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私、ワイバーンです。  作者: ムルモーマ
α. 番外編
86/87

元年 1

2-3投稿と一緒に。

 雨の季節、黒い煙を垂れ流し続ける巨大な街を見に来ていた。

 風下に居る俺自身の鋭い鼻には、僅かながらにツンとした匂いが届いていた。

 排水が垂れ流される川の下流には魚が白い腹を浮かべて多量に死んでおり、またその周りに住む人族達も体調を崩す者が多かった。

 自らをもう獣ではないと言ったその種族達は、確かに魔獣も、そして幻獣すらも出来ない事をやってのけた。

 ただ、それが良い方向のものだとは俺にはどうしても思えなかった。

 一日、土に足を降ろさない時がある者が居る。

 誰かが狩猟し、そして誰かが加工し、もう元の姿など微塵も感じられなくなったものを疑いもなく口にする。

 土に触れず、獣や魚を狩猟せず、雨風から凌ぐようなものを作るでもなく、そんな生きる為に直結した行為をせずに生きている者。

 そんな生き方をする智獣は、時が経るに連れて段々と増えていた。しかし、その弊害はこの黒い煙のように、また川に垂れ流される排水のように、はっきりと目に見える形で出ていると思えた。

 ……正直に言おう。

「俺には、智獣がこれから先どうなるのか、全く分からない。俺が今まで生きて来た年月から来る経験も、知識も、智獣がこれから先どうなるのかを考えるには全く役に立たない」

「それを言ったらお終いだろう」

「それでも、な……」

 先日、人族達がやって来た。

 武器も何も持たずに、よろよろとした足取りでそれでも必死に自分達を呼び掛ける人族に対して、それでも注意深く対面した。

 毛の大半が抜け落ち、歯もボロボロなコボルト。鱗が剥がれ、背が歪に曲がったリザードマン。歩く度に体のどこかを痛々しく摩るケットシー。体の至る所が黒ずみ、片目が濁った人族。

 そんな集団だった。

 彼等、彼女等は、今、眼下にあるその街を滅ぼしてくれと言ってきた。

 排水を垂れ流された水を飲んだ家畜が死んでいった。その中で生きた魚を食べた。黒い煙を吸った雨は植物を枯らしていった。

 そんな事をする人族達を懲らしめてくれと。このまま人族が先に進んだら、私達にとっても、そして誰にとっても不幸が拡がるだけだからと。

 ただ俺も、誰もかれもが幻獣として強大な力を持っていたとしても、殺しが好きな訳じゃない。魔獣の時にはそういう嗜好を持っている奴も居たが、それも智獣や魔獣の頭を喰らうと強くなれると知っていたからに過ぎない。幻獣として今、殺して何もメリットも無ければ、そんな欲求も自ずと失せていく。

「なあ、リエン。幻獣の中で元々智獣だったのは、後にも先にもリエンだけだろう。

 リエンはどう思う?」

 智獣や魔獣としての期間を含めるとこの中の誰よりも長い期間を生きて来た、そして魔獣だった頃は俺の番の一匹だった麒麟に聞くと、暫し悩んでから口を開いた。

「私にも、この先人族がどうなるのかなど分かりませんよ。人族だった事がある、と言ってももう百年以上も前の事ですし、記憶も曖昧ですし……。

 ただ、私が思う事としては、段々規模が大きくなっているという事です」

「何の規模だ?」

「私は、皆が知っての通り、智獣や魔獣として何百年の間も生き死にを繰り返してきました。

 古い記憶程曖昧になっているのですが、完全に忘れている訳ではなく、当時生きて来た場所を辿ったり、またふとした拍子に思い出したりします。

 そんな思い出した記憶の中でも、こんな事は少しながらありました。

 山から木を過剰に切り倒して土砂崩れを発生させたり。

 神頼みに巨大な建造物を作る際、水銀に溶かした金属を塗る作業を素手で作業させたり。

 疫病が流行った時にその遺体を川に流したりと。

 智獣が天災に見舞われた時や、また発展をしようとする時、智獣以外の生き物達に必ずその弊害は訪れていました。

 その規模は、智獣の数が増えたり、そしてより強い発展をしようとする度に広く、強くなっている。

 そう感じます」

「このまま進んだら、その規模は更に増えていくと思うか?」

「…………私は、そう思います」

 迷いながらもリエンは、そう言った。

 そして皆、その迷いの理由を察せられない程、頭が悪い訳ではなかった。

 そんな空気を払うように、幻獣の中でもリーダー格である中の一匹が言った。

「さて。

 前世がある幻獣は、あんたを除いて全員が魔獣としての生しか送っていない。

 だから俺達がどのような事を危惧するかは、智獣がどうなるかよりも、魔獣がどうなるかに重きを置く。

 不満はあるか?」

「私も、智獣か魔獣か、どちらに重きを置くかと聞かれたら、魔獣と答えますよ。

 直前の生はワイバーンだったからか、どちらを守りたいかと聞かれたらやはり魔獣ですし、それに……今見ている光景が、未来に良い方向に転がるとは思えません。

 ただ……けれど……そう思っていても、割り切れないだけです」

「そうか。

 さて、俺はあの街を潰そうと思う。

 俺もリエンと同意見だ。あれから生まれるものはそれが何であろうとも、黒い雲や汚水を吐き出す以上に価値があるものだとは、俺にはどうしても思えん。

 皆はどうだ?」

 そこからは早かった。

 沢山壊して、沢山殺した。ただそれだけ。

 願いを聞いてくれたと、訪れた智獣達は壊れた街、特に徹底して破壊された黒い煙と汚水を垂れ流す工場を見て大笑いした後に、半分位が死んだ。


*****


 コハクが空を見上げながら言った。

「あの時、あの場所だけじゃなくて、全世界を巡ってでも全部壊しておけば良かったんだろうね」

「……かもな」

 そうしていても、智獣の歩みは止まらなかっただろうと思いながら、俺は答えた。

 俺も連られて空を見上げた。ヴゥーン、と音を立てながら空を飛行機というものが飛んで行く。

 智獣はとうとう空を飛んだ。

 そしてまた、空を飛ぶだけではなく、大地も速く駆けるようになった。

 まだ、グリフォンや大狼が大地を力強く駆けるよりは遅く、ワイバーンや大鴉が空を華麗に飛ぶより単調だ。

 "まだ"、という言葉を使わなければいけなかった。

 その内、智獣はグリフォンや大狼よりも速く地面を駆ける術を手に入れるだろう。ワイバーンや大鴉よりも華麗に空を飛ぶ術を手に入れるだろう。

 そう思えて仕方が無かった。

 きっと、本当に智獣の進歩を止める為には、慈悲の心など持たずに絶滅させる勢いで破壊と殺戮をしなければいけないのだと思うようになった。

 もしくは、智獣に迎合する為に動き始めなければいけないのか。

 どちらにせよ、したくない決断だった。

 力を増し続ける智獣に対して、どう向き合っていけば良いのか。

 時間を掛けて考えても、話し合っても、皆が納得のいくような方針は出てこなかった。

 前世があろうと無かろうと、幻獣としての経験や知識は、それを考えるのに役に立たなかった。

 そして今、行動しなかったらこの先後悔するのだろうかという疑問が、俺だけではなく皆の中で薄く、渦巻いていた。


 野生として暮らす魔獣の数も、気付けば減っていた。魔獣は幻獣が守らなくてはいけない、そう決めても、魔獣達に世代を超えて引き継がれる恐怖は無い。

 恐怖は新たな子が生まれる度に教えなければいけず、しかしそれでも広い世界に旅立って行く魔獣達は多く居た。そしてその多くは戻って来なかった。強い繁栄を手に入れたとしても、その場所を智獣が認知してしまえば、待っているのは滅亡だった。

 智獣にとって魔獣は、もう既に対等になれる存在ではなく、脅威以外の何物でも無かった。

 同時に人族同士の争いは更に激しくなっていた。

 体を貫かれても、頭を吹き飛ばされても全く命に関わらない、幻獣の中でも一際特別な、不死鳥という種族であるハクエが、その光景を数年程眺めて帰って来た。

 最初に言った言葉は、訳が分からない、だった。

「生まれや、血筋が違うだけで、見た目や姿形が違うだけで、考え方が違うだけで、あそこまで争えるなんて、私には分からなかった。

 知識を積み重ねた上にあるものがあれならば、私は、その行為自体を否定したい」

「……何を、見たのですか?」

「とにかく、智獣が殺し合っていく様だよ。

 撃って、撃たれて、刺して、刺されて、切って、切り刻まれて、燃やして、燃やされて、とにかく、とにかく、殺して、殺されていたよ」

 半ば憑りつかれるようにハクエはそれから見て来たものを喋り続けた。


 ハクエが喋り終えた後に、リエンが言った。

「……智獣は、どこに行くのでしょうか?」

 智獣としての生を経験した事のある唯一が、そう言ってしまった。自分なんかが考えても何にもならない、予想を立ててもそれが当たる事は無いと確信してしまったように。

 ただ、智獣はこれまでも争いと調和を繰り返してきた。そしてこれからも繰り返していくのだろうという事は想像出来た。けれども、規模だけは大きくなり続け、そして争いで付いた傷は全て癒える訳でもない。

 誰もそれに続けないのを見てから、ハクエが言った。

「……もう、決めなければいけない時さ。

 智獣と敵対するのか、和平を結ぶのか。

 智獣の牙は私達に届こうとしている。いや、もう届いているのかもしれない。貫こうとしていないだけで。

 私達は……」

 ハクエは、その先を何度も躊躇いながらも言った。

「……、もう…………、智獣に負けたんだよ。

 生まれながらにして強大な力を持っているだけの私達は、世代を超えて成長し続ける智獣に、超えられたんだ」

 それに口を挟む者は居なかった。その強さを誇りに持っている者が居ようとも、それは手に入れたものではなかった。生まれつき与えられていたものだった。

 そして、争いを直に見て来たハクエの言葉よりその誇りは軽かった、いや、軽いものだと認識させられた。

「決めるべきさ、二つに一つだ。

 智獣が一斉に私達幻獣に襲い掛かったなら、もう、私達は負けてしまうかもしれない。ただ、今は争いの傷が強く残っている。そして更に、まだ智獣達はそれぞれでいがみ合っている。

 今ならまだ、潰せる。いや、潰さなくてはいけない。

 和平を結んだって、智獣同士の争いに巻き込まれるだけだ。それに智獣が生きている限り、魔獣の命はこれからもずっと、危ういままだ。一方的に」


*****


 ……そこで躊躇いなく、智獣が幻獣が生きる時間以上の時間を掛けて培ってきたものを潰せていれば。

 罪の意識を振り払って、冷徹に潰す事が出来ていれば。

 そんな事を何度も思う。何度も、何度も。

 遠距離から砲撃や銃撃をしてきた智獣達や、数多の罠を仕掛けて来た智獣達や、道連れを狙おうとしてきた智獣達を沢山殺した。

 知識が詰められている場所や、脅威となるものを作っている工場、最先端を研究しているであろうような場所を片っ端から破壊した。

 そして、最後まで抗おうと短い刃物を向ける智獣達を、泣き叫ぶ智獣達を、子供を抱えて逃げる智獣達を、それ以上に一方的に、沢山殺した。

 心には、罪の意識がその分だけ積もっていった。

 使命感より心が先に限界を迎えた。

 自分達がこの先生き残る為には、智獣を滅ぼさなければいけないと思いながらも、ただ生きて来ただけの智獣を全て滅ぼす事は出来なかった。心を殺して使命感に没頭する事など出来なかった。恐怖や悲鳴を身に受けながらそれでも弱者も強者も平等に殺し尽くす事など出来なかった。

 結局、一つの国を滅ぼしたところで、皆、手を止めてしまった。

 何度も思う度に、きっと、滅ぼそうとした選択自体は間違っていたのだろうと思う。

 智獣と手を取り合う事を選んでいたら、より良い今があっただろうか?

 良い今だったとしても悪い今だったとしても、僕達はその道を選ばなかった。

 一つの国を滅ぼした後では道を選び直す事など、もう出来なかった。


 その時点で敗北は決まっていたのだろう。僕達がしたのは、結局のところ最初に街を一つ潰した、それとそう大した違いの無い事だった。

 僕達がしたのは、智獣の歩みを止める事ではなかった、僅かに緩めただけだった。

 智獣は発展を続け、僕達はそれを止める事も、抗う事も、それに追いつくように成長する事も出来なかった。

 でも、敗北が決まっているとしても、このまま惨めに死んでいくつもりなど毛頭も無い。

 最後の最後まで抗って、向かって来る智獣達を出来るだけ殺して、少しでも魔獣達にとって良い未来を導くのに尽くす。

 それは無駄じゃない。

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