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三浦 孝治と三浦 沙紀の場合

 「…あ…れ…?」

 気がつくと、手が血で濡れていた。

 そして、その手の中には同じく血で濡れたナイフ。

 「あ…ああ…」

 …最後に、血溜りで横たわる父。

 「あああぁあぁぁぁあああぁああああ!!!!」

 言葉にならない叫び。

 それが、自分の物だと気付いたのはしばらくしてからだった。




 「…」

 …ここまで、どうやって来たんだっけ…。

 気付くと私は、沙紀は1人ではなかった。

 「…大丈夫か? さき」

 「…こうじ…さき…おとーさん…」

 「いいんだ。気にすんな」

 孝治は沙紀をぎゅっと抱きしめてくれた。

 なぜだか、涙が止まらなかった。

 「…大丈夫。さきは悪くない…悪くないんだ…」

 優しく、大切に、ゆっくりと、そして強く孝治は抱きしめてくれた。その腕の中は、ただただ温かかった。




 オレ達には、どうしようもないクズな親父がいた。昼間から酒を飲んでは、仕事から帰ってきた母さんに暴力を振るっていた。

 そんな家庭で、双子のオレ達と母さんは助け合いながら暮らしていた。

 …そして今朝、終末の予感がやってきても、この家庭は変わらなかった。酒を飲む親父。耐える母さん。変わらない、はずだった。

 しかし、終末の予感から数時間後。

 その日常は、急に終わりを告げる。

 …親父が殺されたことによって。

 理由は分からない。父親は拳銃を持っていた。…多分、どこかからか盗んできたものだろう。

 そして、狙いを沙紀に変えた。

 …これも理由は分からない。なぜ、いつも暴力を振るう相手である母さんを放って置いて、娘の沙紀を撃とうとしたのか。酔っ払いの行動に理由を求めるだけ無駄かもしれないけれど。

 オレがそれを追って、沙紀を見つけた時には、もうあの男は死んでいた。

 「…ふぅ…」

 オレは今、血と涙で濡れた沙紀と2人、街を見下ろせる丘に向かう道の途中に座り込んでいる。これからどうしようか。とにかく、警察に見つかったら大変だ。早く誰もいない場所に隠れなきゃ。

 そう頭では考えていても、体が動かない。オレ達は倒れたあの男から逃げ出すように、無我夢中で走ってきた。それがかなりの負担になってしまっているのか、足は棒のように固まってしまっている。

 そこへ、

 「…お?どうした、坊主。疲れた顔してんぞ」

 知らない兄ちゃんが来た。

 「…何でもねーよ」

 「そーかそーか。んじゃ、元気ってことだな?」

 はぁ?

 何言ってんだ、こいつ…。

 「だったら、手伝ってくんねーか? これ、運びてーんだ」

 「…?」

 その変な兄ちゃんは、大きなダンボールを2つオレ達に見せ付ける。突然手伝ってくれって…。

 「あぁ、こっちのが重くて、こっちが軽いから、そっちの子にも運んでもらってくれ。運ぶのはここの上な。確かこの上にベンチあっから、そこに置いといてくれ」

 そう言って変な兄ちゃんはオレ達に荷物の全てを預けると、そのまま坂を下りて行った。

 「…何だったんだ? あいつ…」

 とりあえず、頼まれたからにはやった方がいいのか。良く分からないが、これに協力したら匿ってもらえるかも知れない。

 オレは立ち上がり、沙紀に手を差し伸べる。不思議とついさっきまでは動かなかった体が、少しだけ軽くなったような気がした。

 「立てるか?」

 「…うん」

 沙紀はオレの手を受け取ると、ゆっくりと立ち上がった。2つあるダンボールは見た目以上に重い。何が入っているのだろうか。さわやかな風が体を撫でて、オレは空に浮かぶ真っ白な雲を見上げた。

 オレは黙々とダンボールを運びながら、あることに気付く。

 「…何であの兄ちゃん、オレ達のこと何も聞かなかったんだ?」

 オレはともかく、沙紀は今返り血で汚れている。しかも、所々まだ血が乾いていない。目は虚ろだし、正直、ぱっと見ただけだと生きているかどうかも微妙だ。

 そんなことを考えている内に、丘の上のベンチへたどり着く。少し疲れてしまった。

 「…さき、大丈夫か?」

 オレは荷物を降ろしながら、沙紀に尋ねる。

 沙紀はじっと空を見上げていて、オレの声は届いていないようだ。オレは沙紀からダンボールを奪うように受け取って、ベンチに置く。

 丘の上には誰もおらず、あの変な兄ちゃんの姿もまだ見えない。

 「…これ、何入ってるんだろう…」

 オレは好奇心に従って、持って来たダンボールを開ける。

 そこに入っていたのは…

 「ゴム風船?」

 もう片方には、封筒。

 「…」

 「あ、勝手に見んなよー。…って別にいいのか。これから飛ばすんだもんなー」

 「飛ばす?」

 さっきの兄ちゃんはもう二箱ダンボールを片手に持ちながら、空いた方の手で器用にガスボンベを転がしていた。とても不安定そうで怖い。ゆるいけれど舗装された坂道だ。ガスボンベが転がり始めたら、とても止まりそうにはない。

 「て、手伝おうか…?」

 「あぁ、大丈夫大丈夫。ここでやるから」




 「…疲れてきた…」

 オレはひたすら風船にヘリウムガスを入れる手伝いをしていた。

 風船を膨らませて紐をつける。そしてその紐に封筒をくくりつけて飛ばす。これをかれこれ一時間ほどやっていただろうか。どうやら、この兄ちゃんは封筒に入った手紙を風船で飛ばすのが目的だったらしい。しかも、かなりの量。

 何のために、とは聞かなかった。

 「一度にいっぱい飛ばすと、確かに綺麗なんだけどよ、風向きの関係で全部同じ方向に行っちまうだろう? だから一個ずつ飛ばすんだよ」

 そう簡単に風向きは変わんないと思うけどなー…。

 実際、さっきから飛ばしている風船は全て同じ方向へ向かって進んでいる。

 「…さき、交代してくれない?オレ、疲れた…」

 「うん。いいよ」

 オレがこの手伝いを始めてから、沙紀はほんの少しだけ明るくなってくれた。それだけでもこの労働には価値がある。

 沙紀が明るくなったのは、見上げる場所が何もない青空ではなくなったからだろうか。




 「…段々、暗くなってきたな。お前ら、大丈夫なのか?…って、もう寝ちまったか…」




 「…ふぁぁ…あ?…あぁ。ここで寝ちゃったのか…」

 起きると、オレはベンチで寝ていた。辺りが妙に明るい。昨日は、ガスボンベとダンボールを補充しながら、結局夜まで手伝っていたのに…。

 「…お、起きたか。見ろよ。この数。すごくないか?」

 丘から街を見下ろしていたオレに、後ろから声がかかる。

 「お、おぉ…」

 振り返ると、兄ちゃんと沙紀はもうすでに起きていて、大量の風船を手にしていた。二人では持ちきれない風船は、ベンチや柵に結につけてある。

 「いやぁ、沙紀ちゃんがどうしてもやりたいって言うからよ。な?」

 「うん。きっとすごくきれいだと思う!」

 沙紀が笑っていた。

 …それを見て、オレは少し安心する。

 そうだよ。それが一番だよな。

 オレも急いで結び付けてある風船たちを取って、兄ちゃんと沙紀のそばに駆け寄る。

 「…んじゃ、オレの最後の愛の言葉達よ!空高く舞ってこいよ!…3!」

 「2!」

 「「1!」」

 その掛け声で、3人は一斉に手を離す。

 「へへッ!」

 「わぁ!」

 「おぉ!」

 いくつもの風船が、朝の空へ舞って行った。




 「…んじゃーな。兄ちゃん。楽しかった」

 「ありがとう。お兄ちゃん」

 最後の風船達を見送ったオレ達は、笑顔で兄ちゃんに別れの挨拶をする。兄ちゃんも笑顔で手を振った。

 「あぁ。…俺は最後までここにいるよ」

 うーん…オレ達どうしようか。特にやることもなくなってしまったし。

 オレが迷っていると、隣から袖を軽く引かれる。沙紀がじっとオレを見ていた。

 「ねぇ、遠くに行かない?」

 「遠く?」

 「うん」

 「…いいな。それ」

 オレは沙紀の手を握って、丘を街とは逆方向へ進む。

 ここではないどこか遠くを目指して。

 「元気でやれよー? 終わりは必ず来るとはわかんねーぞ?」

 「お兄ちゃんもねー!」

 オレ達は遠くへ、遠くへ、ひたすらに進んだ。




 「…もうすぐだね」

 「…あぁ。んでも、割と勘違いかもしんねーぞ?」

 「…うん。そうかもね」

 「…ここ、どこなんだろうな」

 「遠くじゃない…?」

 「…だな。…もっと、ずっと…遠く…行こう…な…」

 「…うん。ずっと…ずっと…」

 遠くに。一緒に。

 沙紀と孝治は力いっぱい手を握り合った。薄れ行く意識の中で、近くにいることを確かめあうために。


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