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愛される条件・愛される理由  作者: 鮎野しおやき
9/13

【8】

研究室に入るとあの日のように蒼流が入り口まで出迎えてくれた。

僕の気持ちは恐怖と不安でいっぱいだったけど、蒼流の穏やかな表情みたら、なんだか全部吹き飛んだ。

やっぱり僕たちはここに居場所を求めていい存在だ。

蒼流の研究室内は相変わらず落ち着いていて、混沌とした僕の心の中まで整理されるみたい。

蒼流は僕をベッドの端に座らせた。

さっき僕のところでグダグダに疲れ果てていた零一と同一人物とは思えない。

心身の疲労を抱えた零一と、何の労苦も感じさせない蒼流。その差の決定的な理由は何?

僕は蒼流の動作、そして表情の一つ一つから目が離せなくなっていた。

ふと蒼流と目が合う。

「まだ見慣れないかい?」

蒼流は僕をからかうように笑った。

僕はハハハと笑って、何も答えなかった。

蒼流は、僕でも整理のつかない複雑な心境をすべて察してくれているみたい。

だから僕は何も答える必要がなかった。

「その格好で寒くないか?」

「確かに、寒い…」

「零一の言うこと、ちゃんと聞いてね」

ドキッ―――。

僕の心臓が音を立てた。

蒼流が零一の中でその全ての言動を把握していることは知ってる。

頭では理解してるつもりだ。

でも、実際こうしてその内容に触れられると、やっぱりびっくりする。

蒼流は机を離れ、僕の前を過ぎ、ベッドの足元にあるクローゼットをあさり出した。

「服、ほとんど零一の部屋に投げてあるからなぁ。御影が洗濯したって俺のところまで服が戻ってこない」

蒼流は独り言のように零一のだらしなさをぼやいた。

確かに、以前零一の研究室に入れてもらったとき、本と服とあらゆる物が散乱してたっけな。

「瀬沙からも零一によく言って、あまりにもだらしないから」

僕は蒼流の様子を眺めながらハハハと笑った。

「その役目は僕じゃなくて御影の仕事でしょ」

蒼流は僕に白衣を一枚投げた。

「これしかないな」

僕の頭にバサリと服がかかる。それを押しのけて顔を出した。

「それ、小さくて着れないんだ、瀬沙にぴったりだろ」

僕はムッとした。

「蒼流はいちいち意地悪なんだよ、一言多いし…」

僕は膨れたまま、その白衣に腕を通す。

「コーヒー入れるね」

蒼流は僕の言葉を気にも留めずコーヒーカップを二つ用意した。

それにしても蒼流は何でも自分で動くなぁ、お付にやらせる零一とは正反対だ。でもそこが互いの魅力でもあるけど。

そう思いながら僕は投げつけられた白衣に黙って着込んだ。

むっ、そんな大きくないな…。

「おっ、ぴったしだね。それあげるよ」

「いらないよ、着ないもん」

部屋の片隅から声を掛ける蒼流に、僕はそう即答した。

そう言いながらも、僕はクローゼットにある鏡でその姿を確認する。

「いらないとか言うわりにはお気に入りだね」

声の主に目をやると、ちょうど大量の砂糖をカップに流し込んでいるところだった。

蒼流のコーヒー、砂糖水みたい。

「違うよ。いつも零一が着てる白衣、僕が着たらどんなに不似合いかと思って確認してるんだよ」

鏡の前で前から後ろからと、その立ち姿を確認する僕。

零一が着てるからかっこいいんであって、僕が着てても何か子供みたいだな。

仕立ててくれたスーツと同じだ。零一が着るからキマってるんであって。でもスーツと一緒で堂々としてればそのうち見慣れるのかな…。

「いつまで見とれてるの?コーヒー入ったよ」

蒼流の声で我に帰る。

僕は「別に…」といいながら元いた場所に戻った。

蒼流は机に、僕はベッドの端に腰を下ろす。

「いただきます」

僕は熱々のコーヒーを口に運ぶ。

蒼流はやっぱり熱いのが苦手のようで、遠く離れたところにカップを置いていた。

不思議だなぁ。

さっきまでピリピリしていた僕の気持ちがいつも通りに落ち着いた。

いつの間にか蒼流のペースに飲まれていたんだ。

「ようやく瀬沙らしくなってきたね」

蒼流は僕の顔を見て満足そうにそういった。

「さっきまでの瀬沙、この世の終わりみたいな顔してたから」

僕は何も答えなかったけど、蒼流の言っていることは確かに正しい。

「そんな気張らないで。たいした話じゃないんだから。…吸ってもいい?」

僕は黙って頷いた。すでに二つ、タバコの吸殻があるのは知っていたけど、蒼流のタバコを止めることは出来なかった。

「零一や御影と話し合って、調査報告は全ての真実を知ってからでないと意味がないだろう、って結論になってね。調査報告より先に、零一の昔話をすることになったんだ」

そこまで言うと蒼流は手馴れた手つきでタバコの灰をトントンと落とした。

「零一が何をどう話すかはだいたい察しがつくよ。今の瀬沙のままなら、零一はきっと嘘をつく」

僕はハッとして顔を上げた。

〈今の僕〉のままなら、零一はまた嘘をついて逃げる。

真実が知りたければ、僕が変わらなきゃ…。

蒼流は、僕が〈零一の嘘〉に反応したのを満足気に確認すると、そのまま話を進めた。

「零一の話自体は恐ろしいくらい事実だよ。でも、零一はきっと真実を語らない。いや、語れないだろう。だから、俺が先に瀬沙に本当のことを言うよ、いいかい?」

蒼流の穏やかな瞳と僕のうつろな視線が交差した。

蒼流の言葉はちゃんと聞こえてるし、これから起こることの準備も出来てる。あんまり怖くはない。蒼流が何を話してくれるのか、とっても楽しみだ。

でも、僕の瞳は宙を浮いていた。

それはきっと、僕の中の零一が寂しそうな顔をするせい。

本当の零一を探しているせい。

僕の行為は、零一を裏切ることになるんだろうか。

「俺がこれから瀬沙にする話は、きっといまは理解出来ないと思う。零一の昔話を聞いてから、ゆっくり思い出してみて欲しい」

「うん…」

僕は小さくうなずいた。

「零一がなぜ瀬沙と唖透を許せなかったのか、その理由を話す」

ドキン―――。

僕の心臓が大きな音を立てて動き出した。

虚ろだった瞳が急に真実を求めて蒼流に食いつく。

「もともと零一は瀬沙と唖透を作ることに反対だった」

作る…?

僕は蒼流の一言目で早くもつまずいた。眉間にしわをよせ、目を細めて蒼流の言葉を自分の中で繰り返す。

「俺の話に一つ一つ反応しちやダメだよ。今は理解出来ないだろうけど、いつかきっと全てが結びつくから」

蒼流はそう言って尖らせた口からフゥっと煙を吐いた。

「うん…」

僕はそう小さく答え、自分自身を納得させる為に頷いた。

意味の分からない言葉で話をされるのにはもう慣れっこだから、零一のおかげでね。

でも、蒼流と零一で決定的に違うところがある。

零一は真実を隠そうとしているけど、蒼流は真実だけを話している。

零一の話が理解出来ないのは、零一がわざと不透明にしているからで、蒼流の話が理解出来ないのは、無知な僕に真実だけを話してくれているから。

〈ヤッパリ レイイチ ノ ホウ ガ ヤサシイ〉

真実を知らされずに守られることと、全てを知ること。

僕が求めているのはどっちだ。

「そんな難しい顔しないで」

塞ぎこむ僕に蒼流がそう言葉を掛けた。

蒼流の表情はいつもどおりで眩しい。零一が月なら、蒼流は太陽だ。

そう思ったら僕の表情も自然と明るくなった。

「そう、そういう顔してね」

蒼流は満足気に微笑んだ。

そしてまたタバコの灰をトントンと落とすと、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「俺が瀬沙と唖透の件を持ち出したとき、零一は必死になって猛反対したよ。御影はああいう子だからどっちを支持するかはっきり言わなかったけど、俺と同意見だったと思う。結果的には俺たちの言い分が通った、だから君たちが生まれた」

そこまで話すと、蒼流は遠くに離したコーヒーカップに手を伸ばした。冷たくなった指先でカップをトントンと触り熱くないことを確かめる。

そしてそのカップを口元まで運ぶと、またゆっくりと話を続けた。

「零一の言い分が通らなかったのは、反対する理由を明確に示せなかったからさ。俺たちには明確な目的があった、でも零一はそれを止めたい理由を提言出来なかった。零一もバカじゃない。自分の意見が通らないことは初めから想定済みだったんだろう。議論する前から答えは出ているような意見対立だったからね。

科学者たるもの、まだ見ぬものへと邁進し続けなければならない。進みだしたら止まれないのさ。俺たちは科学者である以上、その先への探求を拒むことは出来ない。普通であればまだ見ぬものへの単純な好奇心から、目前の課題に没頭するものだよ。

でも、結局零一は最後まで反対する理由を言わなかった。でも零一が言わなくったって、俺たちにはその理由が分かっていた。

零一はとてもキレる男だ。ゆっくりと物事を見据え、見極め、それでいて計算高いところを周囲に気づかせない。でもこの時ばかりは、面白いように零一の心が読めた」

僕はじっと蒼流の話を聞いていた。

蒼流の話は深刻でとても興味深いものだったけど、話す本人はいたってにこやかだった。

僕は握り締めているカップに気づき、冷めかけたコーヒーを口元へ運ぶ。

蒼流はまた灰をトントンと落とした。

「あの頃の零一はだいぶ混乱していたよ。あの混沌を抜け出したからこそ、冷徹で怖いもの知らずな今の彼があるんだろうけどね。

零一は自分が存在することの真実を知ったとき、自身に対する興味執着と、計り知れない憎悪との間でもがき苦しんでいた。それをどう乗り越えたかまでは分からないけど、その経験が邪魔をして、君たちの作成に反対したんだろう。

自分のように苦しむ犠牲者をこれ以上出したくない。

呪われた境遇に生まれるヒトをこれ以上増やしたくない。

その気持ちが君たち二人の誕生を拒んだ真の理由さ。もちろん零一はそんなこと一言も言わなかったけど。

だからね、瀬沙…」

不意に名を呼ばれ、顔を上げる。

僕に背を向けてため息をついた男と同じ顔が、穏やかに微笑んでいた。

僕は蒼流の顔をじっと見つめた。思うところはいっぱいあったけど、ゴクリと唾をのみ、それ以上何も言えなかった。だから、すぐに顔を背けてしまった。

「だからね、瀬沙。瀬沙を認めないと言ったのも、許せないと言ったのも、全部零一自身に向けられた言葉なんだよ。…あんなふうに強がっているけど、本当は君たちの事が心配で、不憫でならないのさ」

蒼流は灰皿にタバコを押し付けると、その火を消した。僕の視線がゴミとなった吸殻を捕らえる。

僕は持っていたカップをギュッと握り締めた。

零一は呪われた存在であって、僕もまた呪われた境遇に生まれた。そして僕を生んだのは蒼流で、零一は僕の誕生を拒んだ。それは自分と同じ忌むべき存在を増やしたくないから。僕が苦しむのを見たくないから…。

「だから、瀬沙を見ていると昔の自分を思い出す。受け入れたはずの事実が、また真実となって襲ってくる」

えっ…。

僕は蒼流の顔を見上げた。

ひとり言のようにそう呟いた蒼流の目は怖いくらいに冷たかった。

どうしてそんな目をするの?

いま何を考えてる、蒼流…。

僕の視線に気づくと少し慌てたようにいつもの微笑みを浮かべた。

蒼流も、僕を騙してる?

蒼流の笑顔も信じてはいけない…?

蒼流は確かに真実を語ってる、嘘は付いてない。

でも、全てを話したわけじゃない。きっと何かを隠してる。

「そんな怖い顔しないで」

そう言って蒼流は次のタバコに火をつけた。

「怖い顔してるとだんだん白衣が似合ってくるよ」

蒼流は上機嫌に笑い、冷えてしまったコーヒーを一気に飲み干す。僕も思い出したかのように冷え切ったコーヒーを流し込んだ。

「質問は受け付けないよ」

蒼流は子供のようにそう笑いながら席を立った。二杯目のコーヒーを用意する気なんだろう。

「知ってるよ」

意地悪な蒼流に負けずと、僕も威勢良く答えてやった。

「俺からの話は以上だけど、別件でお願いがあるんだ」

…お願い?

「なぁに?」

僕は蒼流の背中に向かって問いかける。蒼流はちょうどカップに大量の砂糖を流し込むところだった。一応周りの目を気にしているんだろうか、僕に隠れながら砂糖を入れてる。

「唖透のことなんだけど…」

ドキン―――。

僕の心が一気に動揺を始める。

唖透、…が何?

「唖透、火葬するんだ。零一に頼んである」

「えっ、…いつ?」

僕は眠気も飛んでハッとした。

いつも僕の心の中にいる唖透。心の中でしか生きていない唖透。どれたけ強く思っても決して返事をしない唖透。

でも、実際にその身体はいまでもここに安置されている。

「近い将来さ、明日零一に確認してみたらいい。俺はまったくノータッチだから」

蒼流はそう言いながら、熱々のカップを持ちもといた席に着いた。

カップに入ったスプーンをいじりながら、少し沈んでいるみたい。

「蒼流の大事な唖透でしょ?どうして零一に任せるの?」

蒼流の苦しそうな瞳と僕の視線がぶつかった。

蒼流の答えは無い。

そうか…。もういいよ、蒼流。

蒼流もずいぶん苦しんだんだね。

僕の心がそう言った。

「…あとは、僕と零一で何とかするよ」

「瀬沙は、…どうして唖透が死んだと簡単に受け入れられるの?」

蒼流の寂しそうな瞳が僕を写す。僕を捕らえて離さない蒼流の目は必死だ。

僕の前ではいつだって陽気に振舞う蒼流。

蒼流のこんな顔見るの、初めて…。

蒼流も唖透を求めて苦しんでいるんだろうか。

「簡単なんかじゃないよ、僕だってまだ唖透を探してる…」

僕は自分に言い聞かせるように呟く。

蒼流は僕の言葉が続くのを待っていた。

「…唖透のことはあんまり話したくない」

「どうして?」

蒼流は一度そう言ったけど、その質問には答えないとすぐに気づいたんだろう。僕の言葉を待たずに話しを続けた。

「…俺は唖透の生前の姿を知らない。どんな風に笑って、どんな風に泣いたかを見ていないんだ。でも瀬沙は唖透の隣で十七年間生きた。唖透が生きていたことを証明できるのは君だけだ。なんでもいいから、何か話してくれないか?」

蒼流の言葉はいつも通りおっとりとした優しい口調だった。でも、その言葉の端々には、唖透を望む切実さが感じられる。

蒼流も唖透を探している。そう強く感じた。

それでも僕は唖透のことを話す気にはなれなかった。

蒼流のことは大切だ。僕たちが探していた〈零一〉だもん。絶対に見失ってはいけない存在だ、でも。

僕はやっぱり何も言えずに黙っていた。

「言えないか…。それだけ瀬沙にとって大切な事なんだね」

「…ゴメンね、蒼流の力になれなくて」

そう言うと蒼流は少しびっくりしたように僕を見た。

「唖透といた日々は僕の全てだよ、僕たちいつも一緒だったから。世間知らずで無知な僕を、いつも側で諭してくれたのが唖透だ。ぶっきらぼうでガサツだったけど、僕よりずっと賢かった。僕がいまでも一人で歩けないのは、それだけ唖透を頼って生きてきた証拠だよ」

蒼流は僕の話を聞きながら、忘れかけていたコーヒーに手を伸ばした。

いつものクセだろうか。トントンと指先で触って、熱くないことを確かめる。

僕の気持ちが通じたんだろうか。

蒼流はやさしそうないつもの表情を取り戻し、僕の頭をクシャっとなでた。

零一が笑ってくれたみたい…。


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