故郷 5
相変わらずの、これの続編の新章投稿に合わせた投稿。
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もう、近くになっているようだった。
コハクの歩く速さは時によってバラバラだった。急に走り始めたかと思えば、途端にゆっくりと歩いたり。立ち止まってどこかをずっと眺めていたり。眠る時間も短く、浅くなる。
とにかく常にそわそわとしていた。
一気に行くか? と聞けば、いや、でも、とか、そんな要領の得ない答えが帰って来た。
……俺には、ずっとあの崖から出ずに族長を淡々と努めて来た俺には、コハクの気持ちは分からない。
だから、それ以上は急かす事も物事を聞いたりする事も、しない事にした。ただただ、寄り添うだけに留めた。
それが、最善だと思った。
コハクは、もう何も話しかけては来なかった。独り言をぶつぶつと時々呟くだけで。
黙っている最中、前の族長達が言った"驚くと思う"、とはどういう事なのか俺はぼんやりと考えていた。
良い意味か悪い意味かで捉えるならば、笑って答えたのも考えると良い意味だろう。
少なくとも、全滅しているとか、そんな結果が待ち受けている事は無い。……多分、きっと。
コハクは、そんな結果が待ち受けている事も考えてしまっているのだろう。あの微笑が、コハクを傷つけないようにする精一杯の結果だったとも思えているのかもしれない。
全滅して何も残っていない、そんな結果に対して心の準備をしようとか、いやそんな事は無いと思い直して距離を詰めようとしているのか。独り言を聞いていると、そんな心境がそのまま伝わって来た。
そんな事は無いと俺は思うが、それを言ったとしてもコハクには届かないだろう。ずっとあの崖で過ごしてきた俺の言葉は、力を持たない。
結局、行ってみるしかないのだ。
「……なんだかんだでさ、僕達、完全には信頼しきってなかったよね」
唐突に聞いてきた。
「……否定はしない」
「互いに、群れの長だったからね。信頼しきってどこか行ったりとか出来なかった」
「仕方なかったさ」
「……。生前に迎えに行けていたら」
「……そんな事したら、俺達がどうなっていたか。それぞれの数が等しかったから、互いに再興出来たんじゃないか」
互いの色が混じり合い始めても、族長が二匹という事に変わりはない。それは、灰色と橙色の二つの派閥がまだ残り続けているという事でもあった。
そのパワーバランスが崩れたら、きっと、安泰では居られない。
「…………そうか、そうだよね」
「……」
コハクは、立ち止まり、うつむきながら言った。
「……ここから急いだら後一日、いや、半日もかからないと思う。
でも、やっぱり僕怖いよ」
「……」
「多分、全滅とかは無いんだと思う。でも、思うだけなんだ。そんな結果を僕がこの目で見てしまう事はないという保証はどこにも無いんだ。
とても怖いよ。でも、僕は見なきゃいけないんだ。見なきゃいつまで経っても心の中にその恐怖があり続けるんだ。
……辛いよ」
「…………、俺は、どうしたら良い?」
思わず聞いてしまって、言ってから俺は後悔した。
コハクは、俺の方をじっと見て来た。
「……あー、……うー……えー……。
…………」
何かを言うのを、躊躇っていた。俺はじっと待った。
「……。
……っ……。
……。
……僕を背中に乗せて、……真直ぐ駆け抜けてくれない?」
「……良いのか?」
何となく、コハク自身が歩くべきだと思った。その選択は、恐怖に負ける事に思えた。
「…………うん。
もう、耐えきれない。耐えたくない。でも、一気に走る事も、僕には……出来ないんだ。
だから、……お願い」
「……分かった」
俺は屈み、背中を低くした。ゆっくりと、コハクが背中に乗った。
がっしりと、俺の背中にコハクがしがみつく。九つの尻尾が背中の上で不安げにゆらゆらと揺れているのが分かる。そして、俺の毛皮に顔を埋めて、コハクが言った。
「……お願い」
「全速力で行くぞ」
「……うん」
俺は、一気に駆けた。
*****
全力で駆けた事は、今まで余り無かった。
幻獣として生まれつき身に備わっている力は、智獣を沢山喰らった魔獣や族長としての魔獣と比較しても桁違いだ。
そして、フェンリルという狼のような姿をした幻獣である俺の脚力は幻獣の中でも強い方で、今の俺に何かの生き物がぶつかったら、多分、それは原型も留めない程に弾けて死んだ事にも気付けないだろう。
それ程に速く走ると、半日どころかほんの僅かな時間でその場所らしき大きな山が見えて来た。
「着いたぞ」
「……もう?」
「安心しろ、ワイバーンは見える」
「えっ」
そこでコハクが思いきり顔を上げた。
「……智獣が乗ってる」
「だな……」
「何が、起きたんだ?」
山の上で飛んでいるワイバーンの姿はまだ点程にしか見えない。けれども、その上に智獣が乗っているのははっきりと分かった。
魂を見れる目で注意深く観察すれば、大体三分の一から四分の一くらいのワイバーンの背の上に智獣が乗っていた。
「……見る限りだと、どっちがどっちを支配しているとか、そんな様子は無い、よな?」
魂の形から読み取れる感情に、恐怖や不安と言ったようなトゲトゲしたものは無かった。
「うん……。
確かに、近くに智獣の集落があった記憶はちょっとある。それで、それとは険悪な関係じゃ無かった、と思う。はっきりとはサンストさんに聞かないと分からないけどさ、少なくとも僕があの山で過ごした僅かな期間、成獣の中で人族の武器で傷つけられたような傷痕は、僕は見た事が無かった……ような気がする」
「意外だな。
もしかすると、頭を食べれば強くなれるって、誰も知らなかった位に平穏だったのか」
「もしかすると、ね」
もう少し近くで観察出来る場所は無いかと聞くと、山の西側は日当たりもそんなに良くないし、余り寄ってこないと思う、という答えが返って来た。
「その位しか分からないよ。僕だってさ、この山の事そもそもあんまり知らないんだから」
「あー、すまん」
「まあ、行ってみよう」
コハクは、先程と比べれば明るくなっていた。
全滅しているという結果ではない、それが分かっただけでも最悪な事は無かったと分かって嬉しいのだろう。
実際に西の方から山を登る。コハクはもう、俺の背に乗る事は無く、ひょいひょいとそこにあるものを半ば楽しみにしながら登っていく。
ある程度の高さまで来ると、ワイバーンの姿も智獣の姿もある程度はっきりと見えてきた。体に傷などがあってもそれは軽く、少なくとも人族によって傷つけられたものではなかった。
時折ワイバーンが自分達に気付いて見て来たが、気付いてもそれ以上の何かの行動を起こす様子はない。
暫くの間そんな様子を眺めていると、一匹の背中から智獣が落ちた。気付いたワイバーンが慌てて急降下をして、智獣を拾い直し、また背に乗せた。
東側を少しだけ覗けば、ワイバーンの子供と智獣の子供が、それぞれの親に見守られながら遊んでいる。雨水を凌げる場所が作られていて、そしてワイバーンが獲物を智獣へと届けている。
ここまで来れば、この場所で起きている事は自ずと分かるというものだった。
「奇跡、なんだろうな」
俺は、ひとりでに呟いていた。
「うん」
コハクも頷いた。
ここでは、人族と魔獣が共存している。どちらかが上とか、そういう関係ではなく、互いに助け合って生きているような、そんな関係だ。
肉体の差は大きく、ワイバーンは翼や尾の一振りで智獣を殺せる。智獣とは違い、魔獣、ワイバーンは言葉は学べば理解出来るが、それまでは言葉という概念すら持たない。
魔獣と智獣。肉体も生態も文化も、何もかもが違うのに、そして対等な意思疎通の手段も、俺達がいつからか分からずとも続いている儀式として確立させてのみ成し得ているのに対して、ここではそれも抜きにして全く対等な共存が出来ているのだ。
「一体、何があったんだろうなあ」
コハクは、もう、後ろ向きな気持ちなど全く無いような明るさで言った。
「智獣に接触して聞けば分かる。その位なら大丈夫だろうよ」
「そうしようか。うん。うん……」
何度も頷きながら、コハクは言った。
「一年も過ごした場所じゃないけれど、やっぱり僕にとってここは、この生まれ故郷は、思い入れのある場所だったんだ。旅の途中も、ウスズミと一緒にあの場所で暮らし始めてからも、時々、ふとしたきっかけで思い出す場所だった。
どんな形であれ、ここに残った皆は、不幸なままに死んでいくことは無かった。新しい幸せを手に入れて生きる事が出来た。
それが分かっただけで、僕はとても嬉しい」
前を見て笑うコハクの顔を見て、俺もほっとした。
「じゃあ、行ってみるか」
「うん」
―――――
――時々、ふとしたきっかけで思い出す場所だった。
それは、僕が幻獣になっても変わらない事だった。そして、思い出す度にその時が一番幸せだったと僕は思う。
もう、過去の事だ。もう、戻れない事だ。何をしようとも、どう足掻こうと、時間は戻らない。
……平穏に勝るものは無いし、それはいつも、どうしようもない力で崩される。
僕はいつでも、それに抗えないらしい、という事を自覚しつつある。
もうちっとだけ続くんじゃ




