5. 馴染み
時間は緩やかに過ぎて行きました。
流石にあの一回の交尾で、それも発情期も過ぎている私が子を為す事はありませんでした。
けれども、それで良かったとも私は思っていました。
まだ、心の整理もついていません。夜になれば私はまだ、頭痛に苛まれます。
オチビの事は忘れないだろう、毎日思い出すだろうと思っていましたが、もう、忘れる日も多々ありました。けれども、姉さんの事は、今度こそ忘れないと思えました。
完璧に、私が殺したのです。そこには殺さなければいけない要因などどこにもありませんでした。
ああ。
この頭痛がしないようになる時が来るのか、来た時でも、それはその記憶が風化した時だとは思えませんでした。
私が出る前に居座っていた巣穴は既に他のワイバーンに占拠されていたので、私は一匹用らしき小さな巣穴で暮らし始めていました。
すぐに夏は来て、この八年目も変わった事はここに住むワイバーンが二種類になった事程度で、他の事は何も変わりありません。
戦いの跡ももう、綺麗さっぱり消えてなくなっています。
また、色違いもこちらの流儀に従ってくれているのか、それともここに来る前からそうだったのか分かりませんが、色違いの子供も巣穴から落とされるのを見るようになっていました。
……元からどこかを放浪しながら生きて来たような群れなら、こうやって戦いを仕掛けて定住出来る場所を得ようとは思いません。
一体、色違いはどこからやってきたのでしょうか。
どれ程遠くの場所からやって来たのでしょうか。
色違いに対しては疑問は幾つも思い浮かびますが、その疑問を解決しようと思ったとしても、その為にこの群れから出る選択肢はもうありませんでした。
もう、この群れの外に出る事は、私には必要ありませんでしたし、出たとしても、私にとっては楽しさよりも辛さの方が多いと思っていたからでした。
そうして、私は頭痛に加え、暑さに苛まれながらも元の生活に落ち着いて行きました。
重傷だった母も不自由なく体を動かせるようにまで快復した、夏の真っ盛りのある日、久々に儀式をしにやって来たコボルト達がやって来ました。
年老いた、また、大怪我を負ってもう空を余り飛べなそうな、智獣の相棒としての役目を終えたワイバーン達が訝し気に色違いの方を見ていて、色違い達もその智獣達の方を興味津々と言ったように見ていました。
族長は、色違いの族長を待っていろ、と言うように違う場所で抑えています。
今回は色違いを参加させるつもりは無いのでしょうか。
……いや、そもそも今回の儀式に参加するワイバーンに勝てるコボルトは居るのでしょうか。
今、ここに居るワイバーンは全てあの争いで戦い、生き延びたワイバーン達です。弱いワイバーンはもう殆ど居ません。
しいて言うならば、飛べなくなったワイバーンは途中から崖の上に戦場が変わったのもあってそこそこ生き残っているのですが、そのワイバーン達は儀式には参加出来ません。
何だか、気まずい終わり方が見えました。
いや、嬉しいと言えば嬉しいのですし、群れの数は色違いを含めても前より少なく、私達灰色のワイバーンは三分の一程度まで数を減らしてしまっているのもあって、いつも通りであっても困るのですが。
それは、まあ。
気まずくなる他ないでしょう。
コボルト達は少し戸惑いつつもいつも通り、ワイバーンに酒と思えるものを最後に飲まして返し、そして少しした後に族長が声を上げて儀式は始まりました。
今回、私は参加するかは別として、族長の戦いを間近で見る事にしました。
何度か族長が智獣と戦って来たのを見てきましたが、やはり他のワイバーンとは何か卓越して違う部分があると私は思うようになっていました。
普通のワイバーンがどれだけ智獣を食らったとしても、追いつけないようなそんな強さなのです。
現に今戦っているコボルトも、魔法も使っていないのに私では敵わなそうだと思えるのですが、族長はその攻撃をまだ余裕があると言った形で躱していました。
コボルトも時たま飛ばされる毒針を刀や手の甲で弾いたりしながらも、隙を与えないように攻撃はしているのですが、顔には焦りではなく畏れが浮かんでいます。
全く攻略の糸口が見えない、と言ったような感じでした。
それは時間が経っても変わりません。畏れの顔は助けを求めるような顔に変わって行きましたが、族長がまだ殆ど自分から攻撃を仕掛けていないのに、無駄な行動は何一つとしてしてはいけない圧迫感のようなものに捕われたようで、助けを求める視線も声も上げられないようでした。
そして、そのまま攻撃が一つも当たらないまま時間は無駄に過ぎて行き、とうとうコボルトの方が疲労を感じ始めた頃、族長が仕掛けました。
コボルトは両手に山刀を持っていたのですが、片方の刀が薙ぎの瞬間に牙で咥えられました。咄嗟にコボルトは従える目的も忘れて、族長を殺そうと刀を押し込もうとします。
しかし、それは逆に引っ張られました。
その一連の動作は本当に一瞬の事だったのですが、族長は元から引っ張ろうとしていたのではなく、刀を押し込もうとする動作を見てから引っ張ったように見えました。
……確かに、私も戦いの経験を経て、智獣を食らって強くなって、戦いの最中に反応が鋭くなっていく感覚はあったのですが、そこまでではありません。
相手の行動をある程度予測する、という事も最早必要無いような、そんな感じでした。
そしてコボルトは体勢を崩され、そのまま族長は口から刀から離しながら体を起き上がらせて、コボルトのとは比べものにならない太さの脚で蹴りを見舞いました。
コボルトは高く遠くに、血を吐きだしながら、二本の刀を宙に舞わせながら飛び、そしてぐしゃりと落ちました。
それは、二度目の試練の時のケルピの蹴りを彷彿とさせるような威力でした。
唖然として、コボルト達はその飛ばされたコボルトを見ていました。私達ワイバーンも唖然とはしなくとも、そのボールでも蹴り飛ばしたかのような軌道を眺めずには居られませんでした。
綺麗というか、何と言うか、本当にはっきりとした負け方だなぁ、と私は思っていました。
ふん、と鼻息が微かに聞こえ、鳴らした族長の方を見ると、つまらなそうな顔をしているのが見えてしまいました。
私が見ているのに気付くと、族長は慌てて顔を戻します。
根本的に他のワイバーンとは違うとしても、それは戦いの面だけなようでした。
のしのし、と族長は周りを囲っていたワイバーンとコボルトの間に自然に出来た道を歩き、いつも通り、一回咆哮をしてからコボルトを食べました。
悲鳴が最期に聞こえ、それを掻き消すかのように頭がまず最初に千切られます。
その退屈な戦いだったという事は顔に出さず、無表情のまま。私も、この儀式であんな悲鳴を聞くのは初めてだと思いながら。
少しして、コボルトが身に付けていた僅かな装飾具以外は族長の腹の中に納まりました。
「……何であいつが一番最初のに選ばれたのか分かった気がする」
他のコボルトがそう呟いたのが聞こえました。
族長は食べ終えてから崖の方へと戻り、それから儀式は始まりました。
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私もそくささと、コボルトに儀式を仕掛けられる前に自分の巣穴へ戻りました。
コボルトが呟いていた、その言葉の真意を私は幾許かは察していました。
ほぼ断定として言える事は、族長に負けたあのコボルトが一番強いコボルトでは無いという事です。
性格が悪いのか、ワイバーンを従える適性みたいなものが無いのか、そんな所でしょう。
しかし、何回か見て来た経験から考えると、族長と戦うのは戦士の死に場所としての役割もあるのではないかと思えました。
毎回不適な智獣を戦わせる事にしていたとしたら、毎回悲鳴を聞いているでしょうし。
まあ、そこ辺りの事は大して私は興味ありません。
肝心なのは、儀式に来る智獣には、私の技量ではまだ敵わないコボルトが居そうだという事です。
負ける可能性が高い戦いには、もう参加するつもりはありませんでした。
それと今回、最も興味があるのはどの位のコボルトが残るのか、という事です。
儀式が始まってまだ余り時間は経っていませんが、既に負けて食われているコボルトは居ても、勝ってワイバーンを従える事に成功したコボルトは居ませんでした。
参加しているワイバーンはまだ少なく、手持無沙汰なコボルトが結構居る状況でもありましたが。
少しして、色違いの族長が面白半分と言った形でコボルトに儀式を積極的に持ちかけ、それに乗ってしまった一人をほぼ一瞬で殺したのが見えました。こちらの族長も、まあ、そんなもんだろうなと眺めていました。
やっぱり、どちらの族長にも絶対の自信があるのでしょう。コボルト程度には負けないというそんな自信が。
コボルトを食べ、その色違いの族長はつまらなかったな、と言うように族長の方に戻って頷いたりしていました。
仲良しだなぁ、と少し複雑な思いもありつつ私は思いました。
そして、今更ながらこの状況を作ったのは私だったのだと気付きました。あそこで私が雷を落とし、引き分けという結果に終わったからこそ、この状況があるのです。
力が拮抗し、どちらもただ数を減らしていくだけになった戦いの終わり方としては悪くは無かったのかもしれませんが、まだ族長二匹以外は喋らない隣人のような関係です。
見ている側としては羨ましいような、能天気過ぎるような、そんな感覚でした。
時間は経って行きましたが、まだワイバーンを従えられたコボルトは居ませんでした。
それはこちら側、戦おうとする灰色のワイバーンが少ない性で、手持無沙汰と言ったコボルトも多いからなのですが、それでも色違いの方に挑もうとするコボルトもそんなには居ませんでした。
儀式の事を知らないワイバーンには、挑みたくはないのでしょう。コボルト達にとっては命を賭けた儀式なのですし。
しかし、色違いの方は興味津々と言った風に参加したがっているのも増えて来ています。
色違いが近付いて来たら逃げる。こちらの灰色のワイバーンに儀式を頼もうとしたら、口を血塗れに、腹を既に一杯にしていて首を振られる。
そんな下らない光景が増えて来て、それを見かねた族長が仕方なくと言ったように動きました。
どうやら、審判のような事をやるようでした。
そうして、僅かずつではありますがコボルトも色違いと戦いを始めて行きます。
次第に灰色に少しずつ鈍い橙色が混じって行く光景が広がって行き、それを見ながら何となく、きっと数年も経つ頃には色違いもこの群れに馴染んでいるんだろうな、と思いました。
良い事なのかどうか、それはその時になってみないと分からない事ですが。
色違いの色は、Goldenrodって言う色がしっくりきたんだけど、日本語でそれを言う色が無かった。
それに、近い色でも普通知らないような名前だった。




