2話
昼休みに入ると直ぐに、小池さんが教室までやって来た。手にはお弁当の包みと紙袋が有る。僕の昼は購買のパンなので、財布とスマホを確認して廊下に出ていく。
「あの、お時間ありますか?」
「え? あぁ、これからパンを買いに行くから、その間だったら良いよ。歩きながらで大丈夫?」
「はい」
二人並んで廊下を進んで購買に向かうと、当然ながら不躾な視線が向けられてくる。入学から間も無い昼時間に、男女が並んで歩いていれば当然だろうし、彼女は弁当まで持って歩いているのだから尚更だろう。
彼女はお弁当を持っているけれど、どこで食べるつもりなのだろうか。
「坂崎君は、もしかして耳の検査に行ったんですか」
「そうだけど。どうして知っているの」
「その。私、そういうのが解ってしまうと言うか、感じてしまうと言うか。それで、右の耳が悪そうだなって」
なんだろう。占い師とかって訳じゃないんだろうけど、こう言い当てられると胡散臭さを感じる。それでクラスで浮いているのかもしれないし、それ故に独り飯をしている可能性もある。
そんな事を考えていると、追い打ちを掛ける様に変な事を聞かれてしまった。
「坂崎君は占いとか、お呪いって信じる方ですか?」
「今日の占いとかは見るし、神頼みもするからまったく信じないわけじゃないよ。ましてや、こうして病気を言い当てられたらね」
「気持ち悪い、ですか?」
「いや、そこまでは思わないよ。不思議ちゃんってのも、それなりに需要はあるだろうしね」
出遅れたが購買で好みのパンを買う事ができて、待たせてしまった小池さんの元に戻ると、いいかげん彼女が手に持っている紙袋が気になってしまう。
朝も持っていたらしいから僕宛のものだと思うけれど、こちらから催促するのもおかしな話なので、どう切り出したものかと思案する。
自然と紙袋に目が行き、紙袋を持つ手に力が入るのが見て取れた。
「あの。嫌でなければ、お昼を一緒に食べてくれませんか」
受け取るために差し出しかけた手を、寸での所で留めて首をかしげてしまう。昨日会ったばかりの異性を食事に誘うって、やっぱり何かを売りつける類の事なのだろうか。
少しの不信感で、声に硬さが増したのは仕方ない事だろう。
「一緒に食べる事と、さっきの占いと何かに関係が有るの?」
「占いと言うか、お呪いをかけさせてもらえないかと……」
「それが昨日のお礼、って事で良いのかな」
「いえ、お礼はここに。クッキーを少し焼いてきたので貰って頂ければと。人混みが苦手で、屋上で食べているんです。だから、そこでお渡しできればと」
彼女の考えている事がよく解らないが、それで気が済むならば好きなようにさせよう。屋上が人目に付かないならば、噂になる事も無いだろうし、こんな可愛い娘と食べられる機会なんて、そうそうある事ではないのだから。
「わかった。じゃ屋上に行こうか」
屋上に出てみるとちらほらと人がいて、だいたいがカップルだったりする。よくこんな所に来て、独りで食事が出来るものだ。もっとも人混みが嫌いで教室には居たくないのだから、まだこちらの方が居心地は良いのかもしれない。
並んで金網を背に座り、取り留めも無い話をしながら食事をしたのだが、ちらほらと素性調査みたいな質問が混ざって居たように感じるのは気のせいではないだろう。自然と口数が減ってくる。
食事が終わると紙袋を渡されて、中を見れば確かにクッキーが一包み入っていた。
「ありがとう。手作りのお菓子をもらうなんて初めてだから、ちょっと緊張しちゃうけど嬉しいよ」
「良かったです。それじゃ、お呪いをさせてください」
そう言うが早いか、ほっそりした指で右耳に触れてくる。ほんのり温かな指の感触にドキドキするが、呪文を聞いた途端に背中に嫌な汗が流れた。
「ディア・ローム・アバス・フル・テーゼ・ミラル・ディアス・メディナ」
彼女が口にした呪文を僕は知っていた。
それは父の書斎にあった小説のヒロインが、瀕死の主人公を救う為に用いた命を削る回復魔法。
随分古い物なのに、彼女も読んだことがあるのだろうか。
いや、もし同じ能力を持っていたとしたら、彼女は命を削ってお礼をしようとしているのかもしれない。そんな事が有る筈はないと思いながらも名前を口にしてしまう。
「レイナ・フォン・ユグドニアス」
思わず漏れ出た名前にハッとした彼女は、慌てて弁当箱の包みを抱えると、そのまま校舎に走り込んでしまった。
あの反応は小説を知っている証拠だろう。
それっぽくしたのにバレタと思ったのか、呪文の意味を悟られたと思ったのか、あの慌て方からは知る事ができなかった。
小説のヒロインであるレイナは、幾度も回復魔法を使って主人公を助けながら旅を続ける。そして旅の終盤で仲間に世界を託し、瀕死の主人公を救う為に命を落としてしまうのである。託された主人公は魔王を倒して世界を救うと、いずこかへと行方をくらまして物語は終わる、どこにでも有るような英雄譚だ。
主人公の名はラインハルト。僕の名は、当時この小説にハマっていた父が、主人公の名前にあやかって付けたものだった。
教室へ戻ると、さっそく阿部が声をかけてくる。
「やっぱりプレゼントか。中身は何だい」
「昨日のお礼だってさ。手作りのクッキーを貰った」
「で、昼は一緒に食べたのか」
「屋上でね。なんかお呪いとかに凝っているみたいで、耳の話をしたら試させてくれって言われちゃって。なんか不思議な子だったよ」
「かわゆい顔をしているけど、目立たない様になのか、独りで居ることが多いよ。中学でもそうだった」
知り合いだったのだろうか。いや、そうだったら今朝の話の中で忠告めいた事を言うだろうから、そう言ったうわさが絶えない程だったのだろう。
黙って眉をしかめると、想像通りの答えが返ってきた。
「有名だったのさ。何話し掛けても困った顔をする、孤独な女の子だってね」
それは、昨日今日に感じた彼女の印象と随分違うもので、普通にお礼も言えるし、行動力だってあった。ちょっと不思議ちゃんの面はあるけど、孤独を愛するって感じにはどうしても見えなかった。
「渡邊さんは何で彼女が五組だって知っていたんだろう」
「あいつも同じ中学だったからじゃないか? それより、随分と彼女に興味があるようだな」
「少しはね。会って間もない他人に呪いをしたいなんて子、初めてだったから」
「俺もそんな奴には会った事が無い。彼女は逆の……。いや、それより少し噂になってるから気を付けな」
わざわざ余所のクラスから来るくらいだから、付き合っているのかくらいは噂になるだろう。さっきは少しと言ったが実のところかなり興味が湧いていて、彼女と話をする切掛けになるのならば喜ばしいとさえ思っている。