5. 上ランク
すぐさま私は毒針をその矢が飛んできた方向に向けて数本飛ばしましたが、木の陰に隠れられて当たりませんでした。
「まあ、高値で売れるとなれば、こういう事もあるよな」
ワーウルフが呑気にそう言いました。
逃げている間に、私を追って来ているのは三人だと見当が付いていました。しかも、かなり長い距離を離してここに来たと言うのにもう追いつかれたとなると、体を強化する魔法は確実に使える事になります。
はっきり言って、私だけで戦うのは少しきついです。
子供を盗みに来たような智獣とは強さが違います。それも、三人。
「手助けしてやろうか?」
コボルトがそう言ってくれましたが、私はまだ心の底からこのワーウルフとコボルトを信用していませんでした。
直感的に信頼出来るとは何となく思っていたのですが、ただそれだけでは背中を預けるような真似は出来ません。
私は横に首を振り、改めて全身に神経を張り巡らせました。
……誰も、動いていない。もう、散開しているか?
私は空に飛び、また飛んできた複数の矢を躱して、牧場の方へ降りました。途端に牛が鳴き声を上げながら逃げて行きます。
森を燃やす訳にもいきませんでしたし、視界の通る場所の方が私にとっては有利でした。
しかし、ワーウルフが言った通り、これが儀式でなく、売る為に私を捕獲しようとして来ているという事は、攻撃は一つも食らってはいけないと思えました。
武器全てに毒が塗られている、変な道具も使ってくる。そのように考えて良いでしょう。
何にせよ、手強いのは変わりありません。
「ウララララッ!」
けれども私だけで戦うのがきつくとも、智獣が手強くとも、勝てる自信は十分にありました。
族長を相手にするよりは格段に楽だと思えましたし、新たに一つ、私は武器を偶然から得ていたのです。
智獣三人が私に向って走ってきました。
それは人間とケットシーとリザードマンで、散開して同時に私にまた矢を射って来ました。
まずはケットシー。何よりも魔法が厄介なのです。
記憶が体感したものに応じて思い出される以上、魔法の攻撃に対しては後手の対処しか出来ません。
私は飛んできた矢を体を捻って躱し、また弾きながらケットシーに向って地を蹴り、低く飛びました。
ケットシーは一瞬焦った顔をしますが、既に溜めてあった魔力を私に向けて、しかし攻撃が来る前に私は毒針を飛ばします。
案の定、それは魔力によって出来た壁に遮られ、音を立てて弾かれますが、この数日間で何度も聞いた、その弾かれる音からしてその壁は毒針を弾ける最低限の強さしかない事を私は知っていました。
そして私は、あの雨の中の色違いとの戦いの事を思い出しながら、尻尾の先の方を咥え、毒針の先をケットシーに向けました。
目を切り裂かれ、反射的に尻尾を強く噛んで毒針を飛ばした時、その飛ぶ速さ、威力は格段に増していました。
膝のある部分を叩くと勝手に足が動くように、また、変な部分を叩かれるとそこの全体が痺れるように、意識的に体を動かすのではなく、直接体で体を動かして毒針を飛ばした時、その速度、威力は格段に増す事を私は知ったのです。
横から飛んできた矢を上に飛んで更に躱し、毒針の先を調整しながらもケットシーに魔法を撃たせる隙を与えない為に飛ばし続け、そして私は強く尻尾を噛みました。
僅かに自分の血の味が舌に染み、先に飛ばした毒針の数本を追い抜く速さでその毒針は飛んで行きました。
ケットシーは動きながら壁で毒針を防いでいます。一度に保持出来る魔力量も多いらしく、壁を解き、溜めをするという事もしていません。がん、がんと毒針がぶつかる音からして、壁の厚さも数日前私が殺した人間がやっていたのと同じ厚みでした。
他の智獣に比べて体が弱く、そして魔法が優れているなら毒針を弾けるとしても、壁を作った方が楽なのでしょうが、それが仇となりました。
ばりん、と壁が割れる音がして、毒針はケットシーの額に深く刺さりました。
まずは一人目。ケットシーはその場で倒れました。
残されたリザードマンと人間は、私が何をしたのか分からないという顔で一瞬だけ唖然としていました。
私はその隙にケットシーの頭を噛み千切り、毒針だけ吐き出して食べておきます。
最低でも頭だけ食らえば、強くなれる感覚は後々付いて来る事を私は群れで暮らしていた時の経験から知っていました。これも何故だかは分かりませんが。
私はその二人に向き直ります。
そしてもう一度吼える事もなく、次は人間に向って飛びました。
最初に私が吼えたのは、宣戦の為だけではなく、三人に逆に狩られる覚悟があるかどうかはっきりさせる為でした。
それでも何も躊躇わずに向って来たのです。私は逃がすつもりはありませんでした。
人間の決意めいた顔を見て、私を捕獲する事から殺す事に変えたようで、きっと使う予定ではなかった槍を抜き、私に向けて構えました。
火球を放つと横っ飛びに躱され、毒針を放っても最低限の動きで躱されます。
この強さの智獣の槍に大して闇雲に距離を詰めるのも好手ではないと思え、少し距離を取って対峙していると、その間にリザードマンも合流してしまいました。
流石に無傷でこの二人を倒すのは難しそうでした。
リザードマンはふっ、と息を吐いて体に力を込め、背に掛けていた大きいハンマーを両手で構えました。
「捕獲は、無理か」
「ああ。したとしても売るか?」
「いや」
ケットシーを殺された恨みもあるようでした。
ただ、私は振るわれる槍とハンマーを躱し続けました。
いや、流石に躱し続けるしか出来なかったと言った方が正しいかもしれません。
毒針を放とうとしても、どのタイミングでも当たるとは思えず、火球も逆に自分の視界を妨げるだけになる気がしたのです。尻尾を口に持っていって噛む暇もありませんでした。
しかし、殺す事は決めていました。私の中に逃げるという選択肢はありませんでした。
ワイバーンを子供から家畜のように育て、また捕まえて売る事が彼らの仕事だという事も、その仕事仲間を殺されて私を恨んでいる事も分かっています。
しかし、私も同族がそうされているのを何もせず見過ごす事は流石に出来ません。
ほんの少しでもそうなっているワイバーンを減らせれば、という思いがありました。
まあ、勝てる自信がある事が前提にあったのですが。
攻撃を躱している内に、人間とリザードマンの動きはやはり、型にある程度嵌ったものである事に私は気付きました。
しかし、子供を盗みに来た智獣のような、ただ型を覚えているような稚拙な動きではありませんでした。
二人の息の合った攻撃を躱せはしますが、尻尾を足に巻きつけられる程の隙も余り見られません。あっても、それはわざと作った隙で、その間にもう一人が私に必中の攻撃を仕掛けられる時でした。
「くっ、そっ」
全く攻撃が当たらない事に二人は偶に悪態を吐きますが、優勢だという事も二人は理解していました。
二対一である以上、私の方が疲労は早く溜まっているのです。
そのままこの状況が続けば、私の体力の方が先に尽き、私は負けるでしょう。
現に今、私は口を開け、涎を垂らしながら大きく呼吸をしていました。
確かに智獣二人の方が、今は優勢です。私は疲労して涎も垂らしています。
しかしながら、二人は私が細工をしている事に気付いていません。内心冷や冷やしているのですが、人間とリザードマンは私が疲労して動きが鈍るのを待つだけで、私の涎を体に浴びながらも攻撃をずっと仕掛け続けています。
その涎に、こっそり腹の中の燃料が混じっている事も気付かずに。
既に、火球一発分以上の燃料が涎に混ぜて二人や地面に撒いてあります。
出来るだけ余り大きく動かないようにしたのもあり、後はその燃料を撒いた範囲の中心まで攻撃を避けながら誘導すれば、私の作戦は完了します。
しかし、その前にリザードマンが撒いてある燃料に足を滑らせて転びました。
すかさず私がそこに攻撃を仕掛ける前に、人間がフォローに槍を突き出します。
……ばれた、かな。
私は小さな火球を口を開けて出し、顔や腹にそのねっとりとした燃料を付けたリザードマンが「涎じゃない、逃げろ!」と言ったと同時に火球を下に落としました。
「え?」と、人間がその意味を咄嗟には理解出来ず、空に逃げた私に追撃もせずに仲間のリザードマンを起こそうとし、火球が地面に落ち、そして瞬時に燃え広がりました。
「う゛ああ゛っ!」
残念ながら、燃料を撒いた範囲の中心まで誘き寄せる事は出来なかったので、人間はすぐに逃げてしまいました。
しかし、転んだリザードマンは起き上がる前に炎を全身に浴び、一瞬無防備になった人間に私は毒針を数本撃ち込む事が出来ました。
「ああっ、うっ、くそっ」
喉、腕、足にそれぞれ刺さり、槍も落とした人間はそれでも私を睨み付けていました。
「ああっ、あう゛あっ、ああっ」
リザードマンは全身が焼け、火を消そうととにかく転がっていました。
「あのさ、この肉体だけでも特上じゃないのか?」
二人を食い終えてから、ただ遠くで見ていたワーウルフとコボルトがやっと私の方へ来ました。
ワーウルフは私を半ば畏怖の目で見ていました。コボルトは変わらない目でしたが、それも変なものでした。
「特上レベルのワイバーンは、あんな事しなくても普通に勝てただろうね」
「これで、上なのか……」
「けれど、そう簡単には言えないとも思うけどね。
知恵が他のワイバーンよりかなり働いているという点も加味すると、やっぱり特上かもしれないし、微妙な所だ」
腕組みをして、首を傾げて私を眺めるコボルトの言った事を聞き、やはり私はワイバーンとしても異質である事を認めざるを得ませんでした。
きっと、こんな戦法は私以外のワイバーンで誰も取った事が無いのでしょう。
「そう言えば特上の更に上があるって、噂で聞いた事があるけどさ、それは本当なのか?」
「本当さ。群れを纏めるワイバーンの中で、偶に居る。
儀式を遠くから見た事が数回あるんだけれど、ワイバーンに対しての想定をした訓練を何年も積んだ智獣が軽くあしらわれてた。従えるなんて、出来るとは思えないな」
「名前はあるのか?」
「越。規格外とか、異常とか、次元が違うとか、そんな意味で名付けられたらしい。
似合ってると言えば、似合ってるかな」
私達の族長も、色違いの族長もそれに入るのでしょう。
「ま、そんな事は良いよ。彼女ももう町に入りたいだろうしね。
……さて、こういう職業に就いている輩はこうなる可能性も踏まえて、仕事をしてるから君が心配する必要は無い。一種の事故死として、普通に扱われる筈だ。
町に入る事に関して何の問題も無い」
そうでなかったら流石に都合が良過ぎるというか、本当に私達を家畜としてしか見ていないと思えるのですが、まあ、そうでなくて安心しました。
「君も疲れただろう?」
私が頷くと、「じゃあ、行こうか」とコボルトは町に向って歩き始めました。
「乗せて貰えば楽だろうに」
ワーウルフがそう呟くと、コボルトは呆れたように返しました。
「野生のワイバーンは本当に信用した相手か、儀式で負けを認めた主人しか乗せないよ。
たった一日、二日会っただけの私達を乗せる筈無いじゃないか」
全くだ、と私は喉を鳴らしました。
疲れてはいましたが、腹も膨れ、やっと町に入れる事に私の気分は高鳴っていました。




