15. 三日目、最終日にしよう
二度目の交代を迎え、自然と目が覚めて大蛇から顔を出すと、もう空は明るくなり始めていました。三日目の始まりです。
私と一緒に寝ていたワイバーンも起き、全員で大蛇の朝食を頂きました。流石にもう、身を隠せるスペースも無くなりつつありました。
それから少し息を吐いた後、私は眼を閉じて集中しました。
無意識にしか魔法が使えないとするならば、体自体に魔法の発火点みたいなものがあるはずです。特定の動作をするとか、空を飛ぶ鮮明なイメージをするとか、発火点としての動作としては様々な事が考えられますが、私は取り敢えず、母が私を乗せて洞窟まで送る時の事を考えてみました。
母は助走もつけずに、大きく翼をゆっくりとはためかせて、ゆっくりと空へ浮き上がっていました。それは、成獣のワイバーンの重さを考えてみるとおかしい事でした。
私は空気を出来るだけ扇ぐように、翼をゆっくりと、大きく動かしました。
ばさり、ばさり。
これじゃない。何となく、それが本能で分かりました。私は試行錯誤しながら、空気と戦います。
ばさり、ばさり。
呼吸も翼の動きと合わせ、力強く、体を大きく見せるように。
ばさり、ばさり。
枯葉が私の起こす風で撒き散らされています。
ばさり、ばさり。
宙を舞う彼はを見ている内に私は自ずと無心になっていき、何となく空を見上げました。
ばさり、ふわり。
あ、飛べた。何の感情も抱かずにただぼけっとそう思った時には、私の体は浮いていました。飛んでいる、というよりは浮いている、という感覚の方が強くありました。そして、自覚した瞬間、バランスを崩してみっともなく落ちました。
「ルアアッ!」
私が一瞬だけでも飛んだのを見て、他のワイバーン達も飛んでみようと頑張り始めました。
これが、この試練の最終段階なのでしょうか。
私はそうである事を願いました。
昼頃に、全員が飛べるようになっていました。
何というのでしょうか、皆が飛ぼうと頑張っているのを見ていると、魔獣と言う区分に入る動物は智獣に限りなく近い思考をしていると思えました。
飛べると知覚して、初めて飛べるようになる。
何も教えられずに自らの力のみで飛べるようになると言うのは、子が親から狩りの仕方を教わるような事とは全く違う事でした。
そして、この試練を終わらせる為にすべき事も見えてきました。
それは、自力で洞窟まで帰る事です。
きっと、飛べると知覚すべき場所は川なのでしょう。私達は極寒の川を泳いで渡る事は出来ません。飛ばないと、渡れない。その事がきっと飛べると知覚させるきっかけになるのでしょう。
それともう一つ、きっと、飛べるようになる条件があります。飛べると知覚するだけで飛べるようになるなら、今まで誰も飛べなかったというのはどう考えてもおかしいと思えました。
自分の力で獲物を仕留める事、いや、生死を賭した戦いを経験する事。
……纏めると、佳境に立たされて生き延びた経験と言えば良いのでしょうか、それが飛べるようになる条件に当てはまる気がしました。
強く、そして飛べるようになって戻って来い。
自ら空を飛ぶ事が出来ないワイバーンも弱いワイバーンもいらない。
そんな事を、この試練は物語っているような気がしました。
大蛇を食べ、私達は歩き始めました。森から出て、飛んで帰ろう。帰っていいとははっきりとは分かっていませんが、三日目になっても迎えも来ませんし、第一まだ成獣に比べたらか弱い身でこんな森の中に居るのは誰だって嫌でした。
私は兄姉達の事が心配でしたが、強くなれなければ帰れないなら私に出来る事は祈るしかありませんでした。ハナミズ、姉さん、ノマル、マメ、そして私。兄妹の中で帰って来れたのが私だけだなんて結末は嫌です。それだけは起こらないで欲しいと祈りながら、私は歩きました。
歩いていると、子供のワイバーンの死体がちらほらとありました。踏みつぶされてひしゃげた体のもの、既に他の獣に食われ、無残な姿になっているもの、首から上が無いもの。勿論、子供だけでは無く、老いたワイバーンの死体も、食い散らかされた獣の死体もありました。
どうして、わざわざこんな試練をするんだろう。私は疑問に思いましたが、はっきりとした結論は出ませんでした。知性は持っているけれどもあくまで野生として生きる獣から、だろうか、位の事でした。
私がこの試練をさせる側になる頃には分かっているのでしょうか。どうも、そうは思えませんでした。
がさがさと、煩く音を立てて枯葉を掻き回しながら森の中を五匹で歩いて行きます。
私に限らず、全員がわざと音を立てていました。きっと、もっと大勢で帰りたいという心情があるのだと思います。この音につられて生き残っているワイバーン達が来てくれれば良いな。
五匹で居ると、ワイバーンではなく敵が来ても大丈夫に思えたのです。同じ魔獣は除きますが。
行きはあんなにも大勢だったのに、帰りは少数で細々と帰るなんて私は嫌でした。想像すると、敗走するような感じに思えてしまい、どうしても試練を乗り越えたというイメージより、ただ生き残ったというイメージの方が強く感じられるように思いました。
敗走するように、ではなく凱旋するように帰りたい。それが、私だけではなく、皆の思いでしょう。
けれども、一向にワイバーンがやってくる気配はありませんでした。
どうしてだろう、と私は思っていたのですが、そこで私はとんでもない勘違いに気付きました。
…………ワイバーンの寿命はそこそこ長く、五十年位は生きています。毎年、この試練が行われるとしたら、それは成獣のワイバーンの総数より少し少ない、なんて生存率では困ります。
どうして、そんな事に気付かなかったのでしょうか。いや、気付きたくないと思っていたのでしょうか。
弱いワイバーンは要らない、ではなく、強いワイバーンしか要らない。
……きっと、半分どころではなく、一割も生き残っていないのでしょう。
私の足取りは自然と重くなっていました。
兄さん達、それと姉さんは生きているんだろうか。私一匹だけが生き残っているなんていう結末は絶対に嫌です。せめて、一匹だけでも生き残っていて欲しい。絶望的な心境になりながらも、私はまた、強く祈りました。
木が疎らになってきてやっと、六匹のワイバーンと合流する事が出来ました。全員が私やアカと同じく、赤黒い血に染まった状態でした。
その中には兄姉は居ませんでした。……しかし、逆にそれが私にハナミズの死を教えてしまいました。
その数匹のワイバーンは全て、ハナミズの友達でした。彼ら、彼女らは常に大勢で行動していて、分かれ離れになっている所は余り見た事がありません。
……ああ。私は自ずと尻餅をついていました。泣きたくて仕方ありませんでした。一体、どれだけの悲しみを背負えば良いのでしょう。
ハナミズの友達は私の事を大して知っていないみたいでしたが、何となく察してくれました。しかし、私はそのまま暫く座っていたかったのですが、この場所にただ居る事も皆の迷惑になるだけです。
私は更に重くなった足を動かして、立ち上がりました。
生き残った者達は犠牲の上に立っている以上、死ぬわけにはいかないのです。
……死ぬわけには、いきません。
そして皆はまた、歩き始めました。私は込み上げて来る感情を堪え、とにかく足を動かしました。
森を抜け、冷たい風が吹く中を歩いてとうとう川原まで辿り着いた時、ワイバーンは十七匹まで集まっていました。
ふぅ、と私は息を吐きました。やっと、終わる。
私は翼を広げ、空を飛ぶ準備をしました。他の皆も、飛べる私達五匹を見て同じように翼を広げました。
ばしゃっ。
その時です。川から深青色の馬が飛び出して来ました。川原の石に蹄を鳴らし、猛スピードで私達に迫ってきます。一瞬見ただけでそれがケルピだと分かりました。肉を食う、水の中に棲む馬に似た形をしている魔獣です。
やばい。
私はすぐに飛びました。ケルピが跳べる高さよりも高い場所まで、とにかく賢明に何も考えずに飛びました。
「ギャン!」
ケルピの最も近くに居た一匹の首が、抵抗も出来ずにケルピの口に咥えられて持ち上げられ、次の瞬間にボギリと音が聞こえました。声も上げずに、そのワイバーンは呆気なく死にました。
「ウルアッ!」
二匹が応戦しようとケルピに走りました。飛んだ一匹も応戦しようと向いました。出会った三匹雄の内、一番大きいワイバーンでした。
しかし一瞬で決着は着いてしまいました。走って来た一匹が防御する前に頭を蹴られ、ぐしゃりという嫌な音が聞こえました。頭が変形していて、その場で崩れてもう動きませんでした。そして、もう一匹が飛ばした毒針は咥えられていたワイバーンで防がれ、そのまま同様に腹を蹴られました。そのワイバーンは小さめの牛位の大きさがあるのにも関わらず、食べたものを吐きながら水の中へと落ち、浮き上がった後、身動きもせずに流れて行きました。
そして、ケルピはその一瞬の出来事を見て尻込んだ、飛んでいるワイバーンの方を睨みました。
邪魔者としか見られていない目をされて、そのワイバーンは震えて止まってしまいました。飛び続けている事も出来ず、川原の石を虚しく鳴らして地面へ落ちました。
ふん、と鼻を鳴らして水馬は殺したもう一匹も蹴り飛ばし、川へと流してから戻って行きました。私達には堂々と背を向けていましたが、全くもって動けませんでした。
それは赤熊の時と同じでした。赤熊は、大蛇の死体が無ければ私達や老ワイバーン、オチビを食糧としたのでしょう。ケルピは腹が減っていて、丁度良い場所に居たから私達を食糧とした。
今起こった事は、たったそれだけでした。私と兄妹が母が獲って来た生きている獲物をいたぶって殺した事と同じ事が今、この場で起きただけでした。
しかし、自分達の目の前でほんの僅かな時間でそれが起きたのは、誰にとっても信じられない事でありましたし、生き残った今でも、自分達の脆さと弱さを自覚せずには居られない事でもありました。




