十巫
何とも頼りになる男ではないか、こうも勇猛に戦う人間を将軍としてその一軍を統率できるなど、軍師としてこれ以上の喜びはない。だが力牧よ、蛮勇は勇気とは違うぞ。力牧よ、逃げてもいいのだぞ。死ぬまで戦うのは戦士の誉れと言うが、生きてこそ次の戦いが出来るではないか。何?本気で言っているのか?本気で全ての戦いに勝つつもりで挑んでいるのか?全くあきれた御人だ。しかし、お主の武勇は蛮勇ともちょっと違う気もするが、どうにもお主は生まれながらにして生粋の戦士と言うことか。お主のような人間はこの中原のどこを探してもいないであろう。軒轅王も言っておられたが、お主には死んでほしくない。生きろ、我らと共に生きてくれ。そしてお主と私で我らが主、軒轅王の未来を作り上げようではないか。
力牧と風后は黄河を渡り冀州の地にあった。
力牧と風后の前方には蚩尤の兄弟の建てた砦があり、周囲の人々から冀州城と呼ばれていた。冀州城は平野の真ん中に建てられており、その周囲は土と石で固められた土台に針葉樹の木材を立てて作られた頑強な柵で覆われており、柵は倒すことが出来ずにこの柵を通って兵が攻め込むことは不可能に思えた。砦の中には大小さまざまな建物が建てられており、中には遠くを監視するための監視塔もあった。
現代の感覚からは城と言う言葉はふさわしくないが、当時としては堅牢な砦を城と呼んでおりこの蚩尤の砦はまさに城であった。
近くには森と川があり森からは伐り倒された木が冀州城へと運ばれていた。城のある建物からは木材を燃やした煙が絶え間なく出ており、その煙の量は非常に多く3里ほど離れている力牧と風后たちにまでその煙の臭いが漂っていた。
果たして何をしているのか、誰しも疑問に持っていたが風后だけは製鉄に関係していると直感していた。なぜならこの建物の周囲では兵たちが盛んに鉄の剣を振り切れ味を試しているように見えたからであり、さながら出来たばかりの剣の具合を見ているようであったからだ。
風后のこの直感は当たっており、九黎軍はこの城を本拠地に武器を生産し、さらに食料供給のために周囲の村々を支配下に置いていった。
周囲の国々もこの九黎軍の侵攻に対して戦いを挑んだが手も足も出ず次々に敗北していった。生き残った領主達は有熊に助けを求めにやってきていたので軒轅たちにも蚩尤軍の恐ろしさが伝わっており、あの強大な戦闘力を誇る応龍が蚩尤とその兄弟に破れたことも今では納得がいった。
風后はこの強大な軍勢をどのようにして打ち破るか一人考えていた。兵数ではこちらが勝っているが武器と防具、そして兵自身の戦闘力全てで蚩尤軍に劣っていた。まともに戦っても勝ち目はない事は明白であった。
このような状況においては奇襲を行うことが常套手段である。このため風后も奇襲作戦を考えるために伏兵に適した場所を探していたのであった。
冀州城の周辺は見渡しの良い平野であるために伏兵には適さない。周囲で伏兵に適した場所と言えば蚩尤軍が木材を伐り倒している針葉樹の森であった。森に入り合流地点を定め各30人ずつの小隊を編成して伏兵にあたらせた。攻撃手段は弓であり、蚩尤軍の兵士たちとまともに斬り合う事を禁じていた。また、分が悪くなった場合は合流地点まで退却するとともに太鼓を合図にして周囲の小隊が救援に駆け付けるという手はずであった。
風后達はまずは木を伐り倒しに来ていた蚩尤軍の人夫を捕らえ状況を聞き出した。人夫達は周辺の村々から集められた男たちで奴隷として働かせられていた。この者たちに事情を説明し蚩尤軍と戦う旨を伝えると喜んで協力するとのことであった。
まずは人夫達を力牧が追いかけ、迎撃に出てきた蚩尤軍を森深くへとおびき出し奇襲を仕掛けるという作戦であった。
「敵襲だー!」
と、人夫達は口々に大声を出し逃げ、城まで全力で走った。そして人夫が砦に逃げ込んだ後には、九黎軍の斥候が数名が入れ替わるように城から現れた。風后はこれを弓で威嚇するとすぐさま50人ほどが追加で出てきて風后たちを追いかけてきたのであった。ここまでは作戦通りであり、敵は侵入者を何としても捕らえようと森深くまで追いかけてきた。
「よし、今だ、放て―!」
何も知らずに伏兵が待ち構える地点まで到達すると風后の号令により一斉に矢が放たれた。この奇襲に驚いた九黎軍の兵は10人ばかりが倒れ、残りは砦に逃げ去って行った。
風后たちはさらなる追撃を躱すためにその日は拠点までいったん撤退した。最初の奇襲には成功したが、この作戦が何度も成功するとは思わなかった。しかし、風后は数日後に再び同じ作戦を試したのだ。
すると今回も同様に冀州城から兵が現れ軒轅軍の兵士の追跡を始めた。しかし、今回は蚩尤軍の追撃隊には人間とも動物ともとれる異様な姿の将が2人混ざっていた。そして伏兵が待ち構える場所に差し掛かり風后がまたもや号令をかけると九黎軍へ向けて一斉に矢が飛んで行った。しかし、次に瞬間にその場にいた誰もが顔を青ざめた。なぜならその2人の将たちの体には矢が刺さらず弾いてしまったからであった。矢の攻撃が効かないのである。
将たちは別々に伏兵に駆け寄り一人一人斬り殺し始めた。これを見て蚩尤軍の兵たちも軒轅軍に襲い掛かった。風后率いる奇襲部隊は即座に不利な状況に追い込まれて行ったが、そこで一人気を吐いたのが将軍力牧であった。
「ははは、お前は俺の獲物だ。」
と、力牧は将の一人に鉄の剣を持って立ちふさがった。この力牧を見て将は獰猛さを増して力牧へと斬りかかってきた。
数合斬り合うと力牧の剣が将の肩口へと当たった。しかし、これは将の方にわずかに傷をつけたにすぎず、将は力牧を見て笑っていた。東方の言葉で悪態をつきながら、全く怯む様子もなくなおも力牧に斬りかかってきた。
この戦いを見ながら風后は冷静に相手の弱点を探していた。そして、人体の柔らかい部分の目を攻めるように力牧へ言った。力牧は相手の剣を受けつつ力任せに打ち込みを行い将の体勢を崩した後、狙いを定めて全身の力を込め将の目を剣で突き刺した。目は柔らかく、剣は将の頭蓋骨を貫き脳にまで達し、将は倒れ込んだのだ。
これを見て風后は冷静に太鼓を叩き全軍に退却を命じた。ここまで自軍の損害は甚大であり、このまま兵を失う訳にはいかなかったのである。
しかし力牧だけはまだ戦おうとしていた。退却は性分に合わず、死ぬまで戦い続けるつもりであったのだ。風后は力牧を大声で静止し、無理やり退却させた。力牧はこれに従い大声で吠えながら退却していった。
この大声に九黎軍の兵士たちは怯み、そしてもう一人の将は風后たちを追いかけずに死んだ将の躯へと駆け寄り抱きかかえ嗚咽していた。その将たちは蚩尤の兄弟達であったのだ。
風后はこの奇襲戦の成果を冷静に判断していた。自軍の損害は20人程で長期戦を見据えると決して小さな損害であるとは言えなかった。しかし、蚩尤の兄弟を一人倒したことは大戦果であった。そして改めて力牧と言う男を生粋の戦士であると思うと共に力牧以外に人間たちを率いる将は務まらないと思った。通常の人間ならば蚩尤の兄弟を見ると恐怖で逃げ出してしまうが、力牧は恐れず立ち向かって行き、その後ろ姿に兵たちもついて行くのである。決して失う訳にはいかない人材であった。
風后はさらに街道でも待ち伏せを行い、冀州城に運び込まれる途中の穀物を見つけては奪い取り冀州城を兵糧攻めにするためであった。しかし奪った穀物は自分達で食べずに周囲の村々へとこっそりと返して回った。この時、いずれ軒轅様が大軍を率いて蚩尤を倒すのでそれまで辛抱するようにと言って回り、蚩尤の圧政で苦しむ村人たちに希望を与えて行った。
このため冀州城の付近では軒轅を待ち望む声が日増しに高まって行った。
風后たちは城で働かせられている人夫にも内通者を多く作っていたので次第に城の内情が明らかになって行った。そしてその情報の中には俄には信じがたいことも行われていることが分かったのだ。
蚩尤は自身の統治する九黎族以外にもいくつかの部族を率いており、その中には呪術を専門的に行う三苗族もいた。三苗族の巫術師たちは人夫達に辺り一帯にいる毒虫を集めさせていた。この虫とは蜘蛛や蜥蜴、蛇、蛙、蠍など様々な小型の生き物たちを指している。そして集めさせた虫を一つの壷に入れて蓋をし、呪術を行った後に地中に埋めてしまったという。
数か月が経過した後に壷を掘り起こして中を開けると一匹の毒虫が生き残っていた。他の毒虫たちは互いに食べ合い死んでしまったのだ。その残りの一匹の虫を蠱と呼び、この蠱を使って呪術を行うと相手を呪い殺すことが出来るという。三苗の巫術師たちはこの呪術を蠱毒と呼んでいた。蠱毒を行うものは女性であり、その蠱は代々母から娘へと受け継がれていった。
この情報は軒轅の下へ届けられており、有熊の臣たちは蠱毒に震撼した。
東方を行きかう商人たちの話では、蚩尤の中原侵攻が遅れているのは三苗族との戦いに苦戦していたためであり、呪術により蚩尤の命まで脅かしていたとの情報が得られた。現在は三苗族までも部族連盟に加えていたために、多くの三苗族の呪術師が軍に加わっていたのだ。
冀州城で行われていた蠱毒は軒轅達を呪い殺すためであり、その準備は着々と整いつつあり蚩尤が自ら冀州城へやってくるのも時間の問題かと思われた。
その頃有熊には続々と華夏の部族たちの兵が集まっており冀州城攻略のための準備が整いつつあった。冀州城は蚩尤との戦いにとって絶対に落とさなければならない城であった。なぜなら冀州城に蚩尤本隊が入城すると周辺の国々を攻めて配下に加えながら有熊まで至るのは容易かったからだ。
冀州城には続々と九黎族の勇猛な兵が集まっており、2000人を超えていた。しかし、当初の予定よりも500人程少なく、さらに慢性的な食糧不足を抱えていた。これは風后たちによる奇襲攻撃により兵を失った上に、食料の補給路を断たれていたためであった。今城を取り囲まれると餓死してしまうため、冀州城の蚩尤の兄弟達はさらなる食料と兵を蚩尤に要請していた。
風后はこの様子を見て取り、この好機を逃さないために軒轅に出陣を要請していた。
軒轅は風后の報告を受け、出陣を決意した。この時、軒轅の元に駆け付けた諸侯たちの兵数を合わせると総勢5000人であった。より多くの兵を募ることも可能であったが、冀州城までは遠くさらに度重なる戦争と難民により食料の供給を考えるとこの軍勢を維持するのが精いっぱいであった。
この華夏軍本隊に風后以下1500人が加わった。風后の手勢が増えたのは、風后の下には周囲の村々から戦える男たちが続々と集まってきていたからであった。
軍には三苗族の呪術師に備えて女丑と翠清の巫術師の老婆の姿もあり、その他にも貔貅率いる霊獣軍団に加えて応龍の求めに応じて駆け付けた龍達も十数条加わっていた。
応龍は前回の阪泉の野の戦いで無理をおして戦っておりにさらなる休養が必要であったため、今回の行軍は見送られた。
翠清の巫術師の老婆はもはや寝たきりであり、兵に担がれながら行軍に加わっていた。老婆は三苗の蠱毒について知っており、この戦で軒轅を守って死ぬつもりであった。
冬の曇り空から微かにのぞいた太陽の光の眩しさを感じながら老婆の心は晴れていた。この前まで有熊の若造と思っていた軒轅が華夏族をまとめ上げた上に、神獣たちをも従えて行軍しているのである。この軒轅に従えることが幸福であると共に自分の命に代えてもこの神の加護を持っている若者を死なせるわけにはいかなかったのだ。
冀州城まで20日ほどかかる行程である。この時、老婆は話すのがやっとであったが、最後の力を振り絞って女丑に様々な呪術について教えていた。そして最も大切なことも女丑に伝えていた。それは三苗の呪術師は全て女性であることであった。
雪ももう降らないだろうと思われた誕生日間近の軒轅30歳の冬であった。




