即位
おい、玉山の山神よ、感じないか?これは懐かしい。もう忘れそうなくらい昔の感覚だ。我らを呼ぶのは仙人か?そうだ、仙人に違いない。山の頂上から見てみよう。どうだ……見えるか?あそこの黄河の近くにある屋敷から呼ばれているぞ、ん?あの黄河の上に浮いている神は?もしかして河伯か?黄河の神までも興味を持っているとは。これは驚いた。……なんと?我らを呼ぶのは仙人ではなく、人間とな。どうだ玉山の山神よ、久しぶりに葬儀があるようだ。どれ、行って見るか?天神の儂は魂を天に返そう、そして山神のお主は魄を地に返そうではないか。
女丑の有熊の巫術師としての初仕事は君主であった少典の葬儀となった。
都中は涙を流す民衆で溢れており、少典の死に有熊中が涙していた。そして周辺諸国にもこの訃報はすぐさま伝わり多くの領主が少典との別れのため有熊へとやってきた。
少典の葬儀は女丑の指示の下で行われて準備がなされ、女丑は翠清の領主に教わった要領で葬儀の体裁を整え祭壇を作り火を焚き穀物を捧げ少典を弔うために天神や山神へと祈った。
祭壇の前には様々な色の花々によって飾られた少典の遺体が置かれ、夕暮れ時の頃合いを見計らって祭壇に火がともされると、火の勢いに伴ってオレンジ色の光がうっすらと辺りを照らしだした。
火の勢いが強くなった頃に女丑は祈りの言葉を口にした。その高い音色はまるで玉壁同士を叩き合った音のように澄んでおりよく響き、祭壇を囲む人々は胸中の悲しみが和らいでいくのを感じていた。
祭壇の周りには葦で編んだ座が敷いてあり、その座の前には米や鶏の肉などの供え物が置いてあった。無人の座は誰が座るでもなく祭壇の火に照らされて揺らめいていた。
祈りの言葉が終わり女丑が亀の甲羅を火にくべると、甲羅から翠清の都で見た玄冥が現れる所を神性を持つ軒轅やその妻の嫘祖は見た。
玄冥は亀と蛇が合わさった見た目をしており、半透明でうっすらと輝いており冥界の神々へと詣でるために火を通って冥界へと赴いたのだ。玄冥は死者が一人行くと泰山府君に伝えに行ったのであった。
この玄冥は神性を持たない者には見えなかったが、軒轅はこの巫術師は翠清の巫術師と同様に本物だとこの時確信したのであった。
しかし、驚くべきことが次に起こり、少数の人々からどよめきが上がった。女丑の能力は翠清の老婆を超えており、祭壇の周りには神々が現れ無人の座に山の神々と天の神々が続々と座って行くのを神性を持つ人々は目にしたのであった。
翠清での祈祷ではただ座を敷いているだけで神々は現れなかったが、ここ有熊の少典の葬儀には神々が現れたのだ。
「軒轅様、何か現れましたわ!?」
「うむ……、どうやら神々が現れたようだ。なんてことが起こっているのだ…。」
軒轅と嫘祖は互いに顔を見合わせて非現実的な出来事にただただ驚き立ち尽くすのみであった。
神々の見た目は様々で馬の頭に龍の体を持つ神や豚の体に人間の頭部がついている神、また頭が三つある神などもいた。有熊周辺に住む山神と天神であった。
座を敷くのは儀礼的な意味合いがあるだけだと思っていたが、神々が見える者たちは座とは神々が実際に着席する場であったことを理解していた。
軒轅は嫘祖と共に初めて見る神々の姿に目を見張った。葬儀の他の参列者の中にもこの神々が見えている者がおり、それは顔を見ていると一目瞭然で皆軒轅や嫘祖と同様に目を丸くして座を見続けていたのであった。
女丑は集まった神々に少典の死後の安寧を祈願した。女丑の方を向いた神々は女丑の言うことに同意をすると少典の遺体から魂魄が抜け、魂は天神が天に返し、魄は山神が地に返した。
この時、少典の魂魄は薄らと輝きながら軒轅と嫘祖、そして妻の附宝の下へと行き近くをくるくると回りまるで別れを告げているようであった。
その様子に軒轅は哀しみと共に安堵の涙を流し、父の魂魄に感謝しつつ父との最後の別れを行った。
軒轅や少典の妻の附宝にとってはこの上のない葬儀であり、人目をはばからず涙した。否、参列者で涙を流さなかったものはないなかった。しかし、その涙は悲しみ涙のみではなく少典への感謝の涙でもあったのだ。
軒轅と嫘祖、そして附宝は葬儀の終わりに女丑に深々と頭を下げた。それは父親を最高の葬儀で見送ってくれたからであった。
この時、軒轅達のみではなく参列者全員にもある共通の気持ちが沸き起こっておりそれは人間のより根源にある魂魄を突き動かされた思いによるものであった。
女丑は葬儀を通して少典のみならず生きている人々の魂魄にも語りかけていたのであった。このため参列者全員は軒轅達に倣い全員女丑に深々と頭を下げていた。
人間には三魂七魄が宿っており、人の死後には魂は天に魄は地に帰る。しかし、この魂魄が遺体から抜けずにいると悪鬼となると言われていた。特に魄が遺体に残ってしまった悪鬼はとりわけ凶悪で殭屍と言い、滅多にないが時々自然に発生していた。
後世では魂魄を操る赶屍術が発展し、術者が術により殭屍を作り出し術により殭屍を自在に操ったと言う。この殭屍は今ではキョンシーとも呼ばれている。
女丑のこの祈祷は死後少典の魂魄を神々に頼み安全に天と地に返すものであった。古代の葬儀は本来このような意味を持っていたがこの当時はすでに形骸化されてしまっていた。これは神性を持つものが少なくなり本来の葬儀ができる巫術師がいなくなったからである。しかし、軒轅をも凌ぐ強大な神性を持っている女丑には神々を呼ぶことが可能であった。
この世が作られた太古の女媧や伏羲の時代には人間は神々と共に住んでいたと言う。そのころは人間たちは仙人と呼ばれ神々と同じく高い神性を持っていたと言うが、やがて神々と別れて住むようになり神性も次第に薄れていった。太古に比べて世代を追うごとに人々の神性が薄らいで行っているのである。
この太古の神性を色濃く受け継いでいたのがこの女丑という有熊に新たに加わった巫術師であったのだ。
「しかし、とんでもない巫術師が有熊へやってきたものだな、嫘祖よ。」
「はい、しかも心根の優しい人物に感じます。これもきっと軒轅様の持つ土徳によるものなのでしょうか?」
「そうだとすると、この土徳というのは末恐ろしいものだな。一体私たちに何が起ころうとしているのか…。考えてもさっぱり分からん。」
「そうですね、そのことはしばし忘れて今は父上様のご冥福をお祈りいたしましょう。」
「うむ、そうだな。」
葬儀の後に軒轅はこの上ない人物が自分の下へ来たものだと嫘祖と共に話し合うと共に、自分の持つ土徳の力に漠然とした恐れを抱いていた。
禺疆の吹かせる厳風も弱まりつつあり春はもうすぐそこまで来ていた。
「不思議な葬儀だ。あのような葬儀は生まれてこの方見たことも聞いたこともないぞ。あれが巫術師の持つ力なのか。」
「人間の死とは悲しむべきものではないのかもしれん、そう感じさせる葬儀であった。」
葬儀が終わると、各領主や有熊の臣、そして有熊の民たちは神々の集った少典の葬儀の話で持ちきりであった。
人々は口々に少典はよい葬儀を行ってもらえ、少典の最後が良いものであったと安心した。そして巫術師女丑の事は有熊中に知れ渡ることとなった。
人々は女丑が行った葬儀を目の当たりにして女丑の巫術師としての能力を疑う者は無かった。女丑は軒轅と有熊のために日々祈り、人が死ねばその魂魄を安全に天と地へと返した。女丑は忌み嫌われるこれまでの半生から一転して人々から感謝され尊敬を集める人生へと変わって行ったのだ。女丑にとっては有熊は夢のような都であった。
この頃、軒轅の周囲は俄にあわただしくなった。それは次期有熊の領主である軒轅に取り入ろうとする者たちと、一方でこの時期に軒轅の力を削いでおこうと言う勢力などが入り混じっていたからである。少典の死によってドロドロとした政治の駆け引きが始まっていたのであった。
反軒轅の情報は各地へと商売に赴く商人たちによってもたらされていた。その反勢力の一人に炎帝の名が挙がっていた。
炎帝は榆罔と言い、気性が激しく独占欲の強い男であった。少典は生前幾度か炎帝に会っており炎帝に従って中原を転戦したこともあった。炎帝の気質を知っていた少典が軒轅を守るために榆罔に面会させることを拒んでいた。このため軒轅は炎帝とは面識はないが、軒轅の主家筋にあたる。
炎帝は火徳を持って生まれた神農氏以降、代々その子孫が炎帝の称号を継承してきた。炎帝に近い子孫は炎帝の神性を受け継いでおりその徳で世が平和に治まっていた。しかし、代を重ねるごとに神性は薄らいでいき、榆罔にはもはや神性は感じられなかった。そして榆罔は自分の欲望の赴くままに兵を動かし自分に従わない中原の部族を従わせてきたのであった。
榆罔は少典が日々力をつけて言っていることを知っていたが、単眼鬼王の異名を持ち周辺諸国に大きな影響を持っていた少典には手出しできなかった。
もし少典と戦えばその圧倒的な兵力差で戦には勝てたかもしれないが自軍の損害と周辺諸国が反旗を翻すことを考慮すると有熊には攻め込むことが出来なかった。さらに少典が反炎帝の盟主となってしまい周辺諸国をまとめ上げられると非常に厄介な存在でもあった。
そしてこの目の上の瘤の少典が死に、若造の軒轅が跡を継ぐとなると榆罔が有熊に攻め込む好機であった。有熊を手中に抑えれば米と交易の両方を手中に収めることが出来るため、榆罔にはたまらなく魅力的に映ったのである。このような榆罔の浅はかで独断的な考えが中原に戦乱をもたらす一因となっていた。
榆罔は若い軒轅にとって強大な相手として立ちはだかろうとしており、軒轅もそれに気が付いていた。しかし、今の有熊の兵力では到底かなわない相手であるとわかってもいた。
軒轅は3月3日に誕生日を迎え20歳になっていた。軒轅の有熊の王としての即位の儀式は女丑により執り行われた。
女丑は即位の儀には天神達に軒轅の王としての即位を報告し、社稷を作り軒轅の下で穀物の豊穣を願った。社稷の社は土の神を稷は谷神、則ち穀物の神を表している。谷とはもともとは穀物、とりわけ粟を表していた。社稷は後世には意味が変わり国家の意味で用いられているがもともとは大地と穀物の神々へ祈るための祭祀用の施設を指す言葉であったのだ。
紀元前2697年、弱冠20歳の軒轅は父少典の後を継ぎ即位して有熊の王となった。
軒轅が即位した後、有熊には様々な人々が訪れた。その大半は偉大な父親の跡を継いだ軒轅と言う人物を見るためであった。客人には周辺諸国の領主も多く、軒轅と長時間話し込むことがあった。その話題は南西の炎帝榆罔と東の九黎族、三苗族などの勢力拡大と中原侵攻についての情報交換やお互いが攻め込まれたときには援軍を出し合う軍事同盟の話などであった。
有熊は炎帝の領地から1000里程(400キロメートル程度)離れていることと、炎帝が現在共工氏族と交戦状態にあるためそう簡単に攻め込まれることもないと思われたが、共工氏族が劣勢となっており、敗戦も時間の問題とのことであった。
中には懐かしい顔ぶれもいて軒轅は嬉しくなった。相柳討伐で共に戦った領主たちであった。あの頃はまだ子供であったが、一国の領主として成長した軒轅と共に懐かしい昔話に花を咲かせていた。そんな中には桂花の姿もあった。
桂花は以前の少女から大人の女性となっていたが、桂花を目にすると軒轅は一目で分かった。領主たちとの話し合いの後、桂花と久しぶりに話し合った。懐かしさもあったがお互いに別々の人生を歩いており、もうあの頃の出来事は甘酸っぱい思い出として昇華されていた。桂花と共に駆け落ちしようとして危うく大鴻を殺しかけたことを思い出して思わず苦笑いが出た。桂花は訝しんで何を考えているか聞いたが、軒轅はこのことは口が裂けても言えなかった。
桂花の夫は桂花に優しく、子供ももうけており幸せそうであった。軒轅は以前愛した女性である桂花の幸せを心から願っていた。そしてその会話の中で桂花は婚姻が決まった後のある日、不思議な鳥のような生き物がやってきて、自分の体からも同じような鳥が出てきたと言うのである。
これには軒轅も驚いた。自分も同じような経験をしたからであった。あの時、翠清の巫術師の老婆が飛んでいくのを見たという二羽で合わさり一羽の鳥となす比翼鳥であった。
他にも翠清の巫術師の老婆も訪れており、この機会に老婆は女丑に会い自分の持てる知識のすべてを教えた。
口や態度には出さなかったが、老婆にとって何百年かにたった一人だけ誕生するという五徳を持つ軒轅に仕えることは夢であった。しかし、年老いていることと長いこと翠清の領主に仕えてきたことから自分の役目は翠清のために生きることであると考えていたため、自分よりもより強大な神性をもつ女丑に軒轅に仕えるという自分の夢を託したのであった。そして老婆は年老いて弱った身体を顧みず有熊にまでやってきて軒轅と女丑に会ったのだ。
女丑は老婆の教えを学び様々な儀式を執り行えるようになった。元々神々と話すことが出来た女丑である、儀式の進め方は肌で感じてわかっていたが太古より伝わる儀式の形式がよくわからなかった。この女丑の足りない知識を老婆が埋めることで女丑の巫術は非常に完成度の高いものとなっていった。
青葉が盛んに伸びている軒轅20歳の初夏であった。




