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華夏神話  作者: 芒果 (Mango)
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婚姻

綺麗な、澄んだ音が響き渡るあれは一体何かしら?目の裏側で数多の光の筋が見えるけど、何なの?黄色い帯のような。え?この光の帯は辿っていくことができるの?一体この先に何があるのかしら。音も光の先から聞こえてくるわ。ん?あれは誰?この帯は誰かと繋がっているよう。そう、もう少しで見えそうなの。黄色く輝いている若い優しそうな男の人。ああ、心が休まる。もう少しで顔が見えそうなんだけど、見えないわ。あの人は一体誰なんでしょう。


政務に追われながら気が付けば軒轅は18歳になっていた。この頃には桂花けいかの事はもう甘酸っぱい思い出として胸の中にしまっていた。


ある日少典しょうてんが突然出かけると言い供を連れてふらりと有熊を離れた。数週間戻らずさすがに軒轅けんえんは心配になった。

 

この頃には政務は一人でこなせていたので父親がいなくても、少典に会いにやって来た客のもてなしに困るくらいで雑務は大鴻たいこうと共に片づけた。しかし、大抵の客も軒轅がもてなし、話を聞くと満足して帰って行った。

 

相柳の討伐以降、都の治安はすこぶるよかった。単眼鬼王たんがんきおうの名を聞いただけで賊どもは震え上がり有熊の都は避けて別の都で略奪するようになったからだ。さらに、相柳との戦いに参加した兵士たちにも尊敬と畏怖の念を持っており、特に子供たちは相柳という怪物の話を聞きたがり、休憩中の兵士たちにしきりに話しかけていた。

 

街で起こる問題と言えば商人同士の喧嘩だの人とはぐれてしまっただの少典がわざわざ出向くまでもない問題ばかりであったのだ。


都の治安は呉伏ごふくが管理しており部下を引き連れてよく見回りをしていた。呉伏は腕っぷしの強さと鴆毒ちんどくを塗った黒曜石を突き付けられても怯まない胆力を持っており、喧嘩の仲裁などにはもってこいの人物であった。

 

呉伏は若いころから少典の戦争に参加し幼少期の軒轅の護衛でもあり、少典の戦いぶりを間近で見ながら少典を心から慕っていた。前回の相柳そうりゅう討伐に参加しており、手負いの少典を救出した一人がこの呉伏であった。

 

相柳と対峙した時、胆力に自信のあった呉伏もさすがに恐怖を感じ怖気づいていた。その相柳に立ち向かい戦いの勝利へとつながる渾身の一撃を放った少典は呉伏にとっては主を越えた絶対的な存在となっていた。

 

少典も少々粗暴なところに目を瞑れば自分に忠実なよく働く部下として呉伏を重宝していた。


少典が有熊を離れてかなりの日数が経過した。長期間領主が留守であることにより、街中では少典が行方不明になったのではないかと噂するようになった。そんな折少典は警護の呉伏たちと共に何食わぬ顔でひょっこりと戻ってきた。


「ち、父上!?今までどこへいらしていたのですか?皆心配しましたぞ!」


軒轅は少典の下に駆け寄り、無事であったことを喜びさらにいなくなったことを責めた。


「お、おう。すまんすまん、嫁を探しに行っていたのだ。はっはっは。」


「ああ、嫁探しでしたか。誰の嫁でしょう?」


「うむ、良い娘が見つかったぞ!」


「はっはっは、それは良かったですね。では父上、宮殿へ入りましょうか。」


「おう、そうだな。腹が減ったから飯にしよう。それにしてもお前の美人だぞ。全く我が息子ながら羨ましい。」


「ああ、美人なんですね。私の嫁…?え?嫁って、まさか、私の嫁のことですか!?」


「うむ、他に誰がおる?他の弟たちはまだ幼いではないか。」


軒轅は突然のことに驚きを隠せず絶句した。突然結婚しろと言われてもはいそうですかと言える訳がない。


軒轅はもう18歳、結婚には早すぎる歳ではない。少典は方々の領主を回り軒轅の嫁を探していたのであった。軒轅は怒りの感情を覚えたが親が決めた相手と結婚する、これは当時としては当たり前のことであり桂花と一緒で変えられるものではない。


軒轅は慌てて大鴻の方を振り返ると、目をまん丸にした大鴻と目があった瞬間、大鴻の顔が見る見るうちにほころんでいった。そして、長い手を天に掲げて上機嫌で叫びだした。


「うわっはっはっは、これはこれは目出たいですな、少典様!この大鴻、これほど嬉しい日はありません。軒轅殿、今度は逃げ出さないでくだされよ!うわっはっはっは。あ、こうしてはおれん。早速宴の準備をさせますぞ!」

 

噂は忽ち広がり、有熊の都は軒轅の婚姻の話でもちきりでり喜びに包まれていたが、一部には悲しみが広がっていた。

 

幼いころから神童と言われ誰にでも優しく、そして若くして相柳討伐の英雄となった軒轅は有熊に住む年頃の女性の憧れの的であったのだ。このため、多くの年頃の娘たちは悲しみに包まれており、人目をはばからず涙を流していた。


婚姻相手は嫘祖れいそと言う15歳の娘であった。嫘祖は有熊より三百里ほど南の西陵せいりょうの領主の娘であった。少典は方々聞きまわり、美しく利発な娘がいないかを探し回っていた。そんなとき嫘祖のうわさを聞き付けたのだ。

 

西陵の領主は突然の有熊の英雄の訪問に驚きながらも願ってもない申し出に軒轅殿にならぜひとも娘を嫁がせたいと大賛成であった。


少典が嫘祖に会ってみるとあまりの美しさに驚き、嫘祖を自分の息子の嫁にすることに異存はなかった。

 

西陵の領主の下には嫘祖との婚姻の話が数多く舞い込んでいたがどれもいまいちぱっとせず曖昧な返事ばかりをしていた。そんな折に有熊の英雄が嫘祖を自分の息子の嫁にしたいと言ってきたためにとんとん拍子に話は進んだ。 


婚姻の日取りも決まり、有熊に嫘祖が警護の呉伏に護られてやってきた。顔は隠されており、屋敷に入るまで素顔を見ることはできなかったが、屋敷に入り顔を覆う布を取るとその美しさに周囲は驚き、周囲の反応を見て少典は自分の目に狂いはないとにやりとした。

 

嫘祖は早速新郎である軒轅の下へ挨拶に行った。

 

嫘祖は軒轅の噂は耳にしており、怪物を退治したと聞いていたのでその風貌は大層恐ろしいのだと思っていた。しかし、実際に目の前にいる軒轅はまだあどけなさの残る優しい顔立ちをしていたことに拍子抜けしてしまい、安心してしまうと共にどこかで会ったことがあるような、不思議な感覚に包まれた。そう、目の前にいる人物こそが目の裏側に見えた光の帯の人物であることを直感していた。


(あ、この人だ。)


嫘祖は軒轅を見つめたまま呆然としており、軒轅も目の前にいるその娘に不思議な感覚、即ち神性を感じ取っていたのであった。


嫘祖には軒轅が黄色っぽい色で見えており、一方の軒轅には嫘祖が赤っぽい色をしていることが見て取れたのだ。


黄色は土属性で赤は火属性である。五行においては火は土を作り出す相生の関係であり、非常に相性が良いのである。


不思議な雰囲気を持っていてその名が四海に知られている英雄であり、その面影にはまだ少年のあどけなさの残る軒轅、女性を惹きつける魅力を十二分に持っているこの青年と目が合った瞬間、嫘祖は軒轅を好きになっていた。


お互いに驚きつつ向かい合ったままで言葉が出てこず、一言二言儀礼的な挨拶をしただけでその場を離れてしまった。


婚姻は天と地に報告をし子孫繁栄を祈願して末永く見守ってくれるように天の神々に祈りを捧げることである。そのために社稷を作って神々を祀り儀式を行う。


そして翌日、有熊の宮殿の前には祭壇が設けられており、有熊の巫術師により婚礼の儀が執り行われた。


有熊の風習では鶏を生贄として神々に捧げる祭品を作る。次に玉璧で祭品を入れる器を作り生贄の鶏の肉を置き神々に捧げ、最後に神々の座る檀を作り葦で編んだ座を敷き神々を迎えるというやり方であった。

 

婚姻の儀は滞りなく進んて行った。この目出たい婚姻の日にも鳳鳥ほうちょう鸞鳥らんちょうがやってきて舞を舞い鳴き声で曲を奏でた。それだけではなく、重明鳥ちょうめいちょうや翼を持った蛇である騰蛇とうだも姿を現した。軒轅が子供のころから仲良くしていた騰蛇であったがすっかり成長していた。普段見ることのできない神獣が集まっている様子に参列者たちは大いに喜んだ。


このめでたい婚礼の日にさらに吉祥があり、有熊の屋敷の近くの家で飼っている牛が何と麒麟きりんを生んだと言う。麒麟は太平の世に現れる瑞獣で近頃の荒廃した世の中ではめっきり目にしなくなっていた。


時は流れて春秋戦国時代にも麒麟は生まれたという。孔子が生まれた時に孔子の家に麒麟がやってきて玉書を吐き出したと言い、孔子の晩年には魯の重臣たちが麒麟を捕まえ、戦乱の世に麒麟が現れたことに異常を感じて孔子は春秋の筆をおいた。このため、春秋はこの獲麟の故事で終わっている。


麒麟が生まれたのはいつ以来だろうかと人々は口々に噂した。

 

生まれた麒麟は成長すると軒轅に献上され少典の屋敷に住み着いた。嫘祖は人懐っこい麒麟が大層気に入り可愛がり、少典の屋敷には麒麟がいるため縁起が良いとして多くの人々が訪れるようになった。

 

中には将来大人物に育つようにという願いをめて自分の子供を麒麟に会わようと軒轅のもとに挨拶に行かせる親も出てくるようになった。

 

この習慣はやがて風習になり、後世には麒麟送子と呼ばれるようになった。徳の高い人物の家には麒麟がいると信じられたため子供をその人物の家に詣でさせて麒麟に合わせることで徳の高い人物へと育つように願いを込めて行なう風習である。


結婚後、軒轅は嫘祖に優しかった。しかしそれは軒轅の生まれ持っての優しさであり、利発な嫘祖は軒轅の目の奥には自分が見えておらず、そしてその心には自分はいないことにすぐに気が付いた。


一方の嫘祖は軒轅の気持ちをよそに深く愛するようになって行った。軒轅を好きになればなるほど、軒轅の心の中に自分ではない誰かがいることにうすうす気が付いたのだ。


「軒轅様。あなたが私のことをどう思おうと、私はあなたと一緒にいられて幸せです。」


「ん、あ、ああ、そうか。ありがとう。」


嫘祖は15歳の少女としては精一杯の言葉を発したが、軒轅は言葉を濁し下を向いてしまった。


「あなたの心がここにないことはわかっています。それでもいいから……、時々でいいから私を見てくれたら嬉しい。」


と、嫘祖は呟くように言った。

 

親が決めた結婚であるので愛情が得られるかどうかなどわからないし、自分も相手を愛せるかどうかすらわからない。この時代の結婚には不安が付きまとっていた。


附宝ふほうは自分が結婚したころを思い出し、そんな嫘祖を気遣い軒轅と水入らずにどこか行ってくればどうかと提案した。特に自分の実家である梨江りこうには雷澤らいたくという場所があり附宝自身も子供の頃よく言った場所でその美しい景色が今でも目に焼き付いて離れなかった。

 

附宝が仕事が忙しいだの何かと理由を付けてしまう腰の重い軒轅に延々と小言を言いうと、この小言にたまりかねた軒轅は嫘祖との雷澤行きを承諾した。附宝は兄に軒轅の来訪を伝えてあり、附宝の兄、軒轅の伯父も将来有熊を継ぐであろう甥としっかりと話をしておきたかったのだ。


天気の良かったある日に有熊の守備隊長の呉伏たち護衛を伴い梨江へと出発した。そして軒轅の伯父にあたる梨江の領主への元へと出向き挨拶をした。伯父と会うのは軒轅の結婚式以来であったので最後に会って以来それほど時間は経過していなかった。


梨江の都の伯父の宮殿を訪ねると、伯父は快く迎えてくれた。伯父とは周辺諸国の動きについて話し合った。伯父は周辺諸国に不穏な空気を感じ取っており、口にこそ出さなかったがその原因は炎帝榆罔えんていゆもうにあることを暗に意味していた。


初代炎帝である神農氏以降500年余り中原は太平の世であった。神農氏は農業を発明した人物で神農氏以降、人々はあわきびを育てることを覚え一か所に定住するようになっていった。他にも薬草から薬を作り市を開きお茶を発明したり様々な恩恵を中原に与えたため人々は神農氏を農業の神と崇め付き従った。


神農氏の死後も人々は作物を育てながら暮らしていた。この時代は生きることに必死で戦争どころではなかったと言った方が正しかった。農業が発展し生産性が向上すると次第に力をつけていった部族が武力で周囲を従わせようとしたが、歴代炎帝の影響力が大きかったので争い事は大規模にならずに収められていた。

 

しかし、榆罔の代になると状況は一変する。権力欲、支配欲の強い榆罔は事あるごとに周辺の国々に戦争を仕掛けていた。この戦争に駆り出されたのが炎帝に従う部族たちであった。少典や翠清の領主や叔父である梨江の領主も何度か炎帝に従い転戦した。

 

しかし、領土を拡大するより略奪などで土地を荒らしまわっていたので榆罔の通った場所は荒廃し疲弊していった。あまりの惨状に各地の領主たちは不満を口にし次第に炎帝から離れて行くようになったが、依然として炎帝の勢力は強く少典すらも侵略を恐れて逆らうことはできなかった。

 

そのような話を一晩中行い、軒轅はやがて来るであろう戦争を漠然と予感していた。


次の日軒轅と嫘祖は雷澤へ足を運んだ。伯父は軒轅たちを気遣い梨江の守備隊から護衛を出してくれた。雷澤へ着くと軒轅たちは護衛を残して雷澤の奥へと行った。

 

両脇を高い山で囲まれた谷には緩やかな渓流があった。辺りには様々な野鳥が飛びかっており、耳をすませば何十もの違った鳥の鳴き声が聞こえてきた。深い森は緑に覆われていたが、緑と言っても濃い薄いや淡い明るい様々な色があり、凡そ緑に属する全ての緑色がこの森の中で見つかるのではないかと思われた。


今ではもう見られなくなった巨大な仙木もちらほら見かけ、野獣に混じって霊獣たちもちらほらと見かけることができた。


「ここは木々が深々としていて緑が鮮やかな場所ですね、さあ軒轅様参りましょう。」


嫘祖は笑顔で言うと、


「うむ、行こうか。」


と軒轅は答えると、二人は沢に出て渓流に沿って上流へと登って行った。


ふと嫘祖が立ち止まって目を閉じ、耳を澄ませた。


「軒轅様、何か音が聞こえます。」


「ん、そうか?鳥の鳴き声と木々のざわめき以外は聞こえないが?」


「……これは、滝の音ですね、きっと。」


「へ~滝の音か、嫘祖は耳が良いな。」


「えへへ、軒轅様に褒められました。ちょっとこの澤の先にきっと滝があると思いますよ。」


嫘祖は嬉しそうに笑顔で言った。事実軒轅と二人きりで過ごせることが嬉しかった。この機会

を作ってくれた附宝に感謝しつつ、石から石へと飛び跳ねながら進んでいった。


「お~い、嫘祖、ちょっと待ってくれ。」


ゆっくり歩いていた軒轅は嫘祖を呼び止めると、嫘祖は立ち止まって振り返った。この時軒轅は今まで見ようと意識しなかったため気が付かなかったが、その振り返るしぐさが夏の日差しを浴びて、これまで見たどの女性よりも美人であると意識した。


「軒轅様、待ってますから早く来てください。」


軒轅は立ち止まっている嫘祖を見ながら胸が高鳴っていた。軒轅が追いつくと、下から顔を覗き込むように白い歯を見せて笑いながらじっと軒轅を見つめた。その眼差しに軒轅は思わず顔が赤くなった。


「軒轅様、ほら行きましょう。」


「分かったからもう少しゆっくり行こう。」


「分かりました、じゃあここでゆっくりとこの美しい景色を見ましょう。」


そういうと嫘祖は軒轅に寄り添い、抱き着き軒轅の胸に顔を埋めた。そして軒轅はそんな嫘祖を優しく抱きしめていた。

 

初めは結婚が嫌であった軒轅も次第に嫘祖といると楽しいと思いだした。どんな時でも軒轅を立てる嫘祖の奥ゆかしさと美しさに惹かれていった。


渓流の上流にある滝が目に入ると、次第に大きな雷のような音が聞こえてきた。その音とは何と鼾であり、その鼾の主は大きな岩の上で寝ている大きな腹をした人物であった。


「軒轅様、誰かが岩の上で寝てますわ。」


と嫘祖が言ったと同時に獣の吠える声が聞こえた。そこには見たことのない黒い毛で覆われたウサギ位の小さな犬のような生き物であった。その犬のような生き物の傍らにはたき火があったが、何とその生き物は一通り吠えた後にその火を食べ、そしてまた吠えだしたのであった。


「軒轅様、見ましたか?あの犬のような生き物は火を食べていますわ。」


嫘祖はその異様な生き物に少し恐怖を感じて軒轅の後ろへと隠れてしまった。


鼾をかいて寝ていた巨大な人物は、犬のような生き物の吠える声で目を覚まし、手で目をこすりながら軒轅たちの存在に気が付いた。大きな四角い顔をしており下顎は突き出ており下顎からは大きな二本の牙が伸びていた。上半身には何も身に着けておらずまん丸の太鼓腹が目立っていた。相変わらず犬のような動物が吠えていたのでその動物に向かって、


「これ、禍斗かとよ、静かにせい。」


と言った。すると禍斗と言う生き物は静かになった。恐らくその異様な人物が主なのであろう。そしてその人物は、


「ん、そこにいるお主。不思議な感じがするのぅ。どこぞの神か?」


と、軒轅に向かって言った。


「いいえ、私は人間です。」


と軒轅が嫘祖を後ろに下がらせながら答えると、


「おおっと、そうじゃ儂の事を言うのを忘れちょったわい。儂は雷公らいこうと言うもんじゃ。普段は雷をつくりだしちょる。まあ、大抵は機嫌が悪い時に雷を落としちょるんじゃがな、わっはっはっ。」


と言った。雷公はさらに続けて


「ふむ、時折おかしなこともおこるもんじゃ、まあ良い。お主は土徳を持っちょるのぅ。」


と言った。土徳と聞いて軒轅は以前白澤はくたくに聞いた話を思い出しながら、以前から疑問に思っていた土徳を知る人物にさらに出会えたのでこれはいい機会だと思い、


「その土徳とは一体何ですか?」

 

と聞いてみた。すると雷公は、


「土徳か…。土徳とは高い神性を持ち因果律を支配する力の事じゃ。つまり、お主は因果律の流れの外側に生まれた人間とでも言おうか。この世に起こる物事の原因はお主に集まる。これが土徳の持つ一側面じゃ。」


と答えた。これに軒轅は、


「自分に神性があることは薄々感じていました。しかし、因果律とは一体何なのです?この前白澤殿もそう言っておられたが、私には分かりません。」


と言った。雷公は、


「ほう、お主は白澤に会うたことがあるのか。儂は久しく会うとらんのう。あやつは理屈っぽくてかなわんわ。」


「おお、土徳じゃったかのぅ。そうそう、人間とは生まれた瞬間に原因と結果、つまり運命は決まっておるが、お主の場合は自分自身で運命を変えられる、ということじゃよ。」


「私が運命を変える?」


「一部の神には人間の未来はわかるが、お主の未来はわからんのじゃ。だから、雷神である儂にもお主の未来はわからん。」


「ああ、つまり白澤殿は私の未来が見えないことで私に土徳があるということが分かったのですか?。」


「ああ、そうじゃな。そして、否応なくお主の元にはこの世界を揺るがすような出来事が起こり、そしてこの世界はお主中心に回っていくことになるであろう、ということじゃ。それがお主の生まれ持った運命というもんじゃて。しかし、お主の場合神性はそれほど高くは無いが、それでも土徳を持っているとは儂も不思議じゃのう。まあ、そのうち分かるじゃろうが。」


と説明した。


この世の中が自分中心に周る……。時は乱世の予感がしていた故に、よく考えるとこれは自分を中心に戦いが起こるということを意味しているのではないか?軒轅は少々の不安を覚えていた。


「その横にいる娘もそう、神性を持って居るがお主と共にあるのは偶然ではない、お主の土徳に導かれた必然じゃ。まあ、これまでにのそのような人間は何人かいたがその人物たちが幸福だったのか不幸だったのかは判らんがのぅ。わっはっはっは。」


「きゃっ。」


言い終わると雷公は大きな丸い腹をポンポンと叩いた。すると叩くたびに近くに雷が落ちたので嫘祖は思わず小さな悲鳴を上げて軒轅にしがみついた。

 

怖がる嫘祖の背に腕を回しそっと抱き寄せた時に両者の目が合うとお互いに思わず目を背けてしまったが、二人はそのまま抱き合いしばらく離れなかった。その様子に目のやり場に困った雷公は頭を掻きながら、


「やれやれ、儂の目の前で何ともまあ。儂はこれでもちっとは名の知れた雷神じゃぞ…。」


と呟きながら苦笑していた。


軒轅は雷公に礼を言い、雷公の元を去りその帰り道に雷公の言っていたことを考えており、この世がやがて自分中心に回り出すという言葉が頭から離れなかった。自分の未来に一体どのような出来事が起こるというのか?

 

軒轅は実感がわかずに嫘祖を見た。確かにこれまで霊獣たちが自分に懐いてきたことが不思議であったが、それはきっと巫術師の老婆や雷公の言った土徳に関係があるのであろう、と軒轅は思っていた。


雷公の話では嫘祖と結婚したのも神性の導きということである。つまり、この時代に生まれた神性を持つ者たちはやがて軒轅の下に集まってくるのであろう。それは必ずしも味方としてではないかもしれない。軒轅という制御不能な原因が出現した今、その震源地に人々が集まることで人々の作り出す結果がやがて収束していき、それぞれが作り出した結果が収束して一つの神話が織りなされるのであろうか?

 

しかし、未来はまだ神にすら分らない。森羅万象に陰と陽があるように、将来軒轅の前に立ちはだかる人物がいるとすれば、その人物もまた高い神性を持った因果律の外にいるに違いない。


「五徳の表裏をなす存在は、確か大禍とか言ったな。果たしてこの時代に大禍が現れるのか?」


立ち去る二人の背中を見ながら雷公は呟いた。


一方の、嫘祖は軒轅といることが偶然でなく必然であると言われたことが嬉しかった。世の中には運命的な出会いなどと言う言葉があるが、自分と軒轅は結ばれるべくして結ばれたのであり運命そのものであったのだ。

 

嫘祖は軒轅に初めて会ったときに感じた感覚の事を思い出しており、あの感覚はこのことを感じ取っていたのかと理解できた。それと同時にこの先に様々な出来事が待ち受けていることを知り、改めて軒轅について行き支えて行こうと思った。


雷澤の外れの川のほとりには巨大な人形の足跡があった。人間の足とは比べ物にならないほど大きく、足の指が五本あることが見て取れた。嫘祖はその足跡を踏んでみると、その時下腹部に微かに何かを感じた。

  

二人が有熊に戻り、附宝は軒轅と嫘祖が仲睦まじく会話しているのを目にすると一安心であった。


そしてそれから数か月後、嫘祖は妊娠していることを知った。

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