冀州之戦
天、蒼い天よ、そして神農氏よ。私は一体どうしたらいいのでしょうか。どうしてもわからずに途方に暮れています。あなたの子孫である榆罔様をどうすればいいでしょうか?皆口をそろえて殺せと言います。しかし、それで終わるのでしょうか、殺して一時の心の憂さを晴らすことが出来るだけで、それで本当にいいのでしょうか?分かりません、私などには分からないのです。どうすればいいでしょうか教えてください、神農氏よ。いや、はっきりと申しましょう、私の心の奥底に一筋の光が見えるのです。その光は榆罔様を殺すなと言っているのです。ああ、蒼天よ、これで、この一筋の光の意志に従えばよろしいのでしょうか?それで私はこの苦しみから逃れることが出来るのでしょうか、それともさらにひどい苦しみが待っているのでしょうか。分かりません。……そうですか、分かりました。……私は私自身で決断しなければならないのですね。それでは……私は決めました。私は私の心に従いましょう。榆罔様を生かします。
阪泉の野の戦いから一年が経過した頃、軒轅は宮殿で久しぶりに有熊を訪れた馴染みの東方の商人と話し込んでいた。
商人は近々蚩尤の兄弟の数人が中原へ偵察にやってくる予定だと言い、これまで東方で見聞きした内容に予想を交えながら蚩尤の動向について語っていた。
有熊ではこのところ穀物の値段が上昇傾向にあった。それは穀物を買い占めている者がおり、そのため穀物が不足気味になっているからであると思われた。他にも、塩の流通量が増えると共に、鉄の流通量が減っていることも軒轅は商人たちを通して把握していた。
この穀物を塩と交換に買い占めている者を蚩尤に置き換えてみると全てがすっきりと説明できた。つまり、鉄を独占している蚩尤が敵の戦力増強につながる鉄の流出を防ぎ、鉄の代りに塩を使って長期遠征のための穀物を購入しているのである。
軒轅はこの商人の話に頷きながら、いよいよ来るべき時が来つつあるのだと予感していた。
商人との話を終えると有熊の巫術師である女丑を呼んだ。軒轅は女丑に夏族の将来を占って欲しかったが、類稀な神性を持つ蚩尤やその兄弟達、さらに東方の神々を交えての戦いの結果はさすがの冥界の神々でも予言が出来なかった。
軒轅が女丑を呼んだ理由は卜占のためではなくこの戦いで死にゆく兵士たちを安らかに送るための儀式を行うことにあった。三魂七魄を清め、天と山の神々から祝福を受けた後に軒轅軍に加わってもらったのだ。
この時代には死は生きる者との別離には違いなかったが、死の本質である魂魄が天地に帰ることは決して不幸であるとは思われておらず現世で生を全うした後の別の生き方という認識であったのだ。しかしそれは魂魄が正しく天地へと帰った者のみに得られる生き方であり、正しく帰らなかった場合は悪鬼となり甦ってしまう。このため、死んでも魂魄が天地へ帰れるように神々の祝福を受ける儀式が女丑により行われたのであった。
有熊で着々と軍備が整えられている最中に働きづめであった常先は気晴らしに有熊の傍の山を散歩していた。
すると猟師が狩った後に剥いだ皮が木の切り株に掛けられているのを見た。大方皮を乾かそうとしてそのまま忘れて行ったのであろう、長い月日が経過していたようであり陽に晒され乾燥して収縮し硬くなってしまっていた。
常先はその皮に近寄ると切り株の上に敷いてある鹿の皮を椅子のようだと思い座ってみた。すると、切り株の中央部分は虫に喰われてしまっていて空洞になっておりうまく座れなかった。そこでその皮を手で叩いて感触を確かめてみると叩かれた皮はポンと言う予想以上の大きな低い音を発したのだ。
好奇心の塊の常先はこの意外な結果に驚くと共に一体どうなっているのかを調べ始めたのだ。
皮を切り株から剥がして叩いてみても先ほどのような大きな低い音は出ず、かといって普通の切り株の上に置いてもあの音は出なかった。つまり、あの音を出すには空洞が必要なのである。
常先は嬉しくなり何度も叩いた。やがて常先はこれを自分で作りたいと思い、いつものように軒轅の宮殿の傍にある工房に籠って研究が始まった。空洞が必要であることに加えて皮が張っていることやなど、より大きな音が出るのに必要な要素を次々に解明し、完成した試作品はやがて軒轅に献上されると軒轅により試し打ちがなされた。
「なんと!これは凄い、常先殿これは一体何なのですか?」
これを見て声をあげたのが意外にも風后であった。
風后は普段は感情を表に出さないが、その風后が珍しく興奮して常先に駆け寄り様々な質問をしだしたのだ。それを見て一同は風后が興奮するとは一体常先は何を作り出したのだ、と不思議に思った。
「軒轅様、これは遠くまで音が届くので兵の指揮に使用できます。」
やがて風后は軒轅に向き、これは戦いの際に部隊を指揮するのに使用できると言った。大きな音が出るため遠くへと響く上に似たような音が無いので人間の声よりも断然聞き取りやすかったのだ。このため戦いの最中でも遠くの部隊へと指示を伝えることが出来るのではないかと考えたのだ。
「なるほど、大声で叫ぶ代わりにこれを使って兵に指示を出すのか。これは名案だ!」
軒轅一同は戦場ではいつも大声を張り上げていたのでこの道具の使用は効果的に思った。そしてこの道具はさっそく練兵に取り入れられ、太鼓と言う名がつけられたのであった。
太鼓を使った用兵は思いのほか効果的で、風后は兵を手足のように動かせるようになっていた。また訓練に参加する兵士数も多くなったため、兵をより効果的に動かすと共に攻撃と防御の両方に適した配置をしきりに考えていた。そんな折に軒轅の下に急な知らせが入った。その知らせの主は意外にも炎帝榆罔であった。
「…敗北したこの俺を笑うか?」
榆罔は僅かな兵を連れて泥だらけの恰好で有熊へとやってきて蚩尤軍に敗北した旨を話した。泥にまみれた顔の表情からは屈辱と安堵が見て取れた。しかも敗北したのは蚩尤の本隊ではなく、蚩尤の兄弟たちによってであった。この事実に有熊の家臣一同は驚愕を隠せなかった。
榆罔とは阪泉の野で戦い、軒轅たちは何とか勝利することが出来た。しかしそれは応龍や霊獣たちの助けによるところが大きく、烏合の衆であった軒轅軍は兵を統率できずに危うく敗北しそうになってしまったのだ。
榆罔の半生は戦いであった。常に戦場におり戦い、戦場の空気を感じると幸福感で満たされていた。そして歯向かう領主たちを次から次へ倒し屈服させていくことに自分自身の生きる意味を見出していた筋金入りの歴戦の猛者であった。
その榆罔が命からがら逃げてきたのだ。阪泉の野の戦いの後榆罔の勢力が弱くなったとはいえみすみす破れる相手でもないことは軒轅達がよく知っていた。
「いや、笑うはずがない。あなたが破れる相手だ、蚩尤がどれだけ強大な存在かわかったのだ。これまで疲れたであろう、しばし休むがよろしかろう。風后、力牧よ!直ちに兵を集めて蚩尤の偵察軍を監視せよ。」
と言い、軒轅はすぐさま力牧を将軍に、風后を軍師にして軍を派遣する決定を下した。
榆罔の領地の一部は冀州と呼ばれる地方にまで及んでいた。冀州は黄河以北にあり、広大な針葉樹の森林と草原が広がっていた。蚩尤がこの地方に侵攻したのは製鉄に必要な大量の木材と穀物を生産する平野があったからである。
蚩尤は兄弟十人と兵500人を派遣して冀州に攻め込ませた。蚩尤にとっても精一杯かき集めた食糧であったが、この軍勢を派遣するだけで精いっぱいの穀物しかなかったのだ。
榆罔は侵略者の一報を聞いて驚いた。軒轅以外で炎帝の領地に攻め込まれたことは無かったからだ。榆罔は斥候を送り侵略者が誰であるかを調べさせると、それは有熊の軒轅が恐れていた蚩尤の軍であることが分かった。
「ふん、有熊の小僧が言っていた蚩尤というやつか。どうということはない、我が領地に攻め込むなど愚かな。兵を集めよ、一気にひねりつぶしてくれるわ!」
阪泉の野の戦いの後に半数以下に減った榆罔の軍勢であったが、戦いに暮れた榆罔の下で戦慣れしており中原でも屈指の強兵であった。
九黎軍は冀州にて砦を築いており、そこを足掛かりにするつもりであった。このため榆罔は黄河を渡り冀州へ向けて行軍を介した。
黄河はその名の通り上流から流れ出た土を多く含んでいるために水は黄色く見えており、広大であるが通常は穏やかで、榆罔たちは竹を組んだ筏を並べ互いをひもで結び流されないようにしてゆっくりと渡って行った。
黄河はいつもは穏やかではあるが、一度氾濫を起こすと手が付けられず、周辺に大災害をもたらしていた。この黄河は河伯という水神が統治しており、河伯を恐れた人々は河伯の怒りを収めるため河伯へ年頃の美しい娘を嫁がせよう竹の筏に乗せて黄河に流し、河の中腹で娘を沈めてしまうこともしばしば行われた。この風習は河伯娶婦と呼ばれ長い間続けられたが、戦国時代になると西門豹によりこの悪習は断たれた。
対岸に到着すると斥候から九黎軍の情報がもたらされ、その兵数を聞いて榆罔は鼻で笑った。
「ふん、たかが500だと?その程度の軍勢でこの我らに歯向かうとは愚かな。この戦いに勝利してあの小僧により失われた権威を取り戻し、中原にはこの榆罔一人いれば十分であることを見せつけてやる。」
斥候のもたらした情報では九黎軍の軍勢はたかが500人であり、榆罔の軍はその6倍いたのであった。
「仰る通りですな、榆罔様。一気にかたをつけてやりましょう。」
と、周囲にいた臣たちも口々に楽に勝てる戦いだと言った。実際、圧倒的な戦力差は正面から戦うならばいかなる猛者であっても覆すことは不可能である。この時榆罔は勝利を確信しており、蚩尤の軍を倒して阪泉の野の戦いの敗北を挽回する足掛かりとしようと考えていた。
榆罔には猛将としてその名を轟かせていた刑天と言う天下無双の猛将がいたが、北方の雄、共工氏族との戦いの後、共工氏の監視のために北方の砦に残して来ていた。この時、誰しもが刑天抜きでも十分に戦えると踏んでいた。
九黎軍は榆罔の軍勢を見るや否や砦を出て榆罔軍を迎え撃ち、両軍は冀州の野で相まみえた。しかし、この時両陣営の兵の顔には共に皆余裕の表情が浮かんでいた。
九黎軍は徐々に炎帝軍に近づいてきて、次第にその姿を確認できる位置にまで来ると、榆罔たちは目を疑った。軍の中には異様な姿をしている人間と思しき生き物がいたからであった。
その数は10人程でどうやら敵軍の将のようであり、斥候の報告ではその生き物が蚩尤の兄弟であるという情報であった。斥候はさらに兄弟たちについて異様な情報をもたらしていた。なんと蚩尤の兄弟達は河原の石を食べているというのである。
この報告に誰もが耳を疑った。しかし、斥候は見たままを報告しており決して嘘をついていたわけではなかった。
兄弟達は確かに石のようなものを食べていたが、これは九黎族の戦闘食であった。穀物を一度茹でた後に塩と干した海産物を混ぜて焚火で温めた石の上で焼いて食べる。蚩尤軍が行軍の際の一般的な食べ物であった。この丸めたものは稗が多く含まれていることから石に似た色をしており河原で石に載せて焼いていたのでまるで石を食べているように見えたのであった。
異様な姿に石を食べるという異様な集団。これが炎帝軍が持った蚩尤軍のイメージあったのだ。
しかし、戦力は圧倒的に炎帝軍の方が上である。榆罔はこの戦力差で取り囲んでしまえば負けることはまずないと豊富な戦争経験から肌で感じてわかっていた。
両軍が向かい合い、互いに挑発が始まった。榆罔にとっては敵が動いてきたらそのまま左右から取り囲んでしまえばいいのである、これで敵が動いてくれればそれで良い。
この時、お互いに言葉が分からずただ怒鳴り合うだけであったが、蚩尤の兄弟の一人が炎帝軍へ向かって悠然と歩きだしたことにより戦闘が始まった。
「よし、奴らが動き出したぞ!」
と、榆罔は勝利を確信し、両翼に戦闘態勢をとるように合図を送った。
動き出したその兄弟は言葉であれこれ言わずに実力で黙らせることを旨としており大声でわめきたてている両軍を見て嫌悪感を持っていたのだ。ただただ黙ってついてこい、そう兵に言い炎帝軍へと向かって歩き出した。すると、他の蚩尤の兄弟達もこれに合わせて炎帝軍に向かい歩き出したので、榆罔たちは将が先頭に立って向かってきているその異様な光景に驚きつつも、すぐさま弓隊を前面へと出し弓に矢をつがえさせた。蚩尤軍を出来る限り引き付けて矢で一網打尽にしてしまうつもりであった。
蚩尤の兄弟達はやがて十人全員が横並びになり、弓の届く距離まで来ると走り出した。なるべく弓にあたらない内に炎帝軍までたどり着くためである。
「放てー!」
兄弟達が走り出したことを合図に榆罔は弓隊に攻撃を命じた。弓隊は一気に矢を放ち、その内のいくつかは兄弟達に命中したのを見た。しかし次の瞬間榆罔の顔が青ざめた。何と兄弟たちの体は当たった矢を弾き飛ばしていたのであった。
「あ、当たったはずであろう。気のせいか?ええい、何をしておる、次を放てー!」
と、榆罔は動揺しながらも指示を出し、急いで次の矢を放たせた。今度は距離が近かったために当たったことを確認できたが、矢はただその硬い体に弾かれてしまっていたのだ。弓の効かない敵に炎帝軍は戸惑った。
「歩兵隊前へ、かかれー!」
しかし多勢に無勢である。榆罔は数に物を言わせて兄弟達を歩兵隊で取り囲み黒曜石の槍や石斧で攻撃を開始したのだが、この兄弟達には黒曜石の槍で突いても効果がなく、高い防御力を生かした兄弟達は少々の攻撃では傷つかないため攻撃を恐れずに間合いに入った炎帝軍の兵士たちを片っ端から斬っていた。
この時、炎帝軍の弓の攻撃が止んだため、九黎軍は炎帝軍に向かい前進を開始しており榆罔たちが動揺して指示が止まった間に兄弟達の位置まで到着しており榆罔の2000はいるであろう歩兵を押し返していた。
蚩尤軍は兵士全員が鉄製の武器を装備している上に獣の皮で作った皮の鎧を着用していたので黒曜石の槍程度の刃物には有効な防具となっていた。そのため鎧を着ていない部分をめがけて槍を突き刺すかもしくは石斧で力に任せて叩き潰すのが有効な攻撃法であった。実際、蚩尤の兄弟達も力任せに石斧で叩かれるとよろめいて攻撃の速度が低下し、僅かながらダメージを受けていたのだ。
鉄製の武器は石器と比較して扱いやすい上に殺傷能力が高く、攻撃力に加えて防御力までもが炎帝軍の兵士よりも蚩尤軍の兵士の方が圧倒的に高かったのだ。さらに蚩尤の兄弟達により鍛え上げられた剣技を持っているのである、戦闘の経験は炎帝軍の兵も蚩尤軍の兵も同じくらいであったが、戦闘の技術的にも装備的にも蚩尤軍の方が優れていたのだ。
「逃げるなー、攻撃を続けろーー!!」
兄弟達を取り囲んでいた兵士たちがその不死身の姿を見て恐れおののき恐怖で近寄ることすらできなくなりやがて後退を始めたのだ。戦闘で一度恐怖が芽生えると士気は大幅に低下して敗走につながる。榆罔は声を枯らして攻撃の指示を出していたが榆罔の声は兵たちにはもはや届いていなかった。
戦いにもしもなど言っても無意味なのであるが、もし炎帝軍が逃げずに攻撃を続けていたら炎帝は多大なる損害を出したであろうがその圧倒的な数で勝利していたであろう。しかし、一度持ってしまった恐怖は兵の戦意を喪失させてしまい一人また一人と武器を捨てて逃げ出したのであった。
この炎帝軍の逃走を見て兄弟達は追撃を開始した。狙いを敵将である榆罔に定めて追いかけた。追われていることを感じた榆罔は兵に混じって姿をくらませ、必死で走って逃げた。
兵たちはバラバラになり榆罔も身を隠すために森へ入り、夜になると蚩尤軍の影に震えながら有熊のある南西方向へ向かって逃げていた。10日以上経過しただろうか、やっとの思いで有熊へとたどり着き軒轅に事の次第を報告したのである。
この時榆罔は心底自分が情けなかった。自分は戦争が強いと驕っていた最中に立て続けに二度も敗北してしまい今では神農氏以来8代に渡って続いた国が滅亡の危機に瀕しているからであった。そしてもはやこの有熊の若造に頼るしかないということも榆罔の自尊心を傷つけていた。
榆罔の敗北を受けて軒轅はすぐさま風后と力牧に兵を与え冀州へと向かわせた。
炎帝と入れ替わるように力牧と風后が兵1000人を引き連れて出陣していった。
米の収穫が終わり有熊では収穫祭で沸いている、軒轅29歳の秋であった。




