満足
族長の話。
俺の目の前で今、友が泣いていた。ずっと、ずっと泣いていた。俺も、受け入れてはいたが、この友を残して先に死ぬのは、出来るならばしたくない事だった。
何年間生きて来たのか、数えて来なかった。数字の概念自体は麒麟に会う前から俺の中にあっただろうけれど、今俺が何歳なのか、数えて来た訳じゃない。
俺のこの体が衰えを見せた今、俺は今、何歳なのだろう。
そして俺のこの友は今、何歳なのだろう。後何年間、俺という友が先に死んでしまった後、この友は生きなくてはいけないのだろう。
俺も、友も、こんな終わり方を望んではいない。しかし、仕方のない事だった。
たった一匹の心情だけで、この群れ全てを危険に晒す訳にはいかない。
……会わなかった方が良かったのだろうか。
群れの半分以上が死んでしまった結果からすれば、群れの長としてはそれは絶対に会わなかった方が良かったと言える。
ただ、群れの長の、一匹の感情としては同じ族長として会えて良かったとも言ってしまいたい。
たった一匹。先代の族長の頭を食らって始まり、次世代の族長に頭を食われて終わる、群れの族長。
孤独だった。番が何匹も居ても、孤独だった。
智獣との儀式でも、緊張を覚える事すらない自分の強さに退屈も覚えた。
そんな感覚を共有出来る友が現れてくれた。それは、やはり俺にとっては途轍もない幸運だった。
互角に戦える敵。群れの存続を賭けていたとは言え、とても楽しかった。
……そしてまた、更に俺は幸運だった。いや、俺と友は、と言うべきか。
引き分けに終わらせてくれた、万年以上も生きているワイバーンが居た。俺と友がどちらも死ぬ事無く、戦いの後も生きられるようにしてくれたワイバーンが居た。
俺は、幸せだった。
けれども。
幸せが訪れたから、去る時も来てしまう。幸せだった。でも、この悲しみはとても強いものだった。今こうして、会わなかった方が良かったのだろうかと思ってしまう程に。
そして今、その幸せをまた取り戻す方法がある可能性がある。
縋りたくない何て、有り得ない。
-*-*-*-
番を全て違う場所へ移し、一匹のみでは広すぎる巣穴をゆっくりと眺めると、ありありと今までの生活が思い出せた。
朝は起きてまず、狩りに行く。いつも、崖縁で背伸びをしてから落ちるようにしてここから飛び立つ。偶々同時刻に友が起きていれば、友が小便を心地良さそうに垂れ流している。稀に大便も。そしてその時は、一緒に狩りをし、朝一番から喧嘩をした。
番が子を身籠っている時は、俺も含めて七匹分の獲物を狩らなければいけなかった。辟易とした感情が無い訳ではなかったが、子が生まれて来る期待、番に対する献身の方が遥かに強かった。
朝が過ぎれば、皆と喧嘩をしたりする為にここで過ごす事は長くはないが、それでも子が沢山この中を走り回った光景は今でも楽しく思い出せる。
夕方になり、狩りをまたして、それからゆっくりと番達と身を寄せ合い過ごす。暑い夏になれば、子供達を連れて外で夜、星や月を眺めながら過ごしたりもした。
子が眠りに就けば、それを眺めて強く生きられるように願う事もあった。
そして、赤くなる月を眺めながら、偶にこっそり夜の森へ繰り出した。
そんな毎日を、万以上繰り返してきた。その数だけ、太陽は昇り、そして落ちた。月が昇り、星々が散りばめられた夜空とは別に色を変え、そして日の出と共に見えなくなっていった。
季節が巡り、時節雨が降り、その後の晴れにて湿った地面から青空を、星空を眺めた。
鹿、猪、狼、大蛇、様々な獣を狩り、そして食らった。果物を食う時もあった。川魚を食う時もあった。
そして確かに、同族であるワイバーンを食らった時もあった。
この外がどうなっているのか、俺は知らない。儀式に来る智獣達がどこから来るのか、どう生活しているのか、それは麒麟から与えられた知識からしか、僅かにしか知らない。
そんなこの狭い世界の中、俺は生きて来た。
外がどうであろうと、俺は生きて来た。そして群れも生きて来れた。
ごろり、と地面に寝転がって翼腕を投げ出し、天井を眺めた。
満足は、している。確実に、自分の生に対して不満は無い。良かった事も悪かった事も全て含めて、不満は無い。満足している。
ただ、完全に満足はしていない。それは、きっと一握りの中の更に極一部しか出来ない。
それを求められるかもしれないなら、求めるべきだろう。
森へ入り、暫くすると麒麟はやってきた。
やって来るとは思っていた。数年に一度ではあるが、接触は続けて来た。俺が死ぬ直前だと分かっているだろうと思ったし、その時なら麒麟は来るだろうと推測出来た。
「……」
周りに誰も居ない事を確認し、幻獣としての気配をいつも通り隠しながら、いつも通り俺の目の前に座る。
俺も座った。
麒麟は暫くの間、無言だった。
文字は知らない。喋る事も出来ない。俺はどうにかしてこの麒麟に対して望みたい事を伝えたいのだが、どうしたら良いだろうか。
そう思い始めた頃、麒麟は喋り始めた。
「……一応、俺はこうして転生した事に対しては幸運だった、とは余り思っていない」
それは前も聞いた事だった。
「生物として、生き返るというのはどうかと思う気持ちが俺の中で未だにそれなりの領域を占めている。
それに、転生した時、見知った奴が誰も同じく転生をしなかった事が酷く悲しかった。
同じ境遇の仲間が居ても、それはそこまで癒される訳ではなかった。俺が食った先代の群れの長、そして俺を食った次の群れの長、どちらも転生していたが、それも同じだ。そして、俺と同じ思いも抱えていた。
きっと、お前もそうだろう。同じ時を過ごした友が居なければ、転生はとても悲しいものになる。
勿論、楽しい事もある。だが、それはずっと引きずる事になる。
千を越える年月、それをずっと引きずる事になる」
「……ヴゥ」
でも、と俺は言いたかった。転生は、別に一匹のままだったらしたくなかった。また生を繰り返すだけならば、したくなかった。
「どうだ。転生したくないならば、そうしてやっても良い。
その位の義理は受けなければいけない」
「ラルルッ!」
違う!
そう抗議すると、麒麟は周りを見回して誰も来ない事を確認してから、笑うように言った。
「……分かってる。ずっと見て来たから。
お前の望みは、どちらも確実に転生させてくれ、だろう。
俺から見ていても非常に羨ましかったんだ。そんな望み、分からない訳がない」
偽りの無い羨望の眼差しを俺に向けていた。驚きながらも、それを聞いて、とてもほっとした。
自分でも驚く程に。息が自然に漏れた。
友と、これからも過ごせる。それは俺が生まれてから暫く後の事になるかもしれないが、次の生、今の生よりも遥かに長く生きる事となるならば、それは僅かでもない時間だろう。
明日死ぬと言うのに、希望を感じた。
「まあ、何に転生するかは、大して望みは叶えられないとは言っておく。違う種族になる可能性も高い。
そう言う魂を持つ子を望んでいる番を見つけ出すだけでも結構苦労する」
いや、と思いながらもやっぱり一つだけそれでも頼みたい、と思った。けれども、そんな事をしていたらキリが無くなってしまうだろう。種族が違えど、大きさは同じ位が良い。
……大きさが違くとも親しくは出来るだろうけれども。
満足や安心と言ったものからか、体が重くなっている感覚を覚えながら俺は、頭を下げて立ち上がった。
これ以上望みはしない。それに、この沸き立つ喜びの気持ちは、じっとしていては抑えられそうに無かった。
「まあ、それなりに最善は尽くす。
……彼女に付き添ってくれた事、礼を言う」
そう言って、麒麟も立ち上がった。いや、礼を言うのはこちらの方だ、ともう一度俺は頭を下げた。
麒麟はそれ以上何も言う事無く、俺に背を向けて去って行った。
それを暫く眺めてから、俺も麒麟に背を向けて飛んだ。その日は曇り空だったが、気分は快晴のようだった。
-*-*-*-
友とはもう、喧嘩もせず、接触する事も無かった。狩りの時も時間を意図的にか、友の方からずらしていた。
その気持ち、心情は良く分かった。
邪魔してはいけないと分かっている。ここで曲がりなりにも平穏な生活を手に入れた群れを自分一匹の勝手で台無しにしてはいけないとも分かっている。
でも、そうしてしまうかもしれない。失いたくない気持ちはとても強い。俺だって、来世でまた友と生きられると言うとても甘い選択肢が開けなければ、こんな平静な気持ちでは居られなかっただろう。
友が俺と顔を合わせないのは、何の感情も湧かさない為だ。そうする事によって自分に何もさせない為の選択、縛りだ。
ただ、ワイバーンとしての友をもう一度見ておきたいとは思うが。
そればかりは、我慢するしかないだろう。
そしてまた、考えなくてはいけない事があった。
麒麟と接触する原因となった彼女について。
彼女については全て麒麟から聞いた事のみしか知らないが、その中で彼女が魔法を使えると言う事に関して不安があった。
彼女の角に嵌めてある腕輪が、魔法を封じる事が出来る腕輪だとは知っている。ただ、麒麟はあれで、出せてしまう魔法を封じる事が出来るかどうかは分からないと言っていた。
彼女はそこまで理解しているのだろうか。
最後の交尾を彼女以外と終えた今、悩む。
大蛇、猪、赤い木の実、野鳥、魚。それぞれが好む食い物を狩り、採取して、最後は鹿を狩る。
番達は、何か異変は感じているようでも、俺が今日死ぬとまでは思っていないようで、そのまま見送ってくれた。
ただ、他のワイバーンとは別格に賢い彼女だけは別だ。彼女は確実に、俺が今日死ぬ事を理解する。俺が後継にどうしたら魂を身に取り込む事が出来るかを教えている所も見ていた。そしてそもそも、魂に関してはあの麒麟並に詳しいらしい。
分からない筈が無い。
……止めに来てしまうだろうか? 止めるべきではないとは分かっているだろうが、それでも彼女に対しては正直なところ、分からなかった。
番達も、俺が死ぬと分かっていたならば、止めに来てしまうかもしれない。だが、死ぬとまでは分かっていない。だから安心出来る。
そして、もし止めに来てしまった場合、更に万が一魔法を行使出来る程に感情が昂ってしまった場合、俺は残念ながら止める術を持っていない。
……引き継ぎは絶対に行われなければいけない。確実にする為には、やはり彼女の意識を失わせるしか無いだろう。
鹿の首を食い千切りながら、そう思った。
彼女の目の前に鹿を置き、その時点で彼女が俺が今日死ぬ事を理解しているのを、理解した。
真直ぐに死んで欲しくないと必死に訴えかけてはいないが、受け入れたくはないと言うような、そんな風に悲しそうにただ、座っていた。
それでも押し倒して、交尾をする。最後に最も満足出来る事と言えば、これしかない。
彼女は何故か交尾をする時、いつも涙を流した。それは痛みに依るものではなかった。優しくやってみた時もあったが、涙を流すのは変わらなかった。
何故かは、結局最後まで分からなかった。麒麟も知ってはいたようだったが、教えてはくれなかった。
腰を振り、熱くなる体の快感の隅に、そんな思考ともう一つ、これが最後なのだと言う寂寥が僅かにあった。
発情期を過ぎた今、絶頂まで行くのには時間が掛かる。絶頂自体もその時程心地良いものでもない。
まあ、それも仕方のない事だ。全ての事柄に関して完全に欲求を満たす事何て出来ない。それが当然であり、生に完全に満足する為でさえも、それは必要のない事だろう。
本当に満足したい事、妥協したくない事にさえ完全に満足が出来れば、それは完全な満足が出来る生だろう。
……いや、そんな単純なものではないか?
もっとワイバーンとして過ごしたい、という心情は確かに俺の中にある。
頭を食われて死ぬ事が恐怖である訳ではない。もう、それに対しては受け入れた。受け入れられた。諦めとか、そういうものでもない。
ただ単純に、もう少しだけでも生きたかったと思う。
けれども、俺は満足している。それは、完全に、かもしれない。
やっぱり、分からないな。生きる事に対して満足したい、後悔したくないのは、最も妥協したくない事だ。でも、そんな後悔があるのに、俺は満足している。
すると、生きたいというのは、後悔ではないのか? こうして死ぬ事を受け入れられていたからこそ、それに対して強く何も思わないのだろうか。
後悔があっても、完全に満足は出来るのだろうか。
……考えるには、もう時間は無いな。
絶頂も近かった。込み上げて来るものを我慢する。息が自然と荒くなる。
噛みつきたくなるような、そんな欲求が湧き出る。そしてやはり、最後なんだなという、寂寥が頭を過った。
落ち着き、自分の性器も収まった。いつも通り、五回。自然と収まる。
彼女も落ち着き、壁に凭れ掛かった。
……そろそろ、か。
来世、彼女にとってはきっと最後の生となる幻獣としての生では、彼女はこのワイバーンとして生きた記憶を殆ど失うらしい。
性格が同じであれど、記憶が引き継がれないならそれは殆ど別の生命だ。
まあ、俺にとって彼女は友程大事な存在ではない。番で一匹来世に連れて行けるとしても、一番最初からの番を選ぶ。
同様に愛しているのは変わらないが。
さて。愛しているとは言え、これだけは別だ。
「……ヴゥ」
嫌だ。行かないで。言葉で喋れるのならばそうだろう。近付くと、そんな悲しそうな声を出された。
「ウル」
仕方のない事だ。それは。そしてやはり、彼女には来てしまう危険性があると思った。
気絶させておかなければいけない。
「…………ヴ」
済まない。そう言う気持ちが伝わったのかどうなのか、何故か彼女は不思議そうに俺の方を見た。そして、俺は彼女の首に翼腕を強く壁へと押し付けた。
彼女は僅かな間、抵抗した。訳の分からないと言うような抗議の声も上げた。それを全て封じ込め、俺は更に押し付けた。
その僅かな時間の後に、彼女は俺が気絶させようとしている理由に気付いたようだった。抵抗を止めて、諦めたような、また悲しそうな目で俺を見た。
そして、気絶する前に目を閉じた。それは、渋々受け入れるような仕草だった。
意味は無いかもしれないが、次いでに角に付けてある腕輪をきつく外れないようにしていると、彼女は気絶した。
-*-*-*-
崖縁に立つと、妙に清々しく落ち着いた気分だった。
これからやるべき事はとても苦しい事なのに、それに対する恐怖も浮かんでいない。
飛び立ちながら、この群れを見返す。
族長としてこの数日間群れを見ていなかったなと、心の中で苦笑した。
卵を温めるべき今は、外に大してワイバーンは飛んでいない。洞穴の中でじっとしていたり、退屈で尻尾で小石を転がしていたり。
そしてやはり、友は見えなかった。
その後、次の族長になるべきワイバーン、彼女の一番の友の番を見つけた。
獲物を持っていたが呼び寄せて、山の方へと連れて行く。
緊張は、していなかった。これからするかどうか、いや、きっとしないだろう。自分の頭をその次の族長の口に入れても、恐怖もしないだろう。
受け入れているとは言え、その確信は自分でも不思議ではあったが、幸いでもあった。
空は雲が点々とある青空だった。川はいつものように流れ、森もいつものように風に揺られて木々の葉が揺れていた。
清々しく、落ち着いていて、満たされていた。
負の感情は一切浮かんで来なかった。本当に、自分でも不思議な程に、驚く程に。
翼腕を動かす一瞬一瞬の動きが鮮明に感じられた。後ろから着いて来る、これから気絶させられるとも知らないワイバーンの動きが、全ての自然の動きが目で見る以上に鮮明に体へと入って来る。
心地良いという感覚ではない。ただただ、満たされていた。
そして、山脈が近付いて来た。
なろうコン一次突破しました。とても嬉しかったです。
二次は四月下旬らしいです。
で、済みませんが次は誰を書くかも、いつ書けるかも不明です。




