軍師風后と将軍力牧
混沌には秩序が必要だと言うが、一体いつの時代から秩序が必要になってしまったのであろうか。千里の道も一歩から始まり、偉大な出来事ももともとはとるに足りない些細なことから始まっている。ここ有熊では混沌に秩序をもたらす戦いが静かに始まっていた。
風后と力牧は軒轅によりそれぞれ有熊軍の軍師と将軍に任命された。
風后は髪を長く伸ばし女性のような線の細い顔立ちをしており、一見しただけでは女性と間違えられることも多々あった。話す言葉は丁寧でよく楽器で音楽を奏でていた。
風后は常に口元に笑みを浮かべ決して感情を表に表さなかった。冷静を装い周囲の動向を把握しようとしていたのだ。
風后は有熊に仕えて以来、人々を観察していた。その観察方法は常先のようにじっと見つめてそこから閃きを得るという類のものではなく、人が考え動く道理そしてその時の心の働きを読もうとしていたのである。
風后は有熊の軍師に就任するとすぐに練兵を開始した。風后は風部族にいる時に兵を動かすことを牛の群れを追いながら学んでいた
風后はとある領主の息子であったが、父が戦争に敗れて戦死したため母方の部族の元へと落ち延びたという過去を持つ。母方の領主の下では厄介者と看做され風后一家に対する風当たりは厳しく、風后は辛酸をなめながら父を殺した部族に対する復讐を考えて成長し、この厳しい環境は風后に感情は表に出さずに相手を観察するという慎重さを与えた。
風后は成長するにつれて頭角を現していき、やがて母方の領主の下で重用されるようになり戦争に参加するようにもなった。風后の才能は兵を動かすことで発揮され、風后の率いる部隊は連戦連勝でありやがて父を殺した部族とも戦い父の敵を討った。
しかし、戦いに必ず勝利し次第に強い影響力を持ちだした風后を不気味に思い、これに恐れを抱いた領主が風后を殺そうと考えていることを知り、父の敵を討ち母も病気で亡くしていた風后は思い残すこともなく部族を去り隠遁してしまった。そんな折に軒轅からの使者が現れたのであった。
風后はこの牛の実際の動きと心の動きの両方を想像しつつも攻撃と防御に適した兵の配置を日々研究していた。
攻撃を受けるときはまずは弓隊を前面に出し押し寄せる敵を弓で射て、その後後方で横一列に並んでいる槍隊の後ろへと下がり槍隊に隠れながら敵を攻撃するなど効果的な戦法を考案していった。
この時には矢には鉄製の矢じりが普通に使われるようになっていたが、まだまだ鉄は東方からもたらされる貴重な商品であったので、鉄が大量に使用される剣や槍には黒曜石などが使用されていた。高価な鉄製の武器を装備できるのは領主と一部の身分の高い臣のみであった。
一方の力牧は巨漢の男で寡黙であまりしゃべる男でなかった。話さないため何を考えているのか兵たちには分からなかったが、弓を引かせるとその怪力でどの弓も弦が切れてしまいまともに矢を放てる弓は無かった。力牧のために急遽頑丈な弓が作られたが、それでも力牧が本気で引くと弦が切れてしまうか竹が折れてしまったので力牧は常に手加減をしながら引かざるを得なかったのであった。
力牧は幼いころからその怪力で熊や虎などを相手に暴れまわっていた。専ら暴れたいから暴れるのであって、戦意の無い者には興味はなく手出しすることはなかった。
歳を重ねると次第にその力を賊の討伐に使用するようになり、賊が出たというとその賊を追いかけて存分に暴れまわった。
力牧にとっては戦いが出来る上に人々から感謝され食料も得られるのである、生きていく上では困らなかった。
賊もそのような力牧を殺そうと何度も奇襲を仕掛けたがそのたびに力牧に返り討ちに会ってしまい、付近の賊たち次第に力牧を避けるようになりやがて力牧の噂は広範囲の賊中に広がり力牧がいる場所には賊は現れないようになった。
すると退屈した力牧は旅をしながら賊を探すようになり、山賊狩りの力牧として名前が広がっていったのだ。
このような力牧を気に入らないと言ったのが有熊の都の警備隊長の呉伏であった。自分は長いこと有熊で兵士をしていたのにどこの馬の骨かわからない人間が突然将軍となったのだ、納得がいくはずがない。
それに、力牧に異様さを感じ取っており、そう簡単には受け入れられるものではなかった。さらに、呉伏の心にはまだ少典が生き続けており、少典と言う男を間近で見てきたため少典の息子で有熊の現領主の軒轅以外を将として認めることが出来なかったのだ。
呉伏と言う男は単純であったので顔を合わすたびに力牧に真っ向から反発していたので、呉伏と力牧が対立するには時間がかからなかった。
「おい、力牧!お前みたいな馬の骨が何で将軍なんだよ!?将軍ならもちろん強いんだよな?気に入らねぇぜ。」
ある時呉伏は力牧が一人でいる所に兵士仲間を連れて行き、力牧を取り囲んで将軍ならばその能力を見せてみろと激しい口調で詰め寄った。
「……。」
そう詰め寄られても力牧は無表情で何も答えなかった。力牧と言う男には恐怖という感情が欠如している部分がある上に戦いが心底楽しいと思う性分であり、戦乱の世でしか自分の存在を見いだせないような人間であった。そのため呉伏に詰め寄られた時には恐怖を感じるどころかむしろ嬉しく思っていた。
「おい、何とか言ったらどうなんだ?」
そんなことは露知らずに仲間の兵士とともに呉伏が力牧に怒号を浴びせると
「……ふっ。ふはははは。」
と、次第に力牧の口元が上がっていき遂には笑い出したのだ。
「こ、こいつ……、なめやがって!」
これを見て呉伏は激怒するとともに力牧と言う男に恐怖を感じ、思わず殴りかかっていた。力牧はその拳を顔面に受けたがダメージは殆ど無かった。
「ガン。」
殴られた直後、力牧が物凄い勢いで殴り返すと呉伏は後方に吹き飛び、壁にあたってどさっと地面に崩れ落ちた。呉伏はこの時代では大柄でありがっしりとした体形であったが、それにもかかわらず力牧に殴られると両足が地面から浮き吹き飛ばされたのだ。
本気で殴られていれば恐らく死んでいたであろう。その時、呉伏は力牧が手加減して殴っていることに気が付いていた。
薄れゆく意識の中で呉伏は少典を思い出していた。少典が亡くなって以降、呉伏は無性に寂しかったのだ。
「このくれぇで…終われねぇんだよ…。動くなよ、てめぇ。」
少典の事を懐かしみながらも、こんなところで倒れたら少典に笑われてしまうと思うと、呉伏に意地が出てきてた。地面に倒れ込んだ呉伏は何度も倒れそうになりながらも何とか立ち上がった。
「もう一発…その…顔面に…、はあはあ…、お見舞い…してやるよ!」
口元に笑みを湛えている力牧が霞んで見えたが、その位置は大体分かっていた。ふらつく足で力牧の下にゆっくりと歩み寄り、力牧の近くまで来ると力を振り絞り力牧に向けて拳を打ち込んだ。力牧はその様子を見ながら呉伏に親近感を持っていた。
力牧にそんな攻撃が効くはずもなかったが、殴った後に呉伏は力牧の方に倒れ込んでしまった。拳を噛みしめながら力牧は崩れ行く呉伏を受け止めた。力牧は呉伏が寂しかった事を感じ取っていた。
このような男たちにとっては拳は言葉よりも雄弁な場合がある。言葉は交わさずも殴り合うだけでお互いが理解しあえた気がした。
力牧は気を失っている呉伏を何もできずに呆然と立ち尽くす仲間たちに預けて立ち去って行った。
呉伏は気が付くと所々記憶がないものの力牧に一撃で倒されたことを思い出した。何とか生きていたがひどい頭痛がして水をひたした麻で傷口と額を冷やした。
ふと笑いがこみあげてきて一言、
「ふふっ、こりゃ勝てねぇな。」
と呟いた。力牧と言う異質な男を感じ取っての呟きであった。
「あ~あ、くそ、頭がガンガンしやがる。一体何なんだ、あいつは…。しかし、あんなすげぇやつ見たことねぇぞ。それに軒轅様のような、いや軒轅様とは違うが何なんだ…、あいつの持つあの不思議な感覚は?力も胆力も何もかもが桁違いじゃねぇか。」
事実、力牧には高い神性があり、軒轅とは異なりその神性は戦闘に生かされていたのだ、この男相手に普通の人間が真っ向から戦って勝てる道理はなかった。
以降は呉伏は力牧に忠実に従うようになった。軒轅は呉伏と力牧が揉めたという報告を聞いたが、呉伏が力牧を受け入れている姿を見てほっと胸をなでおろし、有熊の古参の兵である呉伏が力牧に従っている姿を見て他の兵たちも次第に異質な存在である力牧を受け入れるようになって行った。
この頃には軒轅の下に様々な情報がもたらされていた。炎帝が北方の雄、共工氏族を降し、降伏条件として共工氏族の領土の一部を手に入れたとのことであった。戦後処理に腹心の刑天を残し炎帝自身は有熊に標的を定め着実に準備を整えており、炎帝が有熊に攻めてくるのは時間の問題であった。
炎帝が軒轅を攻めるには理由があった。それは軒轅が炎帝の下へ有熊の王を継承した旨を直接報告しなかったということである。炎帝は軒轅の主君筋にあたるため、継承の挨拶に行くのは当然であったが、炎帝が軒轅を殺したがっている情報が幾度となく耳に入っており軒轅は身の危険を感じて行けなかったのだ。現に何人かの領主が炎帝と面会中に殺されていたのであった。
戦い慣れている炎帝の行動は素早かった。共工氏との戦いの後、即座に先発隊として1500人ほどの部隊を有熊に繰り出してきた。炎帝としては戦争慣れしている経験豊富な兵士たちであったのでこの人数で十分に有熊を落とせると踏んでいた。
この人数で有熊を落とせればそれでよいし、勝利しないまでも炎帝本体到着まで持ちこたえるだろうという目算である。
この情報は各地に散らばっている商人たちから軒轅の耳に入り、軒轅は即座に炎帝と戦う準備に取り掛かった。
まずは戦える兵を集めた。有熊の領土は決して広くなく都に人口が集中しており、領土内の人口は3万人ほどであった。女子供商人そして田畑を持っている農民を除いてこの中から戦争に狩りだせる人員は2000人が限度であった。
この中で戦闘の訓練を積んでいた兵士経験者を集め1000人ほどの迎撃部隊を編成した。訓練を受けていない者たちを戦闘に参加させても取り乱して逃げ出したり指示を守らなかったりと逆に足を引っ張ってしまう恐れがあることといたずらに命を失うことを避けるためでもあった。
500人は弓部隊であり残りの500人を歩兵部隊として編成されていた。弓部隊は軒轅が、歩兵部隊は力牧が率いることとなった。炎帝軍は自分たちの侵攻には有熊はまだ気が付いていないと思っていたがそこに付け入るスキがあった。
軒轅は炎帝の先鋒が通るであろう山中で伏兵して迎え撃つことにした。ここで進路を誤ると迎え撃つどころか素通りさせてしまいそのまま兵のいない有熊へとなだれ込んでしまうだろう。それは何としても避けなければならない。
軒轅はしきりに足の速い斥候を炎帝軍の進路である南西方向へ送り帰りを待った。すると斥候の一人が戻ってきて、進路はどうやら有角山と言う有熊の北東方向にある山を通ってくるとのことであった。その山には隣の領主の都まで続く道があるのでその道を通って炎帝の先遣隊はやってくることは明かであった。
女丑が巫術で祈祷を行うとこの戦いは吉であると出た。また、数日は雨は降らない可能性が高いことも分かった。軒轅は自ら軍を率いて出陣した。
風后は火計の準備を完了しており、干し草を集め菜種油と共に常先が発明した荷台のついた車に大量に載せて有角山まで運んだ。荷車を使用したために莫大な量の干し草と油を運ぶことが出来た。
有角山はその名の通り岩が切り立ち頂上付近が牛の角のようにとがっている山であった。その山の下には川が流れているが、その川の沢沿いに細い道が作られていた。伏兵には絶好の場所であった。
軒轅はしきりに斥候を放ち先遣隊の正確な距離を確認していた。風后は弓隊を伏兵するのに適した道に沿った草に覆われた高台を見つけ出し弓隊を配置した。
弓隊は一点に集中させずに間隔をあけて長く配置すると共に、火計の準備を整え風后と軒轅は全軍が見渡せる位置へと登って行ってそこから全軍を指揮した。
やがて遠くに先遣隊がやってくるのが見え、先遣隊の隊列は予想通り細い道を通るために細く伸びきっていた。
「よし!予想通りだ。」
と、軒轅は一人呟き、兵士たちと共に息を殺して待ち構えていた。
先遣隊の先頭が弓隊に差し掛かかった。弓隊は射撃の指示を待ったが風后は指示を出さなかった。中腹が通ってもまだであった。
「放てー!」
そして最後尾が通り過ぎようとしたその時に軒轅は弓隊に向かって射撃の合図をした。それと同時に風后は先遣隊の最後尾に巨大な火を作り上げたのであった。
突然の軒轅軍の襲撃に加えて火により退路を断たれた上に、細く伸びきった先遣隊の隊列に側面から弓隊に攻撃されたので炎帝軍は大混乱に陥った。
風后はさらに先遣隊の中腹辺りにも所々火を熾したので先遣隊は分断されそこに正面から力牧の歩兵隊を突撃させた。
「うおおおぉぉぉぉ!」
力牧は寡黙であったが突撃の前に巨大な雄たけびをあげた。その声は山々にこだまし暫く鳴り響き続けた。
「全軍突撃しろー!俺についてこい!」
そう叫ぶと力牧は混乱している敵兵めがけて真正面から突っ込んでいった。
兵たちは圧倒的な存在感を力牧に感じ、味方にすればこれほど頼もしい人間も他にはいないと思い、力牧の背中を必死に追いかけて行った。
力牧は自ら先頭に立って叫びながら炎帝の先遣隊目指して走り出し、その大声と力牧の巨体を目の当たりにした先遣隊はさらに浮足立っていった。
力牧は竹で作った長い槍を振り回すと、二丈ほど離れた敵兵士が槍に薙ぎ払われて吹き飛んでしまった。こんな調子で竹の槍を振り回したので竹の槍はすぐに割れてしまっていたが、割れた傍からすかさず新しい槍が手渡された。手渡したのは呉伏であった。
この時呉伏は喜びを感じていた。この戦場の感触は少典と共に戦った時以来であり、現に一緒に戦っている力牧は見紛う事なき少典以上の武人であったからである。
この猛烈な戦いぶりに敵兵は完全に戦意を喪失し火の弱い部分を探して後方へと敗走を始めた。しかし、隊列の最後尾の場所には巨大な炎の壁がありここを超えるとなると焼け死んでしまうか死なないまでも大やけどを負うことは確実であった。
行き場を失った炎帝軍はこの火の前で立ちすくんだ。その時力牧は長い竹の棒で炎帝軍を指しながら大声で、
「降伏しろ!それとも死ぬか?」
と叫んだ。力牧たちはここで敵兵を皆殺しにできたであろうが敢えて降伏を勧告した。炎帝軍は退いては火で焼かれ進んではこの力牧と弓隊の餌食になる。
敵兵たちは戦意を喪失し一人、また一人と武器を捨てて降伏を受け入れた。
戦いが終わると軒轅は高台から降りて捕虜となった炎帝の先遣隊の将軍と会った。
炎帝軍の将軍は陸島と言い、さすが炎帝配下の将軍であろう肝が据わっておりこの状況に怯むことなく堂々としていた。
軒轅は陸島に会うと、全員の釈放を条件に炎帝について教えるように言った。陸島のみならず軒轅軍もこの申し出に一同驚きの声をあげた。捕虜は手っ取り早く奴隷にして働かせればいいのであり、捕虜になった兵士たちも奴隷になることを覚悟していた。
陸島は少し考えたが願ってもない条件にこの条件を受け入れ炎帝軍について自分の知っていることを語りだした。
炎帝の部隊は自分の部隊を入れて5部隊あり、各部隊それぞれ1500名程から構成されていること、炎帝は軒轅を殺し有熊を手中に収めようとしていること、蚩尤など眼中にないこと、力で中原を統一しようとしていることなどであった。
軒轅は一通り情報を聞き出すと約束通り陸島とその部隊を解放した。軒轅は敵軍であっても殺したり奴隷にしたりしたくないという思いがことのほか強かった。
この軒轅の行為の受け取り方の良し悪しは人それぞれであった。しかし風后はこの行為を徳の高い行為であると大いに賞賛し周辺諸国へと広めていった。それは炎帝の暴力を伴った武に対して軒轅の徳で戦いを挑むという戦略を頭に描いていたのだ。
軒轅軍は炎帝の先遣隊に大勝利をあげた。軍師風后の鮮やかな戦術と将軍力牧の勇猛果敢な戦いぶりは共に戦った兵士たちの目にしっかりと焼き付いていたが、これは前哨戦に過ぎず次は炎帝本隊との対決となる。次の戦いは有熊の軍勢だけでは勝てるかどうかわからなかった。
軒轅は有熊に戻ると早速中原の領主たちへ炎帝戦の勝利の報告に加え反炎帝の檄を飛ばした。この時、領主たちの反応も様々で炎帝憎しの領主は喜んで軒轅に加勢を申し出た。先の捕虜を解放した話も伝わっており、こんな弱腰の人間にはついて行けないと断る者もいたが、風后の読み通り多くは徳のある行為だと讃えて協力を申し出たのであった。
炎帝によってねじ伏せられてきた力が軒轅の出現と勝利で解放されたのである。これまでの圧政を受けた分その反動は強く、軒轅はその徳により次第に求心力を高め反炎帝の機運が高まっていった。
菜の花に蝶が舞っている軒轅28歳の春であった。




