8話 「約束をしよう」
「なんだ……これは」
あれほどおれたちが魔術を打ち合っても壊れなかった魔王城が、半壊している。
瓦礫から茶色がかった土煙があがり、ときおり吹く死の森からの風に巻き上げられ空を汚している。
人の骸がいくつか。
見るに堪えない焼死体。
「ハ、ハ、ハ。最初からこうしていればよかったのだ」
と、瓦礫の向こう側から声が聞こえた。
どこかで聞いたことのある声だった。
おれは急いで声のした方に回り込む。
蔭に転がっていた死体を飛び越え、顔をあげた。
「ひさしぶりだな、我が息子」
王。
あの、名目上の自分の父である――
「お前……!!」
「さっさと貴様が『東の魔王』を殺していれば、こんな遠回りをすることもなかったが……」
若返っている。
おれが最後に見たあの王とは似ても似つかない年齢。
しかし顔は同じだ。
忘れるべくもない。
「まあ、おかげでわたしが『神』になる決心がついた」
「どうしてここに……」
「貴様に用があった」
ついにおれを処分する算段をつけたのだろうか。
「簡単に殺されてやると思うなよ」
「ああ、貴様が手ごわいことは知っている。よくもまああれだけの狂気じみた鍛練を乗り越えたものだよ」
王の口調が徐々に年相応のものに戻っていくのが気味悪かった。
「だから、貴様は殺さない」
「なに?」
「しかし貴様は死ぬ」
意味が、わからない。
「『お前』、私たちに生み出されたのにその体になんの細工もされていないと思っていたのか?」
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
一瞬、王だったものが『べつのなにか』に切り替わった気がした。
赤く染まった髪を揺らして、にやりとした笑みを浮かべている若者。
こいつは、誰だ。
「レギオスは邪魔なんだよ。でも、力だけはあるからまだ殺すのは無理だ。だから憑依体と一緒に死んでもらうことにする。――もう逃げないでね、兄さん」
「っ」
ぴくりと〈魔滅の炎〉が宿った右手が反応する。
今のはたぶん、おれの意志ではない。
「じゃあ、せいぜいもう一つの憑依体と仲良くね」
王が魔術を発動させた。
構造解析、魔力性質読解。
攻撃術式ではない。
これは――
「ここから離れろ! 勇者!!」
いつのまにか瓦礫の山から魔王が顔を出していた。
頭から血を流している。
這い出てくるその体はぼろぼろだ。
「封印術だッ!!」
そこでようやく気づいた。
あの、魔王城にかかっていた封印術。
力のある魔族のみを対象とした、結界。
おそらくそれの、対人版。
「っ……」
動こうとした足が一瞬止まる。
視線が魔王から離れなかった。
「お前……足が……」
吹き飛ばされている。
流れ出している血は膨大。
いますぐにでも治療をしなければ死ぬだろう。
「わたしのことはいい!! どうせ――」
ひとぼっちの、魔王だ。
おそらくそう言おうとして、魔王は唇を噛んだ。
それを見た瞬間――おれは決心した。
「……おれも、ひとりぼっちだよ」
この場から離れようとした足はむしろ前へ。
魔術を発動させている王の横を通り抜けて魔王のもとへ。
慣れない回復魔術で魔王の足を治療する。
「なん……で……」
「たぶん、おれは死ぬ」
さきほどの王の言葉。
途中から少なくなった監視者の眼。
今、それらの情報が一つの答えに帰結する。
「おれの体は、生まれたときから時限式の魔術を仕掛けられていたんだろう」
あるいはもともと肉体的な寿命に制限をかけられていたか。
祖国の行っていた半神化実験とやらがどんなものなのかは知らないが、これはもはや確信に近い。
「おれは死ぬ。でもお前はまだ生きられる。まあ、この先の生がお前にとって良いものであるとはかぎらないけれど」
でも、生きる意志があるのなら。
この残り少ない命で、道を繋ごう。
――自分が死ぬかもしれないというこの土壇場で、なおも種族の違うおれを気遣ってくれた、ひとりぼっちの魔王のために。
「あのとき答えられなかった理由を教えてやるよ」
「えっ?」
回復と再生の魔術を施したあと、今にも封印術の構成を終えようとしている王を尻目に、おれは心の底から笑って言った。
「――さみしがりやだからだ」
たとえ一人で生き抜く力を得ても、けっしてひとりでは生き続けられない理由。
組織に裏切られ、同族に裏切られ、二度とどこかに属してたまるものかと思いながら、なおも無視することができない感情。
「ひとりは、さみしいよな」
「っ……」
おれは魔術を展開する。
これは回復魔術ではない。
「ハッ、いまさらなにをしたところで――」
王がそんなおれの様子を見て笑った。
「そう、おれは死ぬ。でもこれは、おれが生きるための魔術じゃない」
ボ、と右上腕から青い炎が噴きだす。
魔のみを燃やし尽くす魔滅の炎。
「なにを……」
おれはその炎が宿る右腕を――左手に召喚した魔術剣で切断した。
「なっ」
まっさきに驚いたのは魔王だった。
「今からお前にこれをやる。成功するかはわからないけど、どうせこのままだとお互い死ぬだろうから、ためしてみよう」
王が封印術式を発動させたことで気づいたことがある。
魔王城にもともとかけられていた封印は『神族製』のものだ。
「お前、レギオスに恨みがあるんだな。なんとなく口ぶりでわかるよ」
「まさか、お前――」
「それで、レギオスの方が自分より強いと思いながらこうしてここまでやってきた理由は、レギオスの力が分散していることを知っていたからだ。おれと、魔王。お前はレギオスの力が完全な状態で復活するのが怖かった。だからおれを使って、もう一つのレギオスの半身を壊させようとしたんだ」
旧神と呼ばれる者たちにどういう事情があるのかは知らない。
けれどこいつは旧神たちの中でもバカな方なのだろう。
ぺらぺらと喋ってくれて本当に助かった。
「おそらくレギオスの二つの炎が合わさればこの一帯にかけられている封印術は壊せる。人と魔の力を合わせると、その力は神に届きうるんだ。だからお前は、それを使ってここから逃げろ」
「それでは、勇者は――」
「おれはここまでなんだ。……まあ、短い人生だったけど、最後にお前に会えてよかった」
また、誰かを信じてみようという気になれたから。
「わ……わたしとの取引はどうする!? 貴様はわたしを利用するだけ利用して逃げるのかっ!?」
ああ、そういえばそんなのもあったな。
「……悪いな」
「い、いやだ……せっかく対等に話し合えるやつと出会えたのに……いやだっ!!」
本当にこの魔王は、見た目のわりに子どもっぽい。
「わたしをひとりにするなっ! わたしの傍にいろ! わたしの見えるところに……ずっといてくれ……」
「……ごめんな」
「そ、そうだ、前に組織の下っ端に属して失敗したと言ったな……? じゃあ今度は、『長』になれ。そしてお前みたいなやつが二度と出ないよう、良き長として歩き続けろ。わたしはその後ろをついていく。そうすればずっと、お前をわたしの見えるところに置いておくことができる……」
「……ごめん」
切り離した自分の右腕を魔術でエネルギーに変換し、魔王の胸に押し込む。
「あっ……」
自分の中から生きるために必要ななにかが失われていく感覚。
視界の上のほうから降りてきた暗幕をなんとか押し留めながら、おれは最後に――約束した。
「……いつかまたどこかで会えたら、そのときにお前の望みを叶えるよ」
だから。
「――『またな』」
「勇者っ!!」
ああ……。
悪くない、二度目の人生だった。