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私、ワイバーンです。  作者: ムルモーマ
α. 番外編
72/87

安堵

アカの話。何だかんだで一番最初に出来た。

ちょっと駆け足気味かもしれない。

 喉が渇いた。

 まず、初めにそれが来た。疲労よりも、空腹よりも先に乾きが来た。

 友達も皆、そうなのだろうかと少し思った。誰も声を出すことはしなかったけれど。

 川まで戻りたかった。でも、それは無理だった。

 一匹の老いたワイバーンなら何とかなるかもしれない。けれども、たった四匹で二匹以上の老いたワイバーンを相手にする可能性も高いだろう。そうなったら、死ぬのは確実だった。

 何故、老いたワイバーンたちは唐突に自分達を襲ってきたのか。何故、父母は自分達をこんな状況に置かせているのか。これからどうしたら良いのか。

 何も分からなかった。

 夜、初めて外から見る月の青い光は何か虚しさを感じさせた。綺麗だとは思ったが、いつでもそう光っているであろう事が嫌で堪らなくなり、顔を前に戻した。


 空腹と眠気もして来た。疲労も出てきた。

 起きていなければいけないと分かっていたが、目蓋が勝手に下がってしまうのを抑える事は難しかった。

 そんな時、遠くで僅かな音が聞こえた。小さ過ぎる音で、位置は分からない。何者かも分からない。

 辺りをきょろきょろと一旦見回してみたが、何も動くものは見えなかった。

 そしてまた、音が聞こえた。物を擦るような音だった。更にそれは自分達の上方から聞こえてくる音だと、はっきり分かった。

 見上げると、木の枝に身を捩じらせて体を支えている大蛇が居た。

 二匹。偶に大蛇は自分の前にただの肉塊となって出て来る時があった。しかし、目の先に居る大蛇は肉塊ではない。鎌首をもたげ、先が分かれた舌を小刻みに揺らして自分達の方を獲物を見る目で見ていた。真っ先に覚えたのは敵意ではなく、恐怖だった。

 立場は、逆転していた。どう襲ってくるのか分からないけれども、確実に自分達を殺せる立場に居るとだけは分かった。

 咄嗟に前に向かって走った。

 直後、どさり、と言う重たいものが落ちる音に続けて、悲鳴が聞こえた。振り返ると、二匹の姿はもう見えなくなっていた。悲鳴は大蛇の絡まっている胴の中から、連続した骨の折れる音と共に聞こえてきていた。大蛇の胴は硬く、中身を潰していた。

 そしてもう一匹は、自分と同じように寸前で奇襲から逃れられていたけれども、転んでいた。大蛇は普通に立っている自分よりもそのワイバーンを優先して狙いを定めている。

 憎たらしい程にそこまでは距離があった。背後から聞こえる悲鳴からか、立ち上がる事にすら苦労しているその友達のワイバーンは、後ろから近付いている大蛇二匹に気付いていなかった。

 走っても追いつかない距離なのは分かりきっていた。しかし、逡巡した。助けに行くべきか、見捨ててしまうのか。もう、二匹は助からない。一匹になりたくない。でも、どうすれば。

 骨の折れる音が聞こえなくなり、悲鳴が殆ど聞こえなくなる。そして、そのワイバーンの首と背中に鋭く、月の光を映す牙が突き立てられるのを見た。

 もう、逃げるしか出来なかった。全力で大蛇に背を向けて走った。大蛇は三匹で満足したのか、追っては来なかった。

 三匹目の友達の悲鳴は聞こえなかった。その代わりに引き千切るような音が聞こえて来た。


 涙が流れた。悲しく、自分自身も恐怖で怯えていた。

 たった一瞬の出来事だった。きっと今はもう、三匹とも腹の中に納まってしまっているのだろうと思うと、どうしようもない喪失感を感じた。また、それと同時に嫌な感覚も覚えた。

 自分も、そういう繋がりを切って肉を食らい、生きてきたのだ。当たり前の事なのに今までその事に気付かなかった。

 悪い、とは思わなかった。覚悟しなければいけないと、思った。

 自分に嫌気が差したその気付きで、今、自分が置かれている状況に大して何となくではあるが、納得が出来た。また、しなければいけない事も理解した。

 殺す事、帰る事。単純なその二つだ。

 空腹は渇きと同様に五感に欲求を訴え始めていた。万全の調子ではない。

 しかし、やらなければいけない。やらなかったとしたら、待っているのは死だ。死にたくはない。

 涙を翼腕で拭い、舐めていると自然と目から涙は流れなくなった。死にたくはないと、もう一度思った。

 これ以上、体力を無駄に消耗する訳にはいかない。また、立ち止まっている訳にもいかない。

 立ち止まっていたら眠ってしまうかもしれない。それ以上にまた、獲物を探さなくてはいけない。

 自分でも殺せるような、何か。

 ただ、それに大蛇が含まれるのか、それは否であるとしか思えなかった。そして次、自分が大蛇と出遭ってしまったら逃げられないだろうとも思った。

 今の状況がとても辛い状況である事は理解していた。


 暫く歩き続けていると、猪を見つけた。

 大蛇に先に出遭わなかった事に安堵しつつも、気持ちを固めていた。

 自分の空腹を満たしたい欲求、殺意を感じたのか、猪も自分の方を向き、そして既に前足で地面を蹴っていた。

 速い、とまず最初に思った。受け止められない。

 躱すべきだ。でも、躱すだけでは殺せない。どうしたら良い?

 また逡巡した。そしてその間に、猪は直近まで迫っていた。思わず、身を翼腕で守った。猪の鼻が自分の下腹部に当たり、そのまま突き上げられ、一瞬空を舞った。

 どさり、と背中から落ち、胃液が込み上げて来た。思わず吐いても、胃からは胃液以外の何も出て来なかった。苦しさで視界がまた滲み、酸っぱさと痛みを舌に感じていると、また駆けて来る猪の足音が聞こえた。

 迷ってはいけない! そう思い、顔を上げ、体を持ち上げる。猪は迷いを起こしていてはいけない近さにまで来ていた。咄嗟に、鼻っ面に両翼腕の鍵爪を突き刺した。

 しかし、だからと言って猪の突進が止まる訳ではなかった。鍵爪はその突進の勢いで外れ、悲鳴を上げる猪の、血が噴出した鼻がまた、腹に当たった。

 腹が血まみれになりながら、今度はごろごろと地面を転がった。

 また胃液を吐きながら、大きく咳をし、鼻水、涙とごちゃ混ぜになった顔面を拭った。

 腹は酷く痛んだ。とても痛かった。まだ、何とか立ち上がれるけれど、もう一度突進を食らってしまったらもう、分からなかった。

 突進がまた来る。音が聞こえる。さっきよりも激しい。くそ、立ち上がるまでの時間があるかどうか分からない。愚直にずっと突進して来るだけだ。繊細な動きは出来ないかもしれない。体を転がして、突進の直撃だけは食らわないように出来るかもしれない。もう、相打ちではいけない。

 血に塗れた腹は既に泥塗れになっていた。舐めても美味しくないな、と転がりながら僅かに思った。

 そして、猪の足音が間近に聞こえて来る。繊細な動きは難しいだろうと思ったその予測が当たっている事を願った。

 しかし、来たのは軽くなった痛みではなく、鋭い、噛まれた痛みだった。ずるずると引きずられ、尻尾を噛まれた事を理解した。

 このままでは、骨が折れてしまう。いや、噛み千切られる。

 突進は止まっていた。噛み千切るのに猪は意識を傾けていた。体を起こせる。

 そこで記憶は僅かな間、途切れていた。


-*-*-*-


 そう。試練であそこで殺される事なく生き残ったからこそ、生きる事が出来た。

 生き残ったからこそ、だからこそ、番を得る事が出来た。子を為す事が出来た。

 ……強かったからこそ、番を守る事が出来た。強かったからこそ、また、生き残る事が出来た。

 生き残っていなかったら、死んでいた。強くなかったら、あの襲撃の時、生き残れたしても番を守る事が出来なかった。

 幸運だったととても強く思う。彼女には本当に、とても感謝している。どう感謝したら良いのか分からないけれども。本当に。私はこの中ではとても強く生まれたけれど、それでも彼女に会えなかったら私は死んでいた。

 でも。ここまでの強さがなければ私は番を守る事は出来なかったのかな。

 あの時、生き残る事も出来なかったのかな。

 過ぎた事で、分からない。分からない事の方が多いのは分かっているけども、知りたいな。

 自分の生まれ持った強さにも感謝すべきなのは分かっているけれど。でも、こうはなりたくなかったな。こんな事、したくなかったな。

 でも、しなくちゃいけないんだろう。

 これは、どうしてもしなくちゃいけない事なんだろう。

 みしみしと、尊敬すべき私達の長が、私の番の首の骨を折ろうとしている。私の口の中に自分の頭を入れたまま。

 ああ。本当に、どうして私が選ばれたんだろう。どうして私だったんだろう。

 私は、噛み砕かなければいけない。

 これは私が生きられた幸運の、跳ね返りかもしれない。なら、いや、そうでなくても、これは受け入れなければいけない。

 もう、時間がない。私は、顎に力を込めなければいけない。尊敬すべき、私達の長を、私が食べなくてはいけない。


-*-*-*-


 途切れた記憶が再開した時、体は血塗れだった。猪は血の跡を残してどこかへ消えていた。

 鍵爪に一つ、猪の眼球が付いていた。食べると、微妙な味がした。

 尻尾は痛むものの、大した支障は無く動いた。自分の歯も血で濡れていて、中には少しの肉片があった。それを飲み込み、また、体に付いていた血を出来る限り舐めた。

 それでも空腹と渇きは全く収まらなかった。それどころか、僅かに飲み込んだその栄養は胃袋を刺激し、更に酷い空腹を覚えた。

 渇きは僅かに薄らいだものの、すぐに戻ってしまうだろう事も分かっていた。

 そして、疲労はもう、限界が近付いているように思えた。

 血まみれの自分の体は、鼻が麻痺してしまったのか、体に鼻を近付けないとどうも血の臭いを撒き散らしている事を自覚出来なかった。

 猪には勝ったのだろう。でも、状況は悪化してしまった。

 諦めたくなった。でも死にたくなかった。助けが欲しい。誰か、とにかく。

 泣きたかった。最後のチャンスを生かせなかったのだ。

 死にたくないと何度も思った。生きて帰りたいと何度も思った。

 何とか、立ち上がる事が出来た。ふらつく体でいつの間にか赤くなっていた月を見上げた。

 恐怖に怯えそうになった。でも襲われた時にはもう、そんな恐怖に怯えるような時間も無いだろう。

 とにかく、今すべき事は、猪を追い掛ける事だ。もう、狩れない。死肉を漁るか弱った何かを殺す程度しか出来ない。


-*-*-*-


 どれ位経ってその、猪の親子全てが大蛇の胴に収まっている光景を目にしたのか、覚えてはいない。

 あの時、どれ程絶望したのか、何を思ったのかもう、覚えていない。満足気に腹を大きくした大蛇の顔と、その腹の中から僅かに聞こえてきた猪の子の声だけが、印象的に記憶に残っている。

 その後、彼女に会うまでどうやって生き延びたのかすら、覚えていなかった。

 何がどうあれ、生き延びる事が出来ただけで十分なのだろうとは思う。空を飛んで帰る事が出来た。あの時以上の安堵を覚えた時は無かった。

 ……もしかしたら、そんな私が偶然生き延びられたように、この群れも偶然、今まで続いて来ていられるのかもしれない。その偶然をより確かなものにする為に、こういう事をしなければいけないのかもしれない。

 思考は今まで以上に鮮明だった。難しい事も考えられるようになっている。世界がより鮮明に見えている。使命もはっきりしている。

 それら全ては、全く嬉しくなかった。

 目の前では、首から先を失った長の血がだらだらと流れ続けていた。自分の口には骨片と肉片が入り混じって残っていた。牙や体はあの時と同じく血まみれだった。

 自分の番が気絶していた。

 体が、震えた。自分も僅かにでも満足に動けなくなった時が来たら、そうしなくてはいけない。

 とても怖かった。安堵何てもう、無いのだ。

 羽ばたく音が聞こえ、来たのが彼女である事を何となく察した。音の感覚でも分かった。それ以上に、不自然な程に賢い彼女は、こうなる事を分かっている気がして、そして私の為に、自分の番がこうなってしまっている事を見る為に来たのだと思えた。

 近くに着地して、私にゆっくりと近付いて来た。

 涙が途端に溢れて来た。腹に顔を埋め、泣いた。とにかく声を張り上げて、泣いた。

 彼女はそれを何も言わず、受け入れてくれていた。私はそれに甘えて、泣いた。

次は多分族長の話。結構後になるかもしれないし、意外と早く投稿出来るかもしれない。

パソコンぶっ壊れて、サウンドノベルの方は中断しているから、直ったらそっちを優先する。そんな感じ。

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