誇父追日
太陽よ。うん、眩しいぞ。ぎらぎらと輝いて、目が痛いわ。それに速いな。もうあんなところまで行っている。おい、待て。……待たないという訳か。良いだろう、追いかけて捕まえてやる。お前には地上の民が散々と迷惑を被っているのだ。太陽め、お前は一体何なのだ?……聞こえぬか?それじゃあ、捕まえてじっくりと見てみるか。これでも走ることには自信があるぞ。どれ、いっちょ捕まえてみるか。
誇父はそのとき桃の木を愛でていた。
そろそろ花も咲こうかという春先に蚩尤の使いが誇父の下を訪れた。突然の蚩尤からの使者に何事かと思いながらも使者からの口上を聞いた。使者は蚩尤からの伝言を淡々と述べ近い将来に中原の華夏族と戦争になるので加勢して欲しいということを告げた。
誇父と蚩尤とは古い友人で性格は正反対であったが妙に馬が合った。このため若い頃は蚩尤と共に各地を旅をしていたのだ。誇父は義理に篤く私闘は行わないが、蚩尤は弱い相手には無頓着で常に強い相手を求めて戦っていた。どんな化け物にも退かずに常に前進し戦う蚩尤を誇父は次第に尊敬するようになって行った。
誇父は巨人族の長であり義理堅く弱気を助け、人間たちのためにも働くことが多々あったため周囲の人間からは畏怖と共に尊敬を集める存在でもあった。
しかし、蚩尤と出会った頃の誇父はまだ若く自分の能力に驕っていた。事実巨人族で身体が非常に大きな上、走ることが得意であったため太陽すら捕まえ手中にできるとすら思っていたのだ。
その時代、太陽は毎日毎日大地を激しく照らし続けたために大地は焼かれ水は蒸発し作物は枯れ果て悪獣が跋扈する世になっていた。
誇父はこの人々の苦しむ惨状を見て太陽を捕まえる決心をした。自分なら太陽を捕まえこの世を正すことが出来ると思っていたのだ。
翌日から誇父は毎日毎日太陽が昇る頃には東海へ行き走り始め、太陽が沈む禺谷まで追いかけていた。しかし、毎日失敗したが飽きもせず今日こそ太陽を捕まえてやろうと毎日毎日走り続けた。
巨人が毎日東から西へ走っていると言う噂は瞬く間に広まった。実際に走っている誇父の姿を目にした人も数多くいた。その走る速度は非常に早く太陽よりも速いのではないかとすら思えるほどであった。その誇父を見た一人の中に方々を旅をしていた若き蚩尤がいた。
誇父の走る速さは日増しに速くなっていた。しかし、一方の太陽は上空を飛んでいたので居倉巨人と言えどもどうしても手が届かなかった。
そこで誇父は考えを改め太陽が昇る前に捕まえてしまおうと思い立ち夜のうちに東海の果て、大荒の東の端にある孽摇頵羝山へと向かった。
夜になると孽摇頵羝山に向かう山中は真っ暗であったが、孽摇頵羝山の方から光が漏れておりその光は太陽から発せられていたのだ。誇父が太陽へと近づき物陰から覗き見てみると太陽の母である羲和が甘淵で自分の子供である太陽を洗っているのを見たのであった。
孽摇頵羝山の山頂は湯谷と言い三百里もの高さの扶桑樹が生い茂っており、身体を洗い終えた太陽がその扶桑樹を上りまさに東の空へ飛び立っていき、そして夜明けが訪れた。
その強大な光量と熱量を間近に見てさすがの誇父も怯んでしまった。この時誇父は太陽を捕まえることが出来たかもしれないが自分も無傷では済まされないことは一目瞭然であった。誇父は生まれて初めて膝が震えその場に両手をついて倒れ込んでしまい、額からは汗が流れ落ち目眩がしていた。
それと共に誇父は羲和と共にいた太陽の秘密を知り驚いていたのであった。その秘密とは太陽が三本足の鳥であり鳥であるために空を飛んでいたのだと。
月の玉兎と対照的に太陽の事を金烏とも呼ぶことがあるが、これは太陽が三本足の鳥であることから来ている。
太陽が扶桑樹から飛びあがった後、誇父は太陽を捕まえることをやめ別の解決策を模索した。そして意を決して太陽の母である羲和の前に姿を現し事の次第を説明し、人間たちの窮状を話したのだ。
羲和は突然の誇父の出現にひどく驚いた。なぜなら地の果てにある孽摇頵羝山まで来れる人間など見たことがなかったからであった。
羲和は太陽の母であり、太陽は羲和と天に住む帝俊との間に生まれた子供であった。
最初は誇父を恐れていた羲和も誇父の話を聞くにつれて自分の子供が地上の民を苦しめていることを知り人間たちに申し訳ない思いが込み上げてきた。
羲和には太陽の日差しが強くなっていることに心当たりがあった。それは金烏が成長をしたためであり、身体が大きくなり日差しが強くなったのであった。
羲和は毎晩太陽が戻るとその日の汚れを取るために綺麗に洗うことが日課であったが、その日から太陽を洗いすぎず汚れを少し残すことで日差しを和らげると誇父に約束した。
誇父は孽摇頵羝山を後にして帰路に就いたがこの時の誇父を見て誰しも驚いた。なぜなら誇父は走っているのではなく歩いていたからであった。
翌日から日差しは和らぎ世に清涼感が戻ってきた。羲和は誇父との約束を守って金烏の身体に着いた汚れを全て洗い落とさずにわずかに残していたのだ。
世の人々は誇父が何かをしたためだと思ったが、誇父は決して語らなかった。誇父はこの時顔を落とし表情は曇っていた。
蚩尤は誇父が太陽の正体を知った時、誇父たち巨人族の住む成都戴天付近に滞在していた。ちょうどこの近くにいた悪獣を倒してきたところであり、偶然にも誇父が悩んでいるところに出くわしたのだ。蚩尤は例のあの巨人が悩んでいるなど何事かと不思議に思い誇父に話しかけてみた。
この時誇父は考えていた。自分は太陽を捕まえようとしたが捕まえた後にどうすればよかったのかと自身の浅はかな考えを悔い、太陽の強大な力を間近で見て恐れをなしたことなど勢いで太陽を捕まえようと能力を過信した自分の驕りを恥じていたのだ。
誇父は自分に声をかけてきた不思議な雰囲気を醸し出している蚩尤をきょとんと見つめていたが、やがて口を開き一言二言言葉を交わすと、それ以降はその気はなかったにもかかわらず蚩尤に対して話をしだしたのだ。
誇父は蚩尤と話していると言葉が湧いて出ると感じ、誰にも言わなかったこの太陽とその母の話をしたのであった。
誇父は誰にも言わなかった出来事をなぜかこの目の前にいる男には抵抗なく語ってしまう。一方の蚩尤もこの誇父と言う不思議な巨人に興味を持ち、両者は次第に仲良くなっていった。
誇父はしばらく蚩尤の旅に同行し方々を回った。蚩尤は行く先々で強者を求めては戦いを挑んでいたが決して弱者を相手にすることはなく、戦意が無いものを攻撃することもなかった。この時の蚩尤はただ純粋に戦いたいだけの男であり、そんな蚩尤に誇父は次第に仲間意識を感じていた。
戦い好きな蚩尤であるが誇父とは戦ったことはなかった。誇父は義理に篤く蚩尤にとっては誇父は初めてできた気を許せる仲間であり戦う気にはならなかったのだ。
両者は様々な場所に住んでいた荒れ狂う悪獣に出くわすと戦いを挑み勝利していった。蚩尤達にとっては腕試しのつもりであったが人間たちにとっては悪獣を退治した英雄である、次第に蚩尤達は東方の人間の間で英雄としての名声を得ていったのであった。
この時培った蚩尤との友情を誇父は忘れることはなく、蚩尤からの援軍要請に誇父は蚩尤について戦う決心をしていた。誇父はこの時には一族の長となっていたが、私情が絡む戦いのため一族は率いずに蚩尤軍に自分一人だけ加わることにした。
誇父は大荒の北の成都戴天と言う山に住んでいた。その山の頂は天にまで届いており、山の側面の削られた絶壁の中腹には雲霧繚繞、松柏挺立の雄大で壮麗な景色が広がっていた。
誇父の父は信と言い、大神后土の子孫であった。誇父は上半身には何も身に着けておらず、耳にはピアスのように黄蛇をかけておりそれぞれの手にも黄蛇を握っていた。
誇父は山を下りる決心をし、一族に一人で蚩尤の下へ行くことを告げた。一族は戦いに反対する者と自分も誇父について行き戦うという血気盛んな者と二分したが誇父はあくまで蚩尤と自分の個人的な関係から助勢するので一族は巻き込まずに一人で行くと言い張った。
翌日誇父は九黎へと向かって言った。手には蕾が多いが幾つか花が咲いている桃の枝を持っており花が萎れないように時々水に浸しながら運んだ。
誇父が九黎の都に到着すると、蚩尤は兄弟達を引き連れて誇父を出迎えた。古い友に久しぶりに会い自分に加勢してくれる誇父を懐かしみ感謝の言葉を述べた。
蚩尤の兄弟達にとっては蚩尤の昔馴染みである。このため誇父に対する親近感は非常に強いものであった。
誇父が成都戴天を離れる時に手に持っていた桃の木の花はこの時満開になっていた。その日は春たけなわで温かい日差しにつられて多くの蝶々が飛んでいた。
誇父は手に持った桃の枝を蚩尤に差し出した。すると蚩尤は誇父の持っていた桃の枝を受け取り地面に差した後、その桃の花を囲むように誇父を交えて兄弟達と座った。そして神々へと祈りを捧げ、誇父と兄弟の契りを交わしたのだ。
この時蚩尤の周りには天神や山神たちが集まっており、儀式の承認者となっていた。
誇父にとっては桃の木は神聖な意味を持っていた。それは蚩尤達も同様で蚩尤率いる九黎族は楓の木を神聖視していた。これは現在で言うところのトーテム信仰であり、血縁者と自然にある動植物を重ね合わせて信仰するのである。
誇父は蚩尤とその兄弟達と兄弟の契りを桃の花の前で結んだ。これ以降、蚩尤達にとっても桃の木は神聖な木となると共に、まさに一騎当千の強者である誇父が蚩尤に味方した瞬間であった。
蚩尤の下には圧倒的な戦闘力を持つ軍が出来上がっていたことをこの時軒轅はまだ知らなかった。




