7話 「その涙の意味は」
それからさらに数度の『手合わせ』を経て、おれはついに祖国の監視から逃れる決意をした。
少し不思議だったのは、時間が経つごとにおれへの監視が減っていったことだ。
「魔王。今日はお別れを言いに来た」
「……そうか」
魔王は笑っていたが、やっぱり少しさみしそうだった。
「気をつけていけ。お前はすでに小国程度の軍事力ならば意に返さぬほどの力を持っている。だがそれでも、潜み方を間違えれば苦難に見舞われるだろう」
「大丈夫。おれは環境に順応するのは得意なほうだ」
「はは、皮肉にしか聞こえんよ」
見慣れた魔王城も数々の『手合わせ』のせいで廃墟じみてきている。
それでも崩れていないのは、魔王をこの場所に留めるための封印術が機能しているからだろう。
「おれに協力してくれた礼をしたいけれど、おれはお前の一番求めるものをやれそうにない」
魔王を封印するために城全体へかけられた魔術は、おそろしく強力なものだった。
〈魔滅の炎〉は魔族の作った魔術も燃やし尽くすが、それでもどうにもならない。
〈人滅の炎〉も人族のそれに対して同じ力を持つが、通用するなら魔王がとっくにやっている。
つまりこの城にかけられた封印は、魔でも、人でもないものによって作られた――『なにか』だ。
「お前が本当にわたしのほしいものを知っているかどうかはさておき、言いたいことはわかるとも」
「……」
魔王は小さく手を振って言った。
「さあ、決めたのなら早くいけ」
「……ああ」
向かう先は決めている。
死の森付近を通る武装商人たちから少しずつ情報を集め、最終的に決定した。
この東の大陸の西方に、多民族主義の国家があるという。
規模こそ大きくないものの、最近では理性ある魔族さえも民として認めている国だ。
今、この大陸ではおれの祖国をはじめとして大規模な戦争を間近に控えている。
もしかしたらおれへの監視が弱まったのもその影響かもしれない。
ともあれ、戦争の余波から逃れるのにも、世間を知らない異邦人がまぎれるのにも、その多民族国家はうってつけだと思った。
「じゃあ」
「ああ」
またな、とは言わなかった。
また会うことを約束できるほど、おれも平易な道は歩けない。
「……」
最後。
魔王城の城門を抜ける間際、おれはほんの少し広間の方を振り返った。
「わたしが本当に欲しているのは、ここから出ることではないよ、勇者」
視界に奥に移る魔王は、玉座にもたれかかりながら、目の端に光る雫を浮かばせてそう小さくつぶやいているように見えた。
◆◆◆
「ぐあっ……」
くぐもったうめき声が足下からあがる。
「廃勇者め……!」
「廃勇者?」
おれをずっと監視していた監視者をおびき寄せ、返り討ちにしていた。
この薄暗い死の森も今では庭のようなものだ。
あたりに生えている気味の悪い色の植物たちも、それぞれがどういう効能を持っているか魔王から聞いたおかげで知っている。
「廃勇者ってなんだ」
「お前のことだ、『二代目勇者』」
おれが膝で打ち据え、思いきり地面に叩き伏せた監視者が気になることを言った。
黒い装束の下から抜け目なく短剣を振るってきて、おれはそれを片足で蹴り飛ばしつつ続ける。
「自分で二代目勇者を名乗ったことはないんだけどな」
「〈半神化実験〉の唯一の成功作にして失敗作。貴様の中身がもっとマシなものであれば、祖国はこうも魔族どもにおくれをとることはなかったのに」
おれが魔王城へ侵入してからの国家情勢はあまり知らない。
大きな戦争が控えているというのは例の武装商人たちに聞いたが、そうなった理由までは聞いていなかった。
「現状をくわしく教えろ。でなければ殺す」
「くっ……」
おれが監視者の頭を踏みつけると、監視者は再びうめいてから途切れ途切れに言った。
「貴様が東の魔王の討伐に手こずっている間に、『北の魔王』を名乗る魔族が祖国を襲撃した。我らが祖国はその魔王を一時しりぞけたものの、やつらも壊滅一歩手前というところで命からがら撤退した。すると、しばらく時間が経ったあとで、今度は我らが祖国と敵対していた人族の国と手を結んだ『北の魔王』が再び攻め入ってきた」
「人族と魔族が協力したのか……!」
ありえるようで、ありえなかったこと。
それは今の世界情勢が良くも悪くも大きな転換期を迎えていることを示唆していた。
「魔族と協力するなど正気の沙汰ではない。やはり北の大陸は頭がいかれた戦狂いの巣窟だ」
大きな戦とは、その北の大陸勢力との争いを指すのだろう。
「だが、それもいまやたいした問題ではない。我が国に〈三代目勇者〉が生まれた今は」
「……今、なんと言った」
監視者の口にした言葉に、思わず眉間の皺が寄る。
「貴様がもっと役に立てば話は違った。しかしおもいのほか北の魔王の勢いが強く、我らが王は再び〈半神化実験〉を行うことを決めた」
「レギオスの魂片はどうした」
「旧神はほかにもいる」
「なに?」
調和の神、旧神レギオス。
しかしどうやら、神も一枚岩ではないらしい。
「結果、祖国に対軍用の勇者が生まれた。あの方こそまさに英雄と呼ぶ」
ははは、と乾いた笑いを最後に監視者は気絶した。
「……三代目勇者」
おれにはもう関係ない。
そう思いながら、胸の奥にはひっかかりがあった。
と、ちょうどいろいろな思いを振り払って踵を返そうとしたところで、背後で爆発音が聞こえた。
「なんだ……?」
死の森の奥から煙があがっている。
魔王城のある方角だ。
つま先が、勝手に動いて向きを変える。
「……やめろ、おれにはもう関係ない」
そう頭では言い聞かせているのに、気づいたときには魔王城の方へ走り出していた。