2. 弱者の末路
意外な程に何事もなく、朝までゆっくりと寝る事が出来ました。
魔獣という生物は本当に全くと言って良い程、ただの獣には襲われないのかもしれません。
体を起こすと、また腹が減る音がして、やっぱり熊を狩れば良かったと少し後悔しました。夜に食い切れなくても朝にまた食えば良いだけだったのに。
まあ、血の臭いを嗅ぎながら寝るのは不快なのもあったのですが。
朝に角の生えた兎、アルミラージを数匹食べ、私はまた空を飛びました。
気持ちも落ち着いて来ましたが、するとやはり、全く知らない土地に居ると言う事に不安を感じ出していました。
まだ見た事も無く、思い出せもしない魔獣、智獣が居るかもしれません。
もしかしたら、幻獣もどこかに居るかもしれません。
智獣と同等以上に賢く、そして魔獣よりも強い。知性があるので無造作に襲って来ないとは思えますが、出遭ってしまったら戦う事はおろか、逃げる事も難しいでしょう。
そんなのには遭いたくありません。
もし、幻獣に疑問を聞けるとしたら、私が知りたがっている事も一発で分かってしまうのかもしれませんが、その後私が死ぬような事があっては意味が無いのです。
私のこの自分探しは目的を終えたら死ぬ、という事ではないのですから。
……?
何故か、この頃自分の死を思うと違和感があるのですが。
記憶も教えてくれず、ただ、嫌な気持ちになります。
太陽が空高く昇って来てから、少し休憩して、私はまた飛び続けます。
鳥とかは飛んでいますが、他には何も空を飛んでいるのは見かけられません。道なりにずっと飛んでいても、あるのは大した事のない小さな村や集落だけです。
村や集落の周りには森を切り拓いて畑等も作られていますが、それも小規模なものでした。
こうも平坦な光景が続くと飽き飽きしてしまい、私は思いました。
……ここ辺りは、国じゃないのか?
ああ、と私は思い出しました。
国として纏まっていない場所は、国としてある場所よりも遥かに多いと言う事を。
そしてまた、それで分かりました。その無意識は、私が前世で国に属していたという事です。
次いでに国の名前や地理が思い出したのですが、残念ながらそれは役に立ちません。
国名は幾つも唐突に出て来て、どれが私が前世で居た国なのか分かりません。同様に地理もばらばらに、局所的に出て来て全く役に立ちませんでした。また、組み合わせようにもそれぞれは遠く離れた場所のようで、組み合わせられませんでした。
一つだけ思い出してくれれば、それが私の居た国と地理だろう、と思えたのですが。
そこまで都合良く、事は運んでくれないのでしょう。群れを出てから一日が経ち、結構な距離を飛びましたが、私が今居る場所がこの世界で言うどの辺りに属しているのか、それすらも思い出せず、分からないのですから。
私は溜息を吐きました。たった一日、一年、そんな短い期間でこの自分探しが終わるとは思ってはいませんが、二日目、私はもう、ただ飛び続けているだけの今に飽き飽きしていました。
しかし、そんな私の心情を誰かが汲んでくれたのか、前からワイバーンが見えてきました。私と同じ種類のワイバーンです。
そのワイバーンは上に人間を乗せ、私と同様に道なりに飛んできていました。
少し距離を置いた所で私は止まり、目の前の人間の男は私を片手に持った双眼鏡を通して見ています。
そして、ワイバーンはどこか、見覚えがありました。
ロではありません。雌のワイバーンです。
……そもそも、群れから出て行ったワイバーンは、私はロしか知りません。
雌のワイバーンで群れから出て行ったワイバーンは、私以外知りません。見覚えがある何て事、僅かな可能性の事しかあり得ません。
父が外で別に子を為した私の血族か。
それかまた、私が試練を受けている時に盗まれ、連れ去られた誰か、か。
父と母は私達六匹兄妹以外、子を為してはいません。その二つしか考えられないのです。
ただ、私がそのワイバーンを知っているとしたら、可能性があるのは姉さんだけでした。
そのワイバーンも私をじっと見つめています。
「降りてくれ」
人間の声が聞こえ、それは乗せているワイバーンに言ったのでしょうが、私もそれに従う事にしました。
降りてから、私はそのワイバーンと鉤爪を合わし、それからじっくりと眺めてみました。
もう、あの試練から七年も経っていますが、このワイバーンは姉さんではない、という事だけは何となく分かりました。
じゃあ……父の子供?
でも、それも何か微妙に違う気がしました。
「中々強そうだな、お前」
そのワイバーンから降りて来た人間が私に向って言いました。
人間は早速私に剣を向けてきました。私は一歩下がり、睨み付けます。
このワイバーンを、ただの乗り物としか見ていない。発せられた言葉にはそんな感情があり、それに私は怒りを感じました。
確かに、このワイバーンは弱いです。見ただけで分かりました。
体に傷は何もありませんし、体も鍛えられていません。表情はか弱い草食獣でもないのにずっと怯えて生きて来たような、酷い顔でした。戦いには役に立たないでしょう。
その点では、ただの乗り物として見られても仕方ない、とは少し思います。この人間も、こんなワイバーンでは竜騎士とは言えないでしょう。
しかし、ワイバーンが魔獣という知性のある存在なのに、この人間は単に役に立つペットとしか見ていないのです。
そして、私に乗り換えようとしているのです。
私が睨んでも人間は何も動揺せず、私を嗤うように言いました。
「儀式、が必要なんだっけ? ワイバーンを従えるには。
まあ、力で捻じ伏せれば良いだろう」
人間のもう片方の手は、光り始めていました。
その言葉に私は、まさか儀式をするよりもそれが普通なのか、と疑問に思いました。
こっそりと股の下から毒針を飛ばすと、人間の直前で何かに弾かれて手の光が弱くなりました。
魔法というのは、魂という生命の根幹となる殆ど目に見えないモノと、肉体という目に見える物に依存するもので、単純に体が強く、大きい程魔法の威力は強まり、魂の量、質が良ければまた、魔法の質も高まる。
人間は魔法自体は特に得意不得意無く使える傾向にあるが、魔法の威力は大した事がない。
そんな事が、記憶から引き出されるのではなく、極単純に生まれた時から知っていたかのように私はするりと思い出しました。
そして、魔獣と智獣の魂の質が殆ど変わらないと言う事も。
その事もあり、きっと、魂に残った記憶を受け継いだまま、私はコボルトからワイバーンに転生出来たのでしょう。
けれど、何故私だけが?
転生出来た、という事に関しては分かったものの、何故転生したのか、という事に関しては分からないままでした。
毒針を飛ばす度に、それは手の光の魔力を消費して練られた壁に弾かれてしまいますが、当然人間の手の光は弱まっていきます。人間は今更焦った顔をし、残りの魔力を全て使って光の矢を放ちました。
魔法を使えば、魔法を使えない魔獣に勝てるとでも思ったのでしょうか。
剣を持っているのにこの毒針を弾く事も出来ず、短所に目を背けているようにしか見えません。儀式に来た智獣の中で、毒針を弾くか最低限の動きで躱すか、その程度の事は出来ない人は居ませんでした。
無数に飛んできた光の矢は飛んで避けるしかないですが、そのまま私は毒針を更に放ちました。人間は革鎧を着ていましたが、この短い距離なら裸の顔面を狙う事など造作ありません。
溜めていた魔力が無くなった人間はそれを大きく伏せて躱しました。
もう一発、そこに放ってみますが流石にそれでやられてくれる程この人間は弱くなく、伏せる間に僅かに溜めた魔力でまた壁を張り、防御されてしまいました。
しかしもう、どちらにせよ決着は着いています。物凄く弱い訳ではありませんが、弱い人間でした。
人間が顔を上げた時には私はもうその目の前まで飛んで、そのまま顔面に蹴りを放ちます。
咄嗟に張られた薄い壁は何の役にも立たず、人間の首は変な音を立ててそのまま崩れました。
びく、びくと時たま痙攣するだけになった体を私は踏みつけ、念の為に両腕に尻尾を突き刺しておいてから私はワイバーンの方を見ました。
びく、と今の人間と同じように反応しますが、ただ私に怯えているだけで、人間を殺さないでくれとも殺してくれとも言っていませんでした。
……これは、単に甘やかされて野生を失って生きて来ただけなのでしょうか?
そうだとは思えませんでした。一から智獣にペットのように育てられ、単に乗り物として扱われるようになった、と私は思っていたのですが。
そのワイバーンの様子は、私が獲物を追い詰めて仕留める寸前の獣の姿に似ていました。
私が種類まで同じワイバーンなのにも関わらず、私に対してそうして怯えていたのです。
傷はありませんが、虐げられて生きて来たような、そんな気がしました。
……勿論、私にこのワイバーンを元に戻す、魔獣として気高く生きられるようにする義務なんて無いでしょう。私に近い血族であったとしても、そんな面倒な事御免です。
そしてまた、この事が組織的なものであったとしても、私にはそれを壊滅させる力もありません。
けれども、何もしない、というのも気に障りました。
ほんの少し、手助け位はしておきましょう。
私は人間の革鎧や身に付けているものを剥ぎ、食えるようになったその体をそのワイバーンの前に蹴りました。
まだ、微妙に生きています。食べれば少しはその弱さもマシになるでしょう。それでも、この自然の中で生きていけるかは微妙ですが。
「……ヴ?」
けれども、そのワイバーンに首を傾げられ、私は呆れました。
こうやって肉を食べた事も無いのか?
その骨をも砕ける鋭い牙は何の為にある。私は人間の太ももに噛みつき、そして千切りまそた。
ぶしゅ、と血が大量に出て、ワイバーンは驚いたかのように一歩下がります。
足を噛み砕きながら、そのワイバーンに苛立ちながら、私は長い尻尾でそのワイバーンを無理矢理引き寄せ、人間の顔へ押し付けました。
十分に骨まで噛み砕き、飲み込んでから、最後に私は顰め面をするワイバーンに一言、冷たく「ヴゥ」と言いました。
食え、と伝わった筈です。
人間はもうすぐ死に、生気の無い顔をしていてますが、ワイバーンも似たような顔でした。
尻尾の先を脳天に突きつけ、私はもう一度「ヴゥ」と冷たく言います。
食え。さもなければ、突き刺す。
そして、ワイバーンは恐る恐る口を開き、人間の頭を口に入れました。それからも噛み砕くのに躊躇していて見ている方としてはまどろっこしく、私はその両顎を尻尾で巻きつけて蹴り、無理矢理噛ませました。
「ン゛ンッ」
強く締め、何度か蹴ると首から千切れ、それから私は尻尾を離します。けれども、吐かないように更に口先に毒針を向けてまた睨んでおきます。
殺してすぐに食べないと強くはなれない、と私は智獣を喰らってきた経験から分かっていました。
ゆっくりと咀嚼している暇もありません。
噛むのも急かし、飲み込んだのを見るとまた首から下をとにかく速く食わせました。
しかし、私はその嫌々ながら食べているのを見て後悔しました。
ただの乗り物として扱っていたとしても、それでも主人だったのでしょうが、このワイバーンはその主人を食べる、という事より顔が血塗れになる事や、骨ごと肉を食べる事を嫌がっているように見えたのです。
このワイバーンがここまで弱いのは、環境の性もあったのでしょうが、何よりも自分自身の問題の方が強かったのでしょう。
これでは少し強くなれたとしても、この野生の中ではすぐに野垂れ死ぬとしか思えませんでした。
何も狩れずに、大蛇にすら舐められて殺されるか、餓死するか。
そうなるとしても、私はこれ以上の手助けはしないともう決めていました。
時間の無駄としかもう、思えませんでした。
今月も31と1に投稿出来るか怪しい。




