11. 覚悟
それから、私達族長の番はその大きな巣穴から去る事になりました。
それぞれが別々の空いている小さな巣穴に行き、族長だけがその大きな巣穴に留まっていました。
きっと私達が子を産み終え、自力で狩りが再び出来るようになった時、族長は次のアカかアオに族長の座を渡すのでしょう。
……自らの死を以て。
考えれば容易に辿り着ける事でした。
色違いの族長も、私達の族長もワイバーンの中でとんでもなく強いとは言え、一線を画すると言うか、次元が違うと言うか、そこまで言って良い程の強さでした。
現に色違いの族長にこの前負けたとは言え、他のワイバーンには今まで一度すらも負けていません。何をしようが一対一では族長は苦戦した事すらほぼ見た事が無いのです。
アカやアオも族長に鍛えられ始めてから更に確実に強くなっていましたが、それでも族長には一度も勝てていません。
その強さはどこから来ているのか。
そして、何故族長という役目を持つワイバーンは群れに一匹しか居ないのか。何故、先代の族長と言えるワイバーンは見当たらないのか。
その時点でその事は察してしまいました。
そして族長がアカやアオに教えていた事でそれはほぼ確信に変わりました。
族長は、ただ智獣を食らえば強くなれる、という事だけを教えてはいませんでした。二つ、確実に魂を自らに取り込む為に必要な事を、泥棒を使って教えていました。
一つ目は、智獣を食らう時、生きたまま頭を食べないと強くなない。魂を自分の体の中に取り込めない。
二つ目は、腕や足を食らっても何の変化も無い。
……どうやらせるのか、また、これまでやらせてきたのかは分かりません。
しかしながら、その引き継ぎという事に関してほぼ確実だと思えた事は、族長は次の族長に自らの頭を食わせる、と言う事でした。
…………生きたまま。
それについて私の中では、納得はありました。
次の族長となる魔獣に自らの魂を与え、その残った魂で幻獣に転生出来る程に、質が高く、量も多い魂を族長は持っているのです。
それはいつからかは分かりませんが、代々引き継がれて来たものでした。きっとそれは群れで暮らしている魔獣の中ではどこでも似たような事があるのでしょう。
だからこそ、族長は誰も敵わないような強さを持っていたのです。
そしてその強さがあれば、何があろうとも、智獣によって姑息な罠を仕掛けられようとも切り抜けられる、群れの全滅は防げると思えました。
群れが家畜に落ちぶれない為にも、群れの存続の為にもその強さは必要だと思えたのです。
……。
いや、私は納得した訳ではないでしょう。
納得しなければいけないと私は自分で言い聞かせたのです。きっと。
この群れは勿論私の物ではありません。私が族長を死なせたくないからと言って、その引き継ぎを邪魔してはいけないのです。私の勝手でこの群れを危機に晒してはいけないのです。
この角に嵌めている腕輪は、自分の無意識の魔法を封じる為という理由も勿論ありましたが、その意志を強く保たなければいけないと、私自身で思ったからという理由の方が強くあったのかもしれません。
もう何度目か分からない産卵を終えました。番の内、私が最後でした。
そろそろ、でしょう。
心臓は早く打つ事も高鳴っている事も無かったのですが、何故か音だけが私に届いていました。
息が詰まるような感覚がして、私はやってきた、鹿を、首を咥えて持って来た族長を見上げました。
「……ヴゥ」
族長は私が十にも行かない歳の頃の記憶と比べると、やはり老いていました。
灰色の体には僅かながら皺が出来始め、精気、活気と言えるようなものもその時より弱くなっていると思えました。
まだまだ、普通のワイバーンと比べたら雲の上の存在のようなものではあるのですが。
族長は鹿を置いてから、唐突に私を押し倒しました。
ごろりと、硬い地面に背中が当たり、そして交り合いながら私は思いました。
私がもうこれで最後だと分かっている事も分かっているのでしょう。他の番とも全員、最後に交わったのでしょう。
それとまた、族長は転生して欲しいとも願ってしまいました。
転生した結果は私自身ではありますが、幻獣に転生出来るならば私のような悩みも抱える事は無いでしょう。
自分の頭を、自分が生きたまま食わせる最期なんて、それは群れの為であっても悲惨な最期だとしか思えません。それなら幻獣に転生して、その最期を塗り替えて欲しいのです。
しかしながら、族長の顔には辛そうな顔はありませんでした。
辛さを隠しているようではありません。覚悟というものでもありません。
それはただ、受け入れている顔でした。族長という身分になり、長い間その事に苦悩して受け入れたかのような。
喉を鳴らし、体をすり合わせながら私はいつも通り涙を流しました。夜に頭痛がしなくなっても、交尾で涙が出るのは変わりませんでした。特に理由も無く、熱い物に触れたら思わず身を引っ込めるように、反射で何の感情を持っていなくても涙は流れるようになっていました。
しかし、今の涙は悲しみを持っていました。
死んで欲しくない。こんな形で、別れを迎えたくない。
何度も何度も思いました。そして、角から腕輪を外し、その引き継ぎを邪魔したいという気持ちが幾らでも沸々と湧いてきます。
交わりながら、私は呻きました。
肉体は喜びを感じていましたが、頭の中は苦悩で溢れています。
それは、邪魔は、最もやってはいけない事です。私の為だけに何もかもを無視して生きては、ワイバーンらしく生きようとする事さえ放棄するのと同じです。
族長は引き継がれなければいけないのです。私と今、交わっているワイバーンは自らの身を捧げて死ななくてはいけないのです。
族長はそんなどうしようもない思考に陥っている私を、ただいつも通り交尾をする時のように眺めていました。
交尾が終わり、私は少しの間倒れたままで居た後に、壁に凭れ掛かりました。
族長は持って来た鹿を食べ、ふぅ、と一息吐きました。
既に雄は隠れていました。
私は、体の絶頂に酔う事も無く、その感情を隠す事が出来ずに項垂れていました。
族長はそんな私に近付き、立ち止りました。
「……ヴゥ」
嫌だ。そう言わずには居られませんでした。
族長は仕方ない、と言ったように「ウル」と、返しそれからまた声を出しました。
「…………ヴ」
え? それは、申し訳ない、というような感情の声に聞こえました。
しかしそれは、交尾をしている時の族長の受け入れた顔とは矛盾しているようで、私は違和感を感じて顔を上げました。
そして、首に翼腕を強く押しつけられました。
え? な、何を。
呼吸が出来ず、体も抑えつけられて、私は僅かな声で叫びました。
「ア゛……ヴアッ!?」
族長と目が合いました。その目は、本当に済まなそうな、仕方ないと言うようなそんな目でした。
そして、理解しました。
……私には、その引き継ぎを邪魔する可能性があると思われた。
ああ。
これが、最後なのでしょう。族長に気絶させられて、そして私が次に起きた時には族長は首無しの死体となってどこかに転がっているのでしょう。
けれども、これで良いと私は思いました。
行きたい、邪魔したい気持ちをずっと抑えて、族長が死ぬのを黙って待つのよりは、気付いたら全てが終わっている方が楽でした。族長にとっても、私という不安要素は排除しておいた方が受け入れる身としては楽でしょう。
そうです。これで良いのです。
そうして、私は目を閉じました。
族長が私の角に嵌っている腕輪を強く押し込む感覚がして、それが最後でした。
済まない、とまた族長の声が聞こえた気がしました。
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目が覚めると、外はもう暗くなり始めていました。
気絶していた時間は長く、鹿の血の臭いが強く小さな巣穴の中に蔓延していました。
……ああ。
終わってしまったのでしょう。
私は鹿を少し食べてから、飛びました。
アカであって欲しくないと思いながら。
今は引退したワイバーン達と一緒に静かに住んでいる母に、少しの間だけ卵を見ていて欲しいと頼むと快諾してくれました。
それから私は探しに行きました。
巣穴やいつも喧嘩をする場所、崖の上にはアカもアオも、族長も居ない事を確認してから私は森へと行きました。
体は卵を身籠っていた間余り動かしていなかったので少々怠く、いつものように飛べない自分にイライラしながら私は森を眺めて探しました。
いつもワイバーン達が狩りをしたりする場所には居ないでしょう。
どこだろう? 森の中は広い範囲を探してみますが、居ませんでした。
既に黒が空を覆い始めています。月明かりはそんなに無く、上空から探すのには辛くなってくる時間でした。
ワイバーン達が崖の方へもう帰って行き始めてもいました。
……あれ。アオらしきワイバーンが居る?
いや……、確かめたくはない。
山の方かもしれない。そう私は無理矢理意識を変えて、その方を探す事にしました。
そして、見つかりました。
草木の生えていない、智獣も魔獣も、獣すら居ない肌寒い場所にアカは居ました。ただぼんやりと、口を血塗れにしたまま座って居ました。
族長は既に、首無しの血をだらだらと流し続けている死体となっていて、その隣には気絶しているアカの番が居ました。その番も族長の血を盛大に被っていました。
強引な強制。族長が自分をアカに食わせる為にやった事が、それらを見ただけでありありと思い浮かびました。
番を殺すと脅迫したのでしょう。足で番を踏みながら、アカの口に自分の頭を入れでもして。
アカの方がアオよりも強かったのは、長年見て来て何となく分かっていました。本当に僅かな差ではありましたが。
けれども、アカはそういう立場に向いていないと私は思っていたのです。
ただただ、毎年を変化なく悠久と暮らす事こそがアカにとっての至福でした。それ以上もそれ以下も、アカは本当に何も望んでいませんでした。
そんなワイバーンは族長に向いていない。なら差があれども、アオの方が良いでしょう。
しかし、それは間違いなのでしょう。
族長並の強さを、その魂を身に取り込んで得る事が出来なければいけない事が、最も優先されるべき事なのだと私はこの結果を見て思いました。
長年、族長はこうなるかもしれないと覚悟はしていたものの、やはり私はその首から先が消えた死体を見てしまうと体を震わせずには居られませんでした。
やってきた私に気付き、アカは腑抜けたように私の方を見ました。
その顔には、やらされた事に対する責任の、そしてその責任の最後として全うしなければいけない事の恐怖が強く刻まれていました。
私が今感じている悲しみよりももっと辛く、もっと長引くものです。
そして、否が応でも受け入れなければいけないものです。
「ヴ……ア゛ア……」
アカはのそりと立ち上がりました。その目からは涙が流れ始め、顔は悲痛を表に出し始めています。
私の方に歩き、そして倒れ込むように私の腹に顔を埋め、声を上げて泣き始めました。
「ア゛アッ、アアッ! アアアア゛ッ! ヴアアッ!」
群れにまで届きそうな、皮肉にも強くなった喉を使った大声で、アカは泣きました。
私はアカの感情のはけ口になれるように、アカを強く抱き締めます。
そして、抱き締めながら思いました。
……母は当然、私よりも先に死にます。そしてアカも、私よりも先に死ぬのです。私に何か起こらない限り。
暴れるアカの体は、この前喧嘩した時よりも遥かに強くなっていました。もう、私はアカには喧嘩で勝つ事は出来ないと、それだけで分かりました。
確実に族長と同等の、いや、それ以上の強さを持っています。
しかしそれは、アカにとっては望まないモノでした。
地位も、強さも、責任も。
けれども、きっと遥か昔から連綿と続いて来たこの群れの事を思うと、アカも族長として役目を果たすのだろうと思えました。
本心を隠して、群れに身を尽くすのです。
また、そんな責務を果たすからこそ、幻獣に転生出来る可能性を与えられるのかもしれないと私は思いました。
本当にそうであったら、私はアカのような、族長になれる強さを持った魔獣に生まれるまでこの転生を終わらせる事が出来ない事になってしまうのですが。
それは無いだろうと私は、希望的に思いました。
遅れた。




