4. 智獣と幻獣
春が過ぎる頃、また儀式にやってきた智獣が居ました。今回は人間でした。
全員が軽装で、動きやすそうな服を着ていました。私達成獣になって間もないワイバーンはその儀式には当然参加しません。戦ったとしてもすぐに負けるだけですし、負けて連れて行かれたとしても、かなり鍛えられないと使い物にならないでしょう。
私は今回も昨年の秋の儀式の時のようにその儀式を見る事にしました。私以外は全員まだ興味が無いらしく、無視していつものように森の方へ飛んで行きました。
アイデンティティ何て気にしないとは決めましたが、それはワイバーンとして他のワイバーンと付き合う時の事で、私が何なのかを知りたいのは変わりません。
それと本当は、出来れば声を聞きたいのですが、そこまで近くに行くと儀式に参加すると見なされてしまうので、結局昨年の秋と全く同じように洞窟の出口から見る事にしました。
空から獲物を探す為なのか目はかなり良い方なので、見覚えのある顔があるかどうかだけでも確認しておければ、それで今回は満足でした。
この季節は卵を孕んだワイバーンやその番となったワイバーンは当然自由ではありません。アズキも卵を腹にもう宿しているらしく、この頃は激しい運動もする事も無ければ夜にマメと交尾をする事もありませんでした。そんなワイバーンはそこそこ多く、秋にコボルトが来た時よりも儀式に参加しようとするワイバーンは少ない状態で儀式は始まりました。
まず、老いたワイバーンが返されました。
何かを飲まされて返されるのはコボルトが来た時と同じでした。その飲まされているものが何だったか、私には思い出せそうなのですが、どうにもきちんと頭の中に出てはきませんでした。
飲むと良い気分になれるようなものだったとは覚えていましたが。
今回の最初の族長と人間のリーダーの戦いは、族長が前と全く同じように勝ちました。要するに、とてつもなく強い咆哮を人間に浴びせて体を狂わせた後に、強い一撃を食らわせたのです。その後、やはり全く同じように人間の方のリーダーは頭から食われて死にました。
コボルトの時は誰も感情を表に出さなかったように思えたのですが、人間は違く、膝から崩れ落ちた人間が少し居ました。ただ、流石に助けに行こうとする人間は居ませんでした。
もし、助けに行くなどの行為をしてしまって、儀式の暗黙の了解が破られたらどうなるのでしょうか?
魔法を使え、様々な技術を持つ智獣とワイバーンは対等な強さだとは私はそんなに思えません。智獣が対等になる条件まで落として、この儀式は行われているのです。
きっと、儀式を何らかの形で放棄するのでしょう。儀式をしに来た智獣達に勝てるようならば、一斉に襲い掛かって殺すのかもしれませんが。
その後も儀式は恙なく進んでいきました。コボルトの時のようにワイバーンの勝利の方が多く、骨まで食われて血だけが残る場所が多く出来て行きました。人間の方が装飾品が多いのか、きらりと光る何かが血だまりの中に残っていたり、捕食しているワイバーンが何かを吐き出すのも時々見受けられました。
まあ、それはそこまでどうでも良い事です。
残念なのは食われた人間の中にも、勝利した人間にも、私の記憶が反応するような顔は無かった事でした。
それと、所々に出来ていく血溜まりを見ながら私は何となく意外だ、とも思っていました。人間という智獣は、良く言えば他の智獣よりも仲間意識が強く、悪く言えば互いに依存しがちだと私の中の知識が知っていました。
ワイバーンに殺されようとして、無理にでも助けようとする人間が全く居ないのが私には少しおかしく感じられたのです。コボルトの時もそうでしたが、死ぬ間際になっても自分の身を守るのに本能的にでも魔法を使わないのにも、今更ながら変に思いました。
魔法を使えないのか、それとも、もしかしたら言葉による強い束縛以上の何かがあるのかもしれない、と私は思いました。
そして結局、とても強かった人間の中にも、ワイバーンに苦も無く殺された人間の中にも私の記憶を刺激する人間は誰一人として居ないまま戦いの数は減って行き、最後に無謀にも今年成獣したばかりのワイバーンが挑み、呆気なく負けて儀式は終わりました。
その成獣した直後のワイバーンを従える事になった人間が何とも言えない表情をしていたのが、私には滑稽に見えました。
口を動かしているのが見えましたが、流石にそれだけで喋っている内容を読み取るのは無理でした。
私は人間の言葉が分かるのかどうか、という疑問も晴れないまま儀式は終わり、老いたワイバーンと交代して若いワイバーンが人間を背に乗せて彼方へと飛んで行きました。
この帰って来たワイバーン達は、また生まれて来る子供達の試練となって悲しく死んでいくのでしょうか。私もここで過ごす限り、そのようにして最期を迎えるのでしょうか。
それは嫌だな、と思いました。
飯が取れなくなる程に体が弱り、自分が誰だか分からなくなるまで生きてしまっているよりは余程良いのでしょうが、もっと良い死に方をしたい、と思いました。
その後すぐにまだ一歳だった事を思い、私自身も滑稽に思えました。
前世がある、という事は私自身の今の年齢を誤魔化すのでしょう。……そういえば私は今、合計何年生きているのでしょうか?
ここに居る誰よりも、私は長く生きている事になっているのでしょうか? けれども、もしそうだとしても、それは今ワイバーンである私を何も変える事もありません。
私がここで最も年長だと証明する事は勿論出来ませんし、もし出来たとしても私はこのワイバーンの群れの中では弱いです。長く生きているだけで尊ばれる事は絶対に無いでしょうから。
それは野生として生きているワイバーンの生き方が証明していました。
朝から何も食べておらず、腹の虫が鳴り出したので私は飯を食べに森へと向かいました。
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肌寒い日が珍しくなった頃、私は時の流れが早くなり始めたような気がしました。
新しくワイバーンが生まれ始め、洞窟の側を飛べばその赤ん坊の声が聞こえる事があるようになってきています。
アズキとマメは私とノマル、それと母が手伝って新たに作った洞窟に移り住み、そこで子育てを始めていました。
子を為したワイバーン達は濃密な日々を送っているように思えましたが、そうでないワイバーンは変わらない普通の毎日をただのんびりと過ごしていました。
私は子供の時のように家族とでなく、また冬のように大勢とでもなく、友達と過ごす日々にも慣れて来ていました。発情期もいつの間にか過ぎていて、それに気付くと下腹部の火照りと共に一つの欲求が失せた事に安堵しました。
そのように気付けば一日が終わり、十日が過ぎ、春が終わっていたのです。
人間が儀式に来た後は誰も儀式に来ず、マメが助けて貰った赤熊と思われる魔獣を私に会わせる事も無く、ロが唐突に帰って来るもなく、ただ悪戯に日が過ぎていました。
ただ、丁度一歳になる頃の私達はまだ誰も戦いに十分強くなったとも言えず、本当に成獣したワイバーンとはまだまだ言えませんでした。
そして気付けば少しずつ暑くなり始め、夏が近づいていました。洞窟の中で寝るのも暑苦しくなってくる季節になっていました。
夜にはちらほらと外で寝ているワイバーンも見え始め、私やアカ、イとハもそうしようかと思い始めていました。
洞窟の中は当初の七匹から比べて四匹まで減ったので窮屈ではなかったのですが、流石に巨体が四つもあるとそれぞれが発する熱が強く、外と比べて余計に蒸し暑く感じられたのです。
イが参ったような声を出し、ハもそれに頷きました。ロが居なくなった後も、二匹は特別変わった様子はなく暮らしていました。ワイバーンとしてそれが普通なのか、それともロとは実は特別親しくなかったのか、それはやはり私には分かりません。
アカが立ち上がり、外に歩き始めました。私もイもハも、外に出る事にしました。
外に出て空を眺めると、三日月が青く光っていました。雲が淡く月を隠しましたが、すぐに流れて月はまた姿を現しました。
広い草原で適当に空いている場所を探し、寝そべってからも私は首を持ち上げて月を幾度か見上げました。淡く隠される月も、鋭い形をして輝いている月も私にはとても綺麗に思えました。
何だか、寝るのは勿体ないように思える程です。
ただ、寝そべったまま首だけを持ち上げて空を見上げるのにはやはり辛いものがあります。特に成獣のワイバーンに言える事ですが、太い尻尾が生えているのと、体の構造上の問題から何か凭れ掛かれるものがないと座る姿勢になるのは厳しいのです。
崖下は糞尿塗れですし、崖の上まで行くのは面倒でした。夜の森はワイバーンと言えども少し怖いものがあります。その場所以外に凭れ掛かれるものがある場所はありません。草原には岩一つ無いのです。
蛇のように、熱で周りを感知出来る器官なんてワイバーンは持っていません。確か、音の反射で辺りを探れる動物や魔獣も居るような記憶がありましたが、そんな事もワイバーンは出来ません。
何だかなぁ。
美しいものは危険でもある、と私の中の記憶が教えてくれました。その言葉が持つ本当の意味ではないような気がする、とも私は思いましたがどちらにせよ、言葉通りの意味はありました。
けれども、そんなに大した危険は無いだろうと私は判断して、夜の森へと飛んで行きました。月を快適に見る為に、ちょっとの危険を冒して。
アカ達は涼しさに身を委ねて、もう夢の中へ意識を沈めていました。
飛んでいると、残っていた眠気も覚めました。
淡い月の光を微かに反射している川面を越え、大して時間が経たない内に森と草原のぼやけた境界線に辿り着きました。
木々が疎らな場所に私は着地し、背を木に預けて座り、三日月を見上げました。
ああ。
月の美しさは何か、寂しさを感じさせました。胸に込み上げて来るような、何とも言えない寂しさでした。
美しいものは危険でもある、というのは本当はこういう事なのだろうか、と私は三日月を見続けながら思いました。ずっと見ていると、私の中の何かが浜辺で作った土の城のようにゆっくりと、ぼろぼろと波に打たれて崩れていくような、そんな感覚を覚えました。
「……ヴゥ」
私はそれでも三日月を見るのを止められませんでした。
考える事を止めたくなるようなそんな感覚も覚え、だらしなく木に寄り掛かり、体全体を脱力して、口もだらりと開けて私はただ月を見ていました。
ざり、という音が微かに聞こえ、私は眠りから目を覚ますようにはっと意識を覚醒しました。
ざり、ざり、と乾いた土の上を歩く音が聞こえます。
鈍重な足音ではありませんでした。言うならば、馬のような足音でした。
ケルピか?
それが一番しっくり来る気がしましたが、間違いなくそれは外れだとすぐに分かりました。
立ち上がってその足音を聞いている内に、格、としか言いようがないものが感じられました。魂から感じられるような自分とは全く違う感覚を、それが近付くに連れて私は覚えたのです。魔獣でもない、智獣でもない、幻獣を目の前にした時の感覚でした。
はっきり確証出来る程に、私の記憶はその感覚をそう捉えました。
逃げた方が良い。その感覚が強くなるに連れ、私はそう直感しました。いつの間にか心臓が高鳴っていました。
急いで私は翼を広げ、空へと飛びます。
しかし、幻獣であるならば、ただ空に居るだけでは安全だとは言えません。私は出来るだけ空高く飛び、そしてすぐさま皆の居る草原へと逃げました。
けれども、すぐに怖い物見たさが私の中を占めていきました。
その幻獣は何なのか。まやかしの意味を持つ言葉が使われているように、幻獣はそもそもとても珍しい生物です。また、私の中に幻獣と出会ったような記憶があるのに気付き、一瞬遅れて私は驚きました。
そして、私は呆気なくその好奇心に負けて後ろを振り返りました。
しかし、残念な事に月夜に照らされても、姿ははっきりとは見えませんでした。ただ、オチビの時のように目だけがその仄かな月明かりを反射してはっきりと見えました。その視線は私の方を確実に見ています。
目が、合いました。
……幻獣の目は何故か、私に対し憐れみを向けているように見えました。それはとても印象が強く、私はすぐに目を背け、また逃げるように私は仲間の元へと飛びました。
幸運な事に幻獣は追って来る様子はありませんでしたが、私の脳裏にその憐れみの目が強く焼き付きました。何か、私はそれに対し私自身に恐怖を抱きました。眼を閉じても、仲間の元に戻ってもその目が私の目の前に強く映し出されるようで、何故私が憐れみの感情を見知らぬ幻獣から向けられなければいけないのか全く分からず、想像するのも怖くなったのです。
寝ようと思っても心臓が高鳴り、上手く寝付けませんでした。
次、一回休むかも。
それと、0,12,1,11,2,10...6とそんな法則で投稿し終えたから、これからは大体0時に投稿するかな。きっと。




