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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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応龍

 龍たち、我が同胞よ。済まない、お前たちを守れなかった。儂はもはや龍の王などではない、このまま死に行く存在じゃ。……何とお前たち、このような儂をまだ王と呼んでくれるのか?しかし、悔しいがもはや儂の力ではどうにもならん。崑崙山の神々も動かぬと言うし、お前たちを集めて戦ったとしてもあの蚩尤しゆうには到底勝てぬであろう、そうなれば龍たちは絶滅してしまう。いずれにせよ、このままでは蚩尤に皆殺しにされるであろうが……。ん?何だ青龍せいりゅうよ、人間と組んで蚩尤に対抗するとな?あの貧弱な人間が味方に付いたところで如何ほどの戦力となるのか。知恵者の白龍はくりゅうよ、蚩尤ももともとは人間であったと言うのか、なるほどそれは一理ある。しかし、蚩尤に対抗できる人間が蚩尤と同じ時代に生まれてくるものか?玄龍げんりゅうよ、お主の予言はよく当たる、どうじゃ?なんと、土徳どとくが出現すると申すか?それは一体どこの誰かまでは判らぬか……。そうか、残念だがその土徳が現れるまでしばし待つとしようか。


 有熊は飛ぶ鳳鳥も落とす勢いにあった。次第に大きくなりつつある文明の萌芽を感じながら人々の生活は段々と豊かになりつつあった。


 ある時軒轅けんえんは軍事的な内容や穀物の取引などの話し合いをするため、近隣の領主の元へと出かけて行った。警備には有熊の警備隊長の呉伏ごふく達がついていた。その領主の都は有熊から少々遠く、途中山中で幾夜かを過ごすこととなった。

 夜の山中程不気味なものはなかった。実際、夜になると魑魅魍魎などが徘徊しだすため、盗賊でさえ夜には山中へは入らなかった。山中には魑魅魍魎の他にも様々な猛獣などがいたために、女丑により結界が張られていた。しかし、強大な猛獣用に張られた結界のために網の目が粗く、人間や小さな魑魅魍魎などはすり抜けることが出来た。


 道中に山中の沢の傍でたき火を熾し呉伏達が夕食を作っていると、奇怪な姿をした生き物が現れた。


 「誰か来たぞ?こんな山奥のしかも夜に一体?」


 と、護衛の一人が言うと、その人間に似た生き物の姿が焚き火の火に照らされて闇夜に浮かび上がり、一同はその生き物をまじまじと見つめた。

 その生き物は身長が一尺余りで一本足、体は黒褐色の長い毛で覆われており頭は長くて大きく、尾が生えていたが極端に短く目は深くくぼんでおり色は黒く、鼻は深紅で両頬は藍紫色で皺の模様があった。衣服は正しく身に着けておらず羽織っているだけでどうやら着用の仕方を知らないようであった。


 その山怪は手に沢で捕れた蟹を持っており、ぶつぶつと片言の人間の言葉をつぶやきながらその蟹を軒轅達が熾したたき火の火で炙り出したのであった。

 突然の出来事に驚きつつも退屈であったで皆面白がってその山怪を見ていた。すると厚かましくも呉伏が置いてあった塩の袋からこっそりと塩をつまみ焼けた蟹にかけて食べだしたのであった。


 「こいつ、俺の袋から塩を取って蟹にかけてやがる、何てやつだ。」


 これにはさすがに一同驚き、呉伏が追い払おうとすると火にくべてあった竹の空洞が突然弾けて大きな音がした。

 

 「ぎゃっ!」

 

 と、その音にその山怪は心底驚いたようで鋭い金切り声を上げてそのまま山中に逃げていった。

 一体さっきの生き物は何だったのかと一同は奇怪に思ったが、その山中には先ほどの生き物が多く住んでおり、以降よく目にした。

 これ以降は呉伏はたき火を焚くときにその山怪を避けるために竹を燃やして音を出すようになった。


 「蟹を食べていたのですか、ふむふむ。なるほど、軒轅殿、それは山臊さんそうに違いない。」


 その後、軒轅たちが有熊に戻った時に大鴻たいこうにその夜の出来事を話すと大鴻はそれは山臊さんそうの仕業であろうと言った。


 「私の古い友人が山臊をよく知っていて話してくれたことがあります。まあ、山臊は仲間内ではよくケンカをしていますが、基本的に大人しい生き物と言いますので手出ししない限りは襲ってくることはないと聞きました。」


 と、大鴻の話では狂暴な面もあるがこちらが手出しをしなければ襲ってくることもないとのことであった。山にはこの他にも様々な不思議な生き物が住んでいた。

 

 山臊と出くわした後、軒轅一行はさらに山中を進んでいた。外交を行う相手の領主の元へは山を迂回していく方が安全なのであるが、新規の道を開拓する意味もあり軒轅たちは深い山中を領主の元へとまっすぐに進んでいった。


 それは突然であった。うっそうと生い茂る深い森の中、突然横に大きな目を見た。軒轅一同は驚き立ち止まり、その目をまじまじと見た。すると、目の下には春先の筍のような巨大な牙が何本も並んでおり、目の先には長い髭が生えていた。

 その生き物は巨大すぎて軒轅達のいる場所から全体が見えなかったが、細長い体は深い緑色の鱗で全身覆われていることは分かった。それは巨大な龍であった。

 軒轅はこれまで何度か龍は見たことあったが、これほど大きな龍は初めてであった。その龍は軒轅達一向に気が付くと、低い唸り声をあげた。


 この時代には龍は時々見かける存在であり、鱗を持つ生き物の長であった。龍にはその外見から様々な種があった。例えば頭部に角の有る無しで種類は別れ、角のない龍はと、角が一本しかない龍はこうや蛟龍と言い、角が二本ある種を龍と呼んでいた。特に蛟は洪水を起こすこともあり災いをもたらすことが多かったので悪蛟やみずちと呼ばれていた。これらは人里から離れた湖や水のある静かな場所の水の底で住んでいたという。この様子から潜龍せんりゅうとも呼ばれた。

 中原の周囲は東海、西海、南海、北海の四つの海、則ち四海で囲まれており、東海龍王などそれぞれの海の統治者も龍であった。他にも小型で馬のような虬龍きりゅうや水龍の蟠龍ばんりゅう、殺された神がよみがえり悪龍となってしまった窫窳あつゆなどがいたことも伝えられている。


 龍には天敵がいないと思われているが、実際は犬に似た望天吼ぼうてんこうにより捕食されていた。望天吼は普段は空を漂っており獲物には異様に獰猛でよく龍と戦っていた。口から大きな火を吐き出しており、龍を倒すとその龍を食べてしまっていた。龍が望天吼に勝つことはまずなくいつも望天吼の餌食となっていた。

 望天吼が龍に負ける時は相手が複数の場合である。ある時、三条の蛟龍と二条の龍が共闘して望天吼と戦っていた。空中戦は三夜続き一龍二蛟を殺した後に望天吼も殺されて山中へと落下してしまった。人々が望天吼の死体を見に行くと鱗鬣りんりょうから焔と光りが起こり望天吼を覆ったという。


 軒轅達が山中で出会った龍はこれらのどの龍とも異なり背には二本の翼があった。翼を持つ龍は滅多におらず、翼は龍が長い年月生きることで獲得できる身体的機能であった。この龍は応龍おうりゅうと言い龍の中でも天敵の望天吼を返り討ちにして余りある戦闘力を持っており神に近い存在であった。龍の個体数が減少傾向にある中では、この応龍は中原に残された最後の応龍かもしれない。

 応龍は傷ついており、この傷を癒すために山中で休息をとっていた所に軒轅たち人間と出会ったのだ。軒轅一行も突然の応龍の出現に慌てた。ここで応龍が暴れ出すと止めようがない上に逃げ場もなく命が無いと誰しもが思った。

 応龍は軒轅を見つめていた。軒轅にとっては神獣に見つめられることはこれまでの人生でよくあったので慣れていたと思ったが、応龍の視線にはこれまでにない鋭さを感じた。

 応龍は口を開き腹に響く低い声で言った。


 「お主、何という名だ。」


 軒轅は応龍に自分の名を言うと応龍は少し考えこんだ。


 「ふむ、もしかしてお主かもしれんのう。このような山中でお主と出会ったのは偶然かそれとも土徳なのか。まあどちらでもよいわい。軒轅とやら、儂と少し話さんか。」


 軒轅は突然の応龍の申し出に驚きつつもなぜこのような龍が自分と話したいのか頭をひねっていた。

 軒轅は頷き応龍の方を向くと応龍はゆっくり語りだし、自分を傷つけた相手が蚩尤しゆうとその兄弟であると言った。


 「東で勢力を拡大している九黎族きゅうりぞくと言う部族がいるが、奴らは龍を嫌っておてのう。目に入った龍は全て殺してしまっておるのじゃ。これまでにも何条もの龍が殺されておる。奴らがこの中原を支配すると龍を皆殺ししてしまうであろうて。そうなる前に蚩尤を殺してしまおうと思ってな、なあにたかが人間一人、この儂が倒せぬわけがない。そう思うて一人蚩尤の元へ行き奇襲を仕掛けたんじゃ。しかしのう、あやつは真っ向からこの儂に立ち向かってきおった。」


 と、この応龍相手にまともに戦える人間がいるという事実に一同誰もが耳を疑った。


 「蚩尤一人なら何とかなったかもしれんじゃて。しかしのう、ちょうど蚩尤の傍に81人の兄弟がおってのう。あの兄弟達まで流石に相手には出来んかったわい。それでこの様な有様になってしもうた。我ながら情けないが奴らを見くびっておった儂の落ち度じゃ。」


 軒轅は蚩尤の名は聞いていたがこの応龍をここまで追い詰める存在だと思っておらず、思わず息をのみ、みるみると表情から血の気が引いた。その軒轅の表情を見ながら応龍は続けた。


 「悪いことに蚩尤はのう、東方の神々まで従え出しておる。もはや儂が中原に住む龍たちを集めて攻め込んでも敗北してしまうじゃろう。こうなれば西方の神々と人間と龍達が手を組む他に生き残る道は無いと考えおる。」


 とゆっくりと力強く語った。その低く重みのある声は腹に響き、一言一言に圧倒された。


 「なるほど、お話しは分かりました。しかし、蚩尤と言う者それほどまでに強いのですか?」


 と、軒轅は応龍に聞いた。


 「うむ、あれはもはや戦神の域に達しておる。蚩尤の兄弟達も我ら龍たちと同等の力を持っておるようじゃった。人間離れした強さじゃ。」


 この応龍の返答に軒轅は、


 「待ってください、そのような人物に我々が立ち向かえる訳がありません。」


 と、軒轅は答えた。


 「ふむ、普通の人間ではそうじゃな、立ち向かえんな。しかし、お主ならどうじゃ?お主が土徳を持ってこの世に生まれてきた意味とはなんじゃ?この中原を守ることではないのか?」


 と応龍は土徳の持つ意味について軒轅に問いかけた。


 「この時代に蚩尤という戦神にも匹敵する人物が現れた。そして今ここに土徳を持ったお主がいる。つまりはお主は蚩尤と戦い、人間、龍、神々、そしてこの中原に調和をもたらすのが宿命なのじゃ。」


 これを聞いて軒轅は戦うことが宿命であることを受け入れられずにいた。突然蚩尤と戦うことが宿命と言われても受け入れられるわけがない、それに軒轅は人一倍優しい人間である。戦いなど本来はしたくはないのであるが、土徳を持っている限り嫌でも戦いに巻き込まれてしまうのである。軒轅は自分の運命を呪った。


 「辛い人生じゃな…。しかし、運命とは変えがたいものじゃ。」


 応龍は軒轅の気持ちを推し量って言った。そして軒轅はどうすべきかを考えだした。自分がやらなければやがて中原は九黎族に制圧されてしまうだろう。そして田畑は奪われて人々は九黎の奴隷として生きていかねばならなくなるのである。自分が愛する人々をそしてこの大地を軒轅は守りたいのが正直な思いである。そして自分がやらなければ愛する者たちがやられてしまうのである。それに宿命からは逃れられるものではない、仮に逃れられてもその人生に何の意味があろうか。軒轅は決心して、


 「私は運命を受け入れましょう。」


 と言った。そして軒轅は続けて、


 「しかし、蚩尤と戦うのであれば炎帝と手を組むのがいいのではないでしょうか?」


 と提案した。すると応龍は少し考えて軒轅の提案を拒絶した。


 「榆罔ゆもうか、あやつは自分の事しか頭にない男じゃ。大将の器とはいえんのう。」


 これを聞いて軒轅は、


 「父上…。」


 と呟いた。父が生きていれば…。軒轅はこの時父の単眼鬼王が生きていればと心底思った。軒轅にとっては父は今でも越えられない存在であり、父を置いて他に蚩尤に対抗できるとは思わなかった。そんな不安げな軒轅を見て応龍はこう言い放った。


 「大きな戦いとは蛮勇ではなく徳で行うものじゃ。お主も薄々気が付いていると思うが、お主にはその徳がある。そして近い将来に蚩尤にも対抗できる男に育つことになることじゃろうて。」


 軒轅は運命を受け入れる覚悟を固めたもののまだまだ実感が湧かずにいた。自分にそのような大事が務まるかもわからなかったしそのような大きな徳を重ねられるのかどうかも分からなかった。

 そもそも自分は小国である有熊の一領主であり、その一領主の自分が蚩尤に対抗するには広大な中原の部族をまとめ上げないとならないのだ。

 さらに、蚩尤達はこの強大な応龍を追い詰めたという、果たして自分の軍勢にこの応龍が倒せるのであろうか?そう考えると蚩尤が圧倒的に強大な存在であることに気が付き愕然とした。これは部族同士のありふれた戦争ではないのだ。


 蚩尤達は今は食料供給が十分でないため中原までの長距離の行軍はできなかったが、いずれ各地から米が作られて余剰の穀物が出来れば蚩尤達はその米を手に入れて大軍勢で行軍が可能となり中原へ攻め上ることも時間の問題であった。この状況に応龍はじめとした龍たちの助勢はこの上なく強力な援軍となった。

 軒轅は頭をフル回転させ状況を理解し最善の策を考えたが、この状況ではもはや迷うところではない。最強の龍である応龍をはじめとして強大な龍たちが味方になろうとしているのである。軒轅は即座に先頭に立って蚩尤と戦う決意した。


 軒轅は決心すると応龍の前に行き深々と頭を下げて応龍に助勢を願った。応龍は礼を以てそれに応じ、ここに有熊の王、軒轅と龍たちの同盟が誕生したのである。


 応龍は軒轅たちを見送ると蚩尤達との戦いで傷ついた身体を休め、近い将来に来るであろう蚩尤との対決に向け再び眠りについた。

 有熊に戻った軒轅は大鴻の弟子で医師の岐伯きはくを呼び出してすぐに応龍の下へ派遣し傷の手当てをさせた。岐伯は薬草を集めれるだけ集め供のものを連れてすぐさま応龍の下へ出発した。


 有熊の臣たちは応龍と蚩尤との話題で持ちきりであり、大抵の人間は蚩尤のことを想像しただけで怖気づいていた。

 人間たちの士気の低さを感じながら軒轅は応龍を始めとした龍たちとの同盟及び蚩尤との戦いに向けた準備に悩んだ。蚩尤と戦うためには問題が山積みであったのだ。まずは兵力が圧倒的に少ないことである。相柳討伐以降米の生産高が増えたこともあり有熊の人口は増加していた。このため1000人ほどの兵なら長期間の出兵させることも出来るようになっていたが、1000人では圧倒的に兵力が足りずに応龍を追い詰めた蚩尤には勝てないことは明白である上に、弱兵では龍たちの戦いの足手まといになるだけであることも容易に想像できた。


 蚩尤と81人の兄弟は極めて高い神性を持って生まれており、見た目は人間とは少し異なっていた。蚩尤この兄弟達の長男であり、その体は兄弟達の中でもとりわけ硬く鉄の剣でも斬ることができずに不死身と呼ばれ、九黎族最強の戦士としても名高かった。兄弟達も銅頭鉄額や威震天下などと呼ばれそれぞれ人間の兵士など足元にも及ばない強大な戦闘力をそれぞれ有していた。

 この蚩尤軍相手に1000人程度ではどうしようもない。龍たちが加勢してくれたところで兄弟達に加えて東方の神々も助勢している蚩尤を倒すことは不可能であると思われた。

 それに軍を率いる将軍がいなかった。兵は強い将軍に率いられることで勇猛果敢に戦うものである。有熊に武勇に名高い人材は少なかった。

 また、相柳戦のように戦いには作戦が必要であることは明白である。戦況を見極めこの作戦を立案する人材も不足している。何もかもが圧倒的に足りなかった。

 そんな中、軒轅は巫術師の女丑じょちゅうを呼び蚩尤との戦いを占った。


 女丑はいつものように占いを始め、亀の甲羅を火にくべるとやがて玄冥が現れた。そして玄冥が冥界から戻ってきて甲羅を通して冥界の神々の神託を告げるとその神託は意味をなしていなかったことに気が付いた。

 女丑は訝しんだがこれは冥界の神々にも戦いの結果がわからないことであった。つまり、蚩尤のみならず東方の神々が蚩尤側についているために冥界の神々にも未来が見えなかったのだ。神々の行動の未来は冥界の神々にも見えないのであった、

 頼みの綱の巫術もその有効性を失い、軒轅は絶望感を感じていた。


 その晩、悩んで眠れなかった軒轅が夜明けごろやっと眠りにつくと不思議な夢を見た。


 夢の中では大風が吹いて地上の土や垢を拭い去ってしまった。また別の夢では一人の千鈞の力を持っている人物が弓を引きながら多くの羊を牧しているという内容であった。

 意味不明な内容であると思われたが夢の内容を大鴻に相談してみた。すると大鴻も不思議に思い共に何か暗示しているのではないかと考えた。


 軒轅と大鴻と共にこの夢について話し合い、やがて一つの結論に達した。

 乃ち、風は号令であり兵を動かす者を意味している。また垢と言う字から土を取ると后となり従ってこれは風と言う姓と后という名の人物を意味しているのではないか。

 同様に千鈞の弓は力のある者の象徴で羊の群れは兵を率いることを象徴している。則ち力と言う姓と牧と言う名の人物を意味しているのではないか、と言う内容でった。


 軒轅は兵に命じて風后ふうこう力牧りょくぼくという名の人物を捜索させるとまさに夢の通りにそれらの名を持つ人物が見つかったのであった。


 風后は有熊の外れの粗末なあばら家に住み、田を耕しながら人目を忍んで隠れる様に細々と暮らしていた。一方の力牧は山賊狩りの力牧として有名な男で、名前を出すと多くの人が体格が異様に良く、その見た目通りに異様に強い男であると口をそろえて言った。しかし、有名ではあったが神出鬼没で、その居場所はなかなか掴めず、有熊周辺では随分長いこと見かけていないということであった。治安のよい有熊は力牧にとっては居心地の悪い土地なのである。


 力牧は山賊を退治することを生業としており、山賊を撃退することで報酬を得ていたので、山賊のいる場所に力牧は姿を現すであろうと一計を案じた捜索隊は、付近に大規模な山賊が出現したという噂を流させると、ふた月ほどで異様な巨体の人物が有熊に姿を現し、噂を流した捜索隊の元へ山賊退治の申し出をしたのであった。その堂々たる体躯と腹に響くような低音の声に一同は息をのみ圧倒され、さらには体中に刻まれた無数の傷跡が歴戦のつわものであることを証明していた。


 「山賊はどこだ?」


 と力牧は言うと、隊長は力牧の前に跪いて、


 「あなたが力牧様ですか、私は有熊の軒轅の臣で主の命によりあなたを探していました。山賊が出現したというのはあなたに会うために私が流した噂です。」


 と言った。すると力牧は顔色を変えずに、


 「俺を探していたとは何故だ?」


 と質問した。すると隊長は、


 「近い将来に我ら有熊、いや中原諸侯たちは東方の九黎族の侵略を受ける可能性が非常に高いです。その九黎族の脅威に対抗するために軍を率いる将軍を探しておりました。その時我らが主である軒轅様が夢であなたの事を知ったために私を捜索に遣わしたのです。」


 と答えると、力牧はしばらくして自体が呑み込めたのか、


 「なるほど、俺に戦えと言うのか。だが俺は俺が戦いたい時に戦うのみだ。興味はない。」


 と拒否した。これに焦った隊長は、


 「いや、力牧様、お待ちください。敵はただの人間ではないのです。蚩尤と言う戦神なのです!とても我々では勝ち目はありません。現に応龍様をはじめとして龍族と同盟を結んでいますが、それでもまだ勝てるかどうかも分からないのです。現に応龍様も一度蚩尤に負けて深手を負っています。このままでは我々夏族は九黎の滅ぼされ、奴隷として生きていくしかないでしょう。あなたも夏族の一員でしたら一族のために共に戦いましょう。」


 と、目に涙を浮かべて言葉を尽くして力牧を説得した。力牧は夏族などは上の空で聞いていたが、戦神と聞くと反応を示し、口元から笑みがこぼれていた。


 「戦神とな。ふん、そいつがどれほどのものか見てみたい。良いだろう、有熊へ行こう。」


 と、有熊へ行くことを同意した。この言葉に隊長を始め、捜索隊の一同はほっと肩をなでおろした。こうして山賊狩りの力牧が有熊の将軍として加わったのであった。


 一方の風后であるが、線が細くとても戦闘に長けているとは思えず、隠れる様に住んでいただけであった。この風后は以前はとある部族の長の血縁者であり、部族の兵を率いる立場にあったが、その用兵の巧みさに危機感を抱いた族長により危うく殺されそうになったところを命からがら逃げ延びて隠れる様に細々と生活をしていたのであった。つまり、軍を率いて前線で戦うのではなく、兵を上手く用いる用兵に長けた人物なのである。


 この風后は有熊の都を捜索していた捜索隊により偶然発見された。風后は逃げている身であったので出身部族が分かる風姓を用いるわけにはいかなかったので、偽名を使用していた。その風后に運よく捜索隊が声をかけたのである。


 「そこの者、風后と言う人物を探しているが心当たりはないか?」


 という問いに対して当然のことながら以前いた部族の追手がやってきたと思い警戒し、


 「風后ですか?さあ、存じ上げません。」


 と答え、そそくさとその場を立ち去ろうとした。しかし、捜索隊が


 「いや、待たれい。風后と言う人物を見つけた者には褒美を出そう。名前を聞いたら是非とも有熊に報告して欲しい。」


 と言った。風后は有熊と言う言葉を聞いて一瞬動きが止まった。有熊……。風部族の追手ではないのか。有熊の若き賢王が私に一体何の用だ?と、風后は興味を持ち、一体なぜ風后を探しているのか聞き捜索隊の隊員と話し込んだ。


 (なるほど、九黎族との戦争か。噂に聞くが九黎は厄介な相手ではないか。いくら軒轅王が偉大な人物だと言っても九黎相手では分が悪いな。自分が部族にいた時にも九黎の噂はよく聞いていたからどれだけ厄介な相手かは知っているつもりだが、果たして自分が有熊に加わったところで人間が勝てる相手なのか?)


と心の中で呟いていた。


 「……今は戦力を増強している最中なんだが、今度龍が有熊の軍に加わったんだ。龍だぞ、噂には聞いていたがこの前初めて見たよ。」


 と、捜索隊の兵士は自身の非日常的な経験を興奮して語りだした。


 (……龍だと?龍が人間と共に戦う?まさか、そんなことが現実に起こるのか?いや、軒轅王からは高い神性を感じているが、……軒轅王なら或いは可能なのかもしれん。)


 と風后は心の中で思った。捜索隊の兵士の話を聞くうちに、忘れようとしていた戦場の緊張した肌触りや勝利の甘美な高揚感が思い出されると共に、龍を用いて用兵が出来ると思うといてもたってもいられなくなった。しかし、この場で自分が風后であると言ってもわかって何の証拠もない。褒美が目的で嘘をついているともとられかねないので、自分が風后であることを上手く説明する必要があった。


 風后には明晰な頭脳と共に神性も備わっていた。正確に言うと、軒轅の神性が徳をもたらすように、神性が風后に高い知能をもたらしていたのである。力牧も同様に神性を持っていたが、力牧の場合は戦闘に特化している神性であり、風后とは正反対の神性であった。


 この場合、風后にとっては何百もの美辞麗句を並び立てて説明するよりも、軒轅に一度会えばお互いの神性で語り合えるためにそれで解決するのである。風后は兵士から一通り話を聞くと、その場は立ち去った。


 翌日、風后は軒轅がいる時間を見計らって有熊の都の軒轅の屋敷へと赴き、門番に軒轅への謁見を願った。


 「私は風后と申します。軒轅王が私を探している旨を聞き、参上いたしました。軒轅王に謁見の御取次ぎをお願いします。」


 というと、門番は目をぱちくりし、現在有熊総出で探している風后かもしれない人物が目の前にいて軒轅に謁見を願っているのである。しかし、一方で本物かどうか怪しいという気持ちもある。その見た目で誰しもが一目で力牧だと認めた力牧ならともかく、そもそも誰が風后だか誰もわからないのである。門番は混乱しながらも、一応上に取り次ぎ、風后と申す者が軒轅様に謁見を求めている旨を伝えた。


 この申し出は軒轅へと伝えられ、風后はすぐさま軒轅に謁見することとなった。風后が軒轅の待つ部屋へと案内されると、軒轅の傍らには見たことのない巨大な男が控えているのである。その男からは凄まじく攻撃的な神性が伝わってきていた。

 ああ、この男があの捜索隊の兵士が言っていた力牧か、凄まじい攻撃的な神性だな、と感じつつも風后は隣にいる軒轅に視線を合わせた。風后は軒轅からはこれまでにない不思議な神性を感じていた。それは力牧のように攻撃的ではなくどこか暖かく優しい感触であった。

 また、軒轅の後方に控えていた巫術師の女丑からは薄まっていない濃いままの神性の原液とでもいうべきか、強大な神性を感じ、このような人間がこの世にいてしかも軒轅王が従えているのか、と息を飲み改めて軒轅王という人物について興味を抱いたのであった。


 一方の軒轅も風后からはどこか涼しげで澄んだ神性の感触を感じていた。この場ではお互いの神性が引き合うと共に、お互いにない長所がお互いを上手く補い合いより完全な個に近づいたように感じていた。

 長い間無言で時が過ぎていった。この間、皆が語らずとも理解しあい、言葉は必要なく軒轅はこの風后と名乗る人物が自分が探していた人物であると確信し、一方の風后は軒轅こそが自分が仕える王であると確信した。


 大鴻を始めとした有熊の臣たちは狐につままれたような思いであったが女丑に祈祷させてみると、これらの人物が有熊のみではなく中原にとっても益をもたらすという冥界の神々からの神託が玄冥によりもたらされたので、軒轅は正式に両名に請い臣に加わってもらったのだ。

 風后も力牧も歳の頃は軒轅とは同じくらいでまだ若かった。風后は夢の暗示の通り軒轅軍の軍師となり、力牧は将軍となった。


 この様な不思議な縁に導かれて軒轅を中原の覇者へと押し上げる伝説の軍師と将軍が有熊に加わったのであった。

 

 再び水田に稲穂の金の絨毯が敷かれた頃、軒轅27歳の秋であった。

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