3話 「魔王:魔族の王」
魔王。
人とは異なる種族――魔族の王として認知されている。
一般的に呼ばれる名前はあるが、その元となっているのはずいぶんと古い【初代魔王】の名前で、その初代魔王は一千年前にとある【勇者】によって滅ぼされた。
だが、それによって魔族が消えたわけではない。
初代魔王の死によって勢いこそ衰えたものの、王不在のまま種別に分権化が進み、かえって以前よりたちの悪い状態になって存続したという。
二代目魔王を声高に名乗る者が現れたのは、そんな分権化の果てに種ごとの国家が生まれはじめたころ。
有力な魔族国家の王を務めていた三体の魔族が、示し合わせたかのように言った。
『私こそが、魔王だ』
「と、いうわけで、今は魔族もなかなかに面倒な状態になっている」
「大変だな」
おれが最初に魔王城へ侵入したとき、彼女はまるで長年の待ち人に出会ったかのようなうれしげな笑みを浮かべていた。
「私もいまさら正当な魔王だと名乗り出るつもりはないが、一応初代魔王の血を継いでいるし、王として魔族に調和をもたらしたいとは思っているのだが……」
おれとは対照的な真っ白な髪を持つ彼女は、そこらへんの人族などとは比べ物にならないほどの浮世離れした美貌を持っていた。
「それはもう無理だろう」
「やはりそうかな」
さすがにここまですんなりと対話ができると思っていなかったおれは、逆に彼女にペースをつかまれていた気がする。
彼女は魔王と呼ばれるに足る膨大な魔力を内にたたえ、その完全無比な美貌も相まってやたら超俗的なたたずまいであったが、口を開くと意外にも素直そうで、そのギャップが少しかわいらしかった。
「分権化が進んで、国家まで生まれ、独自の理念を掲げるようになったそれぞれの魔族を、いまさら一つにまとめるのは難しい」
人と同じで、生きるために同じ考えを持った者同士で組織を作るのは賢明だと思う。
しかし、そうして別れた派閥を再び一つにするのは不可能に近い。
「おれ、ここに来るまでに結構いろんな魔族を見てきたけど、魔族っていっても三者三様だし、実際に魔族同士で争っている国もあったぞ」
「ぐぬぬぅ……」
魔王が頬をふくらませる。
おもしろい反応だった。
「それに、大きな組織ほど内部は一枚岩じゃないし、たとえすべての魔族国家を併合できたとしても、そのうち問題が起こる」
これは経験則である。
大きな組織ほど中は腐りやすい。
一度どこかが腐ってしまえば、新しい果肉を実らせたとて、いずれそこも腐敗に侵される。
「しかも腐敗っていうのは厄介で、たいして自分らしい理念を持たない者を、容易に感染せしめる」
「まるで自分が一度腐ったことがあるとでも言わんばかりの物言いだな」
「――ああ」
腐ったことがある。
無論、腐りたくなどなかった。
だが、生き方や働き方に強い理念を持たなかったかつてのおれは、単純にその場所で生き残るために、組織に順応する道を選んだ。
「歯車としての命令だったんだ」
「歯車?」
「そう」
軋みながら動いている大きな機械を、そのままなんとか動かすための錆びた歯車。
おれは前の世界で、いわゆる下っ端の社会人をしていた。
上からの命令には基本的に逆らえないし、組織の円滑な運営という観点でいえば、むしろ逆らうべきではない。
「おれは、明確に社会悪になったことがある」
本来なら逆らうべきだったのだろうともわかっている。
でもおれにはすべてをぶち壊す勇気はなかった。
正しいことを正しいと言い切ることの難しさを知ったのは、そのときだ。
「まあ、いまさらそれについてはどうしようもない」
前の世界での人生は終わってしまったし、被った汚名を晴らす機会も逃してしまった。
「後悔はしてる。けれど未練はない」
すべてはおれの選択の結果。
でもだからこそ、幸か不幸か授かった今回の生は自分の納得する道を歩きたいとも思っている。
「潔いな」
ふと、魔王はおもしろがるような笑みを浮かべて言った。
「反骨心に欠けるだけさ」
「は、どうだか」
今回の生は、環境的に言えば前の生よりもハードだ。
どうにかこうにかここまで生き残ってこれたが、これからもそうだとはかぎらない。
「とにかく、おれは勇者として命じられたからといって、ただそれに従うことはしたくない。そもそもおれの倒すべき魔王がお前なのかどうかもわからない」
ここは魔王城。
目の前にいる魔王は、『魔人族』と呼ばれる初代魔王の血を引く種族で、東大陸の魔族は彼女の命によって人族を襲撃しているらしい。
けれど、その事実を自分でたしかめたことは、まだない。
「わたしとしても、人族に仇なした魔王として殺されるのは困る。なぜなら昨今の人族に対する害は、わたしの命令によるものではないからだ」
魔王は困ったようにため息をついた。
どうやら彼女にもやむにやまれぬ事情があるらしかった。