乾 浩介の場合
「…あぁ。そうか。俺のしたかった事って、これか」
俺はそう呟いて水無月を見る。お前のおかげだ。ありがとうな。
そして、俺は立ち上がった。
「悪い。俺、やる事ができた」
出来る限り早急になすべきことだ。
「…もしさ、世界が終わらなかったら、どうする?」
突然、水無月に呼び止められた。その瞳は、何かに揺れている。
世界が、終わらない…か。
「ん? …あぁ。そうだな…」
俺は一度立ち止まって考え込む。そして、
「…いつも通り、未練がましく生きてくんじゃないか?」
そう、答えた。
「じゃーな。元気でやれよ?終わりが来なかった時のためによ」
俺は、終わりを望まない。あいつの分まで生きてやると心に決めた。
でも、世界が終わるかもしれない。その時の前にこの思いをあいつに伝えなくては。
「…んでも、どうすっかなー…」
俺は商店街にいた。
この胸糞悪い街中を歩くのは好きじゃないんだが…。
まぁ、仕方ない。しばらくここら辺歩いて、手段を見つけよう。
「…ん?君、目的があるけれど、方法が見つからない、そんな感じだろう?」
「え?」
後ろを振り向くと、白衣を着た男が立っていた。
何というか、異様な感じだ。この街の雰囲気に恐ろしいほど似合わない。 川原の石に混じって、純度の高いアルミのブロックが落ちているような。そんな訳の分からない恐ろしさ。
「…良かったら、力になるよ」
「…」
俺が、口を開けようとすると、男はそれを止める。
「あぁ、いいんだ。空へのメッセージだろう? 大丈夫。話さなくても分かっている。…そんな顔をしてたからさ」
「…」
何だ、こいつ…。俺のことを知っているのか?
「付いて来るといいよ。材料と場所を提供してあげるから」
「…あんたは…」
「山嵜。…名前が聞きたかったんだろう?」
…誰なんだよ。
俺は案内されるがままに、多分彼の家であろう場所へたどり着いた。平屋の一戸建て。俺はそこのある一部屋に通された。不思議とここまでは喧騒が聞こえない。学校の教室でさえ小さく聞こえていたというのに。
部屋の中は薄暗くてよく分からないが、作業部屋兼倉庫といった感じだろうか。作業スペースと思われる場所以外は、乱雑に資料やダンボールが転がっていた。
「パソコン、コピー機、紙、封筒、風船、ヘリウムガス…。何に使うかは君次第だけど、多分僕と考えが同じである事を祈るよ」
それだけ言うと、男は部屋を出て行く。さっき会ったばかりの俺を自分の部屋に1人にするとは、無用心というか何というか。
しかし、これは願ってもいない状況だ。
「…あと、外にあった自転車とリアカー借りる」
俺がドアの向こうにそう伝えると、少し遠くから返事が返ってきた。
「どーぞー」
…本当に感謝する。
「…紙がなくなった…」
部屋を簡単に探すと、予備のインクはあったけど、コピー用紙はこれで最後らしい。コピー機に積み上がった紙の束を見ながら、少し考え込む。これだけあれば一通くらいあいつのいる所まで届くかな。裁断機で紙の束を切り分けて手紙を封筒に入れた後、俺は部屋を出た。
俺はそこらへんにあったダンボールに封筒とゴム風船を入れる。そしてヘリウムガスとダンボールを積んだリアカーを引いて思い出の丘に向かった。
丘の坂道をダンボール二箱抱えながら登っていると、血まみれの女の子と疲れた顔の男の子が座り込んでいた。
見た瞬間ぎょっとしたが、よく見ると怪我をしている訳ではないようだ。ふむ、どうしたものかな。
「…お? どうした、坊主。疲れた顔してるぞ」
俺の声に少し怯えながらも、少年が少女を庇う様に答える。
…こいつらも訳ありか。こんな街中じゃ、どんな物騒なことが起きても不思議じゃないからな。
まぁ、流石に殺されはしないだろう。
人手も足りないし。
俺は、2人に荷物を預けて、下に置いてあるリアカーに向かって駆け出した。
それから俺は、2人に手伝ってもらって、ずっと風船を膨らまして手紙を飛ばし続けた。
そして、夜。
「…段々、暗くなってきたな。お前ら、大丈夫なのか? …って、もう寝ちまったか…」
ベンチで寄り添うように、2人は眠りについていた。疲れていたのだろう。彼らを起こすのは流石に忍びない。
俺は眠らずに手紙を風船と思いを込めて、遥か遠くの天空へと飛ばす。
「清華。聞いてくれ。俺、まだ未練がましくお前のこと思ってるんだぜ? …馬鹿だよな」
そっと風に語りかける。
「本当に、水無月みてーな清々しさが欲しいよな。何にも執着しねーって…強すぎるよな。あいつ。多分今も自分で、自分の力だけで立ってんだ」
ホント、強すぎだ。
水無月に彼氏がいねーのは、強すぎるから。だから男から告白が出来ないのだと思う。
近寄れない。
近寄れば近寄るほど、自分との違いを思い知るから。
「…まぁ、それも性格か。可愛いと思うんだけどな。あいつ」
だから、ルックスだけを求める変質者だけに好かれるんだろうか。
いつだったか、もう電車なんて乗らないって、彼女がものすごい剣幕でキレてたのを覚えている。痴漢されて、ブチギレて、相手をぶん殴って、みんなのいる教室でも文句を言うって相当な精神力だよな。
「…」
黙々と風船を膨らませていると、背後で何かが動く音がした。誰も来ないと思っていたが、ついに誰か来ちゃったかな。そう思って振り返ると、ベンチで血塗れの少女がもぞもぞと動いていた。
「…うぅん…お兄ちゃん…?」
「起こしちまったか? 悪いな」
沙紀ちゃん…だっけか?
彼女がベンチから起き上がる。
「…風船、一緒に飛ばさないの?」
「一緒に?」
…同時にって意味か。
「…きれいだよ。きっと」
「…かもな。よし。兄ちゃんが作っとくから、もうちょっと寝てな。そっちの奴が寒そうだから、一緒に寝てやれ」
「うん。お休み…」
まだ眠かったのだろう。彼女はすぐに眠りについた。繋がれた手を見て、少し顔がほころぶ。
「よし。もうひと頑張りだな」
俺は膨らませていた風船に便箋をつけて、さらにそれを柵にくくりつけ始めた。
ついに、風船がなくなった。段々と朝日が昇る時間だが、やり切った感がすごい。
夜中は柵につけるのが面倒になって途中からベンチに留めたりもしたけれど、2人はぐっすりと眠っていて起きる気配はなかった。それでも、朝日が昇ってくると別なのか、沙紀ちゃんがもぞもぞと動き始めた。孝治よりも早起きは得意のようだ。
「…おはよぅ…ござぃぁす…」
「起きたか。…ほら、いっぱいあるだろ?」
「…ぁ、わぁ…すごいすごい!」
やっと笑ってくれたか。やっぱり、この子も子供みたいに笑えるんだな。
乾いたとはいえ、返り血まみれだと不気味に見えなくもないけど、これはこれで可愛いというものだ。
「…そっちの坊主が起きたら飛ばすか」
「うん!」
「…お、起きたか。見ろよ。この数。すごくないか?」
「お、おぉ…」
寝起きの孝治は驚いて目を丸くしていた。まぁ、これだけの量があればな。ちょっと持っているのが辛い程度の数はある。しかし、これだけあっても足が浮いたりはしないとは、これいくつあれば飛べるのかね。
「いやぁ、沙紀ちゃんがどうしてもやりたいって言うからよ。な?」
「うん。きっとすごくきれいだと思う!」
沙紀ちゃんが笑うと、それを見て、孝治も笑う。
…仲いいんだな。
「…んじゃ、オレの最後の愛の言葉達よ!空高く舞ってこいよ!…3!」
「2!」
「「1!」」
その掛け声で、全員同時に手を離す。
「へへッ!」
「わぁ!」
「おぉ!」
いくつもの風船が、朝の空へ舞って行った。
…さぁ、これで最大の未練を晴らしたな。
双子が遠くを目指し始めて、しばらく経った。
俺は段々と明るさを増して、青空になっていく空を見上げながらベンチに横になっていた。徹夜明けのせいか、とても眠い。
少しずつ薄れ行く意識の中で、俺の額にとても温かいものに触れた。最後に繋いだ手は、ゾッとするほど冷たかったから忘れていた。
清華の手は、あたたかかったんだよなぁ…。
「…清華…俺さぁ、お前の事、結局最後まで忘れらんなかった…」
『…』
「…そうだよな。俺もそう思う。…でもさ…俺の最期…これは最高に幸せだ…」
『…』
「…手紙、読んでくれたのか…どう、いたしまして…」
『…』
「…悪い…少し、寝る…」
『お休み…浩介』
俺は、懐かしいあたたかさに抱かれながら、そっと意識を手放した。