神性が強く高度な術を扱える弟子たちは巫咸ふかん巫彭ふほう巫朌ふはん巫礼ふれい巫謝ふしゃ巫姑ふこ巫真ふしん巫羅ふら巫即ふそく巫抵ふていの十名であり、それぞれ神性を感じ取る能力に優れた螺祖と共に女丑が探し出した高い神性を持つ者ばかりであった。

 弟子たちは皆桃の木で作った剣を持っており、力牧から仕込まれた剣技は神性の高まりとともに向上していき、皆華夏の人間の中でも最高の剣の使い手たちとなっていた。

 桃の木は聖なる力を持っており邪を退ける力があり、これは対人間様に使用する武器ではなく三苗の仕掛けてくるであろう闇の呪術に対抗するための武器であった。

 十巫達を率いるのが巫咸という若い女性であり、長身に黒く長い髪をなびかせて身軽な体技を見せていた。巫咸は十巫達の中でもとりわけ術の能力が高く、その冷静な判断には十巫達からは高い信頼が寄せられていた。

 この十名の巫術師たちはこの時、師の女丑と共に神々に祈った。

 

 祈りが終わるとその後は神、龍、霊獣、人間関わらず誰もが自由に発言した。太古から生きていた天神陸吾は、この光景を懐かしそうに思い出していた。古い昔の仙人たちはこうやって神や龍と共によく話し合っていたものであったのだ。


 遠くからは虫の鳴き声が聞こえており、炎帝の部下で楽器の名手でもある刑天は原始的な弦楽器であるしつ扶犁ふりを弾き、それに合わせて風后も笙簧しょうこうで扶犁の音階を奏でた。この美しい澄んだ二つの楽器の音色が合わさりこの上なく甘美なひと時を醸し出し、陸吾や白澤、旱魃と言った崑崙山の神々までもがその甘美な音色に魅せられていた。

 いよいよ明日激突する。中原連合軍は皆覚悟を固めていた。神々も霊獣も龍も人間もこの時は皆軒轅を中心に一つになっていた。


 蒸し暑い夜が続いた軒轅33歳の盛夏であった。

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