無意識の犠牲
背中の柔らかい感触を感じてシルフィは意識を取り戻した。また途中から記憶がない。意識が自分の元に返ってくるようなこの感覚がシルフィは苦手だ。
「ここ、は?」
横になったまま言葉を口にすると、一体どれだけ眠っていたのだろうか、だいぶ掠れた音にしかならない。
そのか細い音に気づいてくれたらしい、長い銀髪を揺らした少女が視界に現れた。窓から差し込む日の光が反射して眩しいほどの見事な銀髪と海を閉じ込めたような蒼が忙しなく動いた。
「あ、シルフィさん」
「あなたは……たしか、聖堂で」
「リマと言います!お水飲めますか?」
教会で会ったときに名乗っていないことを思い出し、リマは慌てて言い直した。
上体を起こそうとするシルフィの背中を支える。ベッドサイドに置いてあった水差しからグラスに注ぎ、彼女の両手にそれを握らせた。シルフィはグラスに小さく口をつけ、こくりと喉を鳴らして久しぶりの水分を補給した。
「ウェルスのお城の医務室ですよ」
「王都……」
「まだ呼びに来なくていいって言われてるので、もう少し休みましょう?」
「私どのくらい寝てました?」
二日くらいでしたけど大丈夫ですよと、はにかんでリマはシルフィの手からグラスを受け取ろうとした。
「!?」
指が触れた途端、リマの顔色が変った。空のグラスが震える指から離れ、ベッドの上に落ちる。
シルフィはリマの手を取って心配そうに覗き込むと、大きく目を見開いた。
「リマさん?………!!」
俯いたリマの眼から、止めどなく涙が流れている。声もあげずに濡れる海色の瞳の少女に、シルフィは困惑した。
__これは、なに?
一方、リマは自分の身に何が起きてるのかわからないまま、初めての感覚を覚えていた。
触れた先から強い何かが一気に全身を駆け巡る。やがてそれはぼんやりと頭に音として形となった。
『また……いつもと同じ』
何かが聞こえる。
__この声は?
「シルフィ……さん」
「はい?」
頭に浮かぶ声はたしかに目の前にいる少女の声だった。思わず名前を呼んだリマは、彼女に困った様な顔で微笑まれる。
おそらく普段から穏やかな表情をしている彼女から発せられたものと判断できるほど、リマはこの少女のことを知らない。
「どうかされました?まさか、どこか怪我をしてるのでは」
「……これは、私のじゃない」
「え?」
「あなたが、……泣いてる」
突然泣き出した自分にも優しい言葉をかけてくれる。困ったような表情からもわかる慈悲深さ。それが自身に向けられることはあったのだろうか。
身に覚えのない悲しみがリマの体の中で唏いていた。声が震えるのを押しとどめ、ひとつひとつ丁寧に言葉を選ぶ。
「悲しいって、……唏いてる」
「!」
ようやくシルフィに目線を合わせることができたリマの顔は、ずいぶんと涙で濡れていた。
「16年間あなたは、ずっと……」
“16年間、あの子は”
「…………」
“自分を殺してきたんだ”
王都への道中、レムが話してくれたシルフィの生い立ち。
幼い頃から多くの目に晒されて生きてきた彼らには、何か声を上げることすらできない環境だったのだろう。
己が生み出すもの全てが、精霊と同等に扱われる。その影響力は計り知れない。
頼れる人は居たのだろうか。育ての親同然の祭司たちを疑ったことは?得体の知れない力によって、身体がおかしくなっていく異変を、彼女は告げられたのだろうか。それは彼女の身を案じる結果になったのだろうか。
「どうして、笑っていられるの?」
その問いかけに、シルフィの笑顔が揺らいだ。
リマに添えられた手が静かに離れ、すぐに元通りの笑顔を見せる。
「私は……私の躯は、シルフのものです。私はシルフになるために、生まれてきたんです。だから世界が救われるのなら…」
少し震える唇を無視するように、シルフィは常に教えられて来た言葉と共に手を胸の前で組んだ。
こうすれば震えが収まることをシルフィは知っている。これ以上自分の意思を反映させてはいけない。思考に陥れば陥るほど眼の奥から光が失われて行く。
世界を見放せば多くの人を失う
世界と自分を秤にかけて
どちらが大切かなんて
精霊になるべく生まれ
世界に望まれ消えてゆく
それが私の__
「違う!!」
リマはシルフィの組んだ震える手を掴んだ。
シルフィがハッとして顔を上げるとリマの力強い視線に捕らわれた。涙も相まってゆらゆら揺れる瞳の色はまるで海のようだと、シルフィはどこか遠い気持ちで見つめ返した。
「それは……あなたの気持ちじゃない」
「!!」
「あなたの気持ちがどこにもない!!」
遅くなりました。今回は難産でした……




