風神風伯・雨神雨師
ふわふわと心地よいいぞ。風に吹かれながら泰山の山頂に漂う。これぞ神の醍醐味ではないか。それ、風よもっと吹け。ああ、心地よい。さてと、名山を巡り遊ぶとするか。泰山の次は東海の蓬莱山にでも行って見るか、久しぶりに蓬莱山の山神やに会いたいぞ。奴は元気にしておるかの。おっと、人間の頃の悪い癖じゃ。山神なので元気に決まっておるか、はっはっは。それ、風よ吹け。ん?前方に大きな厚い雨雲があるぞ、雷公がまた奥さんと夫婦喧嘩でもしておるのかのう。あの夫婦の夫婦喧嘩はうるさくてかなわん。所かまわず雷を落としよるからのう。おや、雷公夫婦ではなさそうじゃ。なんじゃ、あの者は。初めて見る神じゃのう。雨神のようじゃ。大方雨の多い南方からこの辺りへと移り住んできたのか。まあ良いわ、儂には関係のないことじゃ。それ、風よ吹け、あの雨雲を一気に通り抜けるぞ。
「飛廉、飛廉は居るか?」
大荒の東、祁山に蚩尤の姿があった。蚩尤は飛廉と言う人物を探して祁山のこの洞窟にまでやってきたのだ。否、人物と言う表現は正確ではない、正確には飛廉は風を司る神であったのだ。
蚩尤と飛廉は以前戦ったことがあった。風神との戦いであり、さすがの蚩尤も風伯には苦戦した。
両者の戦いは突然始まった。飛廉に相対した蚩尤は飛廉に飛び掛かると、飛廉は風術でかまいたちを巻き起こして切り刻んでしまおうとした。しかし、蚩尤の硬い体には通用せず、次に竜巻を起こして吹き飛ばしてしまった。飛んでいく蚩尤の身体が点に見えるほど遠くまで吹き飛ばされてしまった蚩尤であるが、吹き飛ばされても怯まず立ち上がり、その恐ろしいほどの激しい風速を避けつつ飛廉めがけて突き進んできたのであった。しかし、その都度激しい風圧に勝てずに吹き飛ばされてしまった。次第に両者の表情に疲労の色が見えてきたが、疲労は飛廉の方が激しく次第に低下していった風速が蚩尤の前進を阻めなくなってしまい、最後には飛廉の間近に迫った蚩尤が飛廉の喉元に剣を突き付けて敗北を認めさせたのだ。
「はっはっは、すまぬすまぬ。ついつい力試しがしたくてな。お主に突っかかってしまったのだ。非礼を詫びる、この通りだ。」
と、決着がついた後に飛廉に詫びた。
「儂はただ風を吹かせていただけじゃ、その儂に剣を向けるなど無礼も甚だしいわ!」
蚩尤にとっては腕試しであったのだが風伯にとってみればいい迷惑であった。
「まあ、最近この辺の風が強くて作物が上手く育たんという話も聞いていて、もしかするとお主が原因ではないかとも思いそれを確かめたかったという理由もある。」
と、蚩尤は付近の農民たちが風が強くて困っていることも説明した。
「ふむ、なるほど。確かに最近はイライラしておったのじゃ。儂の風を邪魔するように雨を降らせている者が居るようで、ついつい強い風を吹かせてしもうたようじゃ。」
と言った。蚩尤は、
「まあ、強風の件はこれから気を付けてさえもらえれば済んだこととしてそれでいい。」
と言い、続けて、
「しかし、雨を降らせるって一体誰なんだ?」
と尋ねると飛廉は、
「ふむ、どうやら最近この辺にやっていた雨神のようじゃ。」
と答えた。そして両者はしばらくその雨神について話し込むと飛廉は蚩尤という人物に触れていくうちに次第に心を開いていったのだ。そして今ではお互いの実力を認め合う仲となっていった。
蚩尤は飛廉がいる祁山の深い洞窟の入り口に立ち大声で飛廉の名を叫んだ。
暫くすると洞窟の中から突風が吹き出し、その風圧に蚩尤は思わず右手で顔を覆った。風が止み右手を下ろして前を見ると、なんとそこには飛廉が立っていた。
飛廉は鹿の胴体に孔雀のような頭をしており、頭には鋭い角が一本生えていた。尻尾は蛇のようで胴体には豹の模様が見て取れた。
「おお飛廉、元気そうだな。」
と、蚩尤は問いかけると
「蚩尤殿、一体どうしたのだ、大分弱っているように見えるぞ。」
と、飛廉は突然蚩尤の体調を気遣った。蚩尤はこの時蠱毒の呪いがまだ回復しきれておらず虚勢を張っていたが飛廉の前ではその虚勢は見透かされていた。
「相変わらず鋭い奴だ、お前には隠し事はできんな。三苗の蠱毒にやられた。」
「蠱毒か、あれは厄介な術じゃな、しかし普通の蠱毒じゃお主が死ぬとは思えぬが一体何があったのじゃ?」
飛廉は訝った。
「まあ、色々あって死にかけたわい。そのことは今度ゆっくり話すことにしよう。」
蚩尤が言うと
「分かった。では今回来た要件を伺おう。」
そう答えると、飛廉は鹿のような姿から長い白髪と白い髭を湛えた老人の姿に変わっていた。
飛廉は風伯と言う名で知られている風神であり、風を操る術に関しては最高の術者でもあり、八風を掌握し五運の気候に通じていた。北方の風神である禺疆や南方の風神の因乎などよりも上位の風神であった。
蚩尤は風神である風伯飛廉に中原侵攻の計画を話した。当初は風伯の力を借りずとも九黎族だけで十分であると思ってはいたが、中原の覇者が思いの外手ごわく風伯を始めとした神々の力を借りたいと言うことであった。
神々の世界は西は崑崙山の西王母、東は東海の東公王に分かれそれぞれ従っていたが西王母と東公王は特に対立していると言う訳ではなかった。西王母も東公王も領地や管轄などには興味を示しておらず、成り行きでそのような分配になっているだけであるが、お互いに干渉しないことが暗黙の了解となっていた。他の神々も争いが起こらない現状に満足し、受け入れているのである。このため、東方の神々が西方に行っても術を用いることは無く、逆もまた然りであった。
風伯は領地には興味を示さなかった。風伯にとっては土地が欲しいわけではなく自分の力の揮える場所を求めて、ふらふらと漂いながらその力を振るっていた。
しかし、蚩尤が中原一帯を制圧するとそれまで大荒の東のみにしか影響を与えていなかった自分の力が西王母の勢力が及ぶ中原にまで及ぼせるので蚩尤の申し出には乗り気であった。風伯にとっては大荒の東という狭い場所では十分な力を振るえなかったのだ。特に西方から吹いてくる風が大荒を通り東海へと吹き抜けるのを感じ、果たして西方のどこから風が吹いてくるのか、その根源を見てみたかった。より風と一体化したい、これが風伯の望みであると共に、自分を負かした存在である蚩尤に付き従うことが戦いに参加する理由であった。
西王母は時折東公王に会いに東海へと行くことがあったが、その時は大鵬という巨大な鳥の背を渡って行った。大鵬の背は数千里もの幅があったという。大鵬は不思議な鳥でありもともとは北冥に住む魚で鯤と言った。
この鯤の大きさも桁外れで数千里の大きさであり、この鯤が変化して鳥になり鵬となったのだ。大鵬が飛ぶと広げた翼は天の雲のようであり、太陽を遮って辺り一面が真っ暗になってしまった。
蚩尤の中原侵攻計画を聞いているときに風伯はある神を紹介すると言った。それは雨師萍翳という雨神で、蚩尤との戦いの後に話していたあの雨神であった。
両者はその後、激しい戦いを繰り広げたのだ。その時は大荒の東のみならず東海にまで影響を与え周囲一帯は大嵐となり大洪水が起こったと言う。
蚩尤は昔の大嵐を思い出しながらあの時の嵐はこの両者の戦いによるものだったのかと理解した。風伯と雨師の激闘は引き分けに終わり決着はつかなかったが、それ以来お互いの実力を認め合う仲になっていた。
蚩尤にとっては強力な雨神が味方に付くのである、この願ってもない申し出にさっそく雨師に会うことにした。
雨師は初代炎帝の神農氏の時代には赤松子とも呼ばれ、神農氏に雨を祈祷する雨師として仕えていた。この神農氏に仕えていた頃に雨師という名がついたのだ。
赤松子と神農氏の出会いはひどい干ばつの時であった。神農氏はこの時頭髪には白髪が多く老境に入っていた。
酷い干ばつで作物は今にも枯れそうになっており、民の嘆きが神農氏の胸を突き刺していた。神農氏は無力の自分を嘆き民と共に涙するしかなかったのだ。そんな中一人の放浪の徒が神農氏の前に現れた。
その人物はみすぼらしい格好をしており、上半身には草を纏い、下半身は動物の皮を巻いており手には柳の小枝を持っていた。その放浪の徒は神農氏の前で赤松子と名乗り雨を降らすことが出来ると言った。
神農氏はこれを聞いて喜び、さっそく赤松子に雨を降らせるように頭を下げて何度も頼んだ。赤松子は神農氏の頼みに応え赤い色の角を持った小さな龍である赤虬に化け天に昇って行った。すると天は次第に厚い雲で覆われて激しい雨が大地に降り注いだのだ。
この雨により枯れかけていた作物は息を吹き返し神農氏と民は大喜びし、神農氏は赤松子を雨師に封じて雨に関する国事を取り仕切らせるようになったという。
雨師は神農氏の死後に忽然と姿を消してしまった。雨師は神農氏という人物に興味があっただけで、その死後には人間の世に興味を失ってしまい、その後は気の赴くままに雨を降らせていた。
あの時も気の赴くままに彷徨い気の赴くままに雨を降らせていた。しかしある時、近くに偶然にも風伯がいて心地よい風を吹かせていたのであった。
風伯は雨が降ると雨に濡れることを嫌い雨が降るたびに大風を吹かせて雨粒を全て上空へと戻してしまっていた。雨師としては降らせた雨が空に戻っていくし、風伯としては雨を上空に押し上げるために風を降らせているのある、次第にイラつき始めた。そして、この状態が続くとやがて互いに敵視しあい両神の戦いが始まってしまったのであった。
両者の戦いは激しかった。雨師は雨水で風伯を押し流そうとし、風伯は雨師を風で吹き飛ばそうとした。さらに風伯が放った鎌鼬を雨師は水流で消し去り、両者ともに決定打を欠き戦いは三日にも及んだ。三日が経つと両者ともに術を使いすぎて疲れてしまい倒れ込んでしまったのだ。これにより戦いは終わったのだが戦いのあった周囲は洪水と大風で荒れ果てた大地と化してしまっていた。
風伯と蚩尤はこの雨師の下を訪れた。雨師は赤虬の姿をしていたが、かつての宿敵が現れたことでひげを蓄えた壮年の姿に変わった。右手は蛇であり、この蛇の口から常に水が流れ出していた。
「萍翳、久しぶりじゃ。」
風伯が声をかけると、
「飛廉か、二年ぶりかのう。」
と雨師は答えた。
「うむ、そんくらいかの。お主もげんきそうじゃな。今日は我が友を連れて参った。少し話を聞いてくれ。」
風伯が言いうと、蚩尤が
「蚩尤と申す、今回は中原侵攻に貴君の力添えを願いたいと思って参った。少しばかり話を聞いてくだされ。」
と言った。
「貴殿が蚩尤殿か、噂は聞いておる。何事か面白いことでも起こるのか?」
雨師は言った。雨師の傍らには商羊と言う一本足の鳥が数羽おり舞を舞っていた。
「うむ、中原を攻めるにあたって厄介な人物がおる。奴は中原をまとめたのみではなく龍をもまとめて味方につけてしまったのだ。奴を倒すための戦力を集めている最中でな。」
蚩尤は雨師の目をしっかりと見据えて一言一言を噛みしめるように言った。
「もちろんただで協力しろとは言わん、中原制圧の暁には貴殿と風伯に中原のみならずここ大荒の東の天候も任せる、好きにしてくれ。」
雨師はこれを聞き終わると風伯の方を見た。風伯は無言で頷き、雨師は蚩尤に与する決心した。風伯とは以前死闘を繰り広げた間柄である。しかも風伯と自分の術の相性は抜群で二人が手を組めば中原の軍勢も容易く蹴散らせると思ったのだ。
雨師にとって降らせたい場所に降らせたいだけ雨を降らせることが無常の喜びであった。それは風伯も同様で天候を操る神々の習性でもあったのだ。このため蚩尤の提案は雨師にすんなり受け入れられた。
風伯も雨師も一人ならば大きな力は発揮できないかもしれないが二人が手を組むと台風並みの大嵐を簡単に巻き起こしてしまう。天候を操る神が手を組むことは人類を滅ぼしかねない一大事でもあったのだ。
蚩尤は風伯と雨師と言う強大な神々を味方につけ着々と軍備を整えていたのであった。
蚩尤は風伯や雨師などの他にある霊獣を探していた。それは望天吼であった。望天吼は龍を餌とする獰猛な霊獣であり、龍の天敵であった。
蚩尤とその兄弟達は以前は人間たちが毒蛇を見ると殺してしまうように、龍を見ると僅かな敵意と共に殺していたのであった。しかし、この行為が龍たちの危機感につながり応龍の奇襲を呼び寄せてしまった。前触れもなく襲ってきた応龍の比類なき戦闘力を目の当たりにし、蚩尤は龍に対する危機感を持った。
応龍の奇襲の時には兄弟達がたまたま弓を持っていて至近距離から一斉に矢を放ったので何とか撃退できたが、蚩尤が応龍と一対一で戦った場合には勝てたかどうか怪しかった。蚩尤達にとって龍は何としてでも根絶やしにしたい種族となっていた。そして来るべき龍たちとの戦いに備えて龍に対抗する手段が欲しかった。
現在蚩尤とその兄弟のみが扱えるであろう龍を殺すための巨大な剣、屠龍と龍の硬い鱗を貫く強力な弓である蒼天弓を開発中であった。しかし、これらの武器は空を飛ぶ龍に対しては龍が近くに寄ってこないと攻撃が出来ないため受動的な武器なのであった。
このため蚩尤達は空を飛ぶ龍に直接攻撃を仕掛けられる強力な味方が欲しかった。そんな中、呪術を行う一族の三苗族が降伏し蚩尤の配下に就いたのだ、このまたとない好機に龍の天敵である望天吼を三苗の呪術者たちに操らせ味方につけようとしたのであった。
望天吼は常に空を漂っていると言う。そして龍を見つけると獰猛に襲い掛かった。東方に住む龍は蚩尤達が大体殺してしまっていたので望天吼は餌のある西方に移動していると考えられた。
そんな中、冀州城から蚩尤の砦へと戻る途中であった蚩尤軍の兵士たちから望天吼を目撃したという報告があった。蚩尤は三苗族の術者を引き連れて早速望天吼が目撃された場所へ行ってみるとなるほど空中に漂っている霊獣がいるではないか。
望天吼はその時活動を停止しており、50丈ほど上空を風任せに漂っていた。望天吼は犬にも似た馬のような胴体に駱駝に似た頭部と鹿のような角を持っていた。首は比較的長く蛇のようであり付け根には鬣があった。全身には鯉のような鱗、そして四本の脚には鷹のような鋭い爪がついており龍の硬い鱗も容易に切り裂ける鋭利さを持っていた。
望天吼は周囲に龍がいないので空を漂いながら寝ているように見え、無防備な姿をさらしていた。
三苗の術者たちはすぐさま術の準備に取り掛かった。三苗の術は対象の深層心理に語り掛けることから始まる。人間でも霊獣でも大抵は欲望を持っているが、この欲望を見つけ出し操っていくのだ。
望天吼の欲望を探すことは簡単であった。望天吼の欲望とは則ち龍を食べると言うことであったので、三苗の術者たちはこの望天吼の心理に働きかけた。術者たちは望天吼の欲望に自分達の心理を術で同化させ欲望を増加させていった。
術者たちは全員で龍を食べる状況を想像し望天吼の心理に伝えた。すると望天吼の欲望は高まりこれによって望天吼は突然目覚め周囲を飛び回りだし、龍を探し始めたのだ。望天吼の龍に対する執着は非常に強く、この時術者たちにも望天吼の強い欲望が伝わっていていた。
程なくすると術者たちは欲望を鎮めるように望天吼の心理に働きかけた。すると今度は大人しくなり以前のように寝ながら宙を漂っている状態になったのだ。
これを見り返すことで次第に欲望以外の感情でも望天吼を操れるようになって行き、戦闘の時にも敵と戦わせるように仕向けることが出来るようになる。
三苗の術を見ながら蚩尤は笑みを浮かべ、望天吼を出来るだけ探し出すように命じ九黎の砦へと戻っていった。さらに休養が必要であったのだ。




