第二話 第一の刺客
周りを見渡すも何の影も見えない。確かに、何処かに姿を隠しているようだ。だが、しっかりと視線を感じる。
「お前の力で探せないのか?リリス」
「それくらいなら出来るわよ。ちょっと待ってて……」
リリスは周りを睨み付けている。数秒後にリリスは場所を察知したようだった。
「分かったわ。あの道の角よ」
彼女はすぐ近くの道の角を指差した。意外に近かったので吃驚した。
「どうやって見つけ出したんだ?お得意の第六感か?」
「私はアストラル体である代わりに透視能力が使えるのよ。ちなみに同じ理由で戦いには直接は干渉できないの。ごめんなさいね」
「索敵能力だけでも十分に役に立つよ」
敵を見つけたのはいいが、さてどうしたものかと考えていると、体長2メートルはあるであろう怪物が自らそこから出てきた。身体は緑、目の色が黄色く、明らかに人間と言う範囲から逸脱していた。
「奇襲をかけるつもりだったが、流石に天使の透視能力には叶わないな」
剣と盾を装備している人型が、突然喋りだした。
「あれが竜人なのか……?」
驚いて、僕は思わず斜め後ろに居るリリスに確認した。
「そういえば竜人について詳しいことはまだ伝えてなかったわね。ええ、見れば分かるでしょう。あれは、“人間”ではない」
リリスは腕を組んで竜人から目を離さなかった。
「人間ではないとは失礼な奴だ。私も立派な人間だよ。そこの少年のような猿ではないがな」
竜人は自嘲気味に笑いながら言った。
猿って言ったぞこいつ。
「しかし、少年とは違って、君は全く隙を見せないんだな。これでは奇襲をかける暇もないではないか」
どうやらリリスに話しかけているようだった。隙だらけで悪かったな。
「奇襲をかけようとするなんて、あなた本当に神の使いと呼べるのかしら?」
リリスも負けていなかった。いいぞリリス。もっと言ってやれ。
「我々は猿人に本当に失望しているからね。正直、家畜程度にしか思っていない」
神様を信じているからと言って、決して紳士であることに結び付かないんだな。さっきから言ってることが酷すぎる。
「神の使いであることを忘れ、箱庭を滅茶苦茶にしてくれて。君達を恨んでいると言ってもいい。もう我々は我慢できなくなったんだよ」
竜人は身振り手振りを付けながら言った。
「でも、あなた魔法は使えないんでしょう?だからそうやって武器を持ち歩いている。それは神に認められてないことの表れよ」
なんとなくリリスが竜人を説き伏せつつあった。すると竜人が舌打ちするのが聞こえた。
「話が過ぎたな。これからは剣で語り合うとしようじゃないか。まぁ、君は剣を持っていないようだがね」
竜人が剣を鞘から抜き出した。もう話す気もなくなっただろ?ん?
「章、魔法防御をして」
「そうだった」
僕は目を閉じた。
イメージしろ……。身体中の気孔から生命エネルギーが溢れるイメージ……。それが段々と広がって……。
「章、危ない!避けて!」
目を開くと、竜人が目の前まで迫ってきていた。奴が剣を振りかざす。
「うわあああ!」
なんなんだこいつは!
僕はギリギリのところで剣を交わし、その場にへたりこんだ。致命傷は免れたが、右肩に傷を負ってしまった。
「待つのは苦手なんでね」
本当に下衆い野郎だ!こんなのが神に認められてたまるものか!
「気をつけて章。低級ほどああいう奴が多いから」
「分かった」
少し落ち着いてくると肩がじんじんと痛んできた。この野郎よくもやりやがって……。僕が立ち上がって距離を取ろうとしたところだった。
「私を……」
竜人は下を見ながら肩を震わせていた。なんだ?
「私を低級と呼ぶなああああ!」
奴は剣を無茶苦茶に振り回した。
危なっ!
僕は後退しつつ腕から先で防御したが、かすり傷を大量に負った。いってえな、何しやがる。
怒りに任せて一頻り剣を振ったせいで疲れたのか、竜人は肩を上下させながら、一旦動きを止めた。馬鹿かこいつは。
「今のうちに魔法防御を完成させなさい」
冷静なリリスにはよく助けられる。僕は痛みに耐えながら、時間は多少かかったものの、魔法防御を完成させた。それくらいの余裕はあった。
「その状態なら大した傷を負うことはないわ。本当は戦闘前にやるのが癖になるくらいじゃないといけないのよ」
僕は今のうちに距離を出来るだけ取っておこうと思って、敵の反対方向に走り出した。そうだ、どうせなら道に迷わせてやろう。僕はジグザグに路地を進んでいくことにした。
「リリス、回復魔法は使えないのか?」
これから負う傷より、これまでに負った傷のことを考えてしまう。
「今使っていいの?」
「え?」
それは一体どういうことだ?
「この空間は人間への魔力供給は無限なんだけど、あいにく私の魔力供給には限りがあってね、回復魔法は大体一日に三回くらいしか使えないの」
「つまり考えて使えってことか」
「でも右肩に傷を受けているのは痛手ね。これじゃ魔法が出せないじゃない」
「いや、それは大丈夫なんだけど」
「大丈夫じゃないわよ。魔術師が魔法を使えなくてどうするの。回復するわよ」
「いや、あの――」
「まずは何処かに忍び込んで。回復魔法中はほぼ動けないから」
有無を言わさない雰囲気だったので、僕は観念して路地裏に入り込んだ。
「ヒール」
身体中を光が包み込んだ。浮くような感覚だった。まるで揺りかごで眠る赤子のような気分。とても気持ちが良かった。しばらくして気付くと、身体が完治していた。
「回復魔法ってこんなに気持ち良いものなんだな。吃驚したよ」
「……分は私の……でもある……ね」
リリスがぼそっと何か言った。
「え?何か言ったか?」
「なんでもないわ」
「そうか、ならいいんだが」
「と言うか魔法防御切れてるわよ」
「面目ない」
僕はしっかりと身体をガードした後、通りに出て、左右を確認した。
まぁ、居る筈もないのだが。
すると、竜人の声が聞こえてきた。何を言っているのかは分からないが、何かを喚き散らしている。
奴が僕の場所が分からなくなるのと同時に、僕も奴の場所がわからなくなるので、リリスの索敵能力を使って探してもらおうと思っていたが、その必要も無いかに思えてくる。本当に馬鹿だ。
「次は水流魔法で片付けなさい」
そう言えば、戦闘になってから一度も水流魔法を使っていない。魔術師としてあるまじき失態だ。
「まずはあいつに近付かないとな。リリス、今あいつは何処に居る?」
「どうやら三本先の道路を西に移動中ね」
リリスが指差す方向を見ると、大体の位置と向かっている方角は分かった。公園通りか。ここらへんは地元なので土地勘がある。
「今から移動して待ち伏せするか」
「どうやらその必要はないみたいよ。さっき角を曲がって段々こっちに近付いてきてる」
というわけで、僕達は近くの建物の陰に隠れた。
竜人の声が近付いてくる。近付くにつれて、何を喚いているのか段々分かってきた。
猿風情が、竜の一族の一員である俺を馬鹿にしやがって、この家畜風情が、この猿畜生め、等と言っているようだ。
「あいつ酔ってるのか?」
僕は声を潜めながら言った。
「いや、単なる馬鹿ね」
あーあ、言っちゃったよ。
さて、その馬鹿が段々と近付いてきている。もう会話は避けた方がいいだろう。息を潜めてじっと待つ。
なんだかカエルを睨み付けている蛇の気分だ。……いや、これでは僕まで爬虫類になってしまう。言い直そう。瞳孔を開きながら獲物を狙う猫のような気分だ。うん、これならいいか。
僕は道の角から飛び出し、近付いてきた竜人に左手を向けて激流をお見舞いした。すると竜人が吹っ飛んだ。僕も吹っ飛んだ。
「何してるの!」
リリスが叫んだ。
「いや、あらかじめ注意してくれよ……。幸い大したダメージではなかったが……」
「章も人のこと言えないわね」
「半分はお前の責任だろ……」
僕は体勢を立て直して、竜人が吹っ飛んだ方向を睨み付けた。竜人は大の字になって倒れている。どうやら倒したようだった。
「こいつは……本当に倒したのか?」
「どうやら、そうみたいね」
僕は恐る恐る横たわる竜人に近付いた。
「気を付けて、こいつまた奇襲を仕掛ける気かもしれないわ」
「ああ、分かってる」
僕は竜人に目と鼻の先まで近付くと、目の瞳孔の動きを観察した。
「何してるの?」
「こいつが本当に気絶しているのかを確認してる」
「そんなことも出来るのね……」
「医者目指してるからな」
どうやら、しっかり意識が飛んでいるようだ。あっけない終わり方だが、こいつには丁度良い。
僕は竜人を指差しながら言った。
「やられたらやり返す!倍――」
この時鏡があったなら自分のドヤ顔が目に入ったことだろう。
「それは版権上危ないからやめて」
一度は言ってみたかったのに……。
それから僕は竜人の装備を外した。
「これで一安心だな。念のため水流でぶっ飛ばしとくか?」
「いや、それはあまり得策ではないわね」
「さっきみたいに失敗するかもしれないからか?」
「いや、そうじゃないの」
リリスが何を考えているのか分からなかった。
「止めを刺すべきよ」
止めをさす……。
とどめを……さす……?
……ああ、そういうことか。
いや、いやいやいや。
「無理だって!カエルすら殺したことないのに!」
動揺した僕とは対照的に、リリスは真剣な顔で言った。
「章、これは”戦争”なのよ。戦争は政治的強硬手段であると同時に殺戮が目的なの。今殺さなかったら、また他の人が襲われるかもしれない。その人が負けたら、こいつ殺されてしまうかもしれない。こっちの被害を最小限にとどめるにはこいつを殺すしかないの」
「それでも!無理なものは無理なんだよ!こいつを剣で刺したら肉の感触がリアルに伝わってくる!多分一生忘れられない!生まれた種類は違くとも人を殺すなんて出来ない!」
僕は叫んだ。するとリリスは溜め息をついた。
長い沈黙が辺りを包み込んだ。リリスは何か考えているようだった。僕ら以外誰も居ない閑散とした空間で、会話さえなくなると少し寂しくなった。
「……まだ……わね」
リリスが小声で独り言のようなことを言った。
「え?」
「いや、何でもないわ」
リリスは頭に片手を当てて呆れたように首を振った。
「分かった。止めを刺す必要はないわ。動きさえ止めておけばね」
「なるほど……それなら構わないけど……でもそんな方法があるなら先に言ってくれれば興奮せずに済んだのに……」
「どれだけの覚悟があったか試しただけよ。それに、その動きを止めるって言うのが一番大変なんだから」
リリスは腕を組みながら言った。
「どうするんだ?」
「近くにホームセンターは?」
「無い」
リリスは溜め息を付いた。
「なら電気屋は?」
「あるけど」
「ならそこに行って延長コードを持ってきなさい。ロープ代わりにして縛るから。私はこいつの見張りをしておくわ。こいつが起きる前に、ほら早く」
僕は念のためもう一回竜人を吹き飛ばし、装備を隠すと、溜め息をついて、その場を去ろうとした。すると、リリスに呼び止められた。
「テレパシーなら遠くでも聞こえるから、私に通信が取りたい時は使いなさい」
……と言うことで、僕は急いで近くの電気屋に行き、延長コードを持てるだけ持って戻ってきた。途中で自動ドアが開かないと焦って連絡したら、リリスからのアドバイスがあり、その通りに、ガラス扉を水流で割って侵入した。やりたい放題だなと思ったが、アウトローなことをするのは刺激的で多少楽しくもあった。
延長コードを探すのに手間取ったので、竜人が目を覚ましていないか心配だったが、行く前に一発当てておいたせいか、まだぐっすり眠っているようだった。
「それで……」
「どうしたの?早く結びなさい」
「いや、どうやって結べばいいんだ?」
「学校で習わなかったの?」
「人の結び方なんて習うはずないだろ!」
リリスはくすくすと笑った。なんだか、リリスの笑い顔を見ると、少し安心した。
「じゃあ私が言った通りに結びなさい、まず……」
リリスは何処で習ったのか知らないが、結び方を丁寧に説明してくれた。そういう趣味があるんだろうか。いや、まさかな。
結局、悪戦苦闘しながら、僕はなんとか竜人を縛ることに成功した。
「さて、じゃあ起きるのを待ちましょうか」
リリスは腕を組んで竜人を見下ろしながら言った。
「ここに置いていけばいいだろ。いや、見たい気持ちもあるけど、残念ながら僕はそこまで悪趣味じゃない」
「それじゃ私が悪趣味みたいじゃない」
いや、悪趣味だろ。
「じゃああなたはここからどうやって帰るつもり?」
なんだと?
「僕はてっきりリリスが案内してくれるのかと思ったが」
「私はそこまで便利屋じゃないのよ。こいつに出口が何処にあるのか聞き出さないと」
「面倒だな……」
「止めを刺せたら、すぐに戻れたんだけどね」
それは嫌味か?
「とにかく、時間がかかりそうだな……ここでの時間経過はどうなってるんだ?」
「時に取り残された空間では時は止まってると考えて構わないわ。だから大丈夫」
「やっぱりそうなのか。暇になりそうだから、家に小説取りに行ってくる」
そこで僕はあることを思い付いた。ここなら小説読み放題じゃないか!
「リリス、たまにこの空間に入ってもいいか?」
リリスは眉をしかめて言った。
「元の世界に戻れる保証はないわよ?」
「すいませんでした」
僕はそそくさと小説を取りに行った。
それからアスファルトの上で小説を読んでいると、やがて竜人が目を覚ました。
「まさか……猿人如きに……負けるとはな……」
結構内部にダメージを負ったらしく、掠れた声で言った。
「正確には猿人類だけどな」
猿人と呼ばれるのは少々気に入らない。
「……何故……殺さなかった?」
「竜だろうと猿だろうと、同じ人間を殺すことは、僕には出来ない」
「ふっ……甘いな……いつかその甘さが身を滅ぼすぞ……」
「…………」
僕は黙るしかなかった。
「さて」
そこにリリスが割って入ってきた。
「出口の場所を教えてもらいましょうか」
竜人は軽く笑った。
「俺が吐くと思ってるのか?」
挑発してきた。相変わらずうざい奴だ。イライラする。
「いいから吐け!」
と、僕が言い終わった瞬間には、リリスは既に竜人の顔を踏みにじっていた。
「辱しめられたくないなら早めに吐いた方がいいわよ?」
リリスは言葉とは裏腹に微笑みながら言った。
「わ……分かった……」
竜人はもごもごと言った。確かにプライドの高そうなこいつには有効な手段だったかもしれない。でもやっぱりこいつ悪趣味だ……!
そんなわけで、竜人から無事出口の場所を聞き出した僕達は、無事に時に取り残された空間から抜け出した。
出てから初めて車のヘッドライトが見えた時は、とても安心した。