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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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阪泉野之戦

 ふん、有熊の若造如き、軍勢を派遣して威圧すればすぐに降伏するであろう。しかし、少典が死んだのは好都合だ。あの男は気骨があったからな。思えばこの儂に面と向かって意見をするなどあいつ位なものだった。少典が死んだか……、胸中に一抹の寂しさが去来するのはなぜだ。この儂が感傷にひたるだと?そんな感情は戦いの中で当の昔に捨て去ったはずだ。そんな取るに足りない些細な感情などよりも、欲しい、欲しいぞ中原が。この大地は全て儂のものだ。河も木々も山々も全て儂のものだ。さあ、剣を取れ、目の前の敵を叩き潰せ。者ども儂についてこい。剣を振るえ、力いっぱいだ。戦え、戦え、逆らうやつらは全て撃ち滅ぼせ。この中原を従え手に入れるまで戦い続けよう、我こそが中原の王、炎帝榆罔である。


 炎帝軍の動向は商人達と斥候により絶え間なく軒轅にもたらされていた。


 炎帝は先の陸島部隊の敗北を受けて自ら先頭に立ち有熊を総攻撃するつもりで本隊を有熊へと行軍させようとしているとのことであった。

 この有熊の存亡の危機に周辺の領主たちと連合を組み炎帝の領地内へと打って出る決断を下した。軒轅は決断するや否や出来る限りの武器と穀物をかき集めると共に各領主に炎帝打倒の檄を飛ばしたのであった。

 軒轅の申し出に呼応した領主たちは有熊に続々と集結した。中には軒轅の叔父である梨江の領主や軒轅の義父となる嫘祖の父の西陵の領主など、軒轅にとってこの上ない味方であり理解者でもある領主たちもいた。特に父の少典の戦友であり仲の良かった翠清の領主は勇敢で統率力のある軒轅に少典の面影を見て実の子のように可愛がり接していた。


 反炎帝連合軍の中には高い徳を持つ軒轅について行きたいと臣従する領主も少なからずいたが、参加する者の大半は炎帝に恨みを持っていたり、炎帝の侵略への反発や危惧していたからであった。

 人々は中原各地から集まった兵士たちの壮大な光景に興奮していたが、それとは裏腹に有熊の大臣である大鴻はこの膨大な兵を養うための食料の確保に頭を痛めていた。


 炎帝榆罔えんていゆもうの領地は有熊の東北に位置し、黄河を挟んで南北に跨っており有熊と比較にならないほど広大な領土を有していた。黄河の南方には炎帝の本拠地があり、北方は冀州きしゅうと言い大荒の東へと繋がっていたのであるが、未開の地となっていた。

 その領内で農民たちの作る作物の大半が榆罔により徴集されて戦争で消費されていたことにより農民の多くは飢え、人々の生活のみならず心まで荒廃していた。

 軒轅の父親の少典は若い頃から榆罔に従軍して転戦していたので、榆罔の中原侵略はもう25年以上続いており、自分に反発する者たちを倒しその領地を支配下に置いていったのであった。

 このような状況は他の部族間でも争いを引き起こす遠因となっており、世が乱れていたために部族間での争いも多く、今回の連合軍の中でも互いに戦ってきた部族同士が多々あった。


 榆罔の先祖は神農氏しんのうしと言った。神農氏は姜性を持つ部族の出身であり火徳を持って生まれ、3歳の頃に農作業を覚え農業を始めたと伝わっている。軒轅とは逆で徳よりも神性の方が強く、顔は龍に似ており大きな唇を持ち手足と頭は透明で透けて見えたという。

 神農氏は農業を発明し同時に鋤や鍬などの農機具も発明してそれを民に伝えた。これにより人々は集落を作り農業を始め水辺に定住するようになった。さらに火を使うことで作物を調理し冬には暖を取れるようになった。人々は狩猟採集生活から離れて行き、農業を基盤とした集落が形成されていったのだ。

 栽培された作物は神農氏の下へ持ち寄られそれぞれ交換が行われたが、この時の交換量は公平になるように神農氏が決めていた。

 この作物の交換はいちと呼ばれ定期的に開かれるようになった。これにより人々は農作物だけではなく様々な物品を持ち寄るようになって行き、大きな市が開かれる場所はやがて都となっていった。炎帝氏が発展させた都は神農氏の子孫である歴代炎帝が治め、現在は榆罔が治めている。

 さらに神農氏は農民たちが病に苦しむ姿を見て病を治そうと思い薬を作った。神農氏の傍らにはいつも獐鼠しょうそと言う霊獣がいたのであるが、獐鼠は崑崙山に住んでいた鼠で神農氏を補佐させるために西王母せいおうぼが遣わした霊獣であったのだ。

 獐鼠は不思議な能力を持っており、人体が透けて見えたという。


 神農氏は薬草を探すために山へ行き、草を刈って口に放り込んだ。すると草が薬効を持っていると、薬効をもたらした内臓の部位が黒く変色し、この黒くなった部分を体を透かして見る能力を持つ獐鼠が見つけ出すのであった。獐鼠という霊鼠は神農氏の五臓六腑や十二経絡を見て薬草が体のどの部分に効果を発揮するのかを観察することができたのだ。

 これによりどの薬草が体のどの部位に採用するか正確に知ることが出来た。

 一方で野草の中には毒草も多く、神農氏は一日に70回も毒草による中毒を起こしてしまった。この身を挺して薬草を探していた神農氏のこの行為は嘗百草と呼ばれている。


 一度獐鼠が誤って巴豆はずを口にしてしまったことがあった。巴豆は強い下剤としての薬効を持っており、必要以上に使用すると毒となる草である。獐鼠は巴豆を大量に口に入れてしまい下痢が止まらず倒れてしまった。これを見た神農氏は獐鼠を青葉の木の下で一晩休ませると、なんと翌日には獐鼠は回復していたのであった。

 この時、朝露が青葉を伝い獐鼠の口に入っており、その露の解毒作用により獐鼠は回復したのであった。

 これを不思議に思った神農氏がその朝露を舐めてみるとその芳醇な香りと苦みを伴った爽快な味に驚いた。これ以降その青葉は湯で沸かされて茶として飲まれるようになったという。

 これは薬不過獐鼠不霊(薬は獐鼠を不能のままにしておかない)という故事として語り継がれている。


 このように神農氏は私利私欲なく民に尽くし、中原の民に多大なる益をもたらしたのであった。そんな神農氏を民は称えると共に、神農氏が火を使用しだしたことから神農氏を炎帝と呼び尊んだ。

 神農氏は神性が高かったので長寿であった。それに加えて不老長寿の妙薬を作っていたこともありその在位は140年間続いたという。

 神農氏は今でも薬王や神農大帝、地皇などとも呼ばれており、その類まれで偉大な業績は後世にまで強い影響力を及ぼしている。


 神農氏の最後はいかにも神農氏らしいものであった。神農氏がいつものように野草を刈り取り嘗めていると、その中に毒性の非常に強い断腸草があった。神農氏はその草を舐めるとその毒が内臓を蝕んでいき、特に腸への影響は強く腸全体が千切れて亡くなってしまったのだ。

 この自分の犠牲を顧みずにただ人々のために行った貴い行いを人々は決して忘れずに神農氏を尊び続けた。それは軒轅の時代でも変わらず、大鴻を始めとした医師たちも神農氏は尊ぶべき存在であり、医学の神様でもあった。

 軒轅は大鴻を師とする医師でもある軒轅もその開拓者である神農氏に多大なる尊敬の念を持っていた。この気持ちは老齢のため行軍について行かずに有熊の都に残った大鴻も同じであった。さらに有熊では米が特産になっているが、穀物を生産する農業自体は元をただせば神農氏が始めたのであった。有熊で盛んに行われている交易も神農氏の始めた市に由来しているのである、自分達が今豊かに暮らせているのは神農氏よってもたらされたのであった。

 榆罔は横暴な君主であるがこの偉大なる神農氏の末裔であることに変わりはなく、軒轅は神農氏を想い炎帝と戦うことに幾何かの抵抗感を覚えていたのであった。


 一通りの領主が集まると、榆罔の本拠地に向けて進軍を開始した。榆罔の統治する都は有熊から東北に1000里ほど離れた場所にあり行軍には15日ほどを要したが、軒轅はこの時行軍をわざと遅らせたことで行軍中にも反炎帝連合のうわさを聞き付けた多くの部族たちが軒轅に参軍を申し出たていた。このために軒轅軍の数は膨れ上がり8000ほどおり、兵士数だけでは炎帝を凌いでいると思われたが、相手は歴戦の猛者の榆罔である、数で優っていも反炎帝連合軍は烏合の衆であるために勝敗は未だ不明なままであった。


 軒轅達の出陣前には女丑じょちゅうが祈祷を行ったが、吉とは出ていたが勝敗は不明であるという結果であった。神が絡んだ戦いでもあるまいし、女丑にとってはこれまでにないことであった。この結果には領主たちは不安を感じたが女丑が占えなかった理由、即ち冥界の神々が見えなかった未来は戦闘中に明かになったのである。


 行軍中に軒轅達がある山へ差し掛かかると不気味な生き物たちが行く手に待ち構えていた。何事かと思い、軒轅たちが咄嗟に臨戦態勢を取るとその生き物たちはゆっくりと軒轅に近づいてきたのであった。

 その中には貔貅ひきゅう獬豸かいち滅蒙鳥めつもうちょう騶虞すうぐ犀牛さいぎゅうなどがおり、それは深い山々に住み滅多に人前に姿を現さない霊獣たちであった。

 霊獣とは普通の動物と異なり神性を持っている生き物を言い、様々な形状を持っていた。また、霊獣は神性を持っているために知能が高い上、戦闘力も高いものが多かった。霊獣達の中でも神性が神に近づくと白澤のように神獣となる。


 霊獣達はこれまで人間とは関わらないようにしていたが、特に人間に敵意を持っているわけではなく、他方人間は深い森に棲みその威厳に満ちた姿に畏怖の念を持っており、信仰の対象ともなっていたので互いに適度な距離を取って共存していた。


 軒轅軍はその見慣れぬ姿に騒然となり敵か味方かわからぬその霊獣たちに警戒をして臨戦態勢のまま向かい合っていた。

 すると、霊獣たちの中から貔貅ひきゅうがゆっくりと前に歩み出し、軒轅の下へと近寄っり、人間の言葉で話し出した。


「そなたが軒轅殿か?蚩尤と戦うと龍たちから聞いたのだが、今回はそなたに助勢するために我らは参った。」


 軒轅は貔貅の姿をまじまじと見た。貔貅は龍の頭に馬の体を持っていた。そして脚はりん、つまり雌の麒麟のそれで毛の色は灰色であった。

 貔貅の話は以前会った白澤から聞いており、特に勇猛であり邪気を避ける瑞獣ずいじゅうであると言う。見た目もその通り堂々とした体躯をしており避邪ひじゃ天禄てんろくと呼ばれていた。


 軒轅軍の前に集まった霊獣たちにとっても龍たち同様に蚩尤の侵攻は自分たちの存続にかかわることであり、蚩尤の中原侵攻は何としてでも食い止めねばならなかったのでった。


 「いかにも私が軒轅です。願ってもない申し出、皆様の助勢に感謝いたします。」


 軒轅は深々と頭を下げ、貔貅の申し出を受け入れて貔貅たち霊獣軍団を軍勢に加えたのだ。軒轅の礼に続き各領主たちも頭を下げた。


 この霊獣の加入に全軍は沸き立った。軒轅達反炎帝連合にとってはこれ以上ない援軍であり、強大な戦力が反炎帝連合軍に加わったのだ。

 

 霊獣部隊80体の加入、これは反炎帝連合軍にとっては願ってもない援軍であると共に霊獣をも惹きつける軒轅の徳を皆が称えるようになった。

 今や反炎帝連合軍の気勢は天まで届く勢いであった。兵たちは霊獣の威厳ある姿を見て勇気づけられると共に、これは普通の戦いではないと感じていた。軍の士気は非常に高まっており、軒轅達は悠々と炎帝との戦いに向けて進軍して行った。


 斥候から炎帝の居場所が伝わってきた。炎帝は軒轅達のいる場所から50里ほど先の阪泉の野で砦を築いて待ち構えているとのことであった。阪泉の野は黄河南部にある炎帝の都の西方に位置していた。

 炎帝は斥候より軒轅の軍勢の数を聞いて守りを固める選択をしたのであった。

 炎帝は軒轅率いる反炎帝連合軍は烏合の衆であるので時間が経てば経つほどに内部分裂して崩壊していくであろうと読んだからであった。炎帝のこの選択は正しいと軒轅は素直に思い、そして自分達が烏合の衆であることも認めていた。


 軒轅軍の軍師である風后は戦いで大切なことは補給であると考えており、長期戦に備えて補給路を確保しながら進軍した。後方から物資を補給するのは有熊に残った大鴻の役目であり、軒轅の行軍に合わせて各地で砦を築くとともに有熊に集まる穀物や物資を入手して砦を介して定期的に軒轅へと送っていた。

 他の部族からの物資も有熊に届いており、この物資の安定した供給が軒轅軍8000人の長期遠征を支えていた。

 

 反炎帝連合軍が炎帝本隊が待ち受けている阪泉の野に到着すると炎帝は小高い丘の上に高い木で柵を作り砦としているのを目にした。

 軒轅は全軍を炎帝の砦が見通せる野に布陣させ、さらに部隊を六部隊に分けてそれぞれの部隊に熊、ひぐま、狼、ひょうてん、虎の名を冠した。それぞれの部隊はその動物を形どった旗を立てており六部隊の各大将に大纛旗を与えた。

 その中の虎部隊の将は軒轅配下の力牧であった。霊獣たちも貔貅を中心に部隊を構成し戦いに参加したのであるが、これは歴史上霊獣が人間の戦いに初めて参加した戦いでもあった。

 炎帝の砦の周囲には深い草で覆われており進むのにはかなりの時間と労力がかかった。反炎帝連合軍は炎帝の砦から2里ほど離れた場所に風后の指示の下で陣を敷いた。炎帝たちは陣に籠り守りを固めていた。そして砦の中からしきりに反炎帝連合軍を挑発していた。


 気の短い領主たちはその挑発で激昂しており、数に物を言わせて攻め込むことをしきりに訴えていた。しかし、風后は攻撃を許さず雨を待てと言って静止した。

 炎帝たちは攻撃してこない敵軍をしきりに臆病者だと罵倒した。これに怒り心頭の領主と2つの部隊の隊長たちは軒轅の静止に従わずになりふり構わず炎帝の砦に向かって突撃してしまった。彼らにとってみれば過去に辛酸をなめさせられた相手である、数の上で優位に立っているためすぐにでも攻め殺してしまいたかったのであった。


 炎帝は予想通りに動き攻め込んできた敵軍を見ながら大笑いしながら火計を指示すると砦の周囲の背の高い草の下に仕掛けてあった枯草に一斉に火が放たれ、炎はやがて天高く燃え上がった。

 炎帝の名にふさわしい作戦であり炎帝の思うつぼとなっていた。風后が雨を待てと言い攻撃を静止していたのは万が一の火計を恐れて雨を待っていたからであったのだ。

 反炎帝連合軍の有様を見て軒轅は焦っていた。このままでは兵の半数近くを失ってしまい、数の優位は逆転してしまう上に炎帝の領内に取り残されてしまうのである。風后と共に突撃していった部隊に向かって必死で戻るように叫んでいたが、火の勢いを見てその叫びはやがて絶望の色合いを含んでいった。

 火の勢いは衰えることなく周囲には黒い煙が立ち込めて太陽の光を遮り辺りは薄暗くなってしまい、突撃したの部隊は周囲を火で囲まれてしまい逃げ場を失い大混乱に陥っていた。

 そしてその部隊めがけて炎帝軍から矢が降り注いできたのである、ただ逃げ惑うのみで手立てはなく、もはやどうすることもできなかった。


 その時煙の薄い隙間をかすかに漏れる陽の光を遮るように空に巨大な影が見えた。その影の主は応龍であった。まだ完全に癒えぬ傷を押して駆けつけたのだ。

 応龍は火計を見るや否や術を用いて雨を降らせ火計の火を消してしまった。この神の力を持ち天候を操ることが出来る応龍が現れたので女丑の巫術では未来が読めなかったのだ。神の力で作り出す未来は不確定さがと伴い冥界の神でさえ未来は判らない。

 応龍の出現に軒轅は全身の力が抜けるのを感じ、巨大な応龍に向かい両手を掲げながら涙が頬を伝っていた。応龍が来なければ軒轅は危うく兵の半数近くを失うところであったのだ。


 「何だ!?あの巨大な龍は一体何なんだ?」


 この応龍の突然の出現と降雨に炎帝の表情から笑みが消え巨大な応龍を見てたじろいていた。しかしまだ炎帝に分があった。敵は戦力を分断するという愚行を犯していたのであるが、応龍の存在が厄介である。

 歴戦の榆罔はこれに怯まず、巨大な応龍の異様に怯えている弓隊を鼓舞して標的を応龍に切り替え、応龍に向かい弓を放たせると共に歩兵部隊を孤立状態にある反炎帝連合の部隊に突撃させた。

 さすがの応龍も蚩尤との戦いの傷がまだ完全には癒えていなかったため大事を取って、余り被害を受けないであろうと思われる人間が放つ矢を避け炎帝軍と距離を取って様子を伺った。

 炎帝軍は弓で応龍を威嚇しながら応龍が近づかないことを好機と看做し火計で混乱してしまっている軒轅軍の2部隊に襲い掛かった。


 この時、応龍の登場と先走ってしまった部隊に襲い掛かる炎帝を見て風后は全軍に突撃の命を下した。風后にとっては炎帝が砦から出てきたことを好機ととらえたのである。炎帝が砦に退却する前に攻撃し損害を与えたかった。

 力牧を先頭に一斉に炎帝部隊に突撃していった。炎帝と戦っている仲間の部隊まで2里もない。全力で走れば3分もかからずに到着するであろう。しかし、深い草が行く手を遮り行軍は非常に遅くなった。この状況では分断された部隊を攻撃した後に砦に退却されてしまい、ただ損害を出すだけとなってしまうことも風后の脳裏をよぎっていた。

 その時、風后は自分の脇を疾風のように駆け抜ける影を見た。犀牛や獬豸などの霊獣達であった。


 彼らはその巨大な体躯で草をものともせずに炎帝軍と交戦状態にあった味方の待つ戦場にいち早く駆けつけて炎帝軍と激突した。人間と霊獣とでは戦闘力が大きく異なるが、霊獣たちは炎帝軍の兵士を殺すことはせずに戦意を喪失させるだけにとどまっていた。目的はあくまでその後に起こるであろう蚩尤軍との戦いであり、人間を殺すことではなかったからである。

 霊獣たちの参戦に士気が高まった兵たちは後退から徐々に前進へと転じて行った。

 その直後、力牧を始めとして続々と援軍が到着したために数で優る軒轅が優勢となった。力牧は近くにいる炎帝軍の兵士をなぎ倒し霊獣たちに劣らぬどう猛さで前進を続け、力牧の背後からは続々と兵士がつき従った。


 この反炎帝連合軍の猛攻に炎帝はたまらずに全軍へ砦へ後退を命じたが、退却で弓が止んだ好機に応龍が砦へと飛んでいき柵をなぎ倒してしまったのであった。

 これに炎帝の顔は青ざめた。余勢を駆って軒轅軍が倒れた柵から砦内になだれ込み、なだれ込んだ兵が門を開けると砦は丸裸になり、炎帝軍は蜘蛛の子を蹴散らすように逃げ惑い勝敗は決した。反炎帝連合軍の大勝利であった。


 軒轅は兵士たちに炎帝を生け捕りにするように命じていた。炎帝は程なくして捕らえられ軒轅を始め連合軍の領主たちの下へと連れて来られた。以前に侵略や物資の供出を強要したりした顔ぶれを見て炎帝は死を覚悟していた。炎帝は初めて見る軒轅を呆然と見ていた。


 軒轅は縄で縛られて跪いている炎帝に言った。


 「助かりたいか?」


 炎帝は軒轅の突然の言葉に耳を疑った。敵の将に何を言っているのかと少しの間混乱したが、しかしすぐさま我に返たが、この状況で自分の命が助かるとは思えなかった。


 「助ける気はないであろう。」


 炎帝は聞き返したが、軒轅は、


 「この先生きるか死ぬかはあなた次第だ。」


 と返した。この軒轅の言葉にはどのような意味が含まれているか分からなかったが、生きる望みが経たれたと思った今、厚い雲の小さな隙間から弱々しい光が差し込むかのように一筋の光明に思え、


「助かるものなら助かりたい。どうすればいい?」


 と、炎帝は藁にもすがる思いで本音を口にした。陸島の件もあり軒轅は徳の高い人物であると聞いていたのでもしかしたら命が助かるかもしれないと思ったのだ。


 この時、炎帝は生まれて初めて後悔していた。まさか有熊の若造がこれほどまでの人物だと夢にも思わなかった。それにあの妙な生き物たちは何なのだ?あんな生き物が戦場にいるなど長い戦人生の中で見たことも聞いたことがない。

 自分が敗北したこと、そして軒轅軍の異様さ全てが理解できないまま榆罔はただその場の流れに身を任せるしかなかった。


「今からあなたはここにいる領主一人一人と話をすることになる。領主たちに誠意が認められればあなたの命は助かるであろう。」


 と軒轅は榆罔に向かって言った。榆罔はそんなことをしてもこれまでの自分の行いを考えると領主たちが許すとは思えない、無駄なことだと思いつつも他に方法が無いために、


 「…分かった…言うとおりにしよう。」


 と頷いた。


 その後軒轅の前で炎帝はこれまで侵略し略奪した領主たちと話し合った。その話し合いとはこれまでの自分の罪を認めたうえで領主たちに謝罪しその罪の償いをすると言うものであった。

 これまでに奪ってきた土地は元の領主たちに返還し、奪った穀物を将来に渡り返すと共に犠牲となった兵の代りには自身の兵を引き渡した。

 話し合いが進むにつれ炎帝の領地は各領主へと分け与えられて縮小してしまい、穀物も兵士も大幅に減った。このため炎帝の勢力は当初の半分以下にまで減ってしまっていた。


 多くの領主たちは土地が戻ってきた上に炎帝自ら謝罪をすることでそれまでの溜飲が下がり榆罔を許した。もちろん中にはどうしても納得が行かずに榆罔を殺せという領主もいたが、軒轅が時間をかけてなだめることで殺せとまでは言わなくなっていった。

 軒轅は根気強くこの難しい話し合いをまとめ上げた。榆罔の立場からは決して嫌だとは言えなかったが榆罔が不利な条件であれば軒轅は榆罔側に立って相手の領主を説得して、どちらか一方に利益が偏らないように均衡を保ちながらお互いを納得させてしまった。


 軒轅は蚩尤に対抗するために榆罔を生かすことで榆罔を含めた中原の民をまとめたいという打算もあったのだが、本心は神農氏より代々受け継がれてきた炎帝を殺したくはなかったのだ。

 このようにして榆罔の命は助かり、誰しも軒轅の仲裁を公平だと認め、中原の部族たちはこの公平な軒轅を徳の高い人物として称え尊んだ。

 そして、阪泉の野の戦いの戦後処理が終わると軒轅は榆罔を含めて参軍した領主たちを集めて東方の九黎族きゅうりぞくと九黎族を率いる蚩尤の脅威を伝え、そして中原に住む華夏の民の団結を呼びかけた。

 差し迫っている強大な敵を感じ取り、この戦いに参加したもののみならず華夏全土が蚩尤に対抗するために軒轅に従った。このようにして軒轅は若くして華夏族をまとめ上げ、中原の盟主となった。


 そろそろ蝉もいなくなり鳴き声も聞こえなくなるであろう、軒轅28歳の夏の終わりであった。

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