トリガー
「これは『敵意』よ」
その言葉にリマはハッとして下げていた目線を戻した。水場の縁に立つレイラの目は、使用した魔術に比例するかのような冷たさを宿している。
「ヒトでも魔物でも何でもいい。あなたは今後、多くの『敵意』に晒される時が来る。それと渡り合う力を手に入れる必要があるの」
目の前から突如感じる威圧感にリマはめまいがしてきた。耳の奥で自分の脈打つ音が聞こえる。
その場を包んだ緊張感には覚えがある。
ぼんやりしてくる意識の中で、教会__実家を連れ出されたあの時の、忙しなく感じる外の気配と音が反芻した。
__「リラはどこだ!!アレナス家め…精霊の子を独占する気か!?」__
__「やはり何か隠していたのか!娘を探せ!!」__
今、はっきりと理解した。
混乱していてわからなかったが、あの声の主は間違いなく自分が祖父として慕っていた司祭だったのだ。
(私は……私と母さまは、あの場所にずっと囚われていたの?)
一方、シルフィがおろおろと困っている様子を横目にレムは2人のやりとりを傍観していた。
「だ、大丈夫でしょうか?」
「本気ではないと思うけど、この魔力はちょっと怖くなるよね」
(……『敵意』か)
精霊の子もとい自身に向けられる敵意を、レムはよく知っている。
レム・バウエル。
18年前この世で最初に誕生した、はじまりの御子。
今でこそ公爵家当主である彼だが、元来バウエル家は下級貴族であったというのは有名な話である。
国の、ひいては世界の宝となる『精霊の子』の誕生は、バウエル家の社会的地位を飛躍的に高めたのだ。
しかし、水面下で彼の暗殺計画が企てられるほど、当時の貴族社会は混乱を極めた。それは血統主義が根深いランティスにおいて、波乱を呼んだのは当然のことだった。
この事から教会はより一層、ランティスやトールの政治に関与することになる。加えて2人目である精霊の子__シルフィの身柄も両親から引き裂いた。
公からの期待と好奇。貴族からの妬みや嫉み。
向けられる敵意に対抗するために、必死で足掻いてきた。左腕に巻きつく枷__ガントレットを、皮肉にも自分の命を守るために幾度も使った。
レムは曇る思考を振り切るようにかぶりを振ってリマの様子を見た。
彼女は耐えなければならない。
己を取り巻く環境に。
他人の感情に寄り添う姿がシルフィと似ていると思ったのが、レムの彼女に対する第一印象だ。心根の優しい娘なのだろう。これから自分が傷つけていくモノにも、悲しむに違いない。
「リマちゃんそろそろ危ないよ!」
「っ……!!」
上からそう言われて、リマはぎゅっと目を瞑った。冷気の温度が下がってきている。
記憶と感情がようやく一致したような感覚は、自身の心音が身体に響くようで気分が悪い。
早まる心拍が思考を鈍らせ、考えても焦るばかりで、体温が奪われていく。視界が眩んだ時、突然頭に直接声が響いた。
『水の流れを聞きなさい』
(これは……!?)
『水を自分の一部と思いなさい。信じれば必ず答えてくれる』
それだけを言い残して、声は聴こえなくなった。
(お願い、助けて)
リマは縋るような気持ちで祈り、全身に力を入れると、境界面の氷が砕けて水が渦を巻くように動き始めた。それを合図に目を開くと、視界がブレて立ちくらみのような感覚に陥った。




