水に愛された少女
あれから謁見の間を出たリマが目にしたのは、大惨事の中庭で蹲るサイモンと、彼に向かって何かを言い放ち、割れた眼鏡を投げつけたレイラの姿だった。
2人の白衣は焼け焦げた跡や切り裂かれたようでボロボロになっていた。
城の関係者は慣れているのか特に気にした様子もなく、訳を聞こうにも互いにはぐらかされ、祭典の日が近づく日までリマはサイモンに魔術の手ほどきを受けることになった。
今まで無縁と思っていた『魔術』は人間にとっては難解である。
エルフの血を引くものは生まれ持った能力であり、その使い方は本能的に知っているも同然なのだ。
「水の精霊ならおそらく水属性の魔術しか発動しないだろう。魔宝石がないと上手く作用しないとは思うが、体質的に水に関係する何かあったはずだ」
「水?港町の子はみんな泳ぎが得意だよ」
「まぁ、間違ってはないな。たが、そうじゃない」
「私は泳ぎより潜水が得意だったかな。漁師さんの家も多いから、ちょっと離れた島とかでみんな潜って遊んだりね」
「ベイシア産の魚介は美味いよな……いや、違う」
言いたいことが伝わらない、とままならない様子でサイモンが額に手をやった。
彼はレイラの下で魔術の修行をした身だが、自身も師もいわゆる感覚的にこなしてきたことだ。後天的な魔術の手ほどきなど見聞きしたこともない。
その後魔術の魔の字とも無縁だった少女を、サイモンを含む城の魔術師たちが、数日間かけて魔術発動のきっかけを探った。
結論から言うと、リマは魔術を会得できた。
そのきっかけはなんと城内の遊泳施設の水を利用しようとした時だったのだ。
「人間が水中に10分以上もいるなんておかしいだろ」
潜水が得意だという彼女の言葉を聞いて、どのくらいなんだと問いたサイモンはその後で頭を抱えた。
魔宝石が無い状態で驚異的な時間を叩き出したのだ。
港町で育ったリマは海が大好きだ。
教会の手伝いをこなしながら、15を過ぎた頃からは教会にやって来る小さな子供たちに読み書きを教える事もある。そんな生活の中で、時間を作っては仲のいい船長たちに船に乗せてもらっていた。近所の子たちと小型船で浜のある場所で泳いだりもする。
だから泳ぐことは好きだった。彼女が一番好きなのは海の中。
そんな話をすると、リマはサイモンから「水に愛されているんだな」と言われた。
溺れたことがないからだろうか、リマは水への恐怖心が薄かった。
サイモンが水の精霊について調査していたのは、彼自身、水の魔力と相性が良いという理由からだった。魔術師には、いわゆる得意な魔術の属性がある。
ある程度全ての属性の魔術を操る者もいれば、特定の属性しか身につけられないものもいる。それは生まれ持った素養ゆえに、変えることはできない。
リマ基、精霊の子の場合は完全に1つの属性に特化した状態といえる。
しかし彼女の場合は性格も相まって、祭典の日までに攻撃系の魔術を早急に覚えることは、難しいというのがサイモンの見解だった。
「そんなに浸かってるとふやけるぞ」
「あ、サイモン。仕事は?」
カロル出立を翌日に控えた夜。仕事を終えたサイモンが、同僚にリマの居場所を聞いてやってきたのはやはり遊泳施設で、水場の縁に腰掛けて膝下を水に浸けているリマに声をかけた。
彼女はここにいる方が表情がいくらか柔らかくなる。否、水に触れているからと言った方がいいのだろうか。
「もう終わった。早く寝た方がいいんじゃないのか?明日カロルに行くんだろ」
「うん。なんだか落ち着かなくてここに来ちゃった」
魔術が使えるようになったという感覚が、リマは未だよく分からない。
水と戯れているという認識の方が強い。
足元の水を手で掬うように持ち上げ、そのまま意識を集中して球体を作る。力を抜くと簡単に形を崩して弾けた。
「レイラはああ見えて旅慣れてるから大丈夫だ。お前1人くらいなら守れる。安心しろよ」
「はやく…できるようにならないと」
「ここに帰ってきたらまた教える。その力が身体に馴染むことが今は大事だ。ゆっくりでいい」
サイモンは少しぼうっとした様子のリマを立ち上がらせてタオルを押し付けた。
「使い続けたら……精霊に、生まれ変われるのかな…」
「…………」
その場から動かず足元に水溜りを作ったまま、タオルを握りしめたリマが落とした言葉に、彼は何も言わなかった。
彼になにかを言って欲しかったわけではないが、不安が漏らしたその声は思いのほか震えていて、困惑させてしまったようだ。
部屋まで送ってもらう間、気まずい沈黙が続いた。
リマがおやすみなさい、と挨拶をかわそうとした時、サイモンがおもむろに言葉を落とした。
「人間のお前にこんな事をさせてるのは俺にも責任はある。しかも、事を見届ける資格さえないらしい…」
自嘲気味に笑う目の奥は落ち込んでいて、普段の自信あるサイモンの姿とは違った。資格というのは同行が許されなかった件だろうか。
見ず知らずのリマを、危険を冒してまで連れ出してくれたのだ。少しの間城で過ごすうちに、彼の人柄と面倒見の良さは自ずと知ることができた。
今だって部屋まで送ってもらっている。
「信じるきっかけをくれたのは、サイモンだったよ。おやすみなさい」
「……ありがとな」
その言葉を聞いて彼は少し驚いたように目を開いた。そして誤魔化すように笑顔を見せて、リマの髪をかき混ぜた。
水の魔力の加護を目一杯受けた少女の側は心地良く、振り切るように背を向けた。
次回から2章です。




